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タイ・プーケット島在住。タイならではの出来事や日々の体験、個人的な思い出などを書きとめています。


by phuketbreakpoint
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聖なる夜に、心乱れて・・・

昭和41年12月25日、岐阜市鷺山、ルーテル幼稚園。
「きーよしー、こーのよるー、ほーしはー、ひーかりー・・・・」
同名称のキリスト教会が経営するこの幼稚園では、毎年クリスマスに、園児総出演のキリスト劇が上演されます。
キリスト劇ですから、主役はイエス・キリストとマリア様です。
幼稚園1年目の私は、ヤギの役をやらされました。イエス・キリストが生まれた馬小屋の脇で、牛やら馬やらと一緒に、キリストをボヤーと眺める役です。当然、セリフはありません。
私は子供心にも、
「あーあ、なにか喋りたいなあ・・・」
なんて思いながら、ヤギのお面をかぶっていました。

翌年、年長組になった私に、また、キリスト劇の季節がやってきました。
今回、与えられた役は、羊飼いです。ヤギに比べ、多少、出世はしましたが、長々と喋る主役の加藤君と野田さんに対して、私のセリフは、たったの一言、
「あっ、流れ星!」
それだけでした。キャストを決める先生方も、適正を見て選んでいるでしょうから、私は、目立たない、地味な子供だったのでしょう。


私とラントムは、結婚して14年以上になりますが、けっこう、うまくやってきたと思います。
ラントムは、無駄使いもせず、博打や、男や、酒に溺れることもなく、一生懸命、我が家を支えてくれました。
私も、他の女に目移りすることなく、銭儲けに励んできました。
子供たちも、元気に育ち、何の不満もない生活を送ってきたつもりだったのですが・・・。

ところが、最近、私たち夫婦の間に割って入る、不届きな男が現れたのです。この男のお陰で、私たち夫婦は、ときに分断され、まるで、別々の世界で生きているかのような気持ちになることがあります。その男の名は・・・、イエス・キリスト。

2004年の12月。
私とラントムが、チャオファー・ロードを車で流していたら、屋台が見えました。
「ママ、お腹空かない?カイ・トード(チキンのから揚げ)でも、食べようか」
車を屋台に横付けし、私たちは、から揚げを2人分買いました。お金を払い、車を出そうとしたとき、屋台のお婆さんが、1枚のチラシをラントムに手渡します。彼女は、特に関心を示すこともなく、車は、この場を離れました。これが、すべての始まりでした。

2日後。
「パパ、今度の日曜日、ここに行っていいかしら・・・」
彼女は、私に聞いてきました。
「キリスト教の教会なの。私、行きたいんだけど・・・」
彼女の手には、あのときのチラシが握られています。どうやら、キリスト教の宣伝チラシだったようですね。
「ふーん、キリスト教ねえ・・・。まあ、たまには、そういうのもいいかもね」
私は深く考えることもなく、そう返事をしてしまいました。

ラントムは以前から縁起物、開運物が大好きな人でした。
商売に最高といっては、へんてこな魚獲り用のワナを、どこからか買ってきて、お店の入り口の天井に、おまじないとして括り付けたり(注、これでお客さんを、一網打尽にしてしまおうという作戦)、有難い、お寺のお守りだといっては、なんでもない、プラスティック製の安っぽいパネルを、有り難くない値段で買ってきたり、サリッカー(おうむ)の不思議な魔力のあるペンダントを、騙されて買わされそうになったり・・・・。

「あーあ、あんなもん買っちゃって、お金が、もったいないのになあ・・・」
私は、呆れていましたが、そんなラントムが、とても微笑ましく、彼女のそんなところが大好きでした。ですから、今回も、一時の気の迷いで、そういった縁起物の最終兵器として、キリスト教会がどんなものか見たくなったのだろう、としか思いませんでした。

4日後の日曜日、ラントムが生まれて始めて見たキリスト教会は、賛美歌をポップ調にして歌いまくる奇妙なスタイルで、私が知る伝統的なキリスト教会とは、大きく雰囲気が異なっていました。さすがの彼女も、違和感があったようです。帰ってきたときには、「もう、行かない」と言っていました。
ところが、その翌週の日曜日に、津波が来てしまったのです。なんという、バッド・タイミングでしょうか。
私も、ラントムも、打ちひしがれていましたから、心に、大きな、すきま風が吹いていました。何かに、すがりたいのは人情ですね。
そんなとき、彼らが、うちまでやってきて、彼女を誘ってきました。うつ状態の彼女の気持ちが、ちょっとでも紛れればと思い、キリスト教の本質を甘く見ていた私は、また、OKを出してしまいました。

その2週間後です。
「あれ?ここにあった、仏壇は?」
お店の一番奥に置かれた仏壇が無くなっているのに気づいた私は、ラントムに尋ねました。
「・・・・・・・・」
彼女は、無言です。
「どうしたのよ?」
「・・・・・・・・」
やっぱり、無言でした。
「まさか、捨てちゃったんじゃ、ないだろうね」
「・・・・・・・・・・」
その、まさかでした。

