タイ・プーケット島在住。タイならではの出来事や日々の体験、個人的な思い出などを書きとめています。


by phuketbreakpoint
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みなさんは、「ガチャガチャ」というのを御存知でしょうか。
正式名称を、何と呼ぶかは知りませんが、私の子供の頃は、みんな、そう読んでいました。
おもちゃ屋さんの店先なんかに置かれ、10円コイン(当時)を入れて、ハンドルを回すと、下の口から、ポトリと小さなおもちゃが入ったプラスティック製のカプセルが落ちてきます。2、3の目玉商品を除いて、中のおもちゃは、大したものは入っていませんが、ゲーム機のケース越しに、自分の目で、ちゃんと確認できるというところがポイントでした。
「地球上には、存在していないのでは・・・」
そんな気にもなってきた、チョコボールの金のエンゼルのようなことはありません。しかも、ゲームセンターのおもちゃ掴みのように、高度なテクニックも必要なく(私は、いまだかつて、このゲームで成功したことが、ただの一度もないのですが・・・)、ほぼ100パーセント、運だけが頼りなところも、私は気に入っていました。

子供の頃は、試験にしろ、スポーツにしろ、それなりに努力すれば、結果となって、必ず戻ってくると、みんな信じていたと思います。先生に、そう教えられましたからね。
しかし、大きくなって、世の中のことが、いろいろ分かってくると、そうならないことも、けっこう多いことに気づくのではないでしょうか。
一人勝ちしていたはずの大企業が、半年後に、赤字会計に転落したり、財テクの本を出してベストセラーになっていた芸能人が数年後、破産宣告を受けたり、再建王と呼ばれた人の会社が、何年か後に、倒産寸前になっていたり・・・・・。
努力するのは当たり前として、結局、うまくいくか、いかないかなんて、運次第のような気がします。成功している人がいたとしても、それは、たまたまそうなっているだけで、いつまでも、持続するわけではありません。
この世の中、ビジネスの必勝法なんてものは存在しない、と言ってもいいのではないでしょうか。


12月22日金曜日、
今日は年に一度、年末恒例の重大行事を行う日です。
朝から、腕立てやって、腹筋やって、スクワットも、きっちりこなして汗を流します。普段は、頭から水をぶっかけるだけのシャワーも、今日は、ちゃんと石鹸を全身に塗って、入念に体のすみからすみまで、しっかりと汚れを落とします。
タオルで体を拭き、この日のために温存しておいた一張羅の白シャツに袖を通し、櫛で髪をまとめ、コロンを全身に振りかけ、最後はパンツの中にも振りかけ(男はみんな、やっているはず)、準備は完了です。
「よしっ、完璧だ、出発しよう!」
以前は、女房のラントムを引き連れて出かけたこの行事も、今や、ある事情によって、それは叶いません。
私は1人、目的地であるワット・シャロンに車を飛ばしました。
タイで暮らし始めて14年が過ぎましたが、私は、いつの頃からか、確信が持てないことにチャレンジするときや、決断に自信がないとき、そして、ハイシーズンの直前にも、必ず、ここにやってきて、あることに頼るようになっていました。

プーケット在住2年目の春、私のもとに、トラン県でゴムのプランテーションをやらないか、という話が持ち上がっていました。
すっかり、その気になっていた私に、ラントムは、
「でも、パパ、やっぱり、プーケットにいたほうがいいんじゃないかしら・・・」
ポツリと、そう漏らします。
「だって、ここなら、外国人もいっぱいいるし、何だってあるでしょ。パー(ジャングル)の中には、何もないわよ・・・・」
乗り気満々だった私ですが、ラントムにそう言われると、だんだん自信がなくなってきてしまいます。あれこれ考えた末に、私は、
「こうなったら、おみくじ引いて決めよう」
と、意味もなく、そう決心しました。どうせ、こんなもん、インチキなんだけど、いいくじが引ければ、迷っている私の背中を押してくれるんじゃないか、そう考えたのです。

私は、数あるお寺の中から、プーケットで最も格式が高いと言われるワット・シャロンを選び、おみくじを引きに行きました。
ところが、このとき引いたおみくじが、実に芳しくない内容で、背中を押すどころか、逆に足を引っ張られてしまいます。
「こんなはずはない」
そう思った私は翌日、今度はプーケットタウンのタラート・ソッド(生鮮市場)の近くにある寺に行って、もう一度トライしてみましたが、やっぱり、結果は同じでした。
軽い気持ちでやったおみくじですが、2連敗してしまうと、私も、だんだん心配になってきます。なんか、スッキリしません。
流れを変えたかった私は、翌週、最後の切り札として、カトゥーの山の上にあるワット・プースアに行って、再びくじを引きました。
しかし、私は、ここでも、いいくじを引き当てることはできませんでした。とうとう、三連敗です。
どうしても、トランに行きたかった私は、おみくじごときのために予定を変更する気にもなれず、
「どうせ、あんなものは、単なる気やすめだから」
と自分に言い聞かせ、この話にゴーサインを出してしまいました。

結果から言えば、この決断は間違っていたと、ハッキリ言えます。
例え失敗に終わっても、時が経てば、それが楽しい思い出に変わるというのは、よくあることですが、このとき、私がトランで経験した数々の出来事は、ビジネスがうまくいっていたにもかかわらず、できることなら避けたかった、と今でも感じるような、辛い思い出になってしまいました。
私は、このときの経験以来、タイのおみくじは、
「侮っちゃあ、ダメだ」
と思うようになったのです。

そして、津波直前の2004年12月21日火曜日。
この日、私は、ラントムと彼女のお母さんを連れたって、ワット・シャロンに行き、くじを引きました。
ふつう、ラントムと2人で行った場合、2人揃って悪いくじを引くことは滅多にありません。ところが、この日は、3人揃って討ち死にで、全滅してしまったのです。
なんだか、とってもイヤなムードで帰ってくると、その5日後に津波がやって来ました。単なる偶然だとは思いますが、私は、その翌年から、シーズンインの前には、
「何が何でも、いいくじを、引いておかねばならない」
と確信するようになりました。

ワット・シャロンに着いて車を止め、まず、売店でドーグブア(お供え用の白い蓮の花)とお線香のセットをもらいます。本堂に移って、入り口の前で、お線香とロウソクに火をつけ、これを指定された場所に置いてから、靴を脱いで中に入り、一番奥に置かれた3体の仏像に金粉を貼り付け、合掌します。
「タイの神様、いつも、ありがとうございます」
お参りが終わったら、いよいよ、おみくじに挑戦です。

まず、タイのおみくじのやり方を説明しましょう。ルールは、その地域、寺、個人によって違いもありますが、一番一般的なものは、以下のやり方だと思います。
まず、筒に入れられた、お箸を平べったくしたような木製のおみくじを、ガシャがシャと前後に振りながら、1本だけ外に落とします。おみくじ棒には数字が入っていて、これがおみくじ番号となります。
ただし、ズングリしたバナナを半分に切ったような形のポーイと呼ばれる2つ一組の木片を投げて、これが両方とも同じ面が出てしまうと失敗で、また最初からやり直しです。慣れるまでは、一本だけ落とすのが、結構、難しく、何度もチャレンジして、ようやく成功したのに、ポーイで失敗して、やり直しになり、ガックリ・・・、ということがよくあります。

さあ、いよいよ、ハイシーズン前の大切なおみくじです。
まず、赤いカーペットの上に座り、お箸入れのような筒を手にとって、神様にお願いします。
「神様、どうか今シーズン、従業員が大量に辞めることなく(2,3人辞めていくのは計算済みだー)、少なくとも、2月の終わりごろまでは、無事に辿りつけますように・・・」
ハイシーズンを乗り切れるかどうかは、この日のくじに懸かっている(と私は信じています)のです。

私は、気合と共に筒を振り始めました。
ガシャガシャガシャガシャガシャガシャ・・・・・・・・・・・・、筒を揺り動かしているうちに、中のくじが火山のように盛り上がってきます。
慎重に、慎重に・・・。
早く落とそうと思って、筒を傾けすぎてはいけません。ここで、焦ると、一度に何本も落ちてしまいます。
ガシャガシャガシャガシャ・・・・・・・・ポトリ。
ようやく、棒が一本落ちました。さあ、何番でしょうか?
16番です。
続いてポーイを投げます。しかし、両面とも上を向いてしまいました。失敗です。
2回目も、ポーイで失敗し、3回目に、ようやく成功した数字は27番で、別コーナーにある、おみくじ置き場に行って、27番の枠から1枚くじを抜き取りました。

ここのおみくじの一番の特徴は、タイ語で書かれた説明文の下に、中国語でも書かれており、日本人なら漢字を読めば、なんとなく、内容を把握できるということでしょう。便利ですね。
さて、内容は・・・・?
「時運不好」
いきなり、不吉な書き出しです。そして、「問財遅来」とあり、さらに「悲多煩悩」「失物難回」「有人加害」と続き、最後に、「諸事不順」だそうです。
最悪ですね、これは・・・。まるっきり、話になりません。
なんでもいいんですが、「婚姻不合」というのも気に入りません。
大切なハイシーズンですから、こんなくじを引いたままで、迎えるわけにはいきません。家では、お腹を空かせた子供たちが、私がいいくじを引いて帰ってくるのを、今か今かと待ち続けているのです(うそ)。

「よし、もう一度、やりなおしだ」
私は、右手の拳を強く握り、小さくガッツポーズするように気合を入れ直しました。再び赤じゅうたんの上に戻った私は、置かれているおみくじセットの中から、今度は一番右端に置かれてある筒に手を伸ばします。
大きく深呼吸して、さあ、2投目です。
ガシャガシャガシャガシャガシャガシャガシャ・・・・・・・。
今度は、2回目で成功しました。数字は、6です。さて、内容は・・・・。
「下答」
またイヤな書き出しです。とにかく、「不」「無」「下」「失」「難」といった漢字が出てくれば、じっくり読まなくても、悪い内容だということが、すぐに分かってしまいます。
さらに、「本身失財」「不用多想」「有病難療」・・・・、後に続く文も、ろくでもないものばかりで、1回目とほとんど変わりませんでした。

「ちょっと、神様、いい加減にしてください。
あなた、いったい、何考えてるんですか。私には、子供が4人もいるんですよ。あの子らのことが可哀想だと思ったら、私にもっと、いいくじ引かせてください」
八つ当たり気味に、神様にケチをつけて、私は、再び赤じゅうたんの上に戻り、再々挑戦です。となりでは、こんな私の様子を、3人のタイ人女性が、
「この人、さっきから、何回引いてるのかしら・・・」
といった目で眺めています。
しかし、そんなこと気にしている場合じゃありません。私の肩には、家族全員の幸せが懸かっているのです。

「今度こそ、絶対に大吉引いてやるぞ!どうか、神様、ブレイクポイントをお守りください・・・・」
さあ、3投目です!
ガシャガシャガシャガシャガシャガシャ・・・・・・、
また筒の中から、くじの山が盛り上がってきた・・・・、
ズンズンズンズン・・・・、どんどん盛り上がってくる・・・・、ズンズンズンズン・・・・、さらに、その中から2本突出してきました。
ズンズンズンズン・・・・・・・・・・・、ポトリ。
さあ、何番だ?
・・・・・28番です。
ポーイを投げる・・・・、今度は一発成功です。
私は緊張しながら、おみくじ置き場から、28番の紙を取り出しました。さあ、内容はどうでしょう?
「上答」・・・・・・・・おおっ!
「凡事順意」・・・・・・これは!!
「幸福常」・・・・・・・・もしかして!!!
「病療」「訴訟勝」「失物可回」・・・・やっぱり・・・!!!!
「有財有福」・・・・・・・・・・・・どう見ても、大吉じゃないでしょうか!!!!!
しかも、最後に、「会得妻妾三人」なんてことも、書いてありますよ。神様がこんなこと言っちゃって、いいんでしょうか?

これで、今シーズンも、ひと安心です。無事に、ハイシーズンを越えることができるでしょう。
人間、真面目にやっていると、いいこともあります、本当に!
世の中、結局、最後は運次第なんて言ってしまいましたが、やっぱり、ツキというのは、自らの努力によって、自分の手に引っぱり込むものだということが、よーく分かりました。
狙ったサイコロの目は、意地でも出す。これぞ、勝負師の心意気というものでしょう(ふつう、3回も引けば、大吉引けるんですが・・・)。

さあ、みなさんも、嘘だと思っちゃあ、いけません。
プーケットに来たら、是非一度、お試し下さい。
あなたの近未来が、きっと、きっと、そこに書いてありますよ。


それでは、みなさん、よいお年をお迎えください。
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by phuketbreakpoint | 2006-12-31 12:11

月光の中で・・・

1993年2月。
バンコク発の夜行バスに揺られて約10時間、私は、ソンクラー県ラノットにあるラントムの実家を目指していました。
前年9月、ラントムが出産のためタイに戻ってから、早や5ヶ月、日本で単身生活を送っていた私の赤ちゃんが、いよいよ生まれる瞬間が近づいてきたのです。
時刻は午前6時過ぎ、うっすらと朝日が昇りはじめ、バスの窓からは、海も見えてきました。ラノットまで、あと僅かです。

「すいません。シャイクアンの停留所で降りたいんですけど・・・」
「シャイクアン?知らないなあ・・・。あんた、近くまで来たら、教えてくれよ」
タイの長距離バスの便利なところは、路線内であれば、ターミナルやバス停以外でも、お客さんが降りたい場所で、いつでも降ろしてくれることでしょう。
「ダメですよ。規則ですから・・・・」
目の前に家があるのに、素通りしてしまうような不人情なまねはしません。

すぐに降りられるように荷物を持って、運転席のところまでいき、外の景色を眺めていると、見たことのある風景が流れていきます。
極彩色に彩られた寺院の鳥居、その反対側にママー(タイのインスタントラーメン)の看板、そして、サラー(屋根つきバス停留所)が進行方向右手に・・・・。
「あっ、ここ・・・、ここで降ろして!」
私は、運転手さんにバスを止めてもらい、学生時代、貧乏旅行をやっていた頃から愛用しているズタ袋を肩から掛け、両手いっぱいにお土産袋をぶら下げて、バスから降りていきました。

バスを降りると、バイクタクシーの運ちゃんが7~8人、獲物を求めて群がってきます。
「あれ?誰かと思えば、トム(注、ラントムの略称)のダンナじゃねえか。おお、乗ってけ、乗ってけ、オレのバイクに乗ってけ」
ラントムの実家の近所に住む、おじさんのバイクに無理やり乗せられてしまいましたが、これがタダでないのは言うまでもありません。
距離にもよりますが、1回10バーツ。あまり効率のよい仕事とは思えませんが、これでも、村では数少ない経済活動の1つなのです。

国道わきのサラーから離れ、これといって特に美しいわけでもない、典型的な南部の田園風景の中をバイクは走っていきます。揺られること約3分、ラントムの実家が見えてきました。
田舎ですからパソコンはもちろん、電話もありません。この日に私が行くことは、10日ほど前に出した手紙に書いておきましたが届いているでしょうか。
バイクを降りて、庭に入っていくと、家の中で誰か寝ているのが見えます。
ラントムでした。

私の姿を見つけると、彼女は、嬉しそうな笑顔で迎えてくれました。
「フミオ、サバイ・ディー・マイ(元気にしてた)?バス、ちゃんと、降りられた?」
それにしても、あの頃の彼女は、何を喋るときにも、声量がとても、か細かったような気がします。しかも、ものすごく甘い声でした。いつ頃から、今のような喋り方になってしまったのでしょうか?
「4日前に生まれたの・・・。昨日退院したばかりで・・・」
よく見ると、彼女の隣には小さな赤ちゃんが2人、マットの上に寝かされています。
「双子なの・・・。どう、可愛い?」
ラントムは以前と比べ、ずいぶん太っていましたし、手紙に書かれた予定日まで、まだ1週間ほどありましたから、最初は、ここに寝ている赤ちゃんが自分の子供とは思いませんでした。
生まれてから、まだ日も経っていない赤ん坊は、本当に小さく、弱々しいもので、可愛らしいという表現には、ほど遠いものがあります。感動的な父子の初対面でしたが、そんな実感が、ぜんぜん湧きませんでした。

そんなとき、隣のダムおじさんが、「ごめんください」も言わず、勝手に家の中に入ってきました。
タイの田舎の家にはドアなんてありません。夜、寝る前に雨戸を閉めるだけで、日中は開けっ放しにしてあります。外から中の様子は丸見えで、隠しようもありません。
このような家の構造は、近所の人間同士が親近感を高めるには役立ちますが、何か隠し事をしたいときには、困ってしまいます。日中に雨戸が閉まっていれば、中で何か、見られてはならないことをやっているのに他なりません。
3軒となりの新婚のサックさん、完全にバレてますよ!

「おや、トムのプア(旦那さん)が来てるのか・・・。どうだい、元気かい?」
そう言いながら、揺りかごの中の赤ちゃんを覗き込みます。
「やっぱり、白いなあ。1人、わしに、くれないかい・・・」
もちろん、本気で言っているわけではありませんが、
「それくらい可愛いよ、アンタの子は・・・」
というお世辞が言いたいわけです。タイの田舎の人間関係は、非常にヘビーで、粘っこいものがあるといえます。

このおじさん以外にも、ラントムの幼なじみ、近くのお寺の和尚さん、ラントムのおじいさんの友達、おとうさんの酒飲み仲間、村長さん、郵便配達のおじさん、ただの通りすがりの人(?)等など、どこからか話を聞きつけた人たちが、入れ代わり、立ち代り現れては、先ほどと同じような表現を使って、赤ちゃんの誕生を祝福してくれました。
挙句の果てには、学校の先生が、ぞろぞろと20人以上の生徒を引き連れて、家に中に入ってきます。
「今日は課外授業で、日本人の赤ちゃんを子供たちに見せてやることにしました」
と言っているのですが、家主と親の了解もとらずに、勝手に授業日程変更しちゃっていいんでしょうか。
とにかく、娯楽や話題の少ないこの村では、ラントムが日本人の双子を生んだという話は、ビッグニュースになっていたようです。

午後4時過ぎ、子供たちが学校から帰宅し、しばらくすると、お父さんたちが、リヤカーいっぱいに、刈り取った稲穂を山のように積み上げて、稲刈りから帰ってきました。それを見た子供たちも、後ろからリアカーを押して手伝っています。
“夕焼け、小焼けの赤とんぼ・・・・”
そんな歌が聞こえてきそうな、のどかな農村の夕暮れどきでした。

夕食を終えると、家族全員でチャンネル7のドラマを楽しみます。
これが唯一の娯楽ですが、大勢で見るテレビは映画館のようで、まさに一家団欒の時間といえます。内容はよくわかりませんでしたが、この中に身を置いていると、不思議な心地よさを感じました。
おじいさん、おばあさん、お父さん、お母さん、ラントム、マヨム、ギンとプン(ラントムの兄の娘)、ラントムの妹ティップの家族、そして、生まれたばかりの、あきおとなおこ。今日は私も、その一員なのです。
ドラマが終わり、寝床に蚊帳を張って、ラントムと私は、赤ちゃんと一緒に中に入りました。朝から顔は合わせていましたが、あれこれと邪魔が入って、じっくり話もできませんでしたから、久しぶりに、夫婦水入らずの時間が私とラントムに訪れました。

ところが、寛ぐひまもなく、なおこが、「オギャー」と泣き始めます。どうやら、オシッコをしてしまったようです。
これがきっかけになったのか、赤ちゃんの波状攻撃が始まってしまいました。ウンチにオッパイ、また、オシッコと止まりません。交互交互で、「オギャー」「オギャー」と襲い掛かってくる2人の赤ちゃんは、ラントムを眠らせようとしません。生まれてから毎晩、こんな調子だったのでしょうか。
「こりゃあ、大変だねえ。オレも手伝うよ」
「それなら、あきおがキー(うんち)しちゃったから、フミオ、外で洗ってきて」

辺りは真っ暗で、ほとんど何も見えませんが、1歩1歩、手探りするように歩いて、私は井戸のある洗い場まで、たどり着くことができました。
赤ちゃんを落っことさないように、うんちが手につかないように、しかも、水まで汲み上げねばなりません。やってみると、これが大変な作業で、なかなかうまくいきません。やっとのことで汲み上げた水を使って、私は、あきおのお尻を、きれいに洗って汚れを落としました。

真っ暗だと思っていましたが、目が慣れてきたのか、周りを見渡してみると、いろんなものが、はっきりと識別できます。垣根代わりのバナナの木、お隣との境界線上にある竹やぶ、メータウ(おばあちゃん)が入れられている離れの小屋、その奥には牛小屋も見えます。
外灯はなし、水道もなし、牛も、ニワトリも、犬も、人間も、みんな、もう寝てしまったようで、暗闇の中から聞こえてくるのは、「チチチチ・・・」という虫の音だけでした。
空を見上げると、小さな星が無数に散らばり、文字通り満天の夜空です。そして、その真ん中で、大きな丸い月が光り輝いていました。
熱帯らしくもない、ひんやりとした風が私の体を通り抜け、自然と自分と赤ちゃんが、暗闇の中で一つになって、周りのすべても、私たち2人を優しく包み込んでいるようです。

私は、両手の平で掬い上げるように、赤ちゃんを月光にかざしました。
月明かりの中で、小さな命が動いています。
「一生の仕事って・・・」
「オレの人生の目標は・・・」
具体的なものが、何一つなかった私の前に現れた2つの新しい命。
やりたいことは、依然として、よく分からなかった私でしたが、やらねばならないことは、今やハッキリしています。
この子らを、育てていかねばなりません、自分の手で・・・。
人の親になったという実感は、まだ、ありませんでしたが、何か大きな責任を背負わされたことだけは、なんとなく自覚することができました。
虫の音だけが聞こえる、真っ暗な庭先で、私はこの日、4日遅れで、父親になったのです。
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by phuketbreakpoint | 2006-12-31 02:41
昭和41年12月25日、岐阜市鷺山、ルーテル幼稚園。
「きーよしー、こーのよるー、ほーしはー、ひーかりー・・・・」
同名称のキリスト教会が経営するこの幼稚園では、毎年クリスマスに、園児総出演のキリスト劇が上演されます。
キリスト劇ですから、主役はイエス・キリストとマリア様です。
幼稚園1年目の私は、ヤギの役をやらされました。イエス・キリストが生まれた馬小屋の脇で、牛やら馬やらと一緒に、キリストをボヤーと眺める役です。当然、セリフはありません。
私は子供心にも、
「あーあ、なにか喋りたいなあ・・・」
なんて思いながら、ヤギのお面をかぶっていました。

翌年、年長組になった私に、また、キリスト劇の季節がやってきました。
今回、与えられた役は、羊飼いです。ヤギに比べ、多少、出世はしましたが、長々と喋る主役の加藤君と野田さんに対して、私のセリフは、たったの一言、
「あっ、流れ星!」
それだけでした。キャストを決める先生方も、適正を見て選んでいるでしょうから、私は、目立たない、地味な子供だったのでしょう。


私とラントムは、結婚して14年以上になりますが、けっこう、うまくやってきたと思います。
ラントムは、無駄使いもせず、博打や、男や、酒に溺れることもなく、一生懸命、我が家を支えてくれました。
私も、他の女に目移りすることなく、銭儲けに励んできました。
子供たちも、元気に育ち、何の不満もない生活を送ってきたつもりだったのですが・・・。

ところが、最近、私たち夫婦の間に割って入る、不届きな男が現れたのです。この男のお陰で、私たち夫婦は、ときに分断され、まるで、別々の世界で生きているかのような気持ちになることがあります。その男の名は・・・、イエス・キリスト。

2004年の12月。
私とラントムが、チャオファー・ロードを車で流していたら、屋台が見えました。
「ママ、お腹空かない?カイ・トード(チキンのから揚げ)でも、食べようか」
車を屋台に横付けし、私たちは、から揚げを2人分買いました。お金を払い、車を出そうとしたとき、屋台のお婆さんが、1枚のチラシをラントムに手渡します。彼女は、特に関心を示すこともなく、車は、この場を離れました。これが、すべての始まりでした。

2日後。
「パパ、今度の日曜日、ここに行っていいかしら・・・」
彼女は、私に聞いてきました。
「キリスト教の教会なの。私、行きたいんだけど・・・」
彼女の手には、あのときのチラシが握られています。どうやら、キリスト教の宣伝チラシだったようですね。
「ふーん、キリスト教ねえ・・・。まあ、たまには、そういうのもいいかもね」
私は深く考えることもなく、そう返事をしてしまいました。

ラントムは以前から縁起物、開運物が大好きな人でした。
商売に最高といっては、へんてこな魚獲り用のワナを、どこからか買ってきて、お店の入り口の天井に、おまじないとして括り付けたり(注、これでお客さんを、一網打尽にしてしまおうという作戦)、有難い、お寺のお守りだといっては、なんでもない、プラスティック製の安っぽいパネルを、有り難くない値段で買ってきたり、サリッカー(おうむ)の不思議な魔力のあるペンダントを、騙されて買わされそうになったり・・・・。

「あーあ、あんなもん買っちゃって、お金が、もったいないのになあ・・・」
私は、呆れていましたが、そんなラントムが、とても微笑ましく、彼女のそんなところが大好きでした。ですから、今回も、一時の気の迷いで、そういった縁起物の最終兵器として、キリスト教会がどんなものか見たくなったのだろう、としか思いませんでした。

4日後の日曜日、ラントムが生まれて始めて見たキリスト教会は、賛美歌をポップ調にして歌いまくる奇妙なスタイルで、私が知る伝統的なキリスト教会とは、大きく雰囲気が異なっていました。さすがの彼女も、違和感があったようです。帰ってきたときには、「もう、行かない」と言っていました。
ところが、その翌週の日曜日に、津波が来てしまったのです。なんという、バッド・タイミングでしょうか。
私も、ラントムも、打ちひしがれていましたから、心に、大きな、すきま風が吹いていました。何かに、すがりたいのは人情ですね。
そんなとき、彼らが、うちまでやってきて、彼女を誘ってきました。うつ状態の彼女の気持ちが、ちょっとでも紛れればと思い、キリスト教の本質を甘く見ていた私は、また、OKを出してしまいました。

その2週間後です。
「あれ?ここにあった、仏壇は?」
お店の一番奥に置かれた仏壇が無くなっているのに気づいた私は、ラントムに尋ねました。
「・・・・・・・・」
彼女は、無言です。
「どうしたのよ?」
「・・・・・・・・」
やっぱり、無言でした。
「まさか、捨てちゃったんじゃ、ないだろうね」
「・・・・・・・・・・」
その、まさかでした。

プーケットで暮らし始めて11年以上、その間、あきおが、熱を出したといっては、花を買ってきてお供えし、なおこが、お腹を壊したといっては、お菓子を買いに行ってお供えし、マヨムの顔に、小さな傷ができてしまったといっては、
「どうか、痕が残りませんように・・・・」
と、2人で一緒に両手を合わせて拝み続けた、あの仏壇が、像から、台から、丸ごと消えて無くなっていたのです。
彼女が自分で、こんなことを考えるわけありません。誰かが、そうしろと教えたのでしょう。
そして、教えられたからといって、アッサリ実行してしまうラントムの姿を見て、私は、恐ろしくなりました。
衝撃を受けたと言ってもいいでしょう。

日本にいた頃の私は、神様なんて、くそくらえ的な、バチ当りな人間でしたが、ラントムと結婚し、タイで暮らし始めてからは、彼女や、他のタイ人を見習って、タイの神様を敬ってきました。特に熱心に仏教の教えを信じることはありませんでしたが、タイの人たちの、そして、ラントムの信心深い姿には、大いに感心させられたからです。

人間は誰しも、自分の力では、どうにもならないことを恐れ、何か不思議な力で救ってくれる、絶対的な存在に頼ろうとする気持ちがあるのは仕方ありませんが、私にとって、その呼び名なんて、どうでもいいことなんです。仏様だろうが、お釈迦様だろうが、キリスト様だろうが、どうせ、人間が勝手につけた名前なんですから・・・。

キリスト教プロテスタント。
彼らは、偶像崇拝を認めておらず、マリア像ですら否定している人たちですから、
「仏像なんて、ただの石・・・(ラントム談)」
ということになるのでしょう(それを言ったら、聖書はデタラメ本なんですが・・・・)。
しかし、石ころに頼ったおかげかどうかは分かりませんが、実際、あきおも、なおこも、私たち夫婦の望みどおり、すくすくと元気に育っているのです。数々の局面の、その時々で、2人で一緒に手を合わせてきた思い出の石ころは、彼女の手によって、ゴミのように捨てられてしまいました。
それだけでなく、友達のイタリア人がくれた、坊さんの顔らしき置物も、単に、仏教的だという理由だけで、お払い箱にされてしまったようで、いつの間にやら、消えていました。そして、彼女は家庭内にある、ありとあらゆる、仏教を連想させるものを、すべて処分してしまったのです。


日本国の教科書によれば、ときの権力者によって弾圧されたキリシタンは、可愛そうな人たち・・・、という間違った認識が横行しているようですが、私に言わせれば、他人を弾圧する者は、必ず同じような目にあう、ということだと思います。
物事には、礼儀、礼節というものがあると思います。他所からやってきたものが、先にいるものの立場を、まったく尊重しなければ、摩擦や軋轢が生まれるのは、当然だと思います。いきなり、家の中に上がりこんできた女が、子供たちと幸せに暮らしている先妻を追い払って、
「今日から、この家の母親は、私になりました。みんな、もう、あの女のことは、相手にしないように」
なんて言っていれば、顰蹙を買うのは必至でしょう。
より強い野獣が現れたら、コヨーテやハイエナは、追い払われてしまうのが弱肉強食の掟ですが、かつてのキリスト教は、後からやってきた、トラやライオンと、まったく変わりがありません。

「汝の隣人を愛しなさい」
と立派なことを教えているのに、どうして
「汝の隣人が愛する宗教も、尊重してやりなさい」
と、もう一言が言えないのでしょうか。
立派な職業に就き、収入も多く、資産もあり、家柄も申し分ない人物が、同業者の悪口ばかり言っていたのでは、ケツの穴の小さい男と思われ、誰からも、尊敬されることはないでしょう。当たり前ですね。

ラントムが生まれから30年以上、私が彼女と結婚してから14年以上、ずっと、私たち家族を見守ってきてくれたタイの神様。
散々拝んでおきながら、ラントムに別の女ができたから、ポイッと捨てられてしまったタイの神様。
困ったときにだけ、お寺や神社にお願いに行くような、まったくもってデタラメな私ですが、こうなったら、金髪で、長髪なびかせた白人のイケ面兄ちゃんに弾圧され、苛められている得体の知れないアジアのデブ親父(失礼)の肩を、徹底的にもってやろうじゃないか、そんな気持ちなのです。


日曜日というのは、以前は、家族みんなで出かけ、ご飯を食べたり、映画を見たりした楽しい一日でしたが、今では、それが半日になってしまいました。
彼女が参加しているグループは、高額の寄付を求められたりする、如何わしい反社会的な団体ではないようです。牧師さんや、中心メンバーの方たちにも会いましたが、みんな、いい人たちばかりでした。彼女が、そこにいることで、救われたと感じるのなら、それも仕方がないのかもしれません。彼女を、そんな気持ちにさせた私が悪いのでしょう。彼女が続けたいのであれば、とやかく言おうとは思いません。私は、キリスト教のように、ケチ臭いことは言いませんからね。

それでも、私は信じています。
心優しき彼女は、今でも、自分が捨ててしまったタイの神様に対して、申し訳ないという気持ちが残っていることを・・・。
いつの日にか、また、2人で一緒にカトゥーの山の上にある、お寺に行って、お参りし、運勢鑑定を強要しようとするインチキ臭いオヤジの悪口が言える日が、きっと、きっと来ることを、私は信じて待ち続けることにしましょう。
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by phuketbreakpoint | 2006-12-27 01:07
最盛期には、日本国内のみならず、ハワイにまで支店を広げ、47店舗もの飲食店を経営していた澤野さん(仮名74歳)が引退して、プーケットにやってきたのが、今から2年半前の2004年5月でした。私の父と、4つ違いということもあって、私は、澤野さんとは、親子のようなお付き合いをしています。
来た早々、いきなりマッサージ屋の女に引っかかって、お金を騙し取られていましたが、授業料としては、それほど大きな額ではなかったので、ラッキーだったと思います。

澤野さんに限らず、引退後にプーケットに流れてきた日本人男性が、強烈なカウンターパンチを、タイ人女性に食わされるのは珍しいことではありません。みなさん、たいへん真面目な人生を歩んでこられた方が多いのか、女慣れしておらず、知らず知らずのうちに、相手のペースに巻き込まれ、気がつくと身ぐるみ剥がされていた、というパターンも多く見られれます。
因みに澤野さんを騙した女性は、やはり、私の知人である日本人実業家が入れ込んでいた女性の友達だったようで、こういった、騙しネットワークの網に引っかからないよう、注意しなければいけません。

その後、澤野さんは、あっちこっちで、いろんな女を突付いていましたが、深入りすることもなく、独身の身を守っていました。そんな澤野さんがラントムに誘われて、キリスト教の教会に通うようになったのは、半年ほど前のことでした。
「澤野さん、どうしたんですか、いきなりキリスト教だなんて・・・・。どんな宗教に変えたところで、今まで澤野さんが積み重ねてきた罪の数々は、決して、消えることはありませんよ。改宗する前に、身辺整理した方がいいんじゃないですか」
私は、遠慮もなしに失礼なことを言っていたのですが、
「キミの奥さんが熱心に誘うんで、なんか申し訳なくてねえ。それに、行ってみると、結構勉強になって、楽しいんだよ」
澤野さんは、そう言って、毎週教会に通っていました。

11月初旬のある日、澤野さんがお店に来て、話しかけてきました。
「ちょっと、西岡君、話があるんだ」
澤野さんの、「話があるんだ」は、たいがい女の話と相場が決まっていますが、案の定そうでした。
「実はねえ、教会の信者で、タンさん(仮名56歳)という人がいるんだけど・・・、聖書の話なんか、熱心に説明してくれてねえ。ボクは別に、どうってことはないんだけど、アタックが凄くてねえ、困ってるんだよ」
と、ちっとも困ってないような笑顔で話してくれました。
「よかったじゃないですか。キリスト教の信者なら、騙したりしないでしょうから、いいと思いますよ」
「君も、そう思うかい」
ところが、ほぼ同時期に、ラントムも、相手のタンさんから、
「クン・サワノ(注、澤野さん)に迫られて、困っているの。どうしたら、いいかしら・・・」
なんて相談を受けていたようです。

澤野さんの話を聞いた3日ほど後のこと、ラントムが
「ちょっと、パパ」
と私を呼びます。
「澤野さん、11月25日に、ワンさんと結婚するんだって」
「結婚?」
僅か3日間で、そんなに話が進んでしまったのでしょうか。父を見れば、よくわかりますが、この年代の日本人男性が、外国の女性と結婚しようだなんて、土台無理な話だと思います。彼らの面倒が見れるのは、三つ指突いて、三歩下がって、という同世代の日本女性だけではないでしょうか。イヤなことがあったら、すぐにバイバイ、のタイ女性と一緒になったって、長続きするわけがありません。
正直、そう思いましたが、本人は、もう腹を決めちゃったようですから、タイ女性と結婚した先輩として、アドバイスすることにしました。

「澤野さん、タイの女性と結婚するからには、心を入れかえてもらわないと」
「入れかえる?」
「そうです。とにかく、腹が立つことがあっても、一に我慢、二に辛抱、三、四がなくて、五に忍耐です。澤野さんも、玉音放送を聞いた世代でしょう。あのときの昭和天皇の大御心をお手本にして、耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで、ひたすら奥さんを立てて・・・」
「そこまでしなきゃあ、ダメなの?」
「ダメです。特に、ビジネス面で、あれこれ注文出しちゃあダメですよ。彼女がやってるお店(バイクの修理屋さん)なんですから、勝手にやらしとけばいいんですから。彼女から、手伝ってほしいと言われたときだけ、ちょっと助けてやればいいんです。その場合でも、決して、口を出しちゃあ、いけませんよ」
「オレも、そうしようとは、思ってるんだけどねえ・・・」
「思ってるだけじゃあ、ダメですよ。とにかく、彼女のやること、なすこと、すべてに干渉してはいけません。澤野さんは、今までどおり、自分の生活リズムを守っていればいいです。それで、夜に、ちょっとだけ話をして、眠くなったら寝てしまう、それを繰り返してください」
「ふーん・・・。なんか、だんだん結婚したくなくなっちゃったなあ・・・」
「ところで澤野さん、奥さんは、いったい何人いるんですか?」
「指輪交換したのは、今度で、5人目だけど・・・」
やっぱり、そうでしたか・・・。だいたい澤野さんに、
「今度、うちの息子がねえ・・・」
なんて言われても、それが本妻の息子さんなのか、ハワイの奥さんの話なのか、それ以外の人の子なのか、さっぱりわかりません。この島で、さらに増殖する可能性があるわけですから、大したものです。男に生まれたからには、こうでなければいけません。

3週間後、澤野さんとタンさんは、めでたく式を挙げました。
タイの結婚式は、日本と違って、堅苦しいところが全然ありません。出席者に精神的、経済的な重圧をかけることはないのです。来賓の挨拶や、仲人による新郎新婦の紹介、化粧直し、乾杯の音頭、キャンドルサービス、挙句の果ての、カラオケ大会・・・・。こんなものは、一切ありません。
2人とも、クリスチャンということで、タイ王国の伝統をかなぐり捨てた、洋風の結婚式になりました。

黒のタキシード姿で、5回目なのに、やけに緊張している澤野さん。一方、奥さんの方も、真っ白なウエディングドレスに身を包み、ピカピカの花嫁さんを演じています。
2人合わせて、130歳です。冷やかし記事にしようと思ったのか、新聞記者の顔も見えます。
「死が2人を別つまで、あなたは生涯、この女性を、愛し続けることを誓いますか」
恐らく、過去4回の結婚式でも、同じように聞かれ、それを、ことごとく反故にしてきた澤野さんが、いともアッサリと、
「チャイ・カップ(はい、誓います)」
と答えているのを見て、
「ウソつけ」
と、突っ込みを入れたくなりました。

友人たちに見守られ、フラワーシャワーを頭から浴びて、2人は笑顔で教会の外に出て行きます。そして、56歳の花嫁が投げるブーケを狙って、若い娘たちが群がりました。
「チャオ・サーオ(花嫁さん)、こっちに投げて!」
ワンさんは目をつぶり、後ろを向いて、右手のブーケを大きく頭上に投げ上げます。みんな、酒も入っていないのに大喜びで、2人の結婚を祝福しました。

それにしても、タイは、本当にありがたい国なんだなあと、つくずく思いました。いくつになっても、男は、男でいられ、女は、女でいられるのですから・・・。
この国では、年寄りだから、といって差別されることはありません。1人ぼっちで、ポツンと忘れ去られるようなこともありません。
たとえ、高齢者であろうとも、誰かを愛し、恋のバトルに参加することが許されているのです。女であることを諦めた女性たちが、怪獣化(失礼!)してしまう日本国とは、対極にあると言えるでしょう。タイ王国では、恋のチャンスは死ぬまで残っているわけですから、いくつになっても、悪あがきできるわけです。
こんな素晴らしい国が他にあるんでしょうか。

さあ、澤野さん、今度こそ、本当に最後にするつもりなんですか。
「5度目の正直」、いや、それとも、「5度あることは、6度ある」、いや、いっそのこと、さらに回を重ね、
「七転び八起き」
を若い人たちに、身をもって教えてやるというのも、いいかもしれません。
ただし、その前に、身辺整理だけは、ちゃんとしておかないと・・・・・。
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by phuketbreakpoint | 2006-12-08 02:12