タイ・プーケット島在住。タイならではの出来事や日々の体験、個人的な思い出などを書きとめています。


by phuketbreakpoint
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<   2009年 07月 ( 4 )   > この月の画像一覧

探し屋2 狙い球

トランから、プーケットに戻ってきた私たち家族は、カロン・ビーチで、家を借りて暮らし始めましたが、とりあえず、生きていくためには働かねばなりません。
そこで、1階が店舗、2階、3階は、住宅として使えるような物件を、まずは、探してみましたが、買えそうな物件は、どこも立地が、パッとせず、逆に立地の良い所は、高くて手が出ませんから、不動産購入は、すぐに行き詰まってしまいます。目先を変える意味もあって、ラントムと2人で、パトンビーチで建築中だった、コンドミニアムを見に行くことにしました。

「パトン・タワー」と呼ばれる、この超高層コンドミニアムは、見た目にも鮮やかで、購買意欲をそそられましたが、当時の価格帯は、約75㎡で、290万バーツ(1バーツ5円の時代)くらいだったでしょうか。
16階からの眺望は、実に見事で、パトン・ビーチのベスト・ビュー(アンダマン・コンドミニアムも見学しましたが、こちらからの眺めの方が、明らかに上でした)と言えましたが、ラントムに感想を聞くと、
「うーん、確かに綺麗なんだけど、私は、なんか、マイ・サニッド(馴染めないわ)。やっぱり、下の店舗の方が好き」
というものでした。コンドミニアムから、ビーチに向かうソイの両側には、店舗兼用のタウン・ハウスが並んでおり、私も、前々から目をつけていましたが、売りに出ていた物件は、どこも値段が高く、ほとんど諦めかけていたエリアでした。

コンドミニアムの内見を終え、家に帰ろうと、バイクに乗りかけていた私たちでしたが、
「せっかく来たんだから、もう一度、この辺りを見てみるか」
2人で、ソイの中に入っていきました。
東京で物件探しをしていた頃も、「ない」と諦めていた一帯を、時間を置いて再び見に行くと、思わぬ掘り出し物に出くわしたことが何回かありました。
街は日々変化しています。狙った場所があるのなら、固定したイメージで判断せず、繰り返し探してみることも店舗探しでは大切なことでした。

今でこそ、ズラリとお店の並ぶ、このソイも、あの頃は、まだ閑散としており、半数以上の店舗で、シャッターが閉じられたままになっていましたが、その中の1つに、真新しい、黄色いパネルが掛かっていました。
「SALE  TEL 076-34・・・・」
外壁を塗装し直した直後だったのか、真っ白な外観が、とても目を引きます。しかも、角地。
「高いんだろうなあ」と思いながらも、なんとなく、イケそうな気もして、近くの公衆電話から(当時は、まだ携帯が普及してませんでした)、早速、電話を入れてみました。

「売りの看板見たんですけど・・・・、お幾らでしょうか?」
足かけ5年も、こんな問い合わせ電話ばかり、かけてきましたから、ラントムも、手馴れたものでしたが、
「・・・・それは、セン(リース)じゃなくて、カーイ(売り)なんですよね・・・・」
隣りで聞き耳を立てていた私にも、なんとなく感触の良さは伝わってきます。期待感が大きく膨らんでいきました。
「・・・・ありがとうございます。それでは、また・・・」
ラントムが電話を切り、私は、待ちきれないように、
「いくらだった?」
と尋ねました。
「・・・・万バーツだって」
もう一本奥の200ピー・ロードでも、同じような条件なら、この値段より、100万バーツ程度安いだけでしたから、
「いいな。ここにしよう」
私は、即決しました。これまで、さんざん探し回り、島内の、ありとあらゆる不動産の値を聞き続けてきましたから、今さら、迷う必要はありません。
“狙っていたストレートが、遂に来た!”
そんな感じだったでしょうか。信用できる話なのかどうか、それだけが心配でした。そして、すぐに電話を掛けなおし、アポイントを取りました。

