タイ・プーケット島在住。タイならではの出来事や日々の体験、個人的な思い出などを書きとめています。


by phuketbreakpoint
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最後の「電車ごっこ」

どの家庭でも、一番最初の子は、
「毎晩、せっせと励んでいるうちに、できちゃいました」
と、自然発生的な存在(なおこさん、あきおくん、すいません)だと思いますが、2人目、3人目の場合は、
「じゃあ、そろそろ、もう一人・・・」
ある程度、計画的に作っているんじゃないでしょうか。
そして、1人目や、2人目が生まれた後に、時間を置いてできた子というのは、
「上の子には、こんなことも、あんなことも、してやれなかった(あるいは、してしまった)。だから、今度の子には、してやりたい・・・」
経済的にも、少しゆとりができて、そんなことも考えたりするのですが、きよみが女の子だったこともあり、私は、あの子が赤ちゃんの頃から、ずっと、ベタベタした、親子関係を続けてきたと思います。
それが私の活力源であり、最も心の休まる時間でもありました。
「いつかは、きよみも、私の元から、離れていってしまうんだろうな・・・」
そんな日が、遅かれ、早かれ、来ることは、充分覚悟してはいましたが、それは、私が思っていたより、遥かに早く、しかも、唐突でした。

2月の中旬ごろでした。
「パパ・・・、きよみ、日本に行きたい。(姉の)なおこと同じ学校で、勉強したいの」
日曜日の午後、プーケット・タウンのピアノ教室が終わって、家路に着く途中、きよみは、突然、そう言ってきました。
私としては、プーケットの中学で、まずタイ語を固め、それから、日本に行った方が無難なように思えましたが、そんなことよりも、あの子が、いない毎日は、
「何か、大切なものを失ってしまう」
ような気がして、できることなら、先送りしたいというのが本音でした。

ラントムに話すと、案の定、
「あの子は、まだまだ、子どもだから・・・。それに、きよみが、いないと、私も寂しいわ」
とても消極的な反応です。
「日本に行って、寮生活するのは、大変なことなのよ。何でも、自分でやらないとダメなの。お菓子だって、今みたいに食べ放題できないわよ」
否定的な話を聞かせて、一生懸命、あの子が翻意するよう仕向けていましたが、きよみの決心は固く、
「ママ、やっぱり、きよみ、行く」
あの子は、最後まで、自分の考えを変えようとしませんでした。

4月5日、
私と、きよみは、ラントム、あきお、マヨムに見送られ、プーケット国際空港から、日本に飛び立ちました。ラントムは、あきおのときのように、涙を流すことはありませんでしたが、やはり寂しそうでした。
入寮を翌日に控えた、8日の夜は、高知市内のホテルに泊まりました。
「きよみー、電車ごっこ、やるかー!」
電車ごっこというのは、きよみが赤ちゃんの頃から、家族でバンコクに行く度に、ホテルのバスタブで、繰り返し、繰り返し、2人でやった遊びです。
私が、車掌さん兼運転手で、きよみが、お客さんになり、JR西荻窪駅から出発して、新宿まで行って、戻ってきます。なおことも、あきおとも、やらなかった、私と、きよみ、二人だけの遊びでした。
この日は、久しぶりだったので、一緒に入ってくれるかと心配でしたが、あの子は、私に付き合ってくれました。
おそらく、きよみにとっても、親元を離れ、一人で生活していく前に、思い出深い、この遊びを、最後に楽しんでいきたいという思いも、あったのかもしれません。

「次は、阿佐ヶ谷、阿佐ヶ谷でございます。お降りの方は、お忘れ物のないように・・・・。ガタンゴトン、ガタンゴトン、ガタンゴトン、ガタンゴトン・・・・」
今どき、こんな車内放送をする電車はありませんが、私は、きよみと縦列で湯に浸かり、このひと時を楽しみました。
そして、今夜が、恐らく、
“最後の電車ごっこ”
に、なってしまうんでしょう。
「きよみ、今日は、もっと現代風でいこう。
『The next station is Asagaya・・・・でございます』
どう?カッコいい?」
私が、JR中央線のアナウンスを真似ると、
「うん、似てるけど・・・、なんで、最後が、『ございます』なの?」
きよみも、喜んでくれました。

9日、金曜日、
「きよみ、忘れ物はないか?」
100円ショップで買い込んだ日用品が、ぎっしりと詰まった大きなビニール袋が2つ、パソコンや、トランク、サイドバック等を抱えて、あの子は女子寮に入っていきました。
なおこが、この春卒業していった寮の先輩たちから、棚や、収納ケース、電気スタンド等の家具類と、使わなくなった学校指定のジャージや、カーディガン等を、もらっておいてくれたので、大変助かりました。
2年前は、すべて買い揃えねばならず、大変でしたが、こうやって、姉妹で助け合いながら、仲良くやっていってくれれば、親として、心配することは何もありません。

