「男は強くなければ、生きていけない。
優しくなければ、生きていく資格がない」
1970年代の終わり頃、この台詞が、繰り返し、繰り返し、テレビで流れていた時期がありました。
角川映画「野生の証明」(映画と、レイモンド・チャンドラーは何の関係もありません)のCMでしたが、当時の少年たちには、間違いなく、大きな影響を与えていたと思います。
「オレも、大人になって、いや、男になって、こんな生き様の人生を歩んでみたい」
そう感じた男の子も多かったでしょう。
あきおがバンコクから戻って来る朝、私は、あの子と、どんな態度で接するべきか、ずっと考えていました。
「今度という、今度は・・・」
怒鳴り散らすべきか、ぐっと我慢して、もう一度、言って聞かせるべきか、それとも、完全に、「知らんぷり」すべきか・・・・。
考えが、まとまらないうちに、あの子が部屋に入ってきてしまいます。
私は、気付かないふりをしていましたが、あきおの方から声をかけてきました。
「パパ、ごめんなさい」
ヨック・ムー・ワイ(タイ人が挨拶するときに、両手を合わせる礼儀作法)の姿勢をとって、実に丁重な挨拶でした。しかも、頭は丸坊主で、眉毛まで剃っていましたから、なんだか、異様な風貌で、完全に意表を突かれてしまいます。
「・・・・・・・あきおか・・・・、お腹空いてるだろう。ご飯食べろ・・・」
そうとしか、言いようがなく、またまた、あきおに、してやられました。
迷いのある相手に、先制攻撃を仕掛け、自分のペースに引きずり込んでしまう・・・・、剣術使いのような、あきおの戦法に、どうしてなのか、いつも、ごまかされてしまうわけです。
やられたのは、ラントムも同様で、この日の我が家は、実に不思議な空間でした。つい前日には、2人とも、カンカンで、
「絶対に許さん」
と息巻いていたはずだったのに、一夜明けて、あきおの顔を見ると、まるで、
長い修行から戻って来た、1人息子を迎えるような態度になっていたのです。
「澤野さんがなあ・・・・、最近なんか、奥さんとアツアツでなあ・・・、どうしちゃったのかなあ・・・」
「テンちゃん(うちのお店のスタッフ)、また、フラレちゃったのよ、中学生に・・・・」
「あきお兄ちゃん、知ってる?ピー・ヨム(ヨム姉さんの意。姉のマヨムのこと)に、新しい彼氏ができちゃったの・・・」
私も、ラントムも、きよみも、そして、ラントムのお父さんや、お母さんも含めて、学校の話には、ほとんど触れず、世間話を、ずっと続けていました。
夜になって、あきおの気分も、ずいぶん解れてきたようでしたから、私は、あの子を呼んで、また、ブレイクポイントの奥の席に座らせました。ここだと、個室ほど、改まった感じもしませんし、他人には聞かれずに済みますから、都合のいい場所だといえます。
「あきお、どうして、こうなったんだ。説明してみろ」
私が、そう切り出すと、あの子は、口ごもりながらも、ボソボソと話してくれました。
「みんな、やってるから、ついつい、気が緩んで・・・」
あきおの話を簡単にまとめると、こんな感じでした。
「みんな持ってるよ・・・・・、だから、買って」
「みんな行くみたいだよ・・・・・、だから、行かせて」
子どもが、よく使う言い訳ともいえますが、
「みんなって、誰なんだ?」
そう突っ込まれると、
「えーっと、山田くんでしょ・・・・・、それと、えーと、えーと・・・・・、あっ、佐藤くんもいた」
結局、2人だったりします。
きっと、あきおの言う、「みんな」というのも、一郎くんと、その他少数の仲間なんでしょう。
「この学校、絶対に、クビにならないから、大丈夫」
一郎くんらは、いつも、そんなことを言っていたそうですが、確かに、彼は、度重なる不祥事にも関わらず、1年近く、生き延びてきた「実績」がありますから、信憑性があったのでしょう。
「でもなあ、それで捕まってるのは、あきお1人なんだから、これは問題があるぞ。彼らは通学生で、あきおは寮生だ。置かれている立場が違うんだよ。
