タイ・プーケット島在住。タイならではの出来事や日々の体験、個人的な思い出などを書きとめています。


by phuketbreakpoint
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<   2010年 03月 ( 4 )   > この月の画像一覧

悪女と野獣

「好きなタイプは、メス猫」
学生時代のコンパで、そう自己紹介して顰蹙を買ったことがありましたが、昔から、私の女性の好みは、これだったと思います。しかも、
「ちょっと、遊び慣れた感じの女の子」
を、どういうわけか好きになってしまう、妙な傾向がありました。

そんな一人に、リリーという女性がいます。
スイスのチューリッヒで働く、26歳(当時)の銀行員で、私は、彼女とイギリスの語学学校で知り合いました。
白人女性は、14、15にもなれば、もう充分に女、といった感じですが、20歳を過ぎる頃から、急激に老け始め、26歳だと、普通なら、かなり、おばさんに見えてしまいます。
ところが、彼女は小柄(160センチ弱くらい)な上に、若作りしていましたから、なんとなく、自分とつり合いが取れているようにも思え、18、19の女の子たちに比べ、男の扱いも上手で、話していても、とても楽しく、私は、どんどん彼女の魅力に惹き込まれていきました。

しかし、さすがに彼女は、(あらゆる意味で)経験豊富な社会人です。チューリッヒに彼氏もいましたから、そう簡単には、いいムードには、させてくれず、かといって、相手にされないわけでもなく、付かず、離れず、私のような「子供」は、いいように、弄ばれていたように思いますが、そんなとき、突然、ライバルが現れてしまいます。

インドネシア出身のジョンは、オランダ人との混血で、リリーと同じ試験対策コースで学んでいました。体つきは、ガッシリしており、180センチあった私の友人よりも、さらに上背はありましたから、身長は恐らく184、5センチくらい、体重も85~90キロは、あったんじゃないでしょうか。
ジョンは荒削りというべきか、スマートさがないと書くべきか、とにかく、愛情表現が直線的、かつ、これ見よがしで、それがことごとく、私の神経を逆撫でしていましたが、リリーは、自分の手の平の中で男たちが争っているのを、楽しんでいるようなところもありました。

当時の私は、若さの盛りにあって、朝から、ベーコンエッグとイングリッシュソーセージを頬張り、昼も、夜も、ビュッフェ形式の食べ放題で、味はともかく、量と栄養価だけは、極めて良好な食事を、毎日3食摂っていましたから、
「毎朝、(朝立ちが)凄くて、(洋式トイレでの)オシッコが大変だ。体を、90度に曲げないと、できやしないよ(友人談)」
といった状態でしたし、マス大山(というより梶原一騎)の影響を受けていたのか、
「論理的に言って、親指だけで、指立て伏せが100回できれば、素手で牛が殺せる(どういう理論だったんでしょうか?)」
という話を真に受け、毎日、せっせと鍛錬に励んでいたので、大柄とはいえ、
“牛より、はるかに小さいジョン”
に対して、私の導いた結論は、至って単純でした。
「いざとなったら、実力行使も辞せず」

そして、あの夜です。
メイン・ビルディングの別館で、ハーフ・タームの最後を飾る、ディスコ・パーティーが開かれていました。このときの私は、リリーを攻めあぐね、突破口を見出せず、なんとなく、心に隙間風が吹いているような気分でしたが、そんな間隙を突くように、ジョンが酒に酔った勢いで、彼女に接近していきました。
「もう、この女は、もらった」
とでも言いたげな表情で、ベタベタと彼女に絡みついているジョンを見ても、どうすることもできず、私は会場の隅で、唇を噛み締めながら、ラガーのパイント(大グラス)を傾けるしかありませんでしたが、場内いっぱいに響く、ハード・ビートの振動が、徐々に私の本能を刺激し、アルコールも加わって、セックスと、バイオレンスに対する欲求が、みるみる膨らんでいきました。
「このまま、指を咥えて、見ている場合じゃないだろう・・・」

