タイ・プーケット島在住。タイならではの出来事や日々の体験、個人的な思い出などを書きとめています。


by phuketbreakpoint
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オヤジ大噴火

「パパが、あきおと同じ年齢の頃にはなあ、特に、優等生ってわけじゃなかったけど、それなりに、親の言うことは聞いていたもんだ。学校から帰ってきたら、復習と予習だけは、しっかり、やっていたぞ。夕食の後は塾に通って、帰ってきたら、参考書を暗記したり、問題集をやったり、その合間を縫って、おばあちゃんの、お手伝いもやってたな。肩叩いて親孝行したり、クラブも、しっかり頑張ってたぞ。委員会活動や、文化祭なんかも積極的だったよ。
タバコ?そんなもん、買う暇なかったし、興味も無かったし、酒なんて、大学に入るまでは、一滴だって飲んだこと無かったぞ。バカな連中とは、付き合わなかったからな・・・・・(以上、全部ウソ)」
こんな話を、あきおに聞かせていたのですが、やはり、真実味に欠けていたようで、説得力が無かったようです。

「あきお。お前、タバコ臭いぞ!」
こう注意しても、
「気にしない、気にしない。どうせ、パパも、高校生の頃は、やってたんでしょ?」
こう言われてしまうと、返答に窮しますが、
「バカ野郎。高校生がやっていいことと、悪いことがあるんだよ。あんなもんは、体に悪いって、すぐに気がついたから、高校に入ったら、禁煙したよ」

また、あるときは、
「そういえば、メータウが言ってたけど、お前、お店の裏で、ピーシン(あきおと種違いの兄)と、ビール飲んでたそうじゃないか」
そう注意しても、
「気にしない、気にしない。どうせ、パパも、高校生のときは、飲んでたんでしょ?」
こう返されてしまうと、やっぱり返答に窮しますが、
「バカもん。高校生がやっていいことと、悪いことがあるんだよ。パパは、中3の時、毎晩、寝る前に冷蔵庫からビールを、くすねて飲んでたら、ビール腹に、なっちゃってな。それ以来、ウイスキーに代えたよ」


プーケット・サットリーを始め、インター校を除く、島内すべての学校から、入学を断られてしまった、あきおは、徐々に生活が乱れていきました。
もともと、真面目な生活でもなかったのですが、それが他人の目にも、はっきりと分るほど、崩れてきたのは間違いなかったと思います。
相変わらず、進学に関する状況では、「タイ王国の本領」が発揮されたままでした。
「サットリーも、まだ、諦めるのは早い。試験を受けてから、改めてお願いすれば、何とかなるみたいだよ」
「やっぱり、ダメだった?でも、3日後に、校長先生が来るから、そのとき、お願いすれば、入れてくれるよ」
「今度こそ大丈夫。残り枠が、まだあるから、明日、行ってみるといいよ」
いろんな人に相談し、いろんな人が様々な情報を教えてくれましたが、その度に、期待を裏切られ、その日が来ると、肩透かしという連続でした。

これでは、あきおも、耐えられなかったでしょう。
「今度の今度は、本当に入れる・・・・」
また、そんな話が入ってきましたから、私も、ラントムに、こう言ったと思います。
「いや、もう止めよう。これじゃあ、あきおも、嫌になっちゃうよ。この辺で、見切りを付けた方がいい」
しかし、止めるといっても、英語で授業が行われるインター校に、あきおを入れるのは、さすがに無理があります。
いういった、ドン詰まりに陥る可能性も、予想できなくはありませんでしたから、
「いよいよ、最悪の場合は、ここだろう」
予め探りを入れていた学校が、1つだけありました。
それは、バンコクにある、インターもどき(?)の学校で、いつでも、誰でも、どんな成績でも、お金さえ払えば、無条件で入学でき、しかも、授業は、タイ語で行われるといいます。ここには、菱和高校の1年先輩で、やはり、退学処分を受けてしまった少年(母親がタイ人、父親が日本人)が通っていましたが、彼は、半年前に編入できたそうです。