翌日、物件の向かいにあるゲスト・ハウスの「スマイル・イン」に、代理人である、コ・ブンさんを訪ねました。彼は、パトン・リゾート・ホテルや、パトン・タワーのオーナーである、バンルー・タンティビットさん(故人)の甥っ子だといいます。そして、バンコク在住の物件オーナーも、彼のおばさん、つまり、バンルーさんの妹でした。2人とも、身持ちが、しっかりしており、プーケットに多い、如何わしいブローカータイプの人間と違って、信用できる人物に思えました。対応も、非常に良心的だったと思います。

「じゃあ、買うということで、よろしいんですね」
「はい、結構です」
すんなりと、商談はまとまりましたが、
「一つだけ、お願いがあるんですけど。取引は、キャッシャー・チェック(小切手)の一括払いで、OKなんですが、支払いと登記は、2ヶ月だけ、待ってもらえませんか?2ヵ月後、ちょうど銀行利息が入りますから、できれば、それをもらってから、払いたいんですけど・・・」
当時の利率は、年に、11%(!)もありましたから、3ヶ月分の利息だけでも、結構な額になったものです。
私がこういうと、彼も、すぐに理解したようで、
「確かに、捨てるのは、もったいないですね。わかりました。じゃあ、2ヶ月待ちましょう」
コブンは、そう言って、向かいのシャッターに掛かっていた売り看板を外してくれました。翌日、渡された登記証の写しを登記局に持っていき、問題のないことを確認した私とラントムは、その2ヵ月後、無事に取引を成立させて、子ども達と共に、また、パトンビーチに戻ってくることができました。

ベストチョイスだったと、今でも思います。買わなかった土地や建物は、山のようにありますが、撃ち洩らしたと思うような物件は、一箇所しかありません。
ちょうど、あの頃、ソイ・シードラゴンの入り口に極めて近い場所で、2ブロックの売り物件が出ていました。
価格は700万バーツ。その後の地価の上昇率は、シードラゴンの方が高かったわけですから、こちらの方が、投資としては、ベターだったかもしれませんが、私は、それほど後悔しているわけではありません。
当時の状況からいって、あそこを買えば、今の店舗は手に入らなかったでしょう。そして、その場合は、当然、住所もバングラーになったと思います(凄いですね!)。子ども達や、ラントムと一緒に暮らす場所として、やはり、バングラーは、かなり相応しくない立地だと思いました。

気合の入った勝負師なら、どちらも抵当に入れて、金を作り、二兎を追いかけて、両方手に入れていたかもしれませんが、私には、そんな度胸はありませんでした。
まあ、それで、良かったんだと思います。そういった、ギリギリの勝負をする人は、同じことを何度も繰り返し、倍倍ゲームで資産を増やしていきますが、一度でも失敗すると、ダメージが大きくて、立ち直れないことが多いですから・・・。

16年前、私がプーケットで暮らし始めた頃、ある日本人女性のご主人(タイ人)が、こんなことを言っていました。
「プーケットは、既に(地価が)ワンステップ上がりましたから、この後は、どうでしょうかねえ・・・。これから、もう一段上がるのか、それとも、しばらく停滞するのか・・・」
結局、停滞期が、その後、10年以上続き、再び地価が高騰を始めたのは、津波以降でした。
最近、サイ・サーム(第3道の意。ビーチに近い方から順番に、1,2,3)に完成した4階建ての売物件が完売に近い状況で、価格は、1500万バーツといいます。私とラントムが、バイクに跨って物件探しをしていた頃に比べると隔絶の感がありますが、この値段で成り立つビジネスが、いったい、どれ程あるんでしょうか。状況的には、かつての日本と似通った部分も多いので、今後の地価の推移を想像すれば・・・・。

もう一度、井上くんに会って、参考意見を聞いてみたいものです。
サボってばかりいましたが、彼は、なかなか鋭いところもありましたから・・・。

(続く)
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by phuketbreakpoint | 2009-07-31 12:26

