人気ブログランキング | 話題のタグを見る

タイ・プーケット島在住。タイならではの出来事や日々の体験、個人的な思い出などを書きとめています。


by phuketbreakpoint
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

南の島のスーパースター

「プーケットにどうして来たんですか」
この島に住んでいる外国人なら誰もが聞かれる質問です。
「恋人と暮らすため」
「ビジネスでひと山当てたい」
「ダイビングが大好きだ」
「どこか日本以外の所に住んでみたい」
みんな、それぞれ理由があると思います。
わたしも、それらしい理由を書くこともできます。
いろんな事情が重なり合って、ここに来ているわけですが、
わたしがプ-ケットに関心を持つキッカケを作ったという事なら、紛れもなく、この人であるとハッキリ言うことができます。
ー富士銀行不正融資事件・師岡容疑者ー

それは確か1990年頃、バブル経済崩壊直後の話でした。
今となっては 事件の細かい内容なんか忘れてしまいましたし、そんなことはどうでもいいことです。
数億円(いや数十億円?)と共にプーケットに逃亡し、もの凄い豪邸に住みながら金に物を言わせて遊びまくっていた人がいる、そんな事実があったからこそ、この人の名前は今でも、わたしの頭から消える事がないのだと思います。

事件当時、不動産関連の仕事をしていた私は、10坪ほどの小さな家が5000万円で取り引きされるのを当たり前のように見ていました。そんなとき、師岡さんが900万バーツ(当時1バーツ=5円で約4500万円)で購入したバッキンガム宮殿を真っ白にしたような豪邸は、わたしの心に プーケットに対する最初の憧れを 芽生えさせます。
「あんな凄い家が、この程度の値段で買えるんだね」
会社の上司がお昼休みのテレビを見ながら、そんな感想を漏らしていたのをよく覚えています。
「世の中には 大した人がいるもんだなあ・・・」
犯罪者であるにもかかわらず、師岡さんへの興味は、どんどん大きくなっていきました。だいたいフィリピンとかではなく、当時まだまだマイナーだったプーケットを逃亡先に選んだこと自体、この人の並々ならぬ素敵なセンスを感じさせます。
「プーケットって、どんな所なんだろうなあ」
実に素朴に、わたしはそう思ってしまいました。

師岡さんが、プーケットに潜伏しているのでは、という情報は、日本の警察も早い段階で押さえていたようです。外務省を通してタイ警察に捜査協力を依頼していました。プーケットは小さな島ですから普通なら外国人の容疑者を捕まえることなんか簡単なはずです。
ところが何ヶ月たっても、いっこうにラチがあきませんでした。
それもそのはず師岡さんは、豪邸に美人コンパニオンを揃え、地元の実力者や警察の幹部を集めて、食べ放題、のみ放題、遊び放題の ドリームパーティーを毎週末に開いていたようなのです。
まさに夢の四字熟語・酒池肉林の状態です。
これじゃあ、捕まるわけないですね。
わたしもタイに来て13年、いろんな四字熟語を実体験しました。 でもそれは「絶対絶命」とか、「四面楚歌」とか、「九死一生」とか、どれもこれも、できることなら経験したくなかったものばかり・・・。

幼少の頃、母に読んでもらった童話のラストでの
「その後 ・・・・は、南の島で遊んで暮らしましたとさ・・」
であるとか、10代の頃見たギャング映画の
「でかいヤマふんで、南の島に逃げて遊びまくるってのもいいぜ・・」
といった類の話は、フィクションの世界だけだ、と思っていたわたしの前に突然現れた現代のおとぎ話、それが師岡さんだったのです。

結局しびれを切らせた日本の警察がプーケットまで出張し、乗り込んできたら、短時間で事件は解決しましたが、ワイドショーの追跡取材で、使用人たちの 「あの人は立派だった」 という証言は、わたしの彼に対するファンタジーを更に膨らませてくれました。そうとう気前よかったようですね。
持って来た数億円は愛人がネコババしたのか、それとも警察が懐に入れてしまったのかわかりませんが、こういうミステリーを残していってくれるのも、この人の偉いところです。

こんな師岡さんを見て、わたしも南の島の王様になってやろう等と途方もないことを考えてしまったようです。今さらながら実に非現実的な話ですが、
「この南の島でなら、もしかしたら、それが可能かも・・・」
そう思わせる何かを、この師岡さんの事件に感じたのかもしれません。
しかし、少年が大人になる段階で誰もが経験するのと同じように、その後、一つ一つ現実にぶつかって、わたしの夢は、どんどん小さく萎んでいってしまいました。

それでも、この事実だけは変えようもありません。
「ラントムと結婚した」のも、
「うじゃうじゃいる子供たちを怒鳴り散らしながら暮らしている」のも、
「金の心配ばかりしながらサウスロードとブレイクポイントをやっている」のも、
みんな、みんな、ことの始まりは師岡さんだったのです。

師岡さんがその後、裁判でどんな判決を受けたのか、今どんな暮らしをしているのか、わたしは知りません。知りたいとも思いません。
もしも、寂しい生活を送っているのなら、それは絶対に目にしたくないものです。師岡さんは わたしのファンタジーそのもの、あの人の伝説をわたしは守りたい。
それでも、もし可能なら、いつの日にか一目お会いして感謝の気持ちを伝えたいと思っています。
「師岡さん、あのときプーケットに逃亡していただき、本当にありがとうございました。
わたしはこれからも、プーケットで生きていきます」



おとぎ話に導かれ 
この島を訪れた

憧れたこの島で 
小さな出会いが見つかった

子供たちに揉みくちゃにされても
満員電車で揉まれることはなく

金の心配ばかりしながらも
飢え死にすることもなし

朝から 晩まで 大騒ぎ
あれが壊れた これがない
おまけに あいつは辞めちゃった

海は見るだけ 泳がない
毎日 暑くて ふうらふら
だけども ちっとも 辛くない

いつも 心は 半袖で
心は いつも 夏休み

大きな 夢は 夢と消え
小さな 夢が あふれてる

小さな 夢の その先に
どんな 未来が 待っている
by phuketbreakpoint | 2005-07-14 15:28