「あきお、ここなら、入れてくれるそうだ。一郎くん(仮名、あきおの先輩)と同じ学校だけど、それでいいか?」
それでいいか、と一応、尋ねましたが、事実上、これ以外に選択肢はありませんでした。あきおにも、それは十分、分っていたのでしょう。
「わかった。ここにする」
菱和のときと違って、感動も、期待も、ほとんど無い、あきおにとっても、私や、ラントムにとっても、なんとも冴えない進路決定になりました。
「もしも・・・」という言葉は、使いたくありませんが、あの副マネージャーが半年前に、ちゃんと、考えて返事をしてくれていたら、1年留年することもなく、すぐに編入して、今頃、2年生に進級できていたでしょう。

入る高校が決まってからも、あきおには、モチベーションが何も湧かなかったようで、相変わらず、生活は荒れたままでした。これまでは、私や、ラントムの話は一応、聞いている、フリくらいはしていたのですが、だんだんと無視することも多くなり、私たち夫婦のフラストレーションは、どんどん溜まっていきました。素直なだけが取り得(?)の、あきおから、素直さを取ったら、何も残りません。
“思春期の子と、どう接するべきか”
中学の3年間、私が両親に押し付けていた苦労が、時間差で、自分のところに回ってきたわけですが、私も、ラントムも、どうすることもできず、忍従の日々が続いていきました。

そんな、ある日のことです。
「おい、あきお、お前、いいかげんにしろ」
菱和をクビになったときにも、結局、私は、一言も怒らず、タバコを吸おうが、ビールを飲もうが、
「お前ねえ・・・、こういうのは、もっと、コソコソやるもんだよ」
としか言いませんでしたが、このときは、余りにも露骨なあきおの態度に、我慢が限界に達してしまったのでしょう。とうとう、大噴火してしまいました。
“地震、雷、火事、オヤジ”
昔から、男の子にとっては、この4つが、世の中で、最も怖い存在だと言われてきましたが、その筆頭格は、当然、父親であるべきだと、私は思っています。度を越して、子どもが羽目を外していたら、たとえ、地震や、雷や、火事が襲ってこなかったとしても、大魔神の形相で、「ぬー」っと、オヤジが現れ、恐ろしいことになってしまう・・・・。
そういう歯止めが架かっていたからこそ、世の中は、うまく収まっていたのではないでしょうか。
ここは、一親父として、爆発しなければいけません。
“ドカーン!”

突然始まった、父と兄の乱闘に、きよみは泣きながら、うろたえていましたが、私も、高校生の、あきおを相手に、手加減する余裕は、まったく、ありませんでした。
マウントポジションから、体勢を横四方に移行して、両腕を固めてしまうと、あきおは身動きが取れませんでしたが、それでも、あの子は抵抗してきます。本来なら、ここで止めるべきだったかもしれませんが、私は、容赦しませんでした。

「まだ、やるのか?この体勢からなら、何発でも、入れられるぞ!」
私が、そう言うと、あきおは、ようやく力を抜き、私も上体を起こしました。
あきおの顔に目をやると、試合を終えたボクサーのように、腫れ上がっています。
「しまった・・・・。やりすぎたか・・・」
正直、そう思いましたが、私も、このとき左耳に受けたダメージが意外な程大きかったようで、数日後には化膿して、手術することになってしまいました。あきおを、ねじ伏せるために消耗した体力も、かなり大きかったようで、この日から、2、3日は、体調がおかしかったと思います。

そんなとき、きよみからの緊急電話を受けたラントムが、戻ってきてしまいます。
「あきおっ!大丈夫なの!?」
ラントムは、あきおの顔を見るや、泣き出して、恨めしそうに、私を横目で見ていましたから、
「いや、ママ・・・、ボクの耳も、ほら、こんなに・・・」
自分も、やられたことを強調して、なんとか、この場を取り繕おうとしましたが、そんな話は、まるで眼中にないラントムは、
「なんでなの・・・(涙)。どうして、こうなったの・・・(大涙)」
ひたすら、息子だけを心配しているようでした。