プーケットで暮らし始めて11年以上、その間、あきおが、熱を出したといっては、花を買ってきてお供えし、なおこが、お腹を壊したといっては、お菓子を買いに行ってお供えし、マヨムの顔に、小さな傷ができてしまったといっては、
「どうか、痕が残りませんように・・・・」
と、2人で一緒に両手を合わせて拝み続けた、あの仏壇が、像から、台から、丸ごと消えて無くなっていたのです。
彼女が自分で、こんなことを考えるわけありません。誰かが、そうしろと教えたのでしょう。
そして、教えられたからといって、アッサリ実行してしまうラントムの姿を見て、私は、恐ろしくなりました。
衝撃を受けたと言ってもいいでしょう。

日本にいた頃の私は、神様なんて、くそくらえ的な、バチ当りな人間でしたが、ラントムと結婚し、タイで暮らし始めてからは、彼女や、他のタイ人を見習って、タイの神様を敬ってきました。特に熱心に仏教の教えを信じることはありませんでしたが、タイの人たちの、そして、ラントムの信心深い姿には、大いに感心させられたからです。

人間は誰しも、自分の力では、どうにもならないことを恐れ、何か不思議な力で救ってくれる、絶対的な存在に頼ろうとする気持ちがあるのは仕方ありませんが、私にとって、その呼び名なんて、どうでもいいことなんです。仏様だろうが、お釈迦様だろうが、キリスト様だろうが、どうせ、人間が勝手につけた名前なんですから・・・。

キリスト教プロテスタント。
彼らは、偶像崇拝を認めておらず、マリア像ですら否定している人たちですから、
「仏像なんて、ただの石・・・(ラントム談)」
ということになるのでしょう(それを言ったら、聖書はデタラメ本なんですが・・・・)。
しかし、石ころに頼ったおかげかどうかは分かりませんが、実際、あきおも、なおこも、私たち夫婦の望みどおり、すくすくと元気に育っているのです。数々の局面の、その時々で、2人で一緒に手を合わせてきた思い出の石ころは、彼女の手によって、ゴミのように捨てられてしまいました。
それだけでなく、友達のイタリア人がくれた、坊さんの顔らしき置物も、単に、仏教的だという理由だけで、お払い箱にされてしまったようで、いつの間にやら、消えていました。そして、彼女は家庭内にある、ありとあらゆる、仏教を連想させるものを、すべて処分してしまったのです。


日本国の教科書によれば、ときの権力者によって弾圧されたキリシタンは、可愛そうな人たち・・・、という間違った認識が横行しているようですが、私に言わせれば、他人を弾圧する者は、必ず同じような目にあう、ということだと思います。
物事には、礼儀、礼節というものがあると思います。他所からやってきたものが、先にいるものの立場を、まったく尊重しなければ、摩擦や軋轢が生まれるのは、当然だと思います。いきなり、家の中に上がりこんできた女が、子供たちと幸せに暮らしている先妻を追い払って、
「今日から、この家の母親は、私になりました。みんな、もう、あの女のことは、相手にしないように」
なんて言っていれば、顰蹙を買うのは必至でしょう。
より強い野獣が現れたら、コヨーテやハイエナは、追い払われてしまうのが弱肉強食の掟ですが、かつてのキリスト教は、後からやってきた、トラやライオンと、まったく変わりがありません。

「汝の隣人を愛しなさい」
と立派なことを教えているのに、どうして
「汝の隣人が愛する宗教も、尊重してやりなさい」
と、もう一言が言えないのでしょうか。
立派な職業に就き、収入も多く、資産もあり、家柄も申し分ない人物が、同業者の悪口ばかり言っていたのでは、ケツの穴の小さい男と思われ、誰からも、尊敬されることはないでしょう。当たり前ですね。

ラントムが生まれから30年以上、私が彼女と結婚してから14年以上、ずっと、私たち家族を見守ってきてくれたタイの神様。
散々拝んでおきながら、ラントムに別の女ができたから、ポイッと捨てられてしまったタイの神様。
困ったときにだけ、お寺や神社にお願いに行くような、まったくもってデタラメな私ですが、こうなったら、金髪で、長髪なびかせた白人のイケ面兄ちゃんに弾圧され、苛められている得体の知れないアジアのデブ親父(失礼)の肩を、徹底的にもってやろうじゃないか、そんな気持ちなのです。


日曜日というのは、以前は、家族みんなで出かけ、ご飯を食べたり、映画を見たりした楽しい一日でしたが、今では、それが半日になってしまいました。
彼女が参加しているグループは、高額の寄付を求められたりする、如何わしい反社会的な団体ではないようです。牧師さんや、中心メンバーの方たちにも会いましたが、みんな、いい人たちばかりでした。彼女が、そこにいることで、救われたと感じるのなら、それも仕方がないのかもしれません。彼女を、そんな気持ちにさせた私が悪いのでしょう。彼女が続けたいのであれば、とやかく言おうとは思いません。私は、キリスト教のように、ケチ臭いことは言いませんからね。

それでも、私は信じています。
心優しき彼女は、今でも、自分が捨ててしまったタイの神様に対して、申し訳ないという気持ちが残っていることを・・・。
いつの日にか、また、2人で一緒にカトゥーの山の上にある、お寺に行って、お参りし、運勢鑑定を強要しようとするインチキ臭いオヤジの悪口が言える日が、きっと、きっと来ることを、私は信じて待ち続けることにしましょう。
by phuketbreakpoint | 2006-12-27 01:07