一旦、私は、バトラー・ウイング(寮)の部屋に戻り(ディスコ会場も、寮も、学校の敷地内にありました)、動きやすいようにジーンズから、トレパンに穿き替え、トレーナーの上からは、厚手の革ジャンを着込んで(ボディーへの攻撃を吸収してくれます)、シューズの紐も、解けないように堅結びにして、戦闘態勢を整えると、1分ほど、シャドーボクシングで体を温め、最後に、机の上に置いてあったギルビー(ジン)のビンを掴んで、ラッパ飲みし、外に出て行きました。
頭に血が上っていた割には、慎重でしたが、この勝負だけは、どうしても負けるわけにはいきません。
“先制攻撃から、短期決戦に持ち込んで、一気に決着”
彼との体重差を考えると、これ以外に戦法はないでしょう。

ウイニフレッド・パーソンズ・ホール(ディスコ会場、通称ウインピー)に近づくと、寮に向かう通路の入り口で、また、ジョンがリリーに抱きつくように絡んでいましたから、迷いは、まったく、ありませんでした。
嫉妬の炎に押し出されるように、素早く、彼に近づくと、すぐに目線がぶつかり合い、間髪を入れず、私は渾身の力を込めて、右ストレートで、彼の顎を打ちぬきました。
“ガツン”
という確かな衝撃が、拳から肩に伝わり、次の瞬間、
“ドサッ”
と、彼の巨体が崩れ落ちていきました。

私の攻撃が引き金となり、ここから、乱打戦が始まると思って身構えていた私でしたが、相手が一発で倒れてしまい、起き上がってきそうもありませんでしたから、次に何をしてよいか分からず、ただ、立ちつくしていると、ちょっと間を置いて、ジョンの相棒たち(南米の学生)が、猛抗議してきます。
「どうして、仲間を殴るんだ!?」
激しい口調でしたが、彼に代わって、私に制裁を加えようという雰囲気でもなく、私は、
“唖然・呆然状態で、言葉も出ない、リリー”
の手を掴むと、そのまま無言で、別の場所に連れていってしまいました(拉致ですね)。
そして、このとき、リリーと初めて、キスをして・・・・・・・・・・・・・・・・。
「大人の女は、キスも、上手なんだなあ・・・・」
彼女と唇を重ねながら、そんなことを考えていたものです。

この後、しばらく、
“惚れた女は、力づくでも、奪い返す”
という、武闘派強硬路線に入っていくわけですが、結局、それで成功したのは、このとき、一回限りでした(やっぱり、この路線では、ダメですね。ぜんぜん、女にモテません)。
まあ、ああいった特殊な状況(田舎町の学校に、世界中から若者が集まっている)でない限り、こんなやり方では、うまくいくはずはないんですが、今にして思えば、タイ王国での男女関係修復の手段と、非常に似通っている部分があるように思います。

この国では、自分の女(あるいは男)を、失いそうになった場合、
「冷静に、話し合って・・・・」
とは、決してならず、
“暴力で決着(凶器攻撃あり)”
という方法が、一般的に、とられているように思います。
(ラントムのお父さんのように)さんざん、デタラメなことをやって、相手に苦労を、かけ続けているのに、恋敵が現れるや、包丁を手に取って、
「人の女に、ちょっかい出すなんて、最低の奴だ」
等と、突然正論を言い始めたりしますが、こういう場面に出くわすにつけ、私は、あの晩のことを思い出してしまうわけです。