このままだと、彼女から糾弾され、今度は私が、ボコボコにされますから、
「きよみ・・・、パパは、ちょっと、用事が・・・」
私は、そそくさと、この場から逃げ出しました。

(この話は続きます)
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by phuketbreakpoint | 2010-01-28 13:34

ぜんぜん、話が違う!

「パパ、どの高校に入ればいいかなあ・・・」
珍しく、あきおが、勉強に関することで相談にきたので、私は、こうアドバイスしました。
「どこの学校って、それは、あきお自身で考えなきゃ。入ってから、どの程度頑張るつもりなのか、それによるな」
昔、浅草で働いていた頃、田嶋さん(当時50歳くらい)という、元ヤクザの上司がいました。この人の話は、いつも実体験に基づいていましたから、とても、ためになる内容が多かったと思います。
「渋谷の、○○組不敗伝説・・・?あのねえ、西岡君。そりゃあ、自分たちより、弱いもんとばっかり、やっていたら、負けんわね」
ヤクザの喧嘩に限ったことではありませんが、勝とうと思えば、方法は、2つあるということです。
努力して強くなるか、それとも、勝てる相手とやるかです。
「高校も同じだよ。一生懸命勉強して、ついていく気があるのか、それとも、ぶらぶらしていても、クビにならない学校を選ぶかだ。いい学校に入れば、勉強のできる子が多いから、当然、後が厳しいぞ。マヨムの高校時代を覚えてるだろ。宿題で、いつも追われていたからな」


プーケットの高校に入れると思い、パトンビーチに戻ってきた、あきおですが、やはり、年度途中での編入は難しかったようで、入試のある、3月まで待って、もう一度、高校1年生を、やり直すことになりました。
思惑は外れましたが、それでも、この時点では、
「来年は、問題なく入れる」
と、私も、ラントムも、信じていましたし、
「どの高校に、入るべきか?」
選択肢があると思っていたのです。入試まで、まだ、3ヶ月以上ありましたから、午前中は、パトンビーチの塾に通うことになりましたが、ラントムの知人の息子さんが、時間があるときには、家庭教師をやってくれるというので、お願いすることにしました。

「あきおは、3年以上、タイ語の読み書きを、やっていませんから、まずは、国語(タイ語)から・・・」
こちらの希望は言っておいたのですが、彼は、やる気満々で、英・国・数・社・理の全教科の参考書を買ってきた上に、勉強が終わったら、ビーチランニングのオマケまで付けてくれました。
「パパ、もしかして、これ、3月までやるの?」
あきおは、「もう勘弁してくれ」といった表情で聞いてきましたが、私は、
「いや、学校が始まるのは、5月だから、それまでだな」

そして、強烈な暑さが始まる3月、いよいよ、待ちに待った、願書の受付が始まりました。
「じゃあ、パパは、留守番、お願いね。あきおも、今日は大事な日だから、身だしなみは、ちゃんとしなさい」
ラントムと、あきおは、2人で、サットリー高校に向かいました。
「やれやれ、やっと、あきおも、高校に入れるか・・・」
長かった半年間を振り返りながら、私は、肩の荷を降ろそうとしていました。
ところが、午後になっても、2人は帰ってきません。
「遅いなあ・・・。何を、してるのかなあ・・・・」
と思っていたら、ラントムから、電話が入ってきました。
「パパ、何か話が変なのよ・・・・。うん・・・・、まだ・・・・、もう一度、お願いしてるところなんだけど・・・」
ラントムは、日本語とタイ語を交えて、私に説明してくれましたが、話の要点が今ひとつ、よくわかりません。
「ちょっと、ママ、ごめん。あきおと、代わって・・・」
こんなときは、やっぱり、日本語です。あきおが喋れるようになった意義を、改めて感じることはできましたが、話の内容は、仰天するようなものでした。
「ダメだよ、パパ。全然、話が違ってる。やっぱり、入れないなんて言ってるよ・・・」
「入れない・・・って、そんなバカな!この前、大丈夫だって、言ってたじゃないか。そうだ、副マネージャーは、何て言ってるんだ?そう・・・、この前、一緒に会った、あの人だよ・・・。
えーっ!・・・・・どこかに、いなくなっちゃったー!?
まるで、悪徳商法に引っかかったような気分になりましたが、これは、タイ人気質が、最悪の場面で発揮された結果だったのでしょう。

