タイ・プーケット島在住。タイならではの出来事や日々の体験、個人的な思い出などを書きとめています。


by phuketbreakpoint
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<   2010年 07月 ( 2 )   > この月の画像一覧

7月9日、
長女マヨムが、イギリスに旅立ちました。
「こんなに大きなバッグ買っちゃって、大丈夫なのか?重量制限に引っかかったら、大変だぞ」
「心配しないで。留学生は、30キロまで、許されるの」
こんな会話をした数日後、チェックイン・カウンターの重量表示は、なんと、49・5キロを示しています。
「20キロも、オーバーしてるじゃないか!国内線は、15キロまでだから、35キロ・オーバーだって!?」
超過金は、キロ当たり、1650バーツも、チャージされるようで、トータルでは、3万バーツを超えてしまいますから、ラントムも、私も、血の気が失せて、
「減らせ、減らせ!」
と、空港ロビーでバッグを開けて、大騒ぎになってしまいました。

「本とか、重いものは、なるべく機内持ち込みのバッグに入れて、服とか、軽いものは、トランクに入れるんだ・・・」
土壇場で、ジタバタする見苦しさは、減量に失敗したボクサーみたいでしたが、なんとか、33キロまで落とし、ずっしりと重くなった、機内持ち込み用のスーツケースと、手さげ袋を2つ抱え、あの子は、手荷物検査のブースに消えていきました。
「出発前から、こんな調子で、大丈夫なのかねえ・・・」
ラントムと2人、心配顔で、空港を後にしましたが、今回の留学話は、ここまで、こぎ着けるだけでも、けっこうな労力を必要としました。


いよいよ、グリニッジ大学から入学許可も下り、代理店経由で学費を送金することになった、6月上旬の、ある日のことです。担当者は、
「(小切手は、バンコクまで)郵送すれば、いいですよ」
と言っていましたが、失くしたら大変ですから、ビザ申請を兼ねて、マヨムが、バンコクまで持参することになりました。

「これで、ひと安心だ。あとは、英国での送金確認を待って、ビザを申請するだけだな・・・」
そう思っていた、一週間後です。バンコクにいるマヨムから、電話がかかってきました。
「困ったことになったの。小切手が、なくなっちゃったって・・・・」
聞けば、代理店の管理がズサンで、どこを探しても、見つからないということです。すぐに、担当者に電話を入れて、状況を確認しましたが、
「安心してください。受取人限定ですから、お金は、まだ引き出されていません。もう一度、小切手を作って、送ってください」
大金を失くしておきながら、
「すいません」
の一言もなく、余りにも、
「あっけらかーん」
とした説明に、ラントムも、私も、頭にくるやら、呆れるやら。
「あんたじゃ、埒があかないから、上司の携帯番号を教えてくれ」
責任者に、電話を入れ直しましたが、すでに、先回りされていたようで、
「あのー、こちらは、プーケット・・・・」
と、ここまで言ったこところで、この上司は、ブチっと、電話を切ってしまい、その後は、何回かけても、電話に出ませんでした。

怒りは、収まりませんでしたが、手続きしないことには、話は進みません。
銀行に行って相談すると、紛失証明が必要だということで、私とラントムは、その足でパトン警察に向かって、証明書を出してもらい、また銀行に戻って、小切手を作り直しました。
「タイでは、いろんなことがありますよ」
最近は、少々のことでは驚かなくなった私ですが、あまりと言えば、あまりの、いい加減さで、久々に、
「タイの恐ろしさ」
を、味わいました。

再び、バンコクに戻ったマヨムですが、
「今度こそ、ビザが下りるのを待つばかり」
そう思っていた、6月中旬、またバンコクから電話がかかってきました。
「パパ、大変なの、ビザが出ないんだって。この前提出した申請書類が、1枚足りなかったみたい。もう一度申請し直してだって」
しかも、1万バーツ(高すぎねえかい、アンタら?)もした、ビザ代は、
「お返しできません」
だそうで、なんと、もう一度払わなければ、申請できないなんて言っています。

「書類が1枚足りないなら、追加提出すれば済みだろう。申請を受理できないなら、お金を返すのが、当たり前だろ」
ところが、英国大使館に電話を入れても繋がらず、受付窓口になっている出先機関(東京なら、ブリティッシュ・カウンシルのようなところ)も、午後まで、担当者は来ないと言い、ようやく出てきた担当者は、
「日本大使館なら、お金を返してくれる・・・?ここは、英国大使館(の出張所)だから、返せないですよ。みんな(他の大使館も)、そうですよ」
強気の対応で、まったく話になりません。
英国大使館の関係者・・・、特に、大使ら、本国から来ている人たちは、こういった状況を、把握していないのかもしれませんから(現地採用の英国人や、タイ人スタッフが、つるんで金儲けに走っている可能性大)、近々英文で正式に抗議文を郵送しようと思っていますが、酷い話の連続で、マヨムも、私たち夫婦も、もうキャンセルして、別の国に留学しようかと、話し合っているときでした。
紛失事件の引け目もある代理店から電話が入り、
「我々も全面的に協力しますから、もう一度だけ、申請してください」
ということで、また1万バーツ持って、マヨムは、バンコクに向かいました(いったい、何回行かされてんだか・・・)。

