タイ・プーケット島在住。タイならではの出来事や日々の体験、個人的な思い出などを書きとめています。


by phuketbreakpoint
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まさかでしょう

「たかだか、10日間の観光ビザを取るのに、なんで大騒ぎしなきゃならんのよ」
そんなことを思いながら、私は夜行バスに揺られていました。
それでも、ようやくもらえることになった(と私は勝手に判断していた)ビザのことは、すぐに頭を離れ、日本で子どもたちを、どこに連れて行ってやろうかと、そんな心配をしていたのです。

翌朝、バンコクの南バスターミナルに着いた私は、市内で時間を潰しながら、受け取りの時間を待ちました。
午後1時、再びセーミットタワーを訪れ、短い列に並びます。5分ほどで、私に順番が回って来ましたが、今度は、係官の女性も、奥に引っ込んでいくことはありませんでした。机の隅に置かれた箱の中から、ラントムのパスポートを手際よく見つけだし、私に手渡してくれます。
このとき、係官はボソボソと何か喋っていたようですが、ビザ代を払って、パスポートを受け取ったら、それでお終い、と考えていた私は、それを聞き取ろうとはしませんでした。私は、バーツ札をお釣りがいらないように、きっちり揃えて、この女性に手渡そうとしたのですが、どういうわけか、彼女は、右手を左右に振りながら、受け取ってくれません。
私は、「変な人だなあ・・・」と思いながらも、再びお金を窓口に突っ込んでみましたが、この人のしぐさは、同じでした。

ここにきて、ようやく私は、彼女の言葉を聞き取ろうという気になったようです。耳を窓口下方にあるオープンスペースに向けてみると、
「キャッカデスカラ、イリマセン」
彼女は、そう言っていました。
「キャッカデスカラ・・・?そんなタイ語、あったかなあ・・・」
などと呑気に思っていた私も、すぐに、これが日本語だということに気づきました。
しかし、あまりと言えば、あまりの内容だったためか、その意味を解読するのに更に時間をかけてしまいます。
「キャッカって、却下のこと? ・・・って、ことは、ラントムのビザは、取れないってことなのか・・・・まさかでしょう!?」

唖然、呆然でしたが、さすがに遅まきながら、怒りモードに変わってきたようです。
「却下って、どういうことなんです!」
強めの語調だったと思いますが、さすがに、この窓口に配属されているだけあって、この人も手馴れたものです。マニュアル通りの答えを、私に返してきました。
「質問があるなら、15番の窓口に行ってください」
後ろに人が並んでいましたから、私も、この場は引き下がり、言われたままに、15番の窓口に回りました。

私の前には、同じように、ここに回された人たちが、2、3人順番を待っていました。
順番を待ちながら、私が考えていたことは、1つです。
「落ち着け・・・。冷静に、冷静に・・・。ここで、怒っちゃあダメだ。タイ生活6年(当時)の実績を、今こそ見せるべきときだ。これくらいのことで、怒っちゃあ、ダメだ」
そう自分に言い聞かせていた私ですが、やはり、考えれば、考えるほど頭にきます。
「嫁さん連れて、里帰り。この国は、国民に、そんな自由すら与えないのか・・・」

たぶん、ここに回されてしまった人の多くが、私と同じ感情を持って並び、爆発寸前(たぶん爆発してしまった人も多かったと思います)だったと思われますが、さすがに大使館は、どこの国でも、陰謀にかけては素人の敵ではありません。
順番が回り、勢い込んで窓口に向かった私の前には防弾ガラス、その向こう側には、見るからに押しの弱そうな若い日本人男性が、元気なさそうにポツンと座っていました。

「ちょっと質問が・・・・・・あるんですが」
先ほどの怒りは、どこへやら。この線の細い若い男性の顔を見ていると、すぐに私は、冷静さを取り戻しました。
「この人相手に怒ったら、可哀想だよなあ・・・」
そんな気になってくるのです。またまた、日本大使館の高度な心理戦術にしてやられた私は、静かな口調で状況を説明しました。

それに対して、この男性は、見かけどおりの腰の低さで一枚の紙を手渡します。
「それでは、ここに電話してください」
「電話ですか?この窓口では、対応できないんですか?」
みんなカッカきていますから、直に相手をすると怒鳴り合いになってしまう、という判断があるのでしょうか、防弾ガラスの奥深くに潜んでいる苦情対策班(?)の人たちは、現れることはありませんでした。