通学生なら、多少のことは多目に見てもらえるけど、寮生だと、そうはいかない。何かあったら、学校の責任になっちゃうからな。大人の世界は、そうなってるんだ。みんな、責任を取りたくないから、予め危険な目は排除したい。そういうことだな。
“みんなが捕まってないのに、あきおだけ捕まってる”
“あきおは大丈夫と思っていても、実際は大丈夫じゃない”
これは、あきおの判断が間違っているから、そうなるんだよ。世の中には、危ないことは、いっぱいあるけど、どこが危なくて、どこなら、安全なのか、その見極めを間違えると大怪我するぞ。菱和のときも、そうだっただろう。
学校をクビになるくらい、大したことじゃないんだけど、もしも、命の危険があるような場面なら、大変だよ。死ななきゃダメだ。それで、本当に死んじゃう人、結構いるだろ、プーケットには。
もっと、用心深くならなきゃダメだよ」
野性動物が生き残るために必要な条件、それは、
1.食べ物を探し出す能力
2.仲間とコミュニケートする能力
3.危険を察知する能力
の、3つだそうです。
1は、人間社会では、「金を稼ぐ能力」と置き換えることもできますが、今のあきおには、まだ、必要ないかもしれません。せいぜい、私や、ラントムが、一生懸命、働いている姿を見せることくらいで十分でしょう。学校で、やっている勉強が、その手助けになると、分ってくれればいいのですが。
以前は、2が、一番心配でした。
あきおが小学校に入学したての頃、私が、あの子に、
「どうだ、友だちできたか?」
そう聞いても、あの子は、いつも、
「できない」
と一言。
「学校楽しいか?」
と尋ねても、
「楽しくない」
の一言。それが、今や、新しくガードマンさんがやって来る度に、初日から、親しげに話しこんでいたり、見るからに、夜のお姉さんタイプの女(もちろん、初対面です)と、夜遅くまで、お店の裏で、ビールを飲んでたり(奢ってもらえるようです)、いつでも、どこでも、すぐに友だちができるようになりました。
もう大丈夫でしょう。
そして、今、問題になっているのが、3です。
これからも、あの子は、失敗し続けるでしょうし、場合によっては、危ない思いもするかもしれませんが、何とか生き延びていく術を、時間をかけてもいいから、教えていかねばなりません。
「この後、どうするつもりなんだ?
もし、あきおが学校に行きたくないのなら、別に行かなくてもいいぞ。自分の好きなことをやってくれ。好きなことをやるのが、一番いいからな」
私が、こう言うと、あの子は、
「高校は、卒業したいんだけど・・・・」
そう答えます。
「わかった。じゃあ、2、3日したら、ママに電話してもらって、学校に戻れるかどうか、聞いてもらおう」
2日後、ラントムが学校に電話を入れました。
「高校生活を続けたい」
という、あきおの意思を学校側に伝えると、
「わかりました。でも、しばらくは、家庭学習で様子を見ましょう。担任が宿題を出しますから、それを送り返してください。前期も、あと半分ですから、それが終わったら、もう一度考えてみましょう」
この学校、パッと見の印象は、あまり良くなかったのですが、「タイの学校に入れない」という、こちらの事情を十分に考慮してくれているようで、
「少なくとも、今年一年は面倒見て、高1終了の単位だけは取らせてやろう」
という、広すぎるほどの度量を持っているようです。
「さすが、タイだ」
と思いました。他の国では、なかなか、こうはいかないでしょう。
「微笑みの国」という表看板の裏では、
「笑って、ごまかし、マイ・ペンライ(気にしない)」
実に、いい加減な裏看板も存在していますが、
「どんな人間だって、失敗することは、あるんだから・・・」
過ちを犯した者に対する、限度外れの寛大さによって、この国の秩序や伝統は、守られてきたのかもしれません。
タイで暮らすことの、居心地の良さを、改めて私は、実感できたような気がしました。
(続く)
優しくなければ、生きていく資格がない」