探し屋

1991年、バブル崩壊直前の東京。
私は、ある自然食品販売会社の店舗開発チームで働いていました。営業部が希望する地域で、4ヶ月間だけ借りられる店舗や、事務所を探してくるのが私の仕事でした。
中途採用で働き始めて、半年くらい経った頃でしょうか、神田の不動産会社に顔を出しているうちに、そこで働く、井上くん(当時30歳くらい)という男性と仲良くなりました。
普通なら、契約を済ませ、鍵の引渡しが終われば、4ヵ月後の契約終了まで、ほとんど相手業者とは連絡を取ることもありませんが、私と井上くんは、「打ち合わせ」と称して、頻繁に昼食を一緒にとり、食事が終わると、
「じゃあ、延長戦行きますか」
と、どちらが誘うわけでもなく、周辺にあった、バッティング・センターに出かけ、時間調整(早い話がサボリ)を行っていました。

井上君との出会いが、きっかけになったのか、行く先々の業者さんで、次々に友だちができるようになりました。
どの会社にも、ダメ社員はいるものです。お互いに、サボリたそうな顔をしているので、まるで、運命の糸に、引き寄せられるように、仲良くなってしまい、いつの間にやら、友だちの輪が、どんどん広がっていきました。
一般的には、同業者に仲間がいれば、仕事が、やり易くなるものですが、同じように怠けている人たちばかりでしたから、ちっともビジネスに結びつきません。金にならない無駄な人脈が、どんどん増えて、ますます労働時間が短くなっていくのでした。
こんな調子でしたから、当時の私は、仕事で頑張ったという記憶は、ほとんどありませんが、ここでの経験が、その後、プーケットで生活していく上で、大いに生きていたと思います。

不動産業は情報が命といえますが、私の探していた、短期貸し可能な物件というのは、業者間のネットワークから、完全に無視され、はみ出していたジャンルでした。
インターネットのない時代で、週に2回、郵送されてくる宣伝チラシ(マイソク)の山を掻き分け、だいたいの目星を付けてから交渉に入りますが、それで決まるのは、毎月半分(一ヶ月で5~10件がノルマでした)もありません。
では、残りの物件は、どうやって探すかといえば、実際に現場に入って、自分の足で探してくるのです。商店街から離れた住宅街や、裏通りの一番奥といった、店舗や、事務所としては条件の悪い立地に、敢えて足を向け(条件が悪ければ、悪いほど、短期で借り易くなる)、歩いて、歩いて、歩き回って、探し出してくるのです。
学生時代、一人旅で世界各地をフラフラと彷徨い歩いた経験が生かされていたのかもしれませんが、慣れてくると、独特の嗅覚が働くようになりました。
「・・・ぬぬぬ・・、何かこう・・・、(物件が)ありそうな、雰囲気・・・、あっ、めっけたーっ!」
人通りも疎らな商店街の奥の、そのまた奥で、ポツンと、寂しそうに佇む貸し店舗を発見したときの快感は、一種独特なものがありました。

不動産業は、私にとって、職業を超越した何かがあったように思います。
目指す土地や店舗は、どこにあるのか?というのは、
“いい女は、いったい、どこにいるのか?”
と同じくらい、男の私にとっては、刺激的な世界でした。どちらも、自分の力で、なんとかなりそうな範囲内、という制限はつくものの、
“理想に、いかに近づけるか”
は、探す人の熱意や、粘り強さに、大いに左右されるように感じました。

“日本では、とても買えない、大きな土地や、家が買えるんじゃないか”
そんな期待を持って、プーケットにやってくる人もいると思いますが、現実は、それほど甘くはありません。私がプーケットで暮らし始めた、16年前ですら、そうでした。歩く先々で聞いた土地建物の価格から、自分が買えそうな物件を想像したとき、
「なんだ、そんなもんなのか・・・」
胸いっぱいに膨らんでいた期待が、シュルシュルシュシュシュ・・・・・と、音を立てて、萎んでいくのが聞こえてきたような気がします。それでも、気を取り直し、再び土地購入に意欲を燃やしましたが、なかなか思うようにはいきませんでした。

