タイ・プーケット島在住。タイならではの出来事や日々の体験、個人的な思い出などを書きとめています。


by phuketbreakpoint
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「パパー、アランさんが来たよー」
アランさんは、何年か前に、プーケットで長期滞在していた英国人男性で、あの頃は、よくブレイクポイントに遊びに来てくれました。年は、私より3歳上です。
津波の直前に、イギリスに帰り、再就職しましたが、やっぱり、パトンの生活が忘れられないようで、年に一回、一ヶ月ほどプーケットに戻ってきます。
「せっかくの再会だから、バングラーに飲みに行こう」
そう約束したのが、2日前のことでした。

アランさんと2人で出かけるときは、いつもゴーゴーバーに入ります。英語で長々と喋りたくない私にって、ちょうどいい場所だといえるでしょう。
パトンビーチには、10件以上ゴーゴーバーがありますが、私は、ロックハードや、ドラゴンクラブといった大型店が好みに合っています。
直線距離にして、300mにも満たない場所に、家族が住んでいるわけですから、女の子と、その後の展開を期待しようにも、どうにもなりません。せめて、できるだけ多くの水着姿を、ジトジトと眺めていたいわけです。ささやかな幸せというヤツですね。
ところが、アランさんの好みは、私と、まったく正反対のようで、彼と出かけると、いつも、ソイ・シードラゴンに行くことになります。ここには、こじんまりとした、あまり人気があるとは言えない、ひなびた感じのするゴーゴーバーが何軒か点在しています。

シードラゴンに限った話ではありませんが、最近のバングラーは、ダブル・スタンダードの値段表を平気で使うお店がありますから注意しなければいけません。初心者と思われれば、3倍の値段が書かれたメニュー表を見せてきます。
この日も、最初に入ったお店がいきなりこれで、すぐに退散したところ、彼らは、慌てて本物のメニューを見せようとしますが、もう遅いですね。

次のお店は、そこから30mほど離れたところにあり、「場末」という言葉が、正にピッタリくるような雰囲気です。私は、とても入る気にはなれませんでしたが、アランさんは、まんざらでもない様子でした。渡されたメニュー表を見ても、値段は適正で、問題はありません。私が、
「どうする?」
と聞くと、彼は、
「ここで、飲んでいこう」
と、返してきました。

中に入ると、ショータイムでした。女の子が1人、スッポンポンで、何やら如何わしい芸を披露していますが、この子が、まったくと言っていいほど綺麗ではありません。いや、綺麗ではないという以前に、女性でないように思えます。
普段、街中でゲイの男性と接しても、どうということはない私ですが、こういう、女を強調すべき場所で、そうじゃない人に、すべてを露わにされても、さすがに、ちょっと引くものを感じます。
下手に視界に入れてしまうと、戻してしまいそうだったので、ひたすら私は、ステージから目を背けていたのですが、しばらくすると、ピー、ピーと笛の鳴る音が聞こえてきました。
景気付けに、お客さんでも煽っているのかと思いましたが、笛の音は、一本調子で、ただ、やみくもに吹いているように聴こえます。
「これは、もしや・・・・」

恐る恐る(?)、ステージに、もう一度目を向けると、彼女は、自分の陰部に笛を当てがい、そこで音を出していました。手術で作られたニセモノの性器で、果たして笛を吹くことができるのか疑問に思った私は、改めて、彼女の体を、マジマジと眺めてみました。
鍛えられた逆三角形のボディー、しかも、下腹部は、くっきりと腹筋が出ています。考えてみれば、彼女がもしレディーボーイなら、少しでも自分が女に見えるよう努力するはずですし、実際、そういう人も、このお店には、何人か交じっていました。
彼女の場合、ボーイッシュという表現を通り越して、まるで男なのです。

ショータイムが終わり、女の子たちがステージに上がって、ゴーゴーが再開です。全員で、わずか5名、みんなピチピチという表現とは程遠いものがあります。
そして、彼女たちの顔をボンヤリと眺めていたら、なんとはなしに、前年の記憶が蘇ってきました。
「この女の子、どこかで・・・・」
毎年、アランさんと一緒に、同じソイの中で、同じようなお店を回っているのですから当たり前ですが、ここは、明らかに、去年も来たお店でした。どの娘も、見たことがあるような顔ばかりです。

同じお店の、同じ女の子、お店の雰囲気も、ほとんど変わりません。変わっているのは、
「みんな、1年ずつ、年をとったんだなあ・・・」
と、感じさせる肌の艶だけです。昨年、このお店のナンバー1と思われた女の子も、やはり、まだ残っていました。この人も、しっかり、1年分、年をとっています。その他の女の子は、もともと、パッとしなかったのですが、1年経って、益々パッとしなくなっていました。
わずか1年の重みを、これほどシビアに見せ付けられる場所が他にあるでしょうか。外見だけが勝負、というのは、なんと恐ろしい世界なのでしょう