電話しろと言われた私ですが、当時は携帯なんか持っていません。一旦一階まで下りて、公衆電話を探して、電話せねばなりませんでした。
領事部の中に、相手がいることは確実なのに、なんで、わざわざ外に出て、電話で話さにゃならんのかと思うと、再び怒りモードのスイッチが入りそうになります。
「これこれ、こういうわけで、こんななっちゃって、困ってるんですよ・・・」
電話口の私は、再び感情を押し殺して、冷静な口調を装ってはいましが、ことと場合によっては、大爆発して怒鳴ってやろう、というくらいの気持ちはありました。

しかし、大使館の老練さが、ここでも、私を封じ込めます。
「そうですか、わかりました。本来なら、一度却下された方は、最低一年は、再申請できない決まりになっているんですが、今回は特別に、例外を認めましょう。もう一度、申請し直してください」
本来なら、バカヤロー的な話なんですが、物腰柔らかく、そう言われてしまうと、なんとなく、得したような気分になってしまいますから不思議です。

私は、間違いがあったらいけないと思い、改めて、追加すべき必要書類はないか聞いてみました。
「それでは、御主人のワーキングパーミット、渡航説明書、それに、知り合ってから現在にいたるまでの状況説明書を一緒に提出してください」
それが必要だというのなら、何でも揃えて提出しますけど、だったら、最初からそういってくれれば、こんなややこしいことにはならなかったでしょう。

再びプーケットに戻ってきた私は、日本から戸籍謄本を取り寄せ直し、追加の必要書類、必要のない書類まで揃えて、満を持して、再度バンコクに乗り込みました。
「今度こそ、絶対」
という思いもありましたが、2度までも、お預けを食らっていますから、受け取りの日は、順番を待ちながら、異常に緊張したのを覚えています。恐らく、自分の女房の観光ビザを取るのに、これだけの大騒ぎをしなければならない国は、世界広しといえども、日本国と北朝鮮だけでしょう
結局、私は、行って帰って、行って帰って、行って帰って、合計六回夜行バスに乗って三往復し、最初にバスに乗った日から、実に27日目の午後に、ようやく、ラントムの僅か十日間の里帰りツアーに必要な観光ビザを取得することができました。

それにしても、日本国は、恐ろしい国なんだ、とつくずく思ったものです。
確かに当時は、外国人の不法就労が大きな社会問題となっており、その数は増える一方だったかもしれませんが、私は結婚して6年経ち、子どもは、3人もいたのです。ここまでやって、不法就労する人が、もしいたとしても、その数は日本経済や、日本国の秩序を崩壊させるほどの数でないことは明らかなんですから・・・。
「害虫は、1匹たりとも入れはしない。そのために、とばっちりを受ける虫がいたとしても、仕方がない。目一杯、殺虫剤をばら撒いて、皆殺しだ!」
というやり方ですね、これは。

5年前、ラントムを始めて日本に連れていったときは、日本は、まだ、自民党の単独政権の時代でした。その後、宮沢内閣の不信任から細川連立政権、羽田短命内閣と続き、あれよあれよという間に、自民党が復権。
以前、憲法違反と口汚く政府を罵っていた社会党が政権内に紛れ込んだら、いきなり、このザマです。
9条を守れ、と声高に言う前に、基本的人権を守れ、と私は、この人たちに言いたい。

こんな事態が進行していた当時の日本大使館ですが、実は、もっと恐るべき仕打ちを来館者に対して行っていたのは、意外と知られていないようです。
なんと、当時、日本大使館領事部でウンコ、オシッコがしたくなった人は、ここで、チビるか、一度外に出て、他所でトイレを探さねばなりませんでした。
ペルーの日本大使館占拠事件があった直後で、セキュリティーの問題だったのかもしれませんが、ウンコがしたい人に、ウンコをさせない、という拷問まがいの恐ろしい仕打ちを行っていたのです。
しかも、このときも、日本人スタッフは現れず、都合が悪いことをタイ人に言わせていたのでした。