ビザ申請が終わり、プーケットに戻ってきたマヨムですが、今度は突然、
「もしも、イギリス行きがダメになったら、私、結婚するわ」
と、トンデモ発言が始まります。
留学が実現するかどうかの、瀬戸際だというのに、どこから、そういう話が出てくるのか、不思議でしたが、今度の相手は、26歳のドイツ人で、バンコクで知り合ったんだそうです。本人は否定していますが、どうせまた、ネットで見つけてきたに違いありません。
「あのなあ、マヨム。何で、いきなり結婚なんだ?」
「彼は、とっても、いい人なの」
「なんで、そんなことが、わかるんだ?」
「何回も、会ったから、わかるの」
「何回もって、何回だ?」
「2回。でも、いつも、メール交換してるから・・・」
こっちの話も、空いた口が塞がりませんでした。

やっとのことで、ビザは発給され、なんとか、イギリスに行くことができましたが、昨夜も、あの子から、電話がかかってきて、
「あ、パパ?ステイ先の黒人家族は、ケチくさいことばっかり言って、イヤ。やっぱり、タイがいいなあ」
なんて、言っていました。マヨムの話を聞くまでもなく、タイほど、自由な国はありません。
「やりたいことが、何でもできる」
そして、
「やりたくないことを、やらずにすむ」
そんな国は、他にないでしょう。
それがわかるだけでも、留学した意義があるんじゃないでしょうか。

マヨム、
大きな世界を、見てきてください。
いろんな人に出会って、いろんな経験をつんで、そこで見たり、感じたりしたことが、きっと将来、あなたを助けてくれるでしょう。
検討を祈ります。
Good luck!
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by phuketbreakpoint | 2010-07-24 08:20

なおこと2人きりの夜

菱和高校(仮名)ゴルフ部に入部した末娘のきよみは、順調に実力を伸ばし、学生トーナメントでも好成績をあげ、とんとん拍子で勝ち進んでいきました。そして念願のプロテスト合格、初年度から大活躍です。
「ゴルフ界の超新星、西岡きよみ、ツアー5連勝」
「来年は、世界制覇だ」
出るトーナメント、出るトーナメント、次から次へと勝ちまくり、ガッポ、ガッポと舞い込んでくる賞金の山!私にも、インタビューの依頼が殺到し、
「きよみパパ」
として、マスコミ各社に引っ張りだことなり、参院選出馬へ。見事当選し、国会議員になるも、一度も国会に顔を出さず、きよみに買ってもらった温泉宿で、悠々自適の老後を過ごす・・・・・。

そんな夢を抱いていたのですが、やはり、世の中、甘くはありません。
結局、ゴルフ部は、
「先輩・後輩の上下関係が非常に厳しいみたいだから(これはタイ人留学生が最も敬遠したがる理由のようです)、入るのやめた」
そうで、きよみは姉の、なおこが席を置く、和太鼓部に入りました。
「和太鼓?それじゃあ、パパの夢は、どうなっちゃうんだ?」
「心配しないで。和太鼓で優勝して、ちゃんと温泉は買ってあげるから、期待しててよ(和太鼓に賞金なんかあるんでしょうか?)」

そもそも、きよみが中学1年から、私の手もとを離れてしまったのも、あきおや、なおこが日本に行くことになったのも、元を質せば、私がプーケットで暮らしはじめたのが原因ですが、タイでタイ人の女性と結婚し、家族を持つというのは、辛いことばかりでもありません。
日本のお父さんたちが経験できないような、素敵な思い出を作ることだってできるのです。

昨年の10月、私は、再び高知県・菱和高校を訪れようとしていました。前年に、あきおが、「あんなこと」になってしまったので、今回は、なおこと2人っきりで、年頃の娘と一緒に数日間過ごさねばなりませんから、私には、ちょっとしたプレッシャーに感じられました。
「果たして、なおこは喜んでくれるだろうか?」
「話が合わず、場がもたなかったら、どうしよう・・・」
あの子が、私と一緒に遊んでくれたのは、ずいぶん昔のことです。それも、双子の弟である、あきおといつも一緒でしたから、2人っきりではありませんでした。きよみ(なおことは、5つちがい)が生まれて以来、私も、ラントムも、小さな、きよみの世話に追われ、なおこや、あきおは、「おいてけぼり」にされることも多かったですから、本当の意味で、あの子と、1対1で向き合うというのは、今回が初めてになるでしょう。2人で楽しい時間が過ごせるかどうか、とても心配だった私は、初デートに挑む、中学生のような心境で予定を組んでいきました。

「初日は、お土産渡して、喜ばして・・・・。そうそう、なおこの好物のタイのお菓子も、忘れないようにしないと・・・。その後、ホテルでチェックイン。前に、あきおと一緒に泊まった所が、清潔でいいな。それから、ご飯食べて・・・」
いつも、高知では、金曜日の午後から、月曜日の朝まで、3泊4日、ゆっくり時間をとって、子どもたちとの再会を楽しんでいましたが、このときは、
「土曜と、日曜だけで充分だろう」
と、2泊にしておきました。