そして先日、母から届いた手紙の中に、もう一枚、別の封筒が入っていました。
差出人を見ると、
「リリアン・アムスタード」
と書かれています。
リリーの本名は、リリアン・ヘス。当時、本国で付き合っていた恋人の名(苗字)が、アムスタードでしたから、
「やっぱり、彼と結婚したんだ・・・」
そう思いました。
「お元気でしょうか?私のことを、覚えているかしら・・・・」
何のことはない、差し障りのない内容で、特に、感情の変化は起こりませんでしたが、私は、まだ返事を書いていません。たぶん、このまま書かないで終わるでしょう。
私にとって、リリーとは、永遠の悪女。最後の最後まで、捕まえきれず、振り回されて、傷ついて、
「もう、あんな女のことなんか、忘れよう」
何度そう思っても、結局、忘れられず・・・・・、いつまでも、そんな存在であってほしいのです。

ところで、被害者のジョンですが、この事件以降、ますます酒癖が悪くなり、別件(確か、「器物破壊行為」か、「大麻吸引」)で、姉妹校のあったノーリッチへ、追放処分となってしまい、一方で、加害者の私は、事件の翌日から、5日間、ハーフ・ターム・ホリデーを利用して、ニューヨークに逃亡(?)し、その間、学校が休みでしたから、ほとぼりが冷めていたようで、
「まったくの、お咎めなし」
という、天下の御正道を踏み外す、片手落ちの沙汰が下されました。時代が時代なら、彼の家臣たちに、「討ち入り」に合っていたかもしれませんが、あきおが菱和をクビになってしまったのも、
“親の因果が、子に報いて・・・・”
このときの罪と罰が、時を超えて、巡ってきてしまったのでしょうか。
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by phuketbreakpoint | 2010-03-25 23:39

因果応報

大学四年の夏休み、音信不通の私を心配したゼミの先生から、実家に電話が入ってきました。
「東経大の山村(仮名)と申しますが、西岡くん、いらっしゃいますか?」
ところが、このとき、うちの母親は、バカ正直にも、こんな返事をしてしまったようです。
「史雄なら、『ユーゴの方に行く』とか言って、一ヶ月ほど前に、家を出て行きましたけど・・・・」
「ユーゴって、ユーゴスラビアのことですよねえ・・・。それで、いつ頃、お帰りでしょうか?」
「さあ、いつになるかは、ちょっと・・・・・。たぶん、大学が始まる頃には、帰ってくるんじゃないでしょうか・・・・」
数週間が経過し、二学期が始まって、ずいぶん経った頃、ようやく大学に顔を出した私に、山村先生は、こう言ってきました。
「キミの家は、いったい、どういう家庭なんだい。我が子が行方不明だというのに、まったく心配してなかったよ」
母は、このとき既に、「息子のことは、心配すること自体が、アホらしい」という、悟りの境地に入っていたようで(注、伏線として、『捜索願い事件』というのがあったんですが・・・・)、少々のことでは動じない精神構造になっていました。
その後も、私の放浪癖は収まるどころか、どんどん悪化し、神戸の祖母が他界したときも、祖父が永眠したときも、親戚のおじさんが亡くなったときにも、どこで何をやっているのか、さっぱり分らない状態が慢性化していた私とは、連絡をつけることすらできませんでした。
最初のうちこそ、親戚筋の中で、ただ一人、葬儀に参列していない私を不審に思い、
「あれ?史雄は、どうしたんだ?」
そう聞いてきた親戚も、いたようですが、終いには、
「(私がいなのに)今日は、久しぶりに、親戚一同、勢揃いか」
完全に、員数外扱いにされていたようです。

プーケットに戻ってきた、あきおは、最初の数日こそ、殊勝な態度だったものの、それ以降は、
「やっぱりか・・・」
と、予想通りの荒れた生活でした。
高校の先生から送られてくる宿題を、「自力でやるのは、無理」ということで、入学前に通っていた塾に行くことになりましたが、それも、1日2時間だけで、後の時間は、予習復習をやるわけでもなく、グータラと時間を浪費する日々が続いていました。
朝は、昼頃まで、高いびき。ようやく、起きてきたかと思ったら、
「今日も、元気だ、タバコがうまい!」
と、屋上でやっているようで、ヤニの臭いが、ぷんぷんしています。
どこかに、出かけたと思ったら、酔っ払って帰ってきて、お店のビールを盗みだし、マッサージ屋の女と、月見で一杯・・・。
「あー、極楽、極楽」