あの頃に比べると、本当に、今のビザ申請は楽なものです(たぶん、社会党が政権から離れたせいでしょう。ウンコもできるし)。
あまりにも簡単にビザが取れてしまうので、何か悪いことでも起きはしないかと、逆に心配になるときすらあります。
本当に大変な思いをして、ようやく手に入れた日本国のビザと、家族揃って、初めての里帰り。そのお蔭だったのか、父に、ガツンとやられることもなく、旅は無事に終わりました。楽しい家族の思い出もできました。
手元に残った数々の写真を見ていると、悔しい思いをしたことも、忘れてしまいそうです。

そんなとき、日本大使館主催で安全対策協議会がプーケットで開かれました。
出席した人たちの関心は、やはり、新型インフルエンザのことだったようです。
「タイで、フェーズ4(限定的に、ヒト・ヒト間の感染が発生)以上に事態が進んだ場合、ここの日本人が帰国制限を受けることもあるんですか?」
日本人会の副会長・山口さんが、そう聞いていました。
これに対して、担当者は、胸を張って答えています。
「御安心ください。たとえ、危険地域からの帰国であろうとも、日本人の入国を拒否することはありませんから」
このとき、私は、ふと心配になって、こう聞いてみました。
「それじゃあ、日本人の配偶者は、どうなんでしょうか?」
それに対して、この人の答えは、はきりしたものではありませんでした。
まあ、外務大臣でもない限り、迂闊な返事ができないのは当たり前なんですが・・・。

自分の身は、自分で守る。
自分の家族も、自分で守る。
異国で暮らしていく以上、その心構えが必要なのでしょう。
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by phuketbreakpoint | 2007-05-20 16:06

みんなで行こう、日本国

1998年秋、私は帰国の準備を進めていました。
ラントムと結婚して早や6年、あきおと、なおこの二人を、初めて日本に連れて帰ったのが前年のことでした。
父には、結婚の報告すらしていませんでしたが、時の流れとというのは、本当に有難いものです。一発喰らうかも?、という心配をよそに、なんと、父からも笑顔で迎えられ、私は、あきおと、なおこ、そして、母も交えて、団欒のひと時を過ごすことができました。私が父と一緒に遊びに出かけるのは、中三の春休み以来のことで、実に22年ぶりの出来事でした。
<孫は、かすがい>
そんな言葉が、私の頭に自然と浮かんできました。どうやら、第一段階は、成功だったようです。

さて、今年は、第二段階に進むべきでしょうか。
思えば、この6年間、ラントムにも、ずいぶん肩身の狭い思いをさせてきました。母が一人で、プーケットに遊びにきたときにも、彼女は、親戚たちに、
「義父は、今、忙しくて・・・」
と、ウソをつかねばなりませんでした。家族全員で里帰りし、父の前で堂々と、自分の妻だと紹介できるまでは、彼女に対しても、大きな顔はできません。

既成事実は作ったし、もう充分過ぎるほど、ほとどりも冷ましましたから、さすがの父も、私たちの結婚を認めてくれるような気はします。
よは言うものの、海軍兵学校出身の父は、古い日本を、思いっきり背負ったタイプの男です。
「いや、世の中、やっぱり甘くはないぞ。あの人が、そんなアッサリとした性格なら、オレも苦労しなかったはずだ・・・」
前年は、あきおと、なおこの、二人だけでしたが、今回は、ラントムどころか、マヨム(ラントムの連れ子)まで一緒に行くわけですから、これを、どうやって説明すれないいんでしょうか。
考えが定まらないまま、私は、エア・インディアのチケットを、5人分購入しました。
こうなったら、もう突き進むだけです。

日本に行くには、まず、ラントムのビザを取らねばなりません。私は、早速、日本大使館に問い合わせ、必要書類を揃えていきました。
パスポート、住民票、戸籍謄本、会社謄本、貯金通帳、私のパスポート・・・・。
「ずいぶん、いっぱいあるなあ」
結婚前、彼女を初めて日本に連れて行ったときは、申請書以外には、見せ金である1000米ドル相当のトラベラーズチェックだけ持って行けばよかったはずですが、揃えるべき書類が、ずいぶん増えていることに、私は驚かされました。

耳に入ってくるニュースも、芳しくないものばかりです。
「日本のビザは、もの凄く、取りにくくなっているよ」
「取れない人も、いっぱいいるそうだ」
しかし、日本国を、普通の国だと勘違いしていた私は、特に、気にすることもありませんでした。