10日、土曜日は、入学式でした。
いつの時代の、どの学校でも、この日は、特別です。
「希望に燃えて・・・」
そんな雰囲気にさせてくれるのが、日本の学校の良いところでしょう。
今年は、同じクラスに、4名の帰国子女がいるそうで、学校では、特別に指導係をつけて、面倒をみてくれることになりました。日本語が追いつくまでは、他の子たちから切り離し、補習授業をやってくれるそうです。

幼児の頃の、きよみは、親離れが、なかなかできない子どもでした。裏を返せば、それだけ私や、ラントムが、甘やかしていた証拠ですが、上の子たちと一緒に、カロンビーチにある、メータウ(おばあちゃん)の家に遊びに行ったときも、
「今日は、きよみも、ここで泊まっていく」
明るいうちこそ、元気いっぱいで、そう言っているのですが、私とラントムが家に戻り、暗くなってくると、だんだん心細くなってくるのでしょう。夜になると、いつも電話が入ってきました。
「きよみが(家に帰りたいと言って)泣いてるから、迎えに来てちょうだい」
そんな、きよみを、
「やっぱり、パパのそばが、一番いいだろ」
私は目を細めて、あの子の頭を撫でながら、家に連れて帰ったことが、何度も、何度もありました。
それが小学校に上がった頃から、夜も泣かなくなり、カロンでも、日本でも、親から離れて、どこにでも行けるようになりました。

心の準備は、できていたはずです。
それでも、胸の奥にポッカリと開いた、心の隙間は隠しようもなく、プーケットに戻ってきた後も、なんだか秋風が、じんわりと吹き込んでくるような、そんな日々が続いています。
いらなくなったノート等を、メモ用紙で使おうと、カッターナイフで切ろうとしたところ、きよみの字や、絵が目に入り、ついつい、その手が止まります。
「きよみが描いたのか・・・・・。一応、置いとくかな・・・」

失くさないように、傷つけたり、壊れたりしないように、大事に、大事に、この両腕で、しっかりと抱き寄せていたはずだったのに、ふと気が付くと、あの子は、私の腕の中から、すーっと、すり抜けていってしまいました。

きよみ。
頑張ってください。
辛いときも、悲しいときも、プーケットでの楽しい日々を、思い出してください。
パパは、ずっと、きよみを見守っています。
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by phuketbreakpoint | 2010-04-18 10:32
中学1年生の頃、ローリング・ストーンズのアルバムを初めて買いました。そして、大いに驚きました。
彼らの素晴らしさに驚いたのではなく、あまりの酷さに、ビックリしてしまったのです。

“ビートルズのライバル”
“ストーンズは、遂に、ビートルズを超えた”
“ビートルズなき後の、ロック界の王者ストーンズ”
日本のレコード会社が考えた宣伝コピーは、ほぼ、すべて、ビートルズ絡みのものでしから、それを読んだ人たちは(特に私のような中学生は)、当然、ビートルズのように、美しいメロディーラインや、高度な音楽性を期待していたと思います。

ところが、スピーカーから流れてきた音は、いきなり、アレでしたから、
「なんじゃい、コレは?」
というのが、正直な感想でした。
メロディーは、グチャグチャで、ギター・テクニックも、大したことはなく、何よりも、ミックの、あの声と歌唱力(音痴に聞こえました)には、かなり幻滅しました。レコード屋に、返しに行こうかと思ったほどです。
当時(1974年頃)は、ビートルズを別格にしても、レッド・ツェッペリンや、ディープ・パープル、クイーン、ピンク・フロイド、バッド・カンパニー、ELPなどが売れていましたから、不良中高生向き(?)の、音楽専門誌、「ミュージックライフ」の年間人気投票でも、これらのバンドが上位を占めていました。
それに対して、ストーンズは毎年、13位から、17位辺りを、ウロチョロしており、ザ・フーや、Tレックスといった、同じく、ゲテモノ扱いされていたグループらと、レベルの低い順位争いをしていた記憶があります。

