タイ・プーケット島在住。タイならではの出来事や日々の体験、個人的な思い出などを書きとめています。


by phuketbreakpoint
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暗転の始まり

ブレイクポイントの所有権移転登記を済ませた日の午後、私は女房のラントム、前オーナーのスーマリーさん、弁護士のリキットさんと一緒に、スーマリーさんの夫ビルさんの保釈手続きをするため、プーケット地方裁判所に向かいました。

登記局に続き、私は、ここでも身を隠すように、スーマリーさんやリキット弁護士とは距離を置いて、なるべく関係者に見えないよう配慮しました。タイでは、公的な機関で、外国人が利害関係にあるという事実は、決して良い結果をもたらすことはありません。リキット弁護士を車に乗せて、留置場と裁判所を、2回ほど往復した以外は、私には、やることは何もありませんでした。

東京の実家を出てから30時間以上、ずっと緊張状態にありましたから、車の中で、シートを倒して横になり、少し休みました。無事に登記を済ませた安心感から、すぐに眠くなってきます。南の島の熱い太陽の日差しが、側道で茂る木々の葉っぱの間からこぼれてきて、車の中まで差し込んできます。優しさとは、かけ離れた熱線を顔や体に受けながら、私は、大きな満足感を味