タイ・プーケット島在住。タイならではの出来事や日々の体験、個人的な思い出などを書きとめています。


by phuketbreakpoint
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人間辛抱だ

今年も、ハイシーズンが近づいてきました。
ガイドブックでは、、プーケットの観光シーズンは11月からスタートとありますが、本当に忙しいのは、クリスマスから3月上旬ごろまでの僅か2ヶ月半で、この期間は、ビーチ全体に人が溢れ、活気があり、お金がどんどん入ってきて、しかも手元に残っていきます(いつもは、右から左へ抜けていきますが)。プーケットで、最も華やかな季節だと言えるでしょう。
ここで稼げるだけ稼いでおいて、ローシーズンに備えたいと思う気持ちは、プーケットで観光客相手に商売をやっている者なら、誰しも同じではないでしょうか。

ハイシーズンの前は、どのお店も、様々な準備をして挑むのは当然だと思いますが、いったんシーズンインしてしまえば、もう、そんなことを言っている余裕はありません。作戦も、ヘッタくれもないのです。目の前には、魚(お客さん)がウジャウジャ泳いでいるわけですから、何も考える必要はありません。手当たり次第に、すくい上げていけばいいわけですね。ひたすら、体力勝負の毎日が続くわけです。

しかし、オーナーの私はともかく、働いている従業員にとっては、やはり、たいへん辛い時期のようで、この2ヶ月間に、ポロポロとスタッフが抜け落ちていき、
「これ以上、人が辞めると営業できないぞ」
という、断崖絶壁状態に追い込まれてしまうことがけっこうあります。

短いハイシーズンですが、クリスマスから、お正月明けまでの10日余りが第1ピークで、ここは期間も短く、辞める人は、ほとんどいません。10日ほどのインターバルを置いて、1月中旬ごろから始まる第2ピークへと続きます。第2ピークは、ダラダラと約1ヶ月間続き、ここで、みんないやになって、辞めていってしまいます。
まさに、ハイシーズンの正念場、プーケット観光ビジネスのピレネー山脈越えといったところでしょうか。この1ヶ月間を、いかに乗り越えるかが、勝負の分かれ道となります。毎年、何人か辞めていくのは恒例になっていますから、シーズンインする前に、予め、2~3人余裕を持たせておこうと思うのですが、これが計算どおりにはいかないわけです。


12月で、5周年を迎えるブレイクポイントですが、開店以来、私と女房のラントムは、従業員の確保にいつも汲々とし、苦しめられてきました。幸せな南国生活が突然、ドロドロとした精神状態に陥り、もう頭の中が、この問題だけでいっぱいになってしまうことが継続的に何度も襲ってくるようになったのです。

以前は、お店の裏に、張り紙を出しておけば、早くて1週間、遅くとも1ヶ月ほど待てば、質はともかくとして、必ず1人や2人、面接にきたものです。面白いのは、1人くれば、連鎖反応が起こるように、次から次へと電話がかかってきて、1週間もしないうちに募集枠はいっぱいとなり、それ以降の電話に対しては、
「ゴメンナサイねえ、もう締め切っちゃったから、また今度ね」
と、お断りしていました。人が動く時期には、連動性があるようですね。

ところが、津波の前あたりから、だんだんと、こういった周期はなくなり、待てども、待てども、誰一人として面接に来なくなりました。津波後、半年ほどは、どこも景気が悪かったので一時的に人が余っていましたが、昨年の7~8月ごろから各店とも募集をかけ始め、人手不足が再発し、現在に至っています。

待っていても誰も来ませんから、こちらから攻めることにしました。
タウンの外れにある労働局は、労働者、失業者に仕事の斡旋も行っています。私は、ラントムと2人で、ここに行って探してみることにしました。
「あのー、従業員探してるんですけど・・・」
「どういった職種ですか?」
「レストランです」
「それでは、このファイルをどうぞ」
職員さんに、背表紙が7-8センチはありそうな分厚いファイルを2冊渡されて、中を開けてみると、仕事を求める人たちの履歴書がびっしりと詰まっています。より取り見取りの状態でした。

「凄いね、ママ!これだけいれば、選ぶのが大変だよ」
そんなことを言いながら、2人で手分けして、約30人をリストアップして家に帰りました。
「こんなことなら、もっと早く来ればよかったねえ。この中から、3~4人に絞り込んで、良さそうな人だけ採ろう」
既に問題は解決されたとばかり思っていた私とラントムですが、リストに書かれた人たちに電話をかけ始めると、すぐに現実に目覚めさせられます。