散々な、ストーンズ初体験でしたが、不思議なことに、我慢して聞いているうちに(誰かにあげようと思ったのですが、誰も欲しがりませんでした)、妙な味わいがあって、だんだんと、ハマッてきている自分に気がついたのは、買ってから、3~4ヶ月経った頃でしょうか。
ストーンズの最新アルバム、「イッツ・オンリー・ロックン・ロール」が発売されるや、なんと私は、レコード屋に走っていたのです。そして、そのときも、やっぱり、
「やっべぇー、また、失敗だよー!」
が、第一印象でした。
発売される度に、欲しくはないんだけど、なんとなく買いたくなってしまう、不思議な魅力が、ストーンズにはありました。

プーケットに来て、初めて、ドリアンを食べたときも、これと同じだったように思います。
「うっ!?なっ、なんだ、これは・・・・」
腐りかけのミルクを、多目に入れたチーズケーキ?いや、異様に臭い、果物グラタン?
そんな印象だったでしょうか。
「これが、果物の王様・・・、まっさかあ・・・。だって、これ、果物じゃないでしょう」
そう感じました。
ロックの王者ストーンズに、負けないくらいの、不当表示、誇大広告だと思いました。
わずか、3粒ほどが入った小さなパックでしたが、結局、半分も食べられず、残りは、捨ててしまったと記憶しています。

しかし、ラントムと結婚し、美味しそうに、ドリアンを食べているラントムを見ていたら、釣られるように、私も、何粒か食べてしまいました。
そして、普通に食べられるようになると、あの独特の臭みや味が、忘れられなくなり、無性に恋しくなってきてしまうのです。
ドリアンには習慣性があるようですね。

その昔、ドリアンは高級果実だったようで、貧乏人の口には、滅多に入りませんでした。
ラントムが子どもの頃のコンジャン家も、非常に貧しく、ドリアンを、そのまま食べる、お金はありませんでしたから、一番安い品種である、トゥーリアン・バーンを、1個だけ買い、汁状のお菓子を作って、カウニヤオ(もち米)にかけて、食べていたのです。

ある日、彼女が学校から帰ってくると、台所に、ドリアンが置いてありました。
「わあ、ドリアンだー!おいしそうだなあ・・・・・。食べたいなあ・・・・・。でも、お母さんに、怒られるしなあ・・・・」
そんな心の葛藤に、とうとう耐え切れず、
「誰も、見ていないし、ちょっとだけなら・・・」
皮を、少し剥がし、中から一粒抜き取って、食べてしまいます。
「やっぱり、おいしいー!」
これで満足すれば、よかったのですが、食べた一粒の味が口から離れず、じっと、ドリアンを見つめていたら、唾液で、口の中が、いっぱいになってしまい、
「もう一つくらいなら・・・・」
と、再び皮を剥いで、また一口。
「本当に、おいしいー!!」
ここで、台所を出ようとしましたが、心では、そう思っていても、足が動きません。
「よし、じゃあ、今度こそ、本当に、最後ね」
自分に言い聞かせるように、そう誓うと、さらに、もう一粒。
「あー、幸せー!!」
しかし、ドリアンの神秘的な魔力は、彼女を離そうとせず、悪魔のような囁きが、耳元に聞こえてきます。
“あと1個だけ、食べちゃえよー。バレやしないさー!”
そんな誘惑を振り切ることもできず、手は、再びドリアンに・・・・。
この時点で、ドリアンは、既に、半分くらい無くなっていましたが、
「ええい、こうなったら、もう、全部食べちゃえ!!」
悪魔に、どっと身を投げ出したラントムは、残りの半分も、一気に食べてしまい(さすが、お父さんの娘です)、最後は、皮を元に戻して、紐で結び、偽装工作を施してから、その場を離れました。
お母さんが戻ってきて、すぐに見つかってしまったのは、いうまでもありませんが、数十年前のタイの田舎では、ドリアンは、それほど貴重な存在だったようです。

ドリアンを食べて、美味しいと感じる日本人は、10人に1人もいないわけですから、ストーンズを聴いて、素晴らしいと思う人も、だいたい、同じくらいの比率とみて間違いありません。
だいたい、キース・リチャーズのボーカルや、ミック・ジャガーのギター、ましてや、キーボードなんかは、はっきり言って、
“聴きたい人は、誰もいない”
と言い切れますが(失礼)、
「最後に、ちゃんと盛り上げてやるから、お前ら、オレのギターも、我慢して聴いてくれ」
と無理やり、ショーに挿入してしまう強引さが素晴らしい。

みなさんも、
「これは、ちょっと・・・」
と敬遠していることがあっても、我慢してやっているうちに、病み付きになってしまうかもしれませんよ。

やっぱり、ドリアンは果物の、そして、ローリング・ストーンズは、ロックの王者です!
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by phuketbreakpoint | 2010-04-02 09:10