プーケットで暮らし始めた当初、私は、まず島内で売りに出ていた土地や、建物の価格を、手当たり次第に聞いていきました。このときも、他人の情報は信用せず、ひたすら、自分の足で探していたと思います。
バイクで島を流していれば、あちらこちらに、「売り」の看板が出ていますから、それをメモして、家に帰り、女房のラントムに電話をかけてもらいます。日本人の私がかけると、本来の値段より、高く言われてしまいますから、決して自分では電話しません。そして、内容を、ノートに全部メモしておきます。一ヶ月も経つと、ノートいっぱいに電話番号や、地図、値段などが、ぎっしりと書き込まれていましたが、どの土地も、帯に短し、襷に流しで、
「これだー!」
と、ラントムを始めて見たときに感じたような、心に響く、インパクトを、与えてくれる物件は、一つもありませんでした。

一年半もの間、こんなことを繰り返した後、私は、プーケットでの土地購入を諦め、ラントムの親戚が暮らすトラン県で、ゴム林を買うことにしました。広大な土地いっぱいに、整然と並ぶゴムの木を眺めながら、
「これですよ、これ!タイに来たからには、これですよ!」
自分のものになった土地を、ゆっくりと歩いて、その広さを確認し、私は、大きな満足感に浸っていました。日本を離れるとき、思い描いたイメージ通りの土地(大きさだけですが)が、ようやく、見つかったと喜んでいましたが、結局、心の切り替えが、できていなかったのでしょう。独り善がりの妄想を、追いかけていたのかもしれません。

プライベートでは、いろいろあった、トランでの生活でしたが、ビジネス面では順調でした。予想していたゴム価格より、レートは、ずいぶん高かったですし、収益も上がっていましたが、ある日、バンコクから、プーケット経由の飛行機で、トランに戻る途中、窓の下に広がる、ゴム園を眺めていたら、ガックリきたことを覚えています。
“見渡す限り、ずーっと、ずーっと、自分の土地”
そんな状況に憧れて、熱帯のジャングルに足を踏み入れてしまいましたが、数千メートル上空から眺める、理想の世界は、実に、チッポケなものだったからです。
「あそこの土地を、全部買ったとしても、こんなもんなのか・・・・」
プーケットのときと同じように、再び何かが、シュルシュル・・・と抜けていくような気分になりました。
半年後、トランのゴム園を売却し、利ザヤを稼いで、プーケットに戻ってきた私は、再び土地探しを再開します。

そんな、ある日のことでした。
「ママ、なんか、イマイチな物件ばっかりだから、今日は、コンドミニアムでも見に行くか」
特に理由もなく、思いつきだけで、そんなことを言った私でしたが、この一言が、私とラントムの将来を、大きく左右することになるのです。

この話続きます。
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by phuketbreakpoint | 2009-07-24 19:12

南海の大決闘

全世界4億7千万人、タイ王国・政情不安ファンのみなさん、こんにちわ。
さあ、いよいよ、注目の一戦、
“アーシアン(ASEAN 東南アジア諸国連合外相会議)・プーケット・2009”
がやってまいりました。

本日の世紀の一戦、解説は、東京スポーツ新聞社・編集長の山田隆さん、実況担当は、PNN・西岡でお送りいたします。山田さん、よろしくお願いします。
「こちらこそ、よろしくお願いします」

この日のゴタゴタを一目見ようと、海外からも、熱狂的なファンが押し寄せておりますが、数日前から、徹夜組も出るほどの大盛況となっております。解説の山田さん、今日の、この一戦、如何、ご覧になりますか?
「そうですねえ。プーケットといえば、現政権の牙城である、タイ南部の中でも、有数の観光地ですから、アピシット首相も、ここは何が何でも、妨害工作を阻止したいところですねえ。
対する、反独裁民主同盟(UDD)なんですが、タクシン元首相の帰国問題もありますから、ここで、もうひと波乱起こして、世界中に、アピールしたいところでしょう。
また、市民民主化同盟(PAD)の動向も、注目されるところだと思います。どちらも、「民主」を名乗っているところが、共産主義国と似ていますが、いずれにしても、好勝負が期待できそうですよ。楽しみですねえ」

「放送席、放送席、こちら、サラシン橋・北ポイントの品川です。世紀の一戦を前にして、国道402号線は、不気味な静寂で、静まり返っております」
品川さん。そちらは、まだ平常だということですが、UDDは、やはり、402号線を南下してくるとみて、間違いなんでしょうか?
「はい。プーケットに突入するには、ここが唯一の交通手段となりますから、軍事評論家の意見を総合しても、UDDは、必ず、この道を通ってくると思います」
どうもありがとうございました。