「もしもし、サーオさんですか。労働局のファイルで、あなたの名前を見たんですけど、お仕事探しているんですか」
「はい」
「うちはレストランなんですけど、大丈夫ですか?」
「ええ。私、キャッシャーやりたいんですけど」
「そうですか。キャッシャーやるには、まず、メニューを覚えてからでないと。最初は、スーブ(給仕)でスタートしてください」
「いえ、私はキャッシャーだけ、やりたいんです。掃除もイヤです。やりません」
「そうですか。それではダメですね。わかりました。ガチャ」

次の人に電話します。
「労働局のリストで、名前を見たんですけど」
「あ、そう。場所どこー?」
「パトンビーチのレストランですけど、大丈夫ですか?」
「パトンねえー、わたし、ナイムアン(注、プーケットタウン)だからー、パトンは無理だわ」
これもダメです。なんでもいいんですが、この人、敬語がまるっきり使えません。これでは論外です。

また、次の人です。
「労働局で、名前を見たんですけど」
「場所はどこですか?」
おっ!この人は敬語が使えるようです。
「パトンビーチなんですけど、通勤できますか?」
「はい。でも、パトンのどこなんですか?」
「パトンタワーのあるソイですよ」
「パトンタワー・・・・、じゃあ、ビーチのすぐ近くですか?それじゃあ、ちょっと・・・・・。だって、海に近いと、凄く忙しいでしょ?」
これもダメです。それにしても、忙しいからイヤだとは・・・・・。

また別の人は、
「私、経験はありません。でも、できると思います。初任給は8000バーツ欲しいんですけど・・・」
「最初から、それはムリよ。働きぶりを見て、仕事を覚えたら、あげられるかもしれないげど・・・」
「そうですか。わかりました。ガチャ」

とにかく、かける電話、かける電話、あれダメ、これダメ。あれイヤ、これイヤ。でも、お金はいっぱい、ちょうだい、そんな人たちばかりで、30人のリストが全滅でした。
ここには何度も足を運びましたが、そのうちにハッキリと分かったことは、この職安には、働きたい人が来ているのではなく、仕事を探し続けている人が集まる場所だということでした。とにかく、探すだけ。探すだけで、働かない。
やる気のある人なら、こんなところに来なくたって、人手不足の今なら、身の周りに掃いて捨てるほど仕事はあるわけですから・・・。

職安が頼りにならないことが判明したので、今度は人材派遣業者のところに行って相談してみましたが、ここでも結果は同じでした。それでも辛抱して気長に待っていると、ポツンと人が入ってくることもあります。
しかし、それで問題が解決されたわけではありません。入ってきた人を定着させるのが、これまた、大変難しいことなのです。みんな、ある日、フラっといなくなってしまうのですから・・・。
辞める理由が、仕事と関係ある話ならまだしも、意外と多いのが、男女関係のもつれというやつでしょう。こんなことがありました。

恋人関係だったスタッフ2名、女の子がナコンの実家に3日ほど帰っている間に、彼氏は、別のスタッフの女の子に手を出してしまいました。タイでは、こういった場合、必ず、おせっかいな人が密告して、痴話喧嘩させたがる、という風潮がありますが、このときもそうでした。彼女が帰ってくるや、1時間もしないうちに大喧嘩が始まってしまいます。
「私という女がいながら、どうして、アナタは、他の女になんか・・・」
従業員総出で、この場は、なんとか治めましたが、2人とも居づらくなったのか、給料日の翌日に、揃って辞めてしまいました。トップシーズンの真っ盛りにです。

このとき以外でも、男女関係で再三痛い目にあった私は、路線変更し、男子従業員だけを揃えていくことにしました。これなら安心、と思っていましたが、またスタッフ同士で大喧嘩が始まってしまいます。
「オレという男がいながら、どうして、お前は、女になんか・・・」
と、今度は男男関係で大もめです。私がなんと言っていいか分からず困っていると、一番古くからいる従業員のテンちゃんまで、
「私生活でいろいろあって・・・」
と、わけの分からない理由で辞めると言い出し、どうしようもありません。確かに付き合っている相手が中学生なら、いろいろ、あるとは思いますが・・・。
僅か1週間前には人が余っていたはずなのに、どんでん返しで、奈落の底へ。新人を見つけてくるのも至難の業なら、入ったスタッフを長く引き止めておくのも、入れる以上に難しいことだといえるでしょう。