少ない事例や、風評、偏見などを基に、
「タイ人って・・・・」
と、全体を語るのは、おかしいというのが私の立場ですが、タイでは多くの人が、以下のような行動をとりがちなのは、間違いないでしょう。

・状況を深く考慮することなく、その場の思いつきで、いろんなことを喋ってしまう。
・喋ったからと言って、自分の発言に責任を持つことなど、これっぽっちも、考えていない。
・否定的な内容の話は、あまり、したがらない。する人は、「顔を切る」と言われ、非常に嫌われる。
・特に、「できない」という言葉は、その場の雰囲気を著しく害する可能性があるので、使いたくない。逆に、使うときは、何か意味がある。「できないんだけど・・・・(お金をくれたら)頑張れるかも・・・」。

きっと、副マネージャーも、日本から戻ってきたばかりの私や、あきおを、少しでも喜ばしてやろうと(?)、ついつい、景気のいい話をしてしまったのかもしれません。些細な発言が大事になってしまう日本と違って、大らかな、いい国であるとも言えますが、さすがに、こういった問題では、もっと考えて返事をしてほしかったと思います。

本命だったサットリーに、あっさりと入学を断られ、ダオルンや、その他の中学にも、すべて、同じ理由(タイで中学の勉強をしていない)で断られ、ありとあらゆる伝手を辿って、あらん限りの手段を試みてみましたが(もちろん、裏口入学もです)、現地校への編入は絶望的になってしまいました。プーケットで残された道は、インターナショナル・スクールに入る以外はありません。

あきおは、大いに憤慨していました。ラントムも、大変なショックを受けていましたが、私は心のどこかでは、
「そんなことも、あり得るかもな・・・・」
とは、感じていました。
タイというのは、そういう国です。それは、昨日、今日、始まった話ではありませんし、滞在歴16年で、酸いも、甘いも、心得ているはずの私が、今更、そんな泣き言を言っているようでは、単なる恥の上塗りになってしまうでしょう。いつ、いかなる場合にでも、
「念には、念を」
ずいぶん、用心深くなっていたようで、予め最悪の事態に備えて、すべり止めを用意していました。

(この話、また続きます)
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by phuketbreakpoint | 2010-01-20 14:05
「いい加減にしなさい。こんな調子じゃあ、学校に行くだけ無駄だから、中退して働いたら?」
女房のラントムが、なんだか、不機嫌な様子で電話を切ったので聞いてみると、
「また、シィン(バンコク在住、あきおの異父兄)よ。お金送ってだって・・」
妹のマヨムが、涙ぐましい倹約生活を送りながら大学に通っている一方で、お兄ちゃんである、シィンの、「おねだり電話」は、このところ、どんどん回数が増えているようです。

2ヶ月ほど前にも、こんな「事件」がありました。
真夜中に、ラントムが泣きしながらお祈りしているので、びっくりして目を覚ましたら、原因は、やっぱり、シィンからの電話です。

「メー(母さん)、大変だー!オレ、殺されるかも・・・」
物騒な前置きで始まったシィンの話は、こんな感じでした。
・友達2人と近所の食堂にいたら、ウーテン・タワーイ高校(バンコクで高校生の乱闘事件、殺人事件といえば、まず、この高校だそうです)の連中と喧嘩になった。
・相手は仲間を何人も集めて、しかも、凶器を使って襲い掛かってきた。
・自分は顔面他、数箇所を刺され、友達に至っては、手が、ちょん切れてしまった
・すぐに病院に連れていきたいが、連中は、まだ辺りをウロチョロしているから、隠れている場所から、出るに出られない。
・もうしばらく、身を潜めて、明朝一番で病院に行くから、お金を送ってほしい。
・お願い、母さん!