菱和で、不祥事を起こしたときも、
「パパ、ぐっと堪えてね・・・」
バンコクの学校から、電話がかかってきたときも、
「パパ、お願いだから、我慢してね・・・」
何度も、問題を繰り返したときにも、
「でも、息子だから、捨てるわけには、いかないから・・・」
いつも、カンカンに怒っている私を諭し、あきおを庇ってきたラントムも、自分で直接、我が子の醜態を目にしてしまい、とうとう、耐えられなくなってしまったようです。
ある晩、例によって、盗み酒している、あきおを捕まえて、
「もう、あなたは、修道院(彼女はプロテスタントなので、実際は別名ですが、似たような場所がバンコク郊外にあるようです。不良少年の、「虎の穴」といったところでしょうか)に行きなさい。明日、電話して、連れてってもらうわ」
島流しにすると、決めてしまいました(ここも、島なんですが・・・)。

翌日、塾に行く時間になっても、あきおは起きてきません。
「ママ、そろそろ、起こしたほうが、いいんじゃないかなあ・・・」
私が、そう言っても、
「放っときなさい。もう、修道院送りなんだから・・・」
まるで動こうとしませんから、仕方ないので、私が屋上(あきおの部屋があります)まで上がって、あの子を起こすことになりました。
「あきお、お前、ちょっと気をつけた方がいいよ。今までは、パパが怒ってるのを、ママが止めてたからいいけど、これからは、止める人が、いなくなっちゃうぞ。ママに捨てられたら、後がないからな」
私の話を分ってくれたのか、どうか、あきおは、塾に出かけていきました。

この日から、私たち夫婦の立場が逆転し、激怒するラントムを、
「まあ、まあ・・・」
と宥める私という、妙なことになってしまいました。
しかし、いくら、役割分担だとはいっても、やはり、宥め役は大変です。
「あの野朗、また、タバコ吸ってやがる。今度こそ、ぶん殴っ・・・」
と思っても、爆発しそうな、ラントムの顔色を窺いながら、小声で、
「あきお、上(屋上)で吸え、上で・・・」
また、あるときなど、
「あきおの奴、今夜も、酔っ払ってやがる。よーし、ドカーンっと・・・」
と思っても、鬼の形相のラントムを想像し、冷静になって、
「あきお、酒臭い。早く、上に行け。早くしろ、見つかるぞ」
自分が悪いことをしてるわけでもないのに、なぜか、コソコソしなければならないのです。

学生時代(いや、それ以降もか?)、さんざん、親を苦しめてきた報いを、私は、遂に受けるときが来てしまったのでしょうか!?
(お母さん、遅まきながら、すいませんでしたー!)
いや、これは、あきおにも、言えることです。何十年後かには、あの子も、きっと、同じような思いをすることになるのでしょう。
(パパを苦しめた呪いが、いつか、きっと、お前に降りかかってくるぞー、あきお!)

こんな状態で月日が流れ、私の辛抱は益々大きくなり、心労は、どんどん重なっていきました。

(続く)
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by phuketbreakpoint | 2010-03-18 10:37

野生の証明

「男は強くなければ、生きていけない。
優しくなければ、生きていく資格がない」
1970年代の終わり頃、この台詞が、繰り返し、繰り返し、テレビで流れていた時期がありました。
角川映画「野生の証明」(映画と、レイモンド・チャンドラーは何の関係もありません)のCMでしたが、当時の少年たちには、間違いなく、大きな影響を与えていたと思います。
「オレも、大人になって、いや、男になって、こんな生き様の人生を歩んでみたい」
そう感じた男の子も多かったでしょう。

