タイ・プーケット島在住。タイならではの出来事や日々の体験、個人的な思い出などを書きとめています。


by phuketbreakpoint
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憧れの日本国

“終点の成田空港第1ターミナル駅には、午前8時10分の到着予定でございます”
「やれやれ・・・、これで大丈夫だ」
ひとつ25キロは、あろうかという、大きなバッグを二つ、中型のバッグを一つ、お土産がぎっしりと詰まった大きなビニールバックを一つ、三人で引きずるように、京成線の急行・成田空港行に乗り込んだ私たち家族は、どっしりと、もたれ掛かるように、長椅子にへたり込みました。
前日、なおこと、あきおの入学式で、バタバタして宅急便の手配を忘れ、こんなことになってしまいましたが、これで、ホッと、ひと安心です。空港駅には、カートもありますから、もう、重い思いをすることもありません。
フライトの出発予定時刻は、午前10時ジャストで、二時間前には空港へ、という常識でいえば、10分遅刻ですが、これなら余裕で間に合うでしょう。

約一時間後、空港駅に降り立った私たちは、早速、出発ゲートに向かいました。
「今日は、空いてて、よかったねえ」
閑散とした第1ターミナル南ウイングでしたが、タイ航空のチェックインが行われているEカウンターには、かなりの行列ができていました。
「ここだけ、混んでるなあ・・・」
ちょっとだけ、イヤな感じはしましたが、
「まあ、日本国のやることだから、手抜かりは無かろう」
心配することもなく、私たちは、列に並びました。

列の流れは、特に速いというわけでもありませんでしたが、順調に進み、約20分ほどで、私たちは、カウンターに呼ばれました。
手続きが終わると、去り行く私たちに向かって、空港スタッフの女性がこう言います。
「お客様、お急ぎください。時間がありませんから、お買い物など、なさらず、すぐに出発ゲートに向かってください」
とは言うものの、時計を見ると、まだ一時間もあります。
「何を、そんなに慌ててるんだろうねえ」
私は、そう思っていました。

ところが、手荷物検査を終え、出国手続きのホールに入って、ビックリしました。外は、あんなにガラガラだったというのに、もの凄い行列ができていたのです。
それでも、ここは日本国ですから、手際よく、順番も、どんどん進んで・・・・そう思っていたのですが、5分ほど並んでも、ほとんど列は進みません。
「こりゃあ、ダメだよ、ママ。ここを抜けるのに、1時間は、かかるんじゃないか」
心配になりながら、となりの列に目を向けると、私は、さらに驚きました。
「日本人専用 JAPANESE PASSENGERS ONLY」と書かれたコーナーの行列だけは、凄まじい速さで流れていたのです。
私と、きよみは、ともかく、女房のラントムは、タイ人ですから、ここには並べませんが、このコーナーだけは、紛れも無く日本国でした。
“パスポートを見せる”
“コンピーターで照会する”
“OK”
その間、約10秒といったところです。つい先ほど、私の遥か後方で、列の最後尾にいたはずの人が、もう通過していきました。

それに比べ、我々が並ぶ外人コーナーは、タイの田舎の役所並のスピードしかありません。
「こりゃあ、ひどいなあ。ここは本当に、日本なのかなあ・・・」
私だけでなく、人種、国籍関係なく、並んでいた、すべての人は、同じ気持ちだったでしょう。
最近、導入されたばかりの指紋照会システムが機能していないのか、一週間前に入国するときにも、これに輪をかけたような大渋滞でしたが、このときは、「一時帰国者」というコーナーがあり、在日韓国人や、日本人の配偶者である外国人は、こちらに回れば、すんなり入国審査が受けられました。まさか、出国手続きで、こんなに時間を取られるとは、思いもよりませんでした。

ようやく、パスポートコントロールを抜けた私たちは、チェックインカウンターの女性に言われたとおり、すぐに、ゲートに向かいましたが、途中で待ち構えていた空港スタッフに、声をかけられました。
「タイ航空643便に、お乗りのお客様・・・、タイ航空643便に、お乗りのお客様・・・」
「あの・・・、私たち、そうですけど・・」
搭乗券を確認したスタッフは、すぐに、インカムで連絡を入れ、
「もう出発しますので、お急ぎください」
と、急き立ててきました。

状況が今ひとつ理解できていなかった私が、呑気に、
「ちょっと、その前に、トイレに行ってもいいですか」
こう尋ねると、
「すいません。もう、本当に出ますから、走ってください」
(そんなこと言われたって、私も、出ちゃいそうなんですけど・・・)
この人たちは、何がなんでも、定時に出発する気のようで、最後は十組近くの人たちが、ゲートまで競走するように走らされていました。私以外は、全員タイ人です。