こんな調子ですから、このお店をやるようになって、私も、ずいぶん丸くなったような気がします。言いたいことがあっても、ひたすら我慢し、いつも笑顔を絶やしません。特にハイシーズンの真っ盛り、1月~2月の間は、みんな疲れていますから、普段以上に気を使っています。ストレスが溜まって、閉店後は、ラントム相手に、コップ酒でグダを巻き、
「ピークシーズン終了まで、あと、マジック14」
などと、毎晩ピークが過ぎる2月20日頃を、指折り数えて待つ日々が続くのです。

こんなハイシーズンを何回か経験していると、だんだんと人間ができてきます。自分でも、成長したなあ、と思うのは、人の長所を見れるようになったことでしょうか。
「ちょっと、パパ。チュアン(うちのコックさん)の料理、ぜんぜん美味しくないわよ。給料ばっかり、高くなって・・・」
とラントムに文句を言われても、
「でもなあ・・・。チュアンは、料理のセッティングは早いんだ。あいつがいないと、ハイシーズンは大変だよ。それに、津波の日だって、最後までオレに付き合って、手伝ってくれたのは、チュアンだけだよ」
そうなんです。あの日、真っ暗になるまで手伝ってくれたチュアンには、今でも本当に感謝しています。

6月に、ドロンといなくなってしまった料理長のコーの話になっても、
「でも、コーは、去年のハイシーズン、3ヶ月以上休みなしでやってくれたからなあ・・・。あいつのおかげで、うちもワンランク、ステップアップできたんだよ」
そうですね。たったワンシーズンだけでも、彼は、しっかりとブレイクポイントの厨房を守ってくれたんですから、有難い話です。

結局、辞めなかったテンちゃんも、従業員規則を破りまくっているのですが、なかなか注意することができません。なんやかやと言いながらも、開店初年度から働いているのは、テンちゃん1人だけなのですから・・・。

とにかく、やたら物分りがよくなって、自分でも気持ち悪いのですが、パトンビーチで人を使って商売をやる以上、他の選択肢はないように思えます。生まれたときからタイで暮らしている人たちを、日本人の私が、無理やり日本のやり方に変えようなんて、とてもできないからです。
周りが変わらない以上、自分が変わるしかありません。ここで長く暮らしている外国人は、きっと、私と同じような心境で生活しているんじゃないでしょうか。それができない人は、いずれ、ここを去っていかねばならないのでしょう。

さあ、ハイシーズン待ったなしです。
今シーズンも、なんとか乗り切って、私は、また一回り、成長することができるでしょうか。
最近、飲食店のオヤジというより、修行僧の心境に、近づいてきた私なのです。
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by phuketbreakpoint | 2006-11-11 00:57

修羅の群れ

「スーマリーさんの新しい弁護士、ちゃんと、やってくれてるのかなあ・・・」
スーマリーさんがリキット弁護士を解任した後、私とラントムは、もう、この事件で積極的に動くことはなかったのですが、やはり、ビルさんの保釈がどうなるかは心配していました。
そんなある日、ラントムの妹ティップの夫シェスが、血走ったような目つきで家の中に入ってきました。手には小さな袋を持っていて、おもむろに、中から札束を掴み出します。
「どうしたの、そのお金?」
私が訪ねると、
「さっき、銀行に行って、ピースーマリー(注、スーマリーさん)の口座から下ろしてきたんだ。保釈の手続きに使うんだよ」
と彼は答えます。

私は、シェスとは、ラントムと結婚する前、トランに初めて遊びに行った頃から付き合いがあります。
ゴム園で暮らしていた頃の彼は、ちょっと、ズル賢いところはあったものの、基本的には、田舎のお兄ちゃんといったタイプで、人畜無害な人間でしたが、この日の表情は、以前、ジャングルの中で彼が見せていたものとは明らかに違っていました。目がやけに真剣で、まるで野獣のようです。突然、降って沸いた大金の話で、頭の中がいっぱいになり、文字通り、目の色が変わっていました。
シェスが出て行った後、私はラントムに、
「なんか凄い表情で札束握ってたけど、ちょっと、ヤバくない?」
と言葉をかけましたが、彼女は、それに対しては何も答えませんでした。