そういうことでしたから、私が翌朝、きよみを学校に送り届けた後、その足で銀行に直行し、8時30分の開行を待って、5000バーツ送金しました。
ところが、約1月後、プーケットに遊びにきた、シィンの顔を見ましたが、傷跡など、どこにもなく、
「傷?ああ、あれね。治った」
と一言です。
あの大騒ぎは、いったい、なんだったんでしょうか(きっと、手がちょん切れてしまったはずの友達も、かすり傷だったのでしょう)。

クリスマスの日も、そうでした。
クリスチャンの彼女にとって、この日は、1年で最も神聖な日だというのに、朝っぱらから電話がかかってきます。
「メー(母さん)、大変だー!今日、学校の試験なのに、お金がない(受験料だけでなく、交通費までない)。すぐに送って!」
一応、学業に関わることなので送金しましたが、彼女は、カンカンでした。

そして、今回の電話です。
「ピーマイ(お正月)だから、アンパオ(お年玉)ちょうだい」
ときましたから、とうとう、ラントムも切れてしまいました。
「父さん(実父)から、もらったら。母さん、忙しいから、もう切るわよ」
呆れ返ったラントムが、そう突き放すと、
「お願い!今回だけ!この願いだけは、聞いてちょうだい!」
と選挙戦最終日の候補者のようなことを言っています。
これで、何回目の、「最後のお願い」なんでしょうか。


いっぺんに憂鬱になってしまったラントムでしたが、一通の封筒が日本から届き、とたんに、気分は晴れやかに変わります。
「ママ。なおこの学校から、手紙が来てるよ。2学期の期末試験の成績順位表だ。ふむふむ・・・まず、現国が・・・・、98ポイント、1位!英語Ⅱ、74ポイント、5位!情報A、97ポイント、1位!特進コースで、なかなか、大したもんだねえ」
入学当時、29人中、29位(因みに、あきおは28位)だったのに、本当に、よく頑張ったものです。
「パパ、ホントなの?なおこは努力家だから、きっと、いつかは、やってくれると信じていたわ」
ラントムも、目に薄っすらと涙を溜めながら、このニュースに聞き入っていました。

ところが、ラントムと2人で、なおこの快挙にジーンときているところに、(ラントムの)お父さんがやってきて、こんな告げ口です。
「あきおが、裏で、ビール飲んでたぞ」
そんな話は、聞きたくもありませんでしたが、そう言われてしまうと、注意しないわけにもいきません。
「あきお、お前ねえ・・・・」
と、やりたくもない説教をして、ドーンと、気分は最低になってしまいました。
我が家は、いつも、そうなんですが、
「明るいニュースは、娘たちから」
そして、
「暗いニュースは、息子たちから」
呆れるくらい、この方程式には狂いがありません。

「パパ、なおこ、頑張るよ。パパとママのためにも、頑張るよ」
ジーン・・・・。
「お母さんですか。あきお君が、また学校で・・・・・」
ドーン・・・・。
「私(マヨム)が就職したら、パパとママを、海外旅行に招待するから・・・」
ジーン・・・・。
「メー(お母さん)、コータン・ノーイ(お金、頂戴)。
学校?来月から、ちゃんと行くよ」
ドーン・・・・。

