タイ・プーケット島在住。タイならではの出来事や日々の体験、個人的な思い出などを書きとめています。


by phuketbreakpoint
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キックの鬼にボコられた国

お店で若い日本人女性と話していたときのことです。
わたしが、「こんな古い話、知ってるわけないよなあ・・・」、なんて思いながらも、つい口に出してしまった、ある人の名前・・・、彼女はそれを聞くなり、いともあっさりと、こう答えました。
「沢村さんですか?知ってますよ。わたしの会社の取引先の社長さんです」

みなさんは、キックの王者・沢村 忠をご存知でしょうか。
今から30年以上も前、当時小学生だったわたしに、生まれて初めてタイという国を意識させた人、それが沢村さんでした。これは、わたしと同世代の人なら誰しも同じだったのではないでしょうか。
当時を知らない若い人には想像できないかもしれませんが、毎週月曜日夜7時からTBS系で放送されていたキックボクシングは大変なブームを日本中に巻き起こしました。他団体も含めて、一時は週に3回もゴールデンタイムで放送されていたのです。「キックの鬼」という沢村さんを主人公にしたアニメも放映され(原作は梶原一騎だ!)、子ども達に大人気となり、主題歌を沢村さん自身が歌っていました。

彼の歌はなかなかのもので、よくバラエティー番組に引っ張り出されては、プロ顔負けの喉を披露していたものです。
キックの鬼・風船ガムというのも発売され、当たりが入っていたら、その場で、キックメダルがもらえました。
(沢村さん、わたし、これ毎日買ってました。メダルも20枚くらいもっていたんですよ)

彼の必殺ワザ、真空飛びヒザ蹴りは有名で、知らない人がいないほどでした。実にカッコいいネーミングです。
彼がどれくらい人気があったのかは、昭和48年度(だったと思う)のプロスポーツ大賞を受賞したことを見てもわかります。スーパースターであるミスタージャイアンツ(現役)、世界のホームラン王,東洋の巨人、燃える闘魂、ゴルフのジャンボ、ガッツ、初代貴ノ花などを押しのけての受賞でしたから大したものです。沢村さんは、わたしを含めて当時の少年たちみんなの憧れの人でした。 

沢村さんが毎月のように防衛戦を行なっていたのが、東洋ライト級チャンピオンというタイトルです。営業的には「世界」を名乗りたかったと思いますが、当時キックボクシングをやっていた国は、タイと日本だけでしたから、東洋ということになったんでしょう。恐らくは、挑戦者も含めてタイ人は誰も、
こんなタイトルがあることすら知らなかった
というところでしょうが、一応「タイ国の至宝」という事になっていて、これを取り戻すために、最強の挑戦者が次々に送り込まれてくると、あの頃はみんな信じていました。

これを沢村さんが全て返り討ちにするわけですが、決めワザは飛びヒザ蹴りです。タイで本場のムエタイ(タイボクシング)を御覧になった方なら分かると思いますが、実力者同士が闘った場合、ほとんどが判定決着で、たまにKOがあっても、パンチで倒すのがせいぜいです。派手な蹴り技で倒すには、余程の実力差がある場合か、ラッキーなキックが偶然入ってしまったかのどちらかで、沢村さんのように毎試合大技で決めるのは、至難の業と言えるでしょう。
だから今、そういう目で昔のビデオ(市販されています)を見てみると、いろいろ粗が出てきてしまいます。
対戦相手のタイ人には、強豪も含まれていましたが、毎週それでは体が持ちません。中には、その辺の工事現場でカティングデン(タイのビタミンドリンク)にラオカウ(タイの安酒)混ぜて酒盛りやってるあんちゃんとあまり変わらないように見える人も含まれていて、しかも、何も悪い事をしていないのに、試合でも、アニメでも、悪役扱いされていました。

でも、これでよかったのだと思います。
当時のファンは、ハイレベルなテクニックの応酬なんか、これぽっちも期待していなかったわけですから。
<沢村が、飛びヒザでKO勝ち>
それだけ見せてくれれば、みんな大満足だったのです。
こんな内容だったのですが、いや、こんな内容だったからこそ面白くて、毎週ブラウン管の前に座って(当時の表現です)沢村さんを応援していたんでしょう。

ところが最近、ふと気がついたことがあります。
やられっぱなしだったタイ側は、これをどんな気持で見ていたんでしょうか。
もちろん、日本での試合など、タイでは放送も、報道もされなかったと思いますが、東京には当然ながら、タイ大使館があったはずです。そこで働く 職員さん、外交官、場合によっては駐日大使も皆これを見ていたと思うんですよ、やっぱり。
ルールを勝手に変えられた上に(投げ技ありでした)、自国からやってきた選手達が毎週、毎週、日本人にボコボコにされ、潰される姿がゴールデンタイムの全国ネットで流されていたにもかかわらず、タイ国政府やタイ人がクレームつけたという話は聞いた事がありません。タイ王国は、どうして抗議しなかったんでしょう
「こんなことで抗議してもアホらしいし、時間の無駄だ」という、ごくあたりまえの判断があったのかもしれんませんが、これがC国やK国なら大変です。日の丸を焼かれたうえに、絶対に誰か殴られてますよ。もしかしたら殺される人がいるかもしれません。