“ブーン、ブブブブブーン、ブブブブーン、ブブーン、ブブブブブーン・・・・”
品川さん!今何か、聞こえたようですが、状況に変化はありませんか?
「はい、サラシン橋・北ポイントの品川です。
来ました!遂に、反独裁民主同盟(UDD)の先鋒部隊が到着したようです。タクシン元首相の大型パネルを先頭に、後続車両も、続々と続いております。
西岡さん。そろそろ、そちらからの望遠カメラでも、確認できる距離まで肉薄していると思いますので、この辺で、マイクを、お返しします」
品川さん、ありがとうございました。

さあ、国道402号線からは、UDDが、ピックアップ数百台に便乗し、いよいよ、サラシン橋に接近してまいりました。迎え撃つ政府軍は、橋を爆破してでも、これを阻止したいところですが、守備隊の司令官、プーケット県警アカラポーン中佐は、今朝のPNNのインタビューでも、
“1人として、島には入れない”
と、豪語しておりました。警察官数百人を動員し、バリケードを築いて立て篭もっておりますが、どういう展開になっていくんでしょうか?

先頭車両が、今、橋に差し掛かったー!両軍が、ぶつかっているー!!激しい、押し合いが始まったー!!政府軍は、UDDの侵攻を、食い止められるかー!?

「放送席、西岡さん!放送席、西岡さん!!サラシン橋・北ポイントの品川です。大変なことになりました!」
どうしましたか?品川さん。
「UDDが、海上からも、上陸を狙っているようです!」
ええーっ!本当ですかー!?ちょっと、待ってください。3カメさん、すいません。そちらから、海上の映像は、入りますかー?ダメなら、ハンディー(カメラ)さん、お願いします。

(場面切り替わり)
ああー!!
橋の下にも、UDDが群がっているー!!数百艘の漁船に分乗し、水上から、プーケット上陸を敢行だー!橋上の自動車部隊は、囮だったのかー!!見事な、陽動作戦です!!
政府軍は、どう反撃するんでしょうか!?もはや、予備兵力は残っておりません!

(再び画面切り替わり)
おーっと、あれは・・・?
あーっ、アピシット政権誕生を期に、解散したはずの、パンダミット(民主化同盟、PAD)が黄色いユニフォームを着込んで、海岸線を封鎖しています!!水際作戦だー!やはり、こちらも、抜かりがない!
さあ、UDDの一番手が、浜に上がってきたー!これを迎え撃つ、民主化同盟(PAD)は、タクシー会社経営のチムさんを先頭に、一気に襲い掛かる。もの凄い、闘志だー!!
普段の仕事でも、これくらいの闘志を見せてほしいぞ、チムさん!

UDDは、次々に上陸していくー。
30人、50人、いや、100人を超えているー!!PAD、絶対絶命!
このまま、上陸を許してしまうのかー?赤軍(UDD)が、いっきに雪崩れ込んできているー!!!

おーっ、ここでようやく、PADの増援部隊が到着したようです。これは、どういうことなんでしょうか?解説の山田さん。
「そうですね。昨夜は、サパーンヒンで、前夜祭のパーティーを夜通し行っていましたから、寝過ごしてしまったようですねえ・・・」
黄色軍(PAD)、押し返したー。
PAD攻勢、PAD攻勢!赤軍(UDD)押し戻される。UDD、後退する。海岸線まで追い詰められたー。もはや、追い落とされてしまうのかー?

(再び、画面切り替わり)
あーっと・・・・・、あれは?
なんと、民主化同盟(PAD)に寝返っていたはずのチェンマイ出身、土建屋のピーチャンが不可解な行動を取っているー!!背後から、PADを襲っているぞー!!これは、どうしたことか? 寝返り直したのかー!?おや?何か言っているようです。収音マイク拾えますかー!
「バカ野朗、あっちは日給、1500バーツだっていうのに、ロハでやってらっれかよー」
これは、完全に内紛だー!!