あきおがバンコクから戻って来る朝、私は、あの子と、どんな態度で接するべきか、ずっと考えていました。
「今度という、今度は・・・」
怒鳴り散らすべきか、ぐっと我慢して、もう一度、言って聞かせるべきか、それとも、完全に、「知らんぷり」すべきか・・・・。
考えが、まとまらないうちに、あの子が部屋に入ってきてしまいます。
私は、気付かないふりをしていましたが、あきおの方から声をかけてきました。
「パパ、ごめんなさい」
ヨック・ムー・ワイ(タイ人が挨拶するときに、両手を合わせる礼儀作法)の姿勢をとって、実に丁重な挨拶でした。しかも、頭は丸坊主で、眉毛まで剃っていましたから、なんだか、異様な風貌で、完全に意表を突かれてしまいます。
「・・・・・・・あきおか・・・・、お腹空いてるだろう。ご飯食べろ・・・」
そうとしか、言いようがなく、またまた、あきおに、してやられました。
迷いのある相手に、先制攻撃を仕掛け、自分のペースに引きずり込んでしまう・・・・、剣術使いのような、あきおの戦法に、どうしてなのか、いつも、ごまかされてしまうわけです。

やられたのは、ラントムも同様で、この日の我が家は、実に不思議な空間でした。つい前日には、2人とも、カンカンで、
「絶対に許さん」
と息巻いていたはずだったのに、一夜明けて、あきおの顔を見ると、まるで、
長い修行から戻って来た、1人息子を迎えるような態度になっていたのです。
「澤野さんがなあ・・・・、最近なんか、奥さんとアツアツでなあ・・・、どうしちゃったのかなあ・・・」
「テンちゃん(うちのお店のスタッフ)、また、フラレちゃったのよ、中学生に・・・・」
「あきお兄ちゃん、知ってる?ピー・ヨム(ヨム姉さんの意。姉のマヨムのこと)に、新しい彼氏ができちゃったの・・・」
私も、ラントムも、きよみも、そして、ラントムのお父さんや、お母さんも含めて、学校の話には、ほとんど触れず、世間話を、ずっと続けていました。

夜になって、あきおの気分も、ずいぶん解れてきたようでしたから、私は、あの子を呼んで、また、ブレイクポイントの奥の席に座らせました。ここだと、個室ほど、改まった感じもしませんし、他人には聞かれずに済みますから、都合のいい場所だといえます。
「あきお、どうして、こうなったんだ。説明してみろ」
私が、そう切り出すと、あの子は、口ごもりながらも、ボソボソと話してくれました。
「みんな、やってるから、ついつい、気が緩んで・・・」
あきおの話を簡単にまとめると、こんな感じでした。

「みんな持ってるよ・・・・・、だから、買って」
「みんな行くみたいだよ・・・・・、だから、行かせて」
子どもが、よく使う言い訳ともいえますが、
「みんなって、誰なんだ?」
そう突っ込まれると、
「えーっと、山田くんでしょ・・・・・、それと、えーと、えーと・・・・・、あっ、佐藤くんもいた」
結局、2人だったりします。
きっと、あきおの言う、「みんな」というのも、一郎くんと、その他少数の仲間なんでしょう。

「この学校、絶対に、クビにならないから、大丈夫」
一郎くんらは、いつも、そんなことを言っていたそうですが、確かに、彼は、度重なる不祥事にも関わらず、1年近く、生き延びてきた「実績」がありますから、信憑性があったのでしょう。
「でもなあ、それで捕まってるのは、あきお1人なんだから、これは問題があるぞ。彼らは通学生で、あきおは寮生だ。置かれている立場が違うんだよ。
通学生なら、多少のことは多目に見てもらえるけど、寮生だと、そうはいかない。何かあったら、学校の責任になっちゃうからな。大人の世界は、そうなってるんだ。みんな、責任を取りたくないから、予め危険な目は排除したい。そういうことだな。
“みんなが捕まってないのに、あきおだけ捕まってる”
“あきおは大丈夫と思っていても、実際は大丈夫じゃない”
これは、あきおの判断が間違っているから、そうなるんだよ。世の中には、危ないことは、いっぱいあるけど、どこが危なくて、どこなら、安全なのか、その見極めを間違えると大怪我するぞ。菱和のときも、そうだっただろう。
学校をクビになるくらい、大したことじゃないんだけど、もしも、命の危険があるような場面なら、大変だよ。死ななきゃダメだ。それで、本当に死んじゃう人、結構いるだろ、プーケットには。
もっと、用心深くならなきゃダメだよ」