いや、他の国の事を言うのは止めましょう。これを日本に置き換えてみれば、よく分かると思います。
例えば、ボブ ・サップが突如相撲に転向し藤島部屋での猛修行の後、アメリカで世界相撲協会を設立、横綱世界一を名乗って、日本から送られてくる最強の挑戦者に仕立てられたウガンダ・トラや松村邦宏、あるいは、その辺の、ただのデブの兄ちゃんなんかを、必殺の「時空・飛び肩透かし」なる技で次々と葬り去り、その模様が衛星放送やインターネットで全世界に配信されてしまう・・・、そんな状況を思い浮かべてください。小泉さんが黙っていたとしても、相撲協会や右翼の人達が怒り狂うことは確実です。

それを考えると、タイ王国の大人の態度は見事ですね。当時の政府、外務省、ムエタイ関係者は、実に立派だったと思います。ムエタイ500年(すぐに3千年だ、4千年だと大袈裟に言わないところもさすがです)の歴史と伝統を土足で踏みにじられているのに、じっと耐え、じっと忍んで、ひたすら我慢し、1年が経ち、2年が過ぎ、3年目を迎えても、じっと、じっと我慢し続け、4年目、5年目を迎えた頃には、キックのブームが終わり、テレビ放送も終了していました。
タイ王国は遂に我慢しきって、この未曾有の国難を乗り越えてしまったのです。鮮やかな逆転勝利!C国やK国から理不尽に叩かれる日本国ですが、タイ王国の立派な態度は、見習うべき点も多いかも知れません。

沢村さんは、その後、だんだん試合数が減ってきて、そのうちテレビにもほとんど出なくなり、ある日、後楽園ホールで何の前触れもなく、引退セレモニーを行いました。一時代を築いたスーパースターの余りにも突然で寂しいフェイドアウトでした。わたしの知る限り、これが沢村さんが公の場に現われた最後だったと思います。沢村忠の名は、いつしか時の流れと共に、伝説だけを残して消えていってしまいました。

わたしは、この女性と話しながら、リアルタイムの沢村 忠がいきなり目の前に現われたような気がして、少し動揺しました。現役引退後の彼のニュースがマスコミで報道されることが皆無だったためか、いろいろと無責任な噂が流れていたからです。
「パンチドランカーで頭をやられた」であるとか、
「タイでの修行中に、おねーさんに悪い病気をもらい、それが悪化した」であるとか、
「莫大な借金を作り、会社(野口プロモーション)を首になった」であるとか・・・。

リタイアしたボクサーが現役時代に受けたダメージの後遺症から回復できず、廃人のようになってしまうというのは、よく耳にする話です。
「沢村忠は大丈夫なのか」
正直、わたしは、心配しました。しかし、彼女の話では、沢村さんは、とても元気で整備工場を経営し、優しく、明るい社長さん、そんなキャラクターになっているようです。
「ああ、よかった」
わたしは、彼女の話を聞いて、なんだか、とっても安心しました。前述のスポーツ大賞で沢村さんに敗れた他のスーパースター達は、今でもメディアに登場し、彼らの現役時代を知らない人達にも、その名前は認知されています。しかし、そんな中で、彼だけが人々の前から完全に消えてしまい、その近況すら分からなかったんですから・・・。

沢村さんの最後の試合は、今でもよく覚えています。
久しぶりにリングに登場した沢村さんは、ほとんどいいところもなく、チューチャイ・ルークパンチャマにノックアウト負けをくらってしまいました。勝ち逃げしようと思えばできたのに、それをやらなかった沢村さん。
どんなに強い男でも、いつかは倒されるときがくる」という人生の非情さ、残酷さを、わたしたち当時の子供たちに、ちゃんと教えてから引退していってくれた沢村さんに対して、今40歳を過ぎたわたしは心から感謝の気持ちでいっぱいです。

ファイターの沢村さんにとって、会社経営は苦しいことの連続だったと思います。リングで相手をノックアウトする以上の大変な苦労を経験してきたことでしょう。
でも、さすが、キックの王者、今でも立派に闘い続けているんですね。

行け、沢村 忠! がんばれ、沢村 忠!
あなたは やっぱり みんなのヒーローです。
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by phuketbreakpoint | 2005-10-12 15:49