再び、UDDが、息を吹き返したー!!
UDD前進、UDD前進、完成したばかりのチェックポイントも、突破したー!!さあ、こうなると、会場のラグーナ周辺まで、障害物は何もありません。
どうなる、アーシアン!どうなる、アピシット!天下の二枚目首相も、とうとう年貢の納めどきかあー!?

(再び画面替わり)
ちょっと、まってください!!何か様子が・・・・・、
あーっと、これは、政府軍が極秘裏に召集をかけていた、バングラー特殊部隊の面々だー!!
ピンク色、ピンク色、ピンク色に染まってしまった、ラグーナ周辺、赤軍の進行も、一気にストップしたー!!!作戦勝ちだー!!!!
さあ、ここで一気に、UDDを一網打尽にせんと、タイ警察の精鋭部隊が、これを包囲して・・・・・・・・・いない!!
誰も、働いていない!!どうしたことか、一緒にピンク色に染まってしまっているー!!!!!
これは、大変なことになった-!!
UDD、PAD、PAD増援部隊、PAD反乱軍、政府軍、バングラー特殊部隊、タイ警察精鋭部隊、おまけに各国首脳まで、完全に、ピンク色に染まって、入り乱れているー!!!!!会場全体が、ピンク色に染まってしまったー!!!!!
バングラー軍団の完全勝利だああああ!!!!!これは、読めなかったあああああああああ!!!!!!!

おーっと、放送時間が無くなってまいりましたー。
それではこの辺で、興奮のち溜息、熱狂のラグーナ特設会場から、ごきげんよう、さようなら!
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by phuketbreakpoint | 2009-07-16 00:20
みなさん、便所落としという遊びを、ご存知でしょうか。
私の小学生時代、熱狂的に支持されていた遊戯の一つでした。
小さな正方形のコートを、「小学校」「中学」「高校」「大学」と、十字で区切り、軟式のテニスボールを、手の平で打って戦う、四者対戦のネットなしテニスなんですが、この遊びのミソは、コートの中央部分に、「便所」と呼ばれるブラックホールが作られており、ここに球を入れると退場処分となってしまうことでしょう。
リアリティーを持たせたいのか、ご丁寧にも、本物の犬のウ○コを拾ってきて、便所に置こうとする、お節介な奴が出てきたりして、真剣勝負に発展することも、よくありました。


観光客が少なく、1年で最も寂しい時期である5月の連休明けから、6月中旬までの約40日間は、プーケットで観光ビジネスに携わっている者にとっては、辛抱を要求される踏ん張りどころといえますが、今年は、昨年来の反政府デモや、世界同時不況、新型インフルエンザ等が重なって、例年にも増して、厳しいシーズンとなってしまいました。うちの近所だけでも、休業するところが続出しています。
「ママミア」「マルコポーロ」、そしてなんと、最大のライバルでもある、お向かいの「スウィートレストラン」までもが、便所に球を落として、退場処分になってしまったように、お店を閉めてしまいました。

ビーチ全体に活気が無く、人通りは疎らで、お客が入っているお店と、そうでないところの差が、はっきりと見た目にも判ります。いや、客の入っているお店は、ほんの一握りで、後の9割以上は、ボサっと、お茶汲しているような状況でしょう。
しかも、忍従の40日間が過ぎたというのに、客足は一向に増える気配がなく、ブレイクポイントも、赤字こそ免れていますが、低空飛行が5月以来、ずっと続いています。先日など、あまりにも周りが静かだったので、心配になり、
「他のソイは、いったい、どうなっているんだろう?」
と、偵察に出かけたところ、どこのお店も、うちに輪をかけて(お客が)入っておらず、安心するやら、気が重くなるやら・・・。
黙っていても仕方ありませんから、店頭でメニューを見ているお客さんがいれば、力づくでも(?)、引っ張り込まねばなりません。