野性動物が生き残るために必要な条件、それは、
1.食べ物を探し出す能力
2.仲間とコミュニケートする能力
3.危険を察知する能力
の、3つだそうです。

1は、人間社会では、「金を稼ぐ能力」と置き換えることもできますが、今のあきおには、まだ、必要ないかもしれません。せいぜい、私や、ラントムが、一生懸命、働いている姿を見せることくらいで十分でしょう。学校で、やっている勉強が、その手助けになると、分ってくれればいいのですが。

以前は、2が、一番心配でした。
あきおが小学校に入学したての頃、私が、あの子に、
「どうだ、友だちできたか?」
そう聞いても、あの子は、いつも、
「できない」
と一言。
「学校楽しいか?」
と尋ねても、
「楽しくない」
の一言。それが、今や、新しくガードマンさんがやって来る度に、初日から、親しげに話しこんでいたり、見るからに、夜のお姉さんタイプの女(もちろん、初対面です)と、夜遅くまで、お店の裏で、ビールを飲んでたり(奢ってもらえるようです)、いつでも、どこでも、すぐに友だちができるようになりました。
もう大丈夫でしょう。

そして、今、問題になっているのが、3です。
これからも、あの子は、失敗し続けるでしょうし、場合によっては、危ない思いもするかもしれませんが、何とか生き延びていく術を、時間をかけてもいいから、教えていかねばなりません。

「この後、どうするつもりなんだ?
もし、あきおが学校に行きたくないのなら、別に行かなくてもいいぞ。自分の好きなことをやってくれ。好きなことをやるのが、一番いいからな」
私が、こう言うと、あの子は、
「高校は、卒業したいんだけど・・・・」
そう答えます。
「わかった。じゃあ、2、3日したら、ママに電話してもらって、学校に戻れるかどうか、聞いてもらおう」

2日後、ラントムが学校に電話を入れました。
「高校生活を続けたい」
という、あきおの意思を学校側に伝えると、
「わかりました。でも、しばらくは、家庭学習で様子を見ましょう。担任が宿題を出しますから、それを送り返してください。前期も、あと半分ですから、それが終わったら、もう一度考えてみましょう」
この学校、パッと見の印象は、あまり良くなかったのですが、「タイの学校に入れない」という、こちらの事情を十分に考慮してくれているようで、
「少なくとも、今年一年は面倒見て、高1終了の単位だけは取らせてやろう」
という、広すぎるほどの度量を持っているようです。

「さすが、タイだ」
と思いました。他の国では、なかなか、こうはいかないでしょう。
「微笑みの国」という表看板の裏では、
「笑って、ごまかし、マイ・ペンライ(気にしない)」
実に、いい加減な裏看板も存在していますが、
「どんな人間だって、失敗することは、あるんだから・・・」
過ちを犯した者に対する、限度外れの寛大さによって、この国の秩序や伝統は、守られてきたのかもしれません。
タイで暮らすことの、居心地の良さを、改めて私は、実感できたような気がしました。

(続く)
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by phuketbreakpoint | 2010-03-11 10:27

魔球

1973年8月、杉並区・少年野球大会・準決勝。
“一回の表、高井戸・第四小学校の攻撃は、2アウト、ランナー二塁、一打先制のチャンスです。バッターは、昨日、3安打を放った、四番の西岡くん(当時12歳)。
さあ、ピッチャー、セット・ポジションから、第一球を、投げたー!”