暫らくすると、となりのアランさんが、私に向かって、
「どうだ?」
と聞いてきます。
なんとも表現しようがなかった私は、オウム返しするように、同じ質問をアランさんにぶつけました。
「ここは、なかなか、いいんじゃないか」
予想もしない、肯定的な評価が、彼の口をついて出てきました。私は、正直言って驚きましたが、その理由を聞く前に、彼の方から説明してくれました。
「ここはフレンドリーだよ。大きなお店はダメだ。踊っているだけだから」

私は、観光客としてプーケットを始めて訪れて以来17年、ゴーゴーバーというのは、綺麗な女が水着を着て踊っていれば、それでいい、という固定観念があったようです。
すべての評価は外見だけ、それ以外は必要なし、はっきりと、そう思っていました。
それは、あたかも、昔、浅草にいた頃、知り合った元ヤクザの友人(なんちゅう友人がおるんじゃい!)が、いつも言っていた、
女は、顔と体だ!
という、ヤクザ丸出しのセリフと、なんら変わりがありません。

ゴーゴーバーというのは、ヤクザでない人たちが、ヤクザな気分になって、ヤクザなことができる場所、そういう認識だったのでしょう。
私は、いつも補習校で、子供たちを相手に、
「物事を、一面からだけ見たらダメだよ。いろんな角度で物を見て、初めて、本当の姿が見えてくるんだ」
と教えています。アランさんの新鮮な物の見方には、大いに感心させられました。彼は、こんな場末のゴーゴーにまで、心と心の触れ合いを求めていたようです。
なんと中村雅俊な人なんでしょうか。さすがは、イギリス人です。

私は、自分が恥ずかしくなりました。たかだか、1杯100バーツのお店です。そんな、いい女がいるわけはありません。だったら、アランさんのように、心の触れ合いを求めた方が、人生を豊かに味わえるというものでしょう。
場末のゴーゴーで、お客に肌を見せながら働く女の子たちですが、みんな、本当に明るく、くったくがありません。そんな彼女たちを相手に、100バーツ分だけ触れ合いを楽しんで、私とアランさんは、次のお店に流れていきます。

何軒か回った後、ふと気がつくと、時計の針は12時に近づいていました。
「オレは、もうちょっと、飲んでいくよ」というアランさんを残し、私は、家路に着くことにしました。
「じゃあ、また、来年・・・・」
年に一度、アランさんとの飲み会は、こうして終わったのです。
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by phuketbreakpoint | 2007-04-10 08:12
「西岡さん?大崎です。大変ですよ!」
4月初旬のある日、プーケット補習校の大崎先生から緊急の電話が入ってきました。
「池山さんが、辞めるって言ってます」
6年前、日本人会の会長でもある松本さん(仮名)が、2代目校長に就任したとき、いやがる本人をみんなで説得したのですが、そのときの約束が、
「何もやらなくてもいいから、名前だけ貸してください」
というものでした。
それ以来、学校運営のすべては運営委員長に押し付けられることになり、それがわかっていましたから、みんな、このポジションには就こうとせず、逃げ回っていました。
人事が行き詰まり、困り果てていたとき、新委員長に就任したのが、日本から来たばかりの池山さんでした。

しかも、辞めると言っているのは、池山さんだけではありません。
昨年10月の的場先生に始まり、2月の新堀先生、ここら辺りまでは余裕もありましたが、その後、3月に入って、舘先生まで辞めると言い出し、挙句の果てには、絶対残留すると思っていた秋本先生まで、
「しばらく、休ませてください」
と、いうことになってしまいました。
さらに、事務局兼任の服部先生も、先行き不透明で、運営副委員長の山守さんまで、今年度限りという噂が入ってきています(以上、すべて仮名)。

創立時には、幼児部と学齢部の、わずか2クラスしかなかったプーケット補習校も、7年目に入り、来年度は、学齢5クラス、小学準備クラス、そして、幼児部の全7クラスを編成するまでになりました。2年後には、長年の目標だった小学校1年生から6年生までの全学年を揃え、幼児部も、年少、年中、小学準備の3クラスを整え、あわよくば、中等部まで作ってしまおうという、大胆な長期計画のもと、来年度は、抜本改革のスタート年にしようと思った矢先に、この状態です。
送別会をやろうにも、送別する側の方が遙かに少ない、という異常事態ですから、逆に残留者に対して、激励会でもやって欲しい心境になってきました。

翌日、池山さんに電話を入れると、本当に辞めると言っています。
池山さんの話を聞きながら、私は、こう思わずにはいられませんでした。
「やっぱり、あのジンクスは、まだ、生きていたのかなあ・・・」

プーケットには、数々の言い伝えや、流言、デタラメな話があるのですが、その中の一つに、こんなものがあります。
補習校の運営委員長に男性が就任すると、1年以内に交代する
初代運営委員長の室田さん(仮名)は、プーケットでは珍しく、日本企業の駐在員として、南国ライフを満喫していましたが、親会社の経営状態が悪化し、急遽、プーケットから撤退することになってしまいました。
みんなに見送られながらも、室田さんは、
「本当は、もっと、いたかったんだけどなあ・・・」
と、こぼしていたものです。

2代目運営委員長は、私に回ってくる予定だったのですが、それを、いち早く察知した私は、
「こりゃあ、マズイ!」
とばかりに、プーケットに来たばかりで、事情がよく分かっていない井原さん(仮名)に、先回りして委員長就任を打診し、了解を取ったうえで、当時の校長先生だった松本さんに推薦し、自分は逃れてしまいました。
井原さんは、家族と一緒に、幸せに暮らしていたのですが、委員長就任と同時に、運命の坂道を転がり落ちるように、すべてが悪い方向に流れていき、プーケットを去っていきました。

3代目委員長は、伊崎さん(仮名)でした。
この時期は、委員長職が、ほとんど機能しなかったのですが、そもそも、伊崎さんの就任を決めた保護者会に、本人は出席していませんでした。
1年後、「やっぱり、これじゃあマズイ」ということになり、本人不在のまま、保護者会で交代することになりました。もしかしたら、就任したことすら、知らなかったのかもしれません。

4代目委員長の山守さん(仮名)は、3年もの間、本当によく補習校を支えてくれました。初の長期政権になり、ジンクスは途絶えたかと思っていたのですが、よく考えたら、この人は女性でした。
そして、5代目が池山さんだったのです。

人事のジンクスで言えば、もう一つあります。
日本人会の会長をやると、不幸が訪れる
今まで、このポストに就いた人は、5人いるのですが、様々な理由から、すぐに辞職することになってしまいました。
ある人は、体を悪くして帰国し、また、ある人は、物凄いバッシングを浴びて日本人会とは絶縁状態になったり、また、ある人は、離婚して日本に帰ったりと、みんな、どういうわけか、不幸な出来事に見舞われることになるのです。
何事もなかったのは、初代&現会長で、在島歴三十年の最長老、松本さんだけですが、長い年月の間に、ジンクスをも上回る、妖力を身につけていたのでしょうか。

実は、もう一つ、さらに恐るべきジンクスがあります。
補習校の校長をやると、家庭が崩壊する
補習校の前進である補習準備校時代から、この職を務めた人は、妖力のある松本さんを除いて、みな家庭が崩壊し、日本に帰っています。
特に、初代校長の野末さん(仮名)は、バイタリティーあふれる行動力で、島中の子供たちを掻き集め、休止状態だった準備校を再開させ、見事、補習校としてテイクオフさせることに成功しましたが、その後、急速に熱意を失い、ビジネスでも、やること、なすこと、すべてうまくいかなくなって、いつの間にやら、プーケットを離れていきました。
私が、こうして補習校に通っていられるのも、元はといえば、野末さんが声をかけてくれたお蔭ですから、いまでも恩義を感じています。
私たち夫婦も、私が校長をやるようになって、以前にも増して、夫婦喧嘩が多くなったような気がします。
女房にしてみれば、本業以外で余暇があれば、それは、私や家族のために使ってちょうだい、というわけです。


幸い、講師の欠員は、保護者の中から協力者が現れ、なんとか、補充することができましたが、ぎりぎりの崖っぷちシフトであることに変わりありません。
しかも、このシフトでやっていけるかどうかも、実際授業をやってみないことには、なんとも言えないのです。
そして、今年から、授業も担当することになった音楽教師の幸光さん(仮名)が、自信満々なのは、さらに心配です。授業にギターを持ち込むのは結構なんですが、歌うなら、3曲以内にしてくださいと、条件を付けておく必要があるでしょう。

とにかく、始業式までに、やらねばならないことは、山のようにありますが、最重要なのがシラバス(年間講義概要)の作成です。これがなければ、新学期はスタートできません。
そして、今期から始める漢字教室、道徳授業、パソコン授業の再確認と、パソコンの設置。
いや、設置の前に、電気配線工事の手配が先ですか。だいたい、あのパソコン、ちゃんと起動してくれるかどうかもわかりません。
バンコク商工会からいただいたスクールバス用のボディーステッカーの作成と、送迎の暫定コースの決定、それに、バスのリース先も、探さねばなりません。
来シーズンの会計責任者も、未定のままです。
あっ!教科書も、まだ、全部揃っていません。授業が始まるまでに、全学年分揃えておかなければ・・・。道徳の教科書なんて、一冊もありません。
それに、先生用の指導案も、送ってもらわないと・・・。
えーと、日本人学校の新校務部長・佐藤先生の電話番号、電話番号・・・・、
ガーン、4月23日に、バンコク日本人学校で行われる連絡会のこと、すっかり忘れてた!

4月28日の新学期開校は、刻々と迫っています。
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by phuketbreakpoint | 2007-04-08 07:25