娘たちからの明るい便りに、ジーンときて、その感動も覚めやらぬうちに、息子たちからの暗い知らせで、ドーンと奈落の底へ・・・・。
ジーンときたと思ったら、ドーン。また、ジーンときたら、ドーン。
ジーンから、ドーン、ドーンから、ジーン、「暗」から、「明」、「明」から、「暗」へと変調の連続は、
苦悩を突き抜け、歓喜へと至る、まるで、ベートーベンや、ブラームスの交響曲を聴いているような気分になってくるわけです(子育ては、かるーく、ポップに行きたいですよねえ)。

でも、世の中は、うまく帳尻が合っているのかもしれません。
息子たちの件で、どんどん、失っていくエネルギーを、娘たちからの、「明るい話題」で埋め合わせ、
「明日も、父ちゃんは、頑張るぞー!」
と英気を養うことができるわけです。
うちの場合、娘3人に息子2人ですから、辛うじて、いいニュースの数が上回っていますが、男ばっかり3人兄弟とかだったら、いったい、どうなってしまうのでしょうか。考えただけでも、空恐ろしい話です。

有名な、ベートーベンの交響曲・第5番なんですが、何度か変調を繰り返した後のラストは、なんとなく、暗い終わり方をしています。

「運命」とは、そんなものなのかもしれませんが、実に不吉です・・・。
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by phuketbreakpoint | 2010-01-07 10:43
パントン・ビーチなどにある、カウンターバーで働く女の子たちの多くは、日当がもらえませんから、飲み客から、チップや、ドリンクをねだるか、連れ出してもらって、自分で稼がねばなりません。いうなれば、個人事業主といった存在です。
一応の出勤時間はあるものの、特に強制されるわけでもなく、店側も、
「彼女たちは、ここに遊びにきてるだけ」
という立場をとっているようです。
・女の子がいれば、お店に客がくる。
・お店に客が来れば、女の子たちも、客にありつける。
お互い、持ちつ持たれつで、イソギンチャクと、ニモの関係に似ているかもしれません。
お客の少ないお店には、おいおい、女の子も少なくなり、ますます、お客が少なくなってしまう。逆に女の子の多いお店は、お客も多いので、ますます、女の子が多くなっていくというのが、パトンビーチの経済法則のようです。

お客の中には、何度も、同じ女の子に帰ってくる、リピーターも多く、そういう上客が来たときは、他の営業を一時休止して、この人一本で数日間、密着奉仕することもあります。
この辺が、プーケットと、他国の風俗業界の大きな違いだと言えますが、女の子も慣れてくると、2日ほど一緒に過ごした後、
「お母さんが急病」とか、「妹の結婚式に出席」とか、いろんな理由付けては、(お客の全滞在日数×日当の)お金を持って去って行き、それっきり、戻ってこない、一撃離脱戦術を得意にする人もいるので、注意した方がいいでしょう。

年末年始が掻き入れどきなのは、商売に関係なく、どこのお店にも、共通する話だと思いますが、これは、夜の女の子たちにも、当てはまることのようです。
ローシーズンの間は、まったく、お客の取れない日が続くこともありますから、ハイシーズンの間に、可能な限り、稼働率を上げて、フル操業したいと考えるのは当然でしょう。
特に、年末年始にかけては、お客が1人取れたからといって、
「これで、本日の営業は終了させていただきます」
ということにはなりません。
一つの仕事が終われば、また、新たな獲物を求めて、職場(バー)に飛んで帰ります。
「ここで稼がないで、いったい、いつ稼ぐのよ」
同じ商売人として、その気持ちは、とてもよく理解できるのですが、関わった男性客にとっては、時として、悲劇が生まれることもあります。
「サウスロード」をオープンして、すぐの頃、石塚さん(仮名、当時40代前半くらい)というお客さんがいましたが、この方から聞いた話には、心から同情しました。