打てそうなときのバッターは、ネクスト・バッターズ・サークルで待っている間にも、なんとなく、そんな予感があるものですが、打順が回り、相手投手の第一球目を見た瞬間、それが確信に変わります。
「ふふふ・・・、楽勝、楽勝」
あの日も、そうでした。
ところが、二球目で、そんな自信は、一気に崩れてしまいます。
スイングに入り、バットが、ボールを勢いよく弾き返したと思った瞬間、球は、ストンと沈み、バットを、すり抜けていきました。
当時の少年野球では、カーブを投げるピッチャーは結構いましたが(今は禁止になっているようです)、落ちるカーブを投げてきたのは、この子以外には、一人もいませんでした。
結局、この日は、4タコの3連続三振で、お手上げでした。

思えば、あの頃は、純粋でした。
バカが付くくらい、純粋でした。
当時の野球漫画や、少年雑誌は、チームワークや男の友情を、気持ち悪いくらい誇張して描いていましたが、野球少年にとっては、大袈裟で、うそ臭い話ほど、盛り上がり、真似したくなったものです。
そんな中に、女房役(キャッチャーのこと。私のポジションです)の努め、というのがありました。

試合の数日前、エースが、風邪を引いて寝込んだといっては、徹夜で看病してたり(お母さんに、怒られなかったんでしょうか?)、エースが、失恋しそうだといっては、相手のところにいって、うまくいくように骨を折ったり・・・、好きな女の子のためにでも、「さすがに、ここまでは、やらんだろう」という程のお節介を、エースのために、かきまくるのが女房役の努めだと、私は信じていたのです(たぶん、当時の他のキャッチャーたちも、同じだったでしょう)。

“正捕手は、移動中、エースの荷物を、全部持ってやる”
というのもありました。
荷物を肩からかけることで、大事なエースの肩が壊れでもしたら大変だという理由からだったと思いますが、たかだか、グローブとスパイク、タオルだけが入ったバッグですから、大した重量はありません。肩にかけても、その後のピッチングに、影響を与える程のことはなかったと思いますが、とにかく、真似がしたかったのでしょう。
“桜井(エースでした)、オレが持ってやるよ”
「いいよ。こんなもん、自分で持つよ」
“遠慮するなって。オレが持ってやるから”
「大丈夫だよ。オレは平気だから、気にしないでくれ」
“ダメだって、ほら。オレに貸せって・・・。
なにー?
いやだ?
お前、オレに恥かかすのか?表に出ろ!”
熱い友情を演じるつもりが、逆に大喧嘩になってしまったこともありました。

小学校の頃は、サッカークラブにも所属して、二股かけていたのですが、
「見るならともかく、自分でやるなら、野球だろ」
と、子ども心にも、思ったものです。
“人を押しのけていかなければ、活躍できない”
サッカーというスポーツが持つ、宿命的な部分に、馴染めなかったのかもしれません。
海外で、サッカーや、バスケ等のチームスポーツをやった経験のある人なら、分ると思いますが、南米や、アラビックの人たちは、同じチームに日本人が入っていても、端から見下して(肉体的な意味です)、パスなんか、絶対に回ってきません。
活躍しようと思ったら、相手から自分でボールを奪って、そのボールを、自分で相手陣地まで持ち込み、自分でシュートを打って、点を取らねばならないのです(15歳で、ブラジルに渡って、プロになって帰ってきた三浦少年は、もの凄い男ですね)。そこには、仲間のことを気遣っている余裕など、入り込む余地がありません。
その点、野球なら、奥手の子でも、一人一回ずつ、平等に打席は与えられますから、
「オレが、オレが・・・」
と、他人を遮って前に出て行く必要もなく、仲間のことを気遣う余裕も、十分にでてくるのです。