「サンティ、前に出ろ。(客との)距離を詰めるんだ!オーも、後ろから回り込め。だめだ、サン、左サイドが開いているぞ。いいぞ、かこめ、囲め!よーっし、入ったー!!」
まるで、サッカーの試合のようですが、これは様々な試行錯誤の末に私が編み出した、究極の客引き術である、プレスディフェンスです。
相手を複数のスタッフで、さり気なく取り囲み、スペースを塞いで動けない状態にし、考える隙を与えず、矢次早に落としトークを連発し、お客が混乱して分けがわからなくなっている間に、お店の中に引きずり込んでしまおうという、高度な戦術(?)といえるでしょう。これには、体力と笑顔、粘り強さ、そして何よりも、厚顔を必要とします。厳しい戦いが続く厳冬期のプーケットでは、これくらいしないことには、便所送りは免れません。

しかし、観光客が少なく、営業が苦しくなれば、なるほど、逆に大きなチャンスでもあると私は考えます。
開店以来8年、ずっと、スタッフ探しで苦しんできましたが、それが今、劇的に好転しています。どこのホテルも、稼動率は50%を切っており、雇用調整が始まっていますから、いつもなら、数ヶ月待っても何のリアクションもない従業員募集看板が、久しぶりに機能すようになりました。しかも、張り出して数時間で電話がかかってくることもあります。
本当に、久しぶりのフルキャストとなりましたが、この時期に職探しをしている人は、前の職場で(何か問題があって)首を切られたり、性格的に定職に就けなかったり、普段はバングラーでウロチョロしているのに、観光客の少ない雨季の間だけ、飲食店で、客探しも兼ねてバイトしようと考えている、夜の女性だったりしますから注意しなければなりません。

いつもなら、多少問題があっても、辛抱して使っていく私ですが、最近は、あっさりとしたものです。代わりは、たくさんいるわけですから、仮採用期間中に問題を起こすような人に対しては、時間をかけたりしません。
「あなた、また、髪を後ろで結ってないじゃないか。それに、いつも携帯で長話。はい、これ。今日までの給料10日分」
「先週、(私の留守中に)無断欠勤したんだって?しかも、毎日遅刻。はい、これ。2週間どうもありがとう」
耐え難きを耐え、忍び難きを忍んだ、7年半。その鬱憤を晴らすように、どんどん切っていきます。そうしているうちに、他の従業員も危機感を覚えたのか、お店全体が、ずいぶん締まってきました。
「あらら・・・、あのコ、もうクビになっちゃった。こりゃあ、ちんたら、できないわ」
今こそ攻めて、スタッフ教育を徹底させる絶好のチャンスかもしれません。ハイシーズンになれば、否応なしに立場が逆転し、今度は徹底的に守って、我慢しなければなりません。

営業面でも、メリットは大きいと思います。
閉めるお店が多いということは、そこに通っていた常連客を奪い取る絶好のチャンスでもあるわけですから、普段以上に接客に力を入れねばなりません。
「あれー?いつものお店が閉まっちゃってるぞー。仕方ない、今日は、ここで食べていくか」
こうして入ってきてくれたお客さんを、心からのおもてなしでサービスして、満足させ、
「なかなか、いいお店じゃないか。また、来よう」
という気にさせるわけです。

とくに重要視しているのは、笑顔の挨拶です。
それも、ちょっと、大袈裟なくらいがいいんじゃないでしょうか。ダズリング・スマイルという奴ですね。
プーケットで、外国人観光客相手の飲食店が生き残っていけるかどうかは、毎年、お店に顔を出してくれる常連のリピーターを、いかに掴めるかに懸かっていると思います。毎日、あるいは、1日おき、2日おきに来てくれるお客さんで、常時、5~6テーブルが埋まっていれば、初めてのお客さんにとっても安心感が生まれ、客が客を呼んで、どんどん営業は安定していきます。
苦しいローシーズンですが、1人1人のお客様と、じっくり話をする時間はありますから、固定客を作るには、都合がよいともいえるでしょう。

“耐えて、耐えて、じっと、耐えて、ちょっとだけ、前進”
波打ち際のカニみたいですが、ここでの踏ん張りが、ハイシーズンや、翌シーズンになって効いてくると、私は信じています。

さあ、いつまで続くか見当もつかない、この寒波。
最後まで耐え切って、また暖かい春を迎えることができるのでしょうか。
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by phuketbreakpoint | 2009-07-05 10:54