1997年の大晦日の宵の口、
石塚さんがバングラーのカウンターバーで飲んでいたら、女の子が声をかけてきました。
この娘が自分の好みに近かったこともあり、ドリンクを奢ってあげた石塚さんは、話し込んでいるうちに意気投合し、連れ出して、2人で、彼のホテルに向かうことになりました。甘い雰囲気の彼女でしたが、この女の子が優しかったのは、ここまでだったそうです。
なかなか捕まらないトゥクトゥクに焦れ始めた彼女は、しきりに、
「イエット・メー(ファックユー)」
を連発し、どんどん不機嫌な表情になっていきました。
このとき既に、彼女の頭の中には、
「今日は、幸先いいわ。行って、帰って、1時間。この調子だと、朝までに、5,6人はいけるかも・・・・」
そんな皮算用があったのでしょう。

ようやく、トゥクトゥクが見つかって、ホテルの部屋に入った後も、
「じゃあ、さっそく・・・・」
自分から、どんどん服を脱ぎ、石塚さんの服も、どんどん剥ぎ取って、シャワーも浴びずに、ベッドの中に、もぐりこんでしまいます。これじゃあ、ムードなんか、まるでありませんから、
「ゴメン、ちょっと、ソファーに座って、軽く、ウイスキーでも飲みながら・・・・」
石塚さんの何気ない一言でしたが、みるみる表情が変わった彼女は、
「ちょっと、あんた。いったい、何しに来たのよ。お酒なら、さっき、バーで飲んでたじゃないの。とっとと、始めてちょうだい」

彼女に、きつく催促され、ようやく、ベッドの中に入った石塚さんでしたが、
「それじゃあ、まず、前戯から」
セオリーどおりの展開に入ろうとした途端、これが再び彼女を怒らせることになります。
「ちょっと、あんた。そんな無駄なことやってないで、レオ・レオ(早く、早く)」
言葉にこそ出しませんでしたが、
「とっとと、入れて、とっとと、出して、とっとと、お金を払って、私を帰してちょうだい」
そう言いたかったのでしょう。

しかし、中年男性の場合、
「いち、にーのー、さん。はい、どうぞ」
と言われても、
「それじゃあ、いただきます」
とは、なかなかいきません。石塚さんの下半身は、いつまで経っても、戦闘態勢に入ることはできませんでした。彼女のイライラは、どんどん増大し、言葉遣いも、さらに、きつくなっていきました。

「ちょっと、あんた。どうなってるのよ。わたし、忙しいんだから、早くしてちょうだい」
こうなったら彼女も、じっとしていては埒があきませんから、あの手、この手で、石塚さんを責め立てていきます。
ようやく、体が反応してきた石塚さんは、なんとか、戦闘状態に入りましたが、バーで飲んでいた、メコン・ソーダの酔いが利いてきたのか、今度は、なかなか終わりそうもありません。
「ちょっと、あんた。いい加減にしてちょうだい。わたし、忙しいんだから、早く終わらせてちょうだい」

下から激しいプレッシャーをかけてきた彼女でしたが、とうとう我慢が限界に達してしまったのか、
「ちょっと、ストップ。じれったいから、あんた、下になって」
体勢を入れ替えるや、自分が上になって、リードし始めます。こんな展開になっても、一応、最後まで面倒は見てやる、というのは、プロ意識なんでしょうか。
結局、力ずくで、フィニッシュに持ち込んだ彼女は、シャワーを20秒ほど浴びた後、目にも留まらぬ早業で服を着込み、報酬と、帰りの交通費を石塚さんから毟り取るや、部屋から出て行ったそうです。


「いや、本当にまいったよ。あれじゃあ、強姦と同じだ。当分、女は、ダメかもしれない・・・」
しきりにボヤいていた石塚さんでしたが、実際、これ以降、ハイシーズンに、プーケットを訪れることはありませんでした。きっと、今でも、
「お正月のパトンは、こりごり」
と思っているのでしょう。

みなさんも、くれぐれも、年末年始には、お気をつけください。
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by phuketbreakpoint | 2010-01-01 12:00