純粋な少年だった私ですが、中学では、野球部に入りませんでした。
自分の才能に限界を見ていたのかもしれませんが、その理由の一つとなったのが、この落ちるカーブでした。
なにせ、打てそうな気が、ぜんぜん、しなかったですもん。
よっぽど無念だったのか、あれから、30年以上も経過し、自分が、岩田鉄五郎と、同じ年齢に近づきつつある今になっても、不思議なもので、どうやったら、落ちるカーブが打てるのか、考えてしまうことがあるのです。

先日、高校時代に、神奈川県のトップチーム(神奈川は、「裏プロリーグ」と言われるほど、強豪校が多い)で、3番を打っていた男性と話をしていたときのことです。
「高3のとき、今、レッドソックスにいる、松坂と対戦しました。当時でも、スピードガンで、147キロ出ててましたよ。
凄い球でした。オレ、3番打ってたのに、2三振喰らって・・・」
軟式を使った少年野球のエースですら、速い人の球は、打者の手元に来ると、
“シュルシュルシュルシュル・・・・・・・”
と、激しく空気を裂く音が聞こえてきます(この音、打者として聞くとイヤなんですが、捕手として聞くと、頼もしく、気持ちいい音なんです)。ましてや、高校の一流投手、しかも、松坂選手ほどのピッチャーになれば、その球がいったい、どんなスピードなのか、想像しただけでも、チビリそうでした(こういう話を聞かせてくれる男を、私は無条件で尊敬します)。

「ところで、保川くん(仮名)。ちょっと、お願いがあるんだけど・・・」
私は、30数年間、ずっと、心に引っかかっていたことを、思い出したように、この青年に尋ねました。
「うーん・・・、落ちるカーブを、打つ方法ですか?」
彼は、少し考え込むような素振りを見せましたが、次の瞬間、
「・・・・・・・ありませんね」
(ズルっ!)
あっさりと、答えます。
「人間の目というのは、横の動きには付いていけますが、縦の変化には、対応できないようになっているんです(はっきり、言ってくれるじゃねえかよ)」
「しかし、完璧に打ち返すのは無理としても、ミートするくらいなら、できなくもありません(それよ、それ。それ教えてちょうだい!)」
「まず、リラックスして構え、睾丸で、体の軸を意識するように安定させます(チン〇〇っていうのは、スケベなとき以外でも、使えるんですね。初めて知りました)」
「次に、ボールの軌道を予め予測します。これは、2通りです。
そのまま、ストレートで伸びてくる場合と、落ちる場合です。かなり実力のあるバッターでない限り、途中での切り替えは難しいですから、山を張ります。
例えば、西岡さんの場合、相手は最初から落としてくるわけですから、ストレートは捨ててもいいでしょう」
「そして、最も大切なのは、重心を、できるだけ残すこと。ストレートを打つタイミングから、ワンテンポ遅れるような感じでスイングすれば、いいんじゃないでしょうか」
なんと、完璧なアドバイスでしょう。これなら、30数年越しの、私の怨念(?)が晴らされるのは、間違いありません。
「落ちるカーブ、敗れたり!
我が宿命のライバル、〇〇くん(名前忘れた)、もう一度勝負だ!」

杉並区・中年野球大会・決勝戦も、いよいよ、大詰めです。7回の裏(少年野球は、7回制)、一点を追う、高井戸・第四小学校OBチーム、最後の攻撃は、2アウト・ランナー二塁、一打同点のチャンスを迎えています。
バッターは、これまで、3連続三振の西岡くん(48歳)。
(間違いない。初球から、落ちるカーブだ!)
さあ、ピッチャー、セット・ポジションから、第一球を・・・投げたー!
“シュルシュルシュルシュル・・・・・・・・・・・”
にょほほほほほほほ・・・・・(岩田鉄五郎風)」
“カッキーン”
打ったああああ!
右中間の、真んなかあああ・・・・・・。
センター・バック、センター・バック、センター・バック、センター・バック・・・・、
どうだー、抜けたかー・・・・・・・?

夢よ、もう一度。
あの輝きを、もう一度。
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by phuketbreakpoint | 2010-03-03 11:08