私は、日本から取り寄せた戸籍謄本の到着を待って、バンコクの日本大使館に向かいました。
南バスターミナルから路線バスに乗って、アソックの入り口で下車、領事部のあるセーミットタワーに向かって歩きながら、6年前のことを思い出していました。
当時、領事部は、別のビルに入っていましたが、館内に収まりきらない申請者がビルの外に溢れ、一階のエレベーター前から延々と延びた行列は、200m以上。しかも、列に並ぶタイ人のほとんどが若い女性です。中には、誰が、どこからどう見ても、100パーセント、パーフェクトにヤクザといった風貌の男が、タイ人パスポートを十数冊わし掴みにして、列に加わっていました。
日本国ではない、タイ王国でもない、一種異様な光景が広がっていたのです。

ところが、この日は、セーミットタワーの前まで来ても、並ぶべき行列は見当たりません。ぐるぐると、ビルの周りを回って探してみましたが、結局、列はありませんでした。不安な気持ちでエレベーターの前まで来ると、小さな案内が出ています。
「日本大使館領事部に御用の方は、九階まで・・・」
6年前には、エレベーターに乗り込むだけで、1時間近くかかっていたのに、本当に、このまま乗ってしまっていいんでしょうか。

九階に行くと、目の前に、いきなり検問所があります。薄暗く、狭い空間で、警備員三人がかりのチェックを受け、私は、中に入りました。
「えーと、申請手続きの行列、行列・・・・ん?」
ガラーン。誰もいません。
「そんな、バカな」
6年前には、フロア内ギッシリと人が溢れ、下界では200mだったのです。
「間違えちゃったのかなあ・・・」
そう思った私は、ガードマンさんのところに戻って聞いてみました。
「あのー、ビザ取りにきたんですけど」
「ここですよ」
「でも、誰もいませんよ」
「ここで、間違いありません。どうぞ窓口に並んでください」
並べと言われても、ほんの2,3人しか待っていません。本当に、いいんでしょうか。
とても不安な私でしたが、申請手続きそのものは、あっさりとしたもので、簡単なチェックのあと、すぐに受領用紙を渡してくれました。すんなりと手続きが終わり、私は、安心してホテルに戻りました。

さて、その翌々日、受け取りの日です。
さっさと受け取って、プーケットへの帰路に就きたかった私は、受付開始時間の15分前から待っていました。同じような考えの人が多かったようで、申請のときは、ガラガラだった館内にも一応、行列ができています。
しばらく並ぶと、すぐに順番が回ってきました。
ところが、ラントムのパスポートを探しに、奥に引っ込んだタイ人の女性スタッフは、なかなか、窓口に戻ってきません。何か不都合でも、あったのでしょうか。

2分近く経って、ようやく戻ってきた係官は、たどたどしい言葉使いで、こう言いました。
「ウエイティングです。連絡が入るまで、待機してください」
「ウエイティング? 私は、プーケットから来てるんですよ。どこで待つんですか?」
予想外のセリフに、私は、ムッとしていたと思いますが、この係官は、シャアシャアとした感じで、顔色も変えず、
「じゃあ、プーケットに帰って、待っていてください」
と、サラリと言ってのけます。相手を激怒させかねない、こんな恐ろしい指示を、事も無げに、ケロッと言ってしまえるんですから、ここに、タイ人スタッフを配属した、日本大使館の高等戦術は、さすがだと思いました。

私は、手ぶらのまま、南バスターミナルまで戻り、夜行バスに乗って、プーケットに帰ってきました。
プーケットに戻って、4~5日経った頃、大使館から連絡が入りました。また、タイ人の係官です。
「パスポート、取りに来てください」
そう言われれば、普通は、「ビザが下りたから、取りに来てください」と判断してもいいはずです。普通の国では、そうでしょう。
「ママ、ビザができたみたいだから、取りに行ってくるよ」
私は、再び夜行バスに乗って、また、バンコクに出かけていきました。
しかし、日本国は、そんじょそこらにある国とは、わけが違うのを、私は、バンコクで思いしらされることになるのです。


この話、続きます。
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by phuketbreakpoint | 2007-05-13 09:52