でも、これは、彼らの責任じゃあないですよ。日本人なら、5分も待たず、抜けられた出国審査を、彼らは全員、一時間近く待たされていたはずです。
結局、23区内の自宅から、出発時刻の5時間も前に家を出たというのに、機内で読む雑誌の購入も、お土産選びも、女房に免税店で化粧品を買ってやることも、そして、トイレすら行けませんでした。

私は今まで、日本国は、住みやすい国だと思っていましたが、どうやら、それには、但し書きが付いていたようです。
大都市で暮らし、細々とした日本の制度を、よく理解している人たちにとっては、この国は、確かに便利な国かもしれませんが、私のように異国で何年も暮らしている人や、田舎者、年寄り、世情に疎い人、気の弱い人、特に外国人にとっては、非常に住みにくい場所のような気がします。
私の子どもたちは、現在、日本とタイの、両国籍を持っています。外務省の話では、21歳の時点で、どちらか一つ、選ばねばならないそうですが、いったい、どっちを選ぶべきなんでしょうか。
日本のシステムを、ちゃんと理解できていないまま、日本国籍すら失ってしまえば、あの子達を守ってくれるものが、はたして、この国に、あるのかどうか、私は、とても心配になりました。

ゲートまで、一緒に走るはめになってしまったタイ人たちは、帰国の途中、空から日本を眺めて、どんな気持ちでいるんでしょう。
「やれやれ、これで、やっと帰れるか・・・。とりあえず、日本に来れたし、いろんな所も見たし・・・。次は、どこに行こうかなあ。
もう一度、日本・・・?うーん、それはどうかなあ・・・。
とにかく、今回は、疲れたよ。家に帰って、ゆっくり、アップナーム(お風呂)した後は、ナンプリックで温かい、ご飯でも食べるかな。
しばらくは、なーんにもしないで、のーんびりしたいなあ・・・。
のーんびりと・・・・・」
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by phuketbreakpoint | 2008-04-30 10:58
先日、ノンイミグラントビザを延長するために、イミグレーションオフィスを訪れたところ、結婚16年目にして、意外な事実が明るみに出てきました。
なんと、私とラントムの結婚証明書に、不備があったのです。
最初は、例によって、ワイロ欲しさに難癖をつけているのだろうと思っていましたが、
「うーん・・・、これは、お金じゃあ、何ともならないよ。悪いけど、バンコクまで行ってもらわないと、ダメだな」
いつも、がめつい係官でしたが、この日は、首を横に振るばかりで、まったく、お金の話を持ち出してはきませんでした。

“バンコクで証明書を再発行”
たった、これだけのことなんですが、そんなに簡単な話ではありません。
まず、日本から戸籍謄本を取り寄せます。
それを持って、バンコクの在タイ日本国大使館へ行き、英文の内容証明をもらいます。
さらに、これを翻訳屋に頼んで、タイ語に訳し、今度はタイ王国の外務省に行って、認証印を押してもらいます。
プーケットまで戻ってきて、内容証明をタイの役場に持っていき、婚姻証をもらい、その後、再びイミグレに行って、ようやくビザの更新手続きが始まるわけです。

中でも、最大の難所は、やはり、タイの外務省でしょう。
15年前は、ここを探し出すだけでも、ひと苦労でした。タクシーの運転手さんさえも、知らないような場所だったからです。
考えて見れば当然ですが、タクシーを利用するような下々の者は、こんな場所には、まず用事はありません。そして、ここに用事のあるような人は、自分の車を持っていますから、タクシーは使いません。
「えーと、ラタバーン(政府)に関係あって、外国との問題を扱うところで・・・」
運転手さんに場所の説明をするのも、大変でした。

そもそも、通訳しているラントムが、外務省だの、認証印だの、といった話は、ほとんど理解できていませんから、仕方ありません。
「そーだっ!パスポート・・・、パスポートを作る場所だよ」
これで、少し話が通じたのですが、当時はパスポートを申請するタイ人の数も少なく、余程のお金持ちか、外国人の恋人がいる、お姉さんくらいしか、作ろうとしませんでしたから、運転手さんも、
「話は分かったけど、はたして、どこにあったか・・・」
といった状態でした。

なんとか、たどり着いた外務省の旧庁舎は、官庁街の外れに、ひっそりと建てられた、非常に地味で古い建物でしたが、敷地内の庭に点在する、小さな売店のようなセクションには、パスポート申請客が群がっていました。頼りになるのは、館内の案内板のみで、インフォメーション・カウンターも見当たりません。
そのゴタゴタの中で、人に聞いて、また聞いて、ようやく見つけ出した認証印のコーナーには、さすがに人は少なかったのですが、今度は、作業が遅い!
というよりも、みんなが、なんとなく順番待ちし、なんとなく作業が進んでいく・・・、そんな雰囲気(プーケットのイミグレのような状況)で、一体、誰が最後列の人なのか、さっぱり、わかりません。