そして、3週間後、
「なおこー!パパ、来たぞー!」
お土産を、いっぱい抱え、私が顔を出すと、なおこは、
「パパ、サワッディー」
と嬉しそうな笑顔で、タイ式の挨拶をしてくれました。
2人で一緒に寮に行って、持ってきたお土産類を置き(本当は男子禁制ですが、寮長さんが親切な方で、中まで案内してくれました)、市内のホテルに向かいます。チェックインの後、ショッピングモールに出かけ、
「何が食べたい?」
と聞くと、
「じゃあ・・・、お好み焼き」
ということで、二人で鉄板を囲みました。

「どうだ、学校は?」
「あんまり、面白くない」
昨年、大勢いたタイ人の友だちが、厳しい寮生活や、田舎暮らしに耐えられなかったのか、みな辞めてしまったそうで、なおこは、一人ぼっちになってしまったようです。
所属クラブ(当時は、銃剣道部)の練習も、非常に中途半端(平日の放課後に1時間程度)で、勉強以外は、あまりやることがなかったのでしょう。
お勘定を払うとき、お店の若いご主人が、
「菱和の生徒さんですか?実は、私も卒業生でして・・・」
と挨拶してくれました。翌日の、すき焼き屋でも、ホールリーダーらしき女の子が、
「私、横峰さくらさんと、同級生で・・・」
と自己紹介を受けましたし、ここら一帯は、菱和コネクションで溢れているようです。

食事の後は、映画を見ました。
「カイジ・人生逆転ゲーム・・・何だい、これは?」
と思いましたが、意外と面白く(コミックスが原作の映画は、けっこうイケますね)、最後まで、手に汗握って、大いに楽しみました。
映画が終わり、ジャスコで、お菓子や、ビールをたっぷりと買い込んで、ホテルに戻り、私は、ビールとハイボール、なおこも、チューハイで乾杯です。
「お酒飲んで、大丈夫なのか?」
「いいの、いいの。学校じゃ飲まないから、安心して」
カクテル系の甘ったるい酒を3本、一気に飲んだ、なおこに、
「パパ、もっと買ってきて」
と言われ、ホテルの一階にあるコンビニに下りて、買ってきてやりましたが、これもケロッと飲んでしまい、まだまだ、飲み足りない様子でした(酒豪になりますね、この子は)。

「そろそろ寝るか・・・」
小さめのダブルベットが一つだけの部屋でしたが、なおこは嫌な顔もせず、同じベットで寝入っています。
なおこが小さかった頃、私とラントムは、子ども3人(なおこ、あきおとマヨム)を挟むようにして、寝ていました。
あの頃は、サウスロードも、ブレイクポイントも、始める前で、お金こそありませんでしたが、子どもたちと過ごす時間だけは、たくさんあったと思います。すやすやと気持ちよさそうに眠る、なおこの顔を見ながら、私は、あの頃のことを思い出していました。

現在ジャングセイロンが建っている場所は、昔は、大きな原っぱで、私たち家族は、よく、ラントムの運転練習を兼ねて、ここに遊びに行きましたが、違法投棄された産業廃棄物の中から、古いポットを見つけ出した、なおこは、それを片手に、
「パパー、ママー、みてー!」
と大喜びしていました。大人から見れば、単なるゴミも、当時1~2歳だった、あの子には、
「こんな、すごいもん、みつけたぞー!」
という思いがあったのでしょう。
「これ以上ない」という満面の笑みは、私や、ラントムの脳裏に強く焼きついているようで、今でも、ときどき、このときの、なおこの笑顔が話題に出ます。
その、なおこが、こんなに大きくなって、もう高校生です。あのとき以上に大きな笑顔を、これからも、ずっと見せてくれればいいのですが。

2日半を、水入らずで一緒に過ごし、3日目の午後に、菱和の寮に戻るときの、なおこは、本当に名残り惜しそうでした。
「あー、寮に帰りたくないー。もっと、一緒にいたい」
別に、私が恋しいわけでもなく、学校の外に連れ出してくれるなら、誰でもよかったのかもしれませんが、父親なら、安心して自分を曝け出すことができますから、あの子にとっては、貴重な時間だったのでしょう。

「じゃあ、パパは、行くからな。最後に、お別れのキスをしてちょうだい」
恥ずかしがって、嫌な顔されるかと思いましたが、すんなりと、あの子はしてくれました。
日本では、「キモい」とか言われ、虐待されているお父さんもいるようですが、17歳にもなって、なおこは、私と手をつないで歩いてくれます。娘と2人っきりで、足掛け3日、こんなに素敵な時間を過ごせたのも、タイで暮らしていたお陰かもしれません。

「あと、1年半、いや、来年の今頃は、もう推薦も決まってるだろうから、正味、あと1年の辛抱だよ」
最後に私は、そう言って、なおこと別れました。
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by phuketbreakpoint | 2010-07-14 08:55