1970年代の終わり頃、この台詞が、繰り返し、繰り返し、テレビで流れていた時期がありました。
角川映画「野生の証明」(映画と、レイモンド・チャンドラーは何の関係もありません)のCMでしたが、当時の少年たちには、間違いなく、大きな影響を与えていたと思います。
「オレも、大人になって、いや、男になって、こんな生き様の人生を歩んでみたい」
そう感じた男の子も多かったでしょう。
あきおがバンコクから戻って来る朝、私は、あの子と、どんな態度で接するべきか、ずっと考えていました。
「今度という、今度は・・・」
怒鳴り散らすべきか、ぐっと我慢して、もう一度、言って聞かせるべきか、それとも、完全に、「知らんぷり」すべきか・・・・。
考えが、まとまらないうちに、あの子が部屋に入ってきてしまいます。
私は、気付かないふりをしていましたが、あきおの方から声をかけてきました。
「パパ、ごめんなさい」
ヨック・ムー・ワイ(タイ人が挨拶するときに、両手を合わせる礼儀作法)の姿勢をとって、実に丁重な挨拶でした。しかも、頭は丸坊主で、眉毛まで剃っていましたから、なんだか、異様な風貌で、完全に意表を突かれてしまいます。
「・・・・・・・あきおか・・・・、お腹空いてるだろう。ご飯食べろ・・・」
そうとしか、言いようがなく、またまた、あきおに、してやられました。
迷いのある相手に、先制攻撃を仕掛け、自分のペースに引きずり込んでしまう・・・・、剣術使いのような、あきおの戦法に、どうしてなのか、いつも、ごまかされてしまうわけです。
やられたのは、ラントムも同様で、この日の我が家は、実に不思議な空間でした。つい前日には、2人とも、カンカンで、
「絶対に許さん」
と息巻いていたはずだったのに、一夜明けて、あきおの顔を見ると、まるで、
長い修行から戻って来た、1人息子を迎えるような態度になっていたのです。
「澤野さんがなあ・・・・、最近なんか、奥さんとアツアツでなあ・・・、どうしちゃったのかなあ・・・」
「テンちゃん(うちのお店のスタッフ)、また、フラレちゃったのよ、中学生に・・・・」
「あきお兄ちゃん、知ってる?ピー・ヨム(ヨム姉さんの意。姉のマヨムのこと)に、新しい彼氏ができちゃったの・・・」
私も、ラントムも、きよみも、そして、ラントムのお父さんや、お母さんも含めて、学校の話には、ほとんど触れず、世間話を、ずっと続けていました。
夜になって、あきおの気分も、ずいぶん解れてきたようでしたから、私は、あの子を呼んで、また、ブレイクポイントの奥の席に座らせました。ここだと、個室ほど、改まった感じもしませんし、他人には聞かれずに済みますから、都合のいい場所だといえます。
「あきお、どうして、こうなったんだ。説明してみろ」
私が、そう切り出すと、あの子は、口ごもりながらも、ボソボソと話してくれました。
「みんな、やってるから、ついつい、気が緩んで・・・」
あきおの話を簡単にまとめると、こんな感じでした。
「みんな持ってるよ・・・・・、だから、買って」
「みんな行くみたいだよ・・・・・、だから、行かせて」
子どもが、よく使う言い訳ともいえますが、
「みんなって、誰なんだ?」
そう突っ込まれると、
「えーっと、山田くんでしょ・・・・・、それと、えーと、えーと・・・・・、あっ、佐藤くんもいた」
結局、2人だったりします。
きっと、あきおの言う、「みんな」というのも、一郎くんと、その他少数の仲間なんでしょう。
「この学校、絶対に、クビにならないから、大丈夫」
一郎くんらは、いつも、そんなことを言っていたそうですが、確かに、彼は、度重なる不祥事にも関わらず、1年近く、生き延びてきた「実績」がありますから、信憑性があったのでしょう。
「でもなあ、それで捕まってるのは、あきお1人なんだから、これは問題があるぞ。彼らは通学生で、あきおは寮生だ。置かれている立場が違うんだよ。
通学生なら、多少のことは多目に見てもらえるけど、寮生だと、そうはいかない。何かあったら、学校の責任になっちゃうからな。大人の世界は、そうなってるんだ。みんな、責任を取りたくないから、予め危険な目は排除したい。そういうことだな。
“みんなが捕まってないのに、あきおだけ捕まってる”
“あきおは大丈夫と思っていても、実際は大丈夫じゃない”
これは、あきおの判断が間違っているから、そうなるんだよ。世の中には、危ないことは、いっぱいあるけど、どこが危なくて、どこなら、安全なのか、その見極めを間違えると大怪我するぞ。菱和のときも、そうだっただろう。
学校をクビになるくらい、大したことじゃないんだけど、もしも、命の危険があるような場面なら、大変だよ。死ななきゃダメだ。それで、本当に死んじゃう人、結構いるだろ、プーケットには。
もっと、用心深くならなきゃダメだよ」
野性動物が生き残るために必要な条件、それは、
1.食べ物を探し出す能力
2.仲間とコミュニケートする能力
3.危険を察知する能力
の、3つだそうです。
1は、人間社会では、「金を稼ぐ能力」と置き換えることもできますが、今のあきおには、まだ、必要ないかもしれません。せいぜい、私や、ラントムが、一生懸命、働いている姿を見せることくらいで十分でしょう。学校で、やっている勉強が、その手助けになると、分ってくれればいいのですが。
以前は、2が、一番心配でした。
あきおが小学校に入学したての頃、私が、あの子に、
「どうだ、友だちできたか?」
そう聞いても、あの子は、いつも、
「できない」
と一言。
「学校楽しいか?」
と尋ねても、
「楽しくない」
の一言。それが、今や、新しくガードマンさんがやって来る度に、初日から、親しげに話しこんでいたり、見るからに、夜のお姉さんタイプの女(もちろん、初対面です)と、夜遅くまで、お店の裏で、ビールを飲んでたり(奢ってもらえるようです)、いつでも、どこでも、すぐに友だちができるようになりました。
もう大丈夫でしょう。
そして、今、問題になっているのが、3です。
これからも、あの子は、失敗し続けるでしょうし、場合によっては、危ない思いもするかもしれませんが、何とか生き延びていく術を、時間をかけてもいいから、教えていかねばなりません。
「この後、どうするつもりなんだ?
もし、あきおが学校に行きたくないのなら、別に行かなくてもいいぞ。自分の好きなことをやってくれ。好きなことをやるのが、一番いいからな」
私が、こう言うと、あの子は、
「高校は、卒業したいんだけど・・・・」
そう答えます。
「わかった。じゃあ、2、3日したら、ママに電話してもらって、学校に戻れるかどうか、聞いてもらおう」
2日後、ラントムが学校に電話を入れました。
「高校生活を続けたい」
という、あきおの意思を学校側に伝えると、
「わかりました。でも、しばらくは、家庭学習で様子を見ましょう。担任が宿題を出しますから、それを送り返してください。前期も、あと半分ですから、それが終わったら、もう一度考えてみましょう」
この学校、パッと見の印象は、あまり良くなかったのですが、「タイの学校に入れない」という、こちらの事情を十分に考慮してくれているようで、
「少なくとも、今年一年は面倒見て、高1終了の単位だけは取らせてやろう」
という、広すぎるほどの度量を持っているようです。
「さすが、タイだ」
と思いました。他の国では、なかなか、こうはいかないでしょう。
「微笑みの国」という表看板の裏では、
「笑って、ごまかし、マイ・ペンライ(気にしない)」
実に、いい加減な裏看板も存在していますが、
「どんな人間だって、失敗することは、あるんだから・・・」
過ちを犯した者に対する、限度外れの寛大さによって、この国の秩序や伝統は、守られてきたのかもしれません。
タイで暮らすことの、居心地の良さを、改めて私は、実感できたような気がしました。
(続く)
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by phuketbreakpoint
| 2010-03-11 10:27