こんな調子で、一日かかって、ようやく手にした証明書を、14年間、大事に使い続け、今まで、なんの問題もなかったのですが・・・。
証明書の中で、女房の名前ラントム・コンジャンのタイ語のスペルが、ほんのちょっと間違っていました。きっと、英文を見て翻訳した人が、適当な当て字を使ったのでしょう。子どもたちが、高校に上がろうとしている、この時期になって、なんとも間抜けな話です。

そんなわけで、3月の末、私は、家族と共にバンコクを訪れました。
苦しかったハイシーズンも、ようやく乗り越え、本来なら、ゆっくりと骨休めしたかったのですが、今回の訪問では、やることが、山のようにありました。

まずは、日本国大使館です。
以前、ラントムのビザ取得で、何度も煮え湯を飲まされた経験はあるものの、最近は、元凶であった社会党(偏見でしょうか?)が政権を離れた影響なのか、何から何まで、迅速、かつ正確。
「さすが、日本国」といった貫禄です。
要塞のような、厳つい外観の建物は関心しませんが、数年前、誰もビザ申請に訪れず、ガラガラだった時代(社会党政権時代。申請したって、無駄なんだから、誰も行きませんね)が、ウソのような盛況でした。

「日本国を訪れよう」、「訪れたい」、
そう思ってくれるタイ人や、外国人が多いというのは、やはり、日本人として、誇らしいものを感じます。願わくば、この人たちが滞在を終えた後、
「ぜひ、また、行ってみたい」
と、感じてくれていればよいのですが・・・。
手続きを、一時間半ほどで終わらせた、私とラントム、きよみの三人は、タイ王国外務省に向かいました。

大使館の外で、タクシーを呼び止め、ラントムが運転手さんに場所を説明します。
「パスポートを、作るところなんですけど・・」
「はい、わかりました」
実に、アッサリしたものです。
「ママ、あんなこと、言ってるけど、本当に、分かってるのかなあ」
心配になった私に催促されて、ラントムが、もう一度確認すると、
「チェン・ワタナ通りですね。何度も行ってますから、大丈夫ですよ」
今や、タイ人にとっても、海外旅行は、当たり前の時代になったのでしょう。

渋滞もなく、すんなりと目的地に着いた私たちは、タクシーを降りて、近代的な建物に入っていきました。
入り口に入ると、目の前に大きなインフォメーションがあります。まずは、きよみのタイ・パスポートを作ることにしました。
「すいません。パスポート作りたいんですけど」
「それでしたら、二階左奥のカウンターで、お並びください」
順番待ちの整理券を取って待っていると、5分ほどで、番号を呼ばれました。分かりやすいだけでなく、この速さ。ここは、本当にタイ王国なのでしょうか。

中に入って、驚きました。
そこには、窓口が横並びでズラッと・・・ではなく、整然と区分けされたブースが、パッと見渡しただけでも、通路を挟んで両側に、50ほどもあったでしょうか(もしかしたら、100以上あったかもしれません)。
各ブース前で順番待ちしている人も、せいぜい、1名程度で、10分ほど待つと、すぐに中から呼ばれました。

ブース内では、手続きだけでなく、パスポート用の写真撮影までしてくれて、こちらが揃えるべき必要書類は、タビアン・バーン(戸籍謄本兼住民票)と、旧パスポート、バイクード(出生証明)だけです。
例によって、係官は世間話をしたがり、それを、待ってましたとばかり、ラントムが受けて、手続きと関係のない会話が始まってしまいますが、こういった、一見無駄に思える時間(タイの人は、見知らぬ者同士の触れ合いを重要視しますね)があったとしても、数十箇所作られたブースによる人海戦術が、充分にカバーしているのです。数の不足を、個々の能力や、気合で埋め合わせる、日本式の対極にあるような、やり方だと思いました。ここは、お昼休みの中断すら、ありませんでした。

ホテルで待っている、なおこには、朝、
「たぶん、終わって帰ってくるのは、早くて4時、もしかしたら、5時半か、6時じゃないかなあ。いや、今日一日で、終わってくれればいいんだけど・・・」
そう言い残してきたのですが、きよみのパスポート申請と、私のビザに必要な認証印の手続きを済ませ、ホテルの部屋に戻ってきたのは、午後一時を、ほんの少し、回った頃だったと思います。

何事も迅速な、日本人と日本国。
時間がかかり、やたらと面倒な、タイ人とタイ王国。
こういった図式が、私の頭の中にも、しっかりと、できていたのは事実ですが、時間と共に、ずいぶん差がなくなりつつあることを実感します。
“変わってきたぞ、タイ王国”
南国の王都で、私は、しみじみと、それを実感してきました。

この話、次回に続きます。
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by phuketbreakpoint | 2008-04-19 10:25