タイ・プーケット島在住。タイならではの出来事や日々の体験、個人的な思い出などを書きとめています。


by phuketbreakpoint
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2008年 09月 15日 ( 1 )

田舎の王様

緊張の一夜が明け、日付が変わると、バンコクの街並みは、普段と変わらない活気を取り戻していました。
路線バスの運行も再開され、私たちは、ソイ・アソックの入り口にあった日本大使館(当時)に向かいました。
「ビザ申請は、この先にある、領事部で行ってください」
ガードマンに言われるまま、道なりに数百メール歩くと、領事部の入っていたビル(アソック・タワー)が見えてきます。

ところが、どこが先頭で、どこが最後尾なのか、さっぱり分らないほどの、大変な行列が、ビルに巻きつく大蛇のように、続いていました。その長さ、約200メートル!
「まさか、これは・・・・」
心配しながらも、確認すると、やっぱり思ったとおりです。
日本への入国ビザを求める人たちが、整然と列を作らされて、順番を待っていました。
タイ王国の首都で、実に日本的な光景でしたが、閑散としていた前日とは、うって変わって、呆れるほどの賑わいでした。

しかも、列に並ぶ、90パーセント以上は、若いタイ人女性でした。それ以外は、付き添いで来ている日本人男性が、少し見られる程度で、見るからに、ヤクザ者風の男も数人混じっており、この頃の領事部は、一種異様な雰囲気があったと思います。
当時、ビザの取得に必要とされた書類は、1000米ドル相当のトラベラーズチェックと、パスポートのみでしたから、
“申請すれば、誰でももらえる”
そんな雰囲気で、私たちも、簡単に、ビザを手に入れることができました。

“ラントムとは、このまま、ずっと一緒に暮らすんだろうなあ・・・”
自然な流れに逆らわず、成り行き任せの展開に身を委ねていた私は、特に意識することもなく、いつの間にやら、そう感じるようになっていました。
彼女との結婚を、特に意識していたわけでもありませんが、国籍の違う男女が、長く一緒に暮らそうと思えば、もっとも簡単で、手っ取り早い方法が、入籍することだったのです。
結婚は、私とラントムにとって、改めて確認する必要もない、既定の路線だったといえるでしょう。ですから、プロポーズの言葉も、特にありませんでした。

3ヶ月前、私は、プーケットから日本大使館に電話を入れて、婚姻手続きに必要な書類を尋ねました。
「まず、タイで入籍する場合ですが、ご主人の勤めている会社の在職証明を取ってください。続いて、過去三年間の所得証明も必要です。それから・・・」
親切な説明でしたが、出された条件が、余りにも複雑すぎて、聞いているだけで、なんだか、とても憂鬱な気分になってきます。
「続いて、日本での入籍ですが、まず、タイの役場で奥様の独身証明を取ってください。それと、奥様のタビアンバーン(住民表)が必要です。その英訳と和訳を日本の役所に持っていって、婚姻届を出してください」
「それだけなんですか?」
「はい、それだけです」
私は迷うことなく、こちらを選びました。

ところが、より簡単そうだという理由で選んだ、日本での婚姻手続きですが、ラントムの実家がある、ラノットの役場では、ひと悶着ありました。
タイでは、田舎に行けば行くほど、役場の責任者は、
“ナイ・ルアン(国王の別称。直訳すれば「国士」でしょうか)”
等と、周りの人間から呼ばれ、煽てられることに慣れていますから、何でも、自分の思い通りにできると勘違いしてる人がとても多いのです。
ラノット役場のチャルーン所長(トラン県に住むラントムの親戚とは別人です。この名前は、タイ南部には非常に多いですね。「繁栄」の意)も、普段、滅多に出くわすことがない要望を、明らかに場違いな雰囲気の外国人に求められたわけですから、
「これは、お金が取れるぞ」
そう判断したと思います。何だかんだと難癖をつけて、一向に証明書を出してくれません。

「駄目だ。そんな証明書は出せない」
「どうしてですか?彼女は、独身でしょう」
「独身のようだが、子どもがいるじゃないか」
「子どもがいたって、独身でしょう。ちゃんと、離婚してるんですから」
「いや、駄目だ。本当に離婚してるかどうかもわからんじゃないか」
「でも、この役場でもらった離婚証明もあるんですよ。ほら、あなたのサインも、入ってるでしょう」
「覚えとらんな。離婚の手続きをしても、実際は、腐れ縁で続いている夫婦も多いんだ」
無茶苦茶な論理を展開した挙句、ラントムに、
「なんで、キミは外国人なんかと結婚するんだ。タイ人と結婚すれば、いいじゃないか」
タイ王国憲法に抵触するようなことも、平気で言ってしまえるのは、やはり、ナイ・ルアンだからなのでしょうか。

余りにも理不尽な言い様に、まだ、タイのことが、よく解っていなかった私は、はらわたが煮えくり返る思いがしましたが(青臭かったですねえ、あの頃は・・・)、今になって冷静に振り返ってみると、反省すべき点も、多かったように思えます。
要するに、この人は、お金目的で難癖をつけていたのですから、それを察してあげないといけませんでしたね。立場上、自分から、先に言いだすことは、口が裂けてもできないわけですから・・・・。しかも、チャルーンさんは、あの頃、若い愛人を囲い始めた矢先(田舎では、こういった噂は、すぐに広まってしまいます)でしたから、お金が、たくさん必要だったのでしょう。
きっと、心の中では、ヤキモキしていたに違いありません。

(頭が悪いのか、こいつは・・・)
(ワシがこうやって、ぐだぐだやっている、その腹も読めんのか)
(早く、そっちから、さり気なく、言いださんか!)
(ええい、なにをグズグズしておるんじゃ、じれったい!)
所長さんの言葉を額面どおりに受け取ってしまい、ずいぶん、迷惑をかけてしまいました。
結局、一旦パンニャン(ラントムの実家のある村)に戻って、ラントムの親戚だという村長さんに来てもらい、私たちは、ようやく独身証明を手にすることができました。

このときの学習が身にしみたのか、以降、何か用事があってタイの公的な機関に顔を出さねばならないことがあっても、私は、ラントムに丸投げして、極力中に入らないようにしています。
プーケットの役所や登記所で働いている公務員は、ラノットなんかとは、比べものにならないほど清廉で、ほとんど問題は起こりませんが、それでも、私には、
“一皮剥けば・・・”
そんな猜疑心が、どうしても拭えないのです。

1992年6月8日未明。
私とラントムを乗せた飛行機は、バンコクのドンムアン空港を飛び立ちました。
これまでは、二人とも、結婚に向かって突っ走っていれば、それでよかったのですが、今日からは、地に足を付けて、地道な生活に戻らねばなりません。
生まれて初めて飛行機に乗り、生まれて始めて海外に出る、ラントムを見ながら、私は、彼女が日本の暮らしに馴染んでいけるのか、考えていました。

“イスズ(当時、タイの田舎ではイスズが日本の自動車メーカーで、最も格上でした)、トヨタ、ホンダ、ヤマハ、ソニー・・・・、とにかく、お金持ち”
“ユミコ・オオタ(国民的ヒーローだった、ボクシングの世界チャンピオンと結婚した、日本女性。後に離婚。なおこの、タイ名、「ゆみこ」は、彼女から、パクった名前です)、日本女性、白い、いい女!”
“ドラえもん、ニンジャ・ハットリ、ウルトラマン、アジノモト・・・”
当時の一般的なタイ人が、思い浮かべるであろう日本像は、こんなところだったでしょう。

自分に対しては勿論のこと、日本という国に対しても、自信が持てなかった私は、彼女が現実を知って、ガッカリしないかを心配していました。
「日本の生活は、ラントムが考えているより、ずっと地味なものだと思うよ」
「僕のアパートも、パトンのアパートよりは、大きいけど、それほど綺麗じゃないんだ」
私は機内でも、しきりと、予告編を打っていました。

しかし、異国の地で、彼女が何を感じ、考えが、どう変化するかという問題以上に心配だったのは、私自身のことでした。
何しろ、ここは、日本国です。
「もしも、タイ人のラントムと、一緒に暮らすことが、重荷になってしまったら・・・」
それを考えると、ますます不安になってしまう、私でした。
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by phuketbreakpoint | 2008-09-15 10:47