タイという国は、コミッションがまかり通ります。誰かが、何かをやってくれた場合、必ず、ある種の手数料が上乗せされるのは常識ですから、今回シェスが、多少コミッションを取ったからといって、それほど驚く話ではありません。
しかし、この時、彼が手にした額というのは、私の想像を遙かに超えたものでした。ずいぶん後になって、私は、それを知りましたが、そもそも、コミッションというのは、何かしらの実体があって、もらえるものです。もし、そうでないのであれば、ただの詐欺ということになりますが、この時、彼の一連のアクションに、実体があったのかどうかは、かなり疑問でした。

しかし、彼も最初からスーマリーさんのお金を狙っていたわけではなかったと思います。スーマリーさんの手元には、土地建物の売買契約が終わり、銀行からの借金を清算した後も、まだ300万バーツほどのお金が残っていました。ビルさんの保釈手続きが、なかなか進まない中で、彼女は自暴自棄となり、連日連夜、酒に溺れて、現実から逃避する生活を続けていました。

「ピー(自分のこと)はねえ、お金なんか、いくらでもあるんだから。使っても、使っても、使い切れないほど、たくさんあるんだから・・・」
そんなことを言いながら、周りの人間に、やれチップだ、手数料だと言いながら、金をバラ撒いていたのです。
ラントムも心配して、
「ピー、ダメよ、そんなに無駄遣いしちゃあ。お金が、全部なくなっちゃったら、どうするの。まだ、保釈金とか、いろいろあるんだから」
そう何度も忠告したのですが、彼女は止めようとはしませんでした。

コンビニで40バーツのお菓子を買い、「これは、チップよ」と言って、さらに100バーツ出して、カウンターに置いてくる。
バトンビーチでトゥクトゥクに乗り、当時30バーツくらいの距離だったのに、運転手に500バーツ渡してしまう。
バーに子供が花輪を売りにやってくれば、「全部ちょうだい」と言って、3000バーツ払ってしまう。実際は、200~300バーツの値段のものです。
こんな調子だったので、周りの人たちは、みな大喜びしていました。だから、シェスが、
「全部なくなってしまう前に、自分の懐に入れてしまおう」
と考えたとしても、不思議ではありませんでした。ただの田舎者のシェスに、これだけのお金を一度に手にするチャンスは、一生涯ないかもしれないのですから。
それでも、私やラントムにしたら、やはり、自分の身内の人間には、スーマリーさんのお金にたかるのではなく、守る側に回って欲しかったという気持ちがありました。しかし、それを彼に望むのは、酷だったのでしょうか。

シェス以外にも、様々な人間がハイエナのようにスーマリーさんのお金に群がってきて、わけが分からない状態になっていたのですが、そういった人たちの決定版的なものが、バンコクを中心に活動している保釈請け負い業者のバンコク・ボーリカーン(仮名)という変な名前の会社でした。これは、やはり、金目当てで群がってきた1人である警察官のトップさんが、
「今度こそ、本当のホンモノ(多分、役に立たないニセモノを何回か紹介した後だったのでしょう)、絶対成功する」
と言って連れてきた人たちです。

仮釈放の保証人として、バンコクからプーケットに飛んできた大ボスが、手続きを手伝ってくれました。
保釈金、ボスの手数料、ボスを紹介したトップさんの仲介料、諸々の必要経費・・・、細かい内訳はわかりませんが、はっきりしているのは、トータルで150万バーツほどのお金がかかったということです。
それでも、大金を注ぎ込んだ甲斐があり、ビルさんの仮釈放は、とうとう認められることになりました。そして、約3ヶ月ぶりにシャバに出てきたビルさんの出所祝いを、我が家で、ささやかに行うことになりました。

「そろそろ、ビルさん、着く頃だねえ」
ラントムと話しながら、彼の到着を待っていた私たちの前に、トップさんの車に乗せられて、ビルさんが現れました。
「おめでとうございます」
そう言おうとした私でしたが、言葉が出ません。車から降り立った彼は、以前とは比べものにならないほど、萎んでいたからです。
刑務所に入る前の彼は、上背こそなかったものの、丸太ん棒のような腕をしていて、全身筋肉の塊でした。握手しても、握力の強さが、ズッシリとこちらに伝わってきます。ズングリしたポパイといった風貌でした。
ところが、あの日、久々にパトンビーチに戻ってきたときの彼は、ただの小さな中年の白人男でした。100キロちかくあった体重は、60キロくらいに落ちていて、彼は、精神的にも相当追い込まれていたようで、いつも何かに怯えていました。記憶も一部失くしているようで、私やラントムも、誰だかよくわかっていない様子です。この時、彼が刑務所の中で書いたという告発文も見せてもらいました。

「・・・・・私が、そこに立っていると、看守のA(実名が書かれていました)は、いきなり、こん棒で私を思いっきり殴りました。私は、逃げようとしましたが、動きがとれず、また、殴られました。立ち上がることができずにいると、上から、さらに、こん棒でめった打ちにされました。それから、彼は・・・」
小さな文字で、一片の紙、ぎっしりに書かれた内容は、すべて看守の暴力に関するものでした。

仮釈放で出てきた後も、ビルさんは、決して一人では外に出ようとせず、ストレスが溜まって、遂には、経営していたお店(キウィー・バー)で暴れだしてしまいます。
「もう、我慢できないわ、こんな生活」
それまでは、なんとか彼の面倒を見ていたスーマリーさんも、とうとう耐え切れずに、彼を見捨ててしまいます。そして、自ら警察に通報し、ビルさんを逮捕させてしまいました。10年ちかく一緒にいた2人の、これが最後になりました。

その後、ビルさんがどうなったのかは、私にはわかりません。
2年ほどして、この事件も、すっかり忘れてしまった頃、外国人の囚人たちをケアしている福祉事務所の女性から電話がかかってきました。
「ちょっと、お尋ねしたいのですが、ウイリアムさん(ビルさんの本名)の奥さんで、スーマリーという女性を御存知でしょうか?」
そう聞かれてラントムは、
「はい、知っています。でも、今、どこで何をしているのか、私にも、わからないんですけど・・・」
「彼が、とても寂しがっているので、もし可能なら、会いに行っていただきたかったのですが・・・」
これが、彼に関する最後のニュースだったと思います。

一方、スーマリーさんは、しばらく1人でキウィー・バーをやっていましたが、ある日、ビルさんの共同経営者で、サムというドイツ人が、警官10数人を引き連れて、バーに乗り込んできました。
「貸した金が返せないのなら、バーをもらう。この書類にサインしろ」
ビルさんの仮釈放に使った150万バーツはパーになり、残りのお金も、人にやったり、たかられたり、騙し取られたりして消えてしまい、ビルさんが乗っていたジープは、トップさんのものとなり、所有していた数台のバイクは、近所のおじさんが持っていき、唯一残っていたキウィー・バーも、人手に渡ってしまいました。スーマリーさんは、丸裸になって、パトンビーチを離れ、どこかに消えてしまいました。

そして、ティップは、些細なことからラントムと口論となり、お店を辞めて、トランの田舎に帰ることになりました。大金を手にした以上、ここで人に使われながら、働いているのがイヤになったのでしょう。それでも、最後に一応、私に挨拶していってくれました。
「フミオ、私、今日で辞めるから・・・。約束守れなくて、ゴメンナサイ(注、辞めるときは、次の人が見つかってから、という話でした)」
私も、この約束は、おそらく守られはしないだろうと、うすうす感じていましたから、そのこと自体は、どうってことはありません。
しかし、津波の後、多くの人が罪の意識もなく、略奪に走っている姿を見て、人間不信に陥ったように、この時のシェスの変わりようにも、私は、大いに驚かされました。
ティップとシェスは、大金(といっても30万バーツ)と一緒に、トランの田舎に帰っていきました。

こうして、スーマリーさんも、ビルさんも、ティップとシェスの2人も、みんな私の前から消えていきました。分け前に与った残りの人たちは、また、元通りの生活を始め、いつものように、陽気で明るいタイ人の姿に戻っていきました。まるで、何事もなかったかのように・・・・。
「もう、ここ(パトンビーチ)には、戻ってこないから・・・・」
そう言って、プーケットを離れていったティップとシェスでしたが、4年後、再び私の前に現れることになります。
今回の事件で、本性の一部を見せて、去っていった2人が、さらに恐ろしいモンスターとなって、この街に帰ってくることになるのです。
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by phuketbreakpoint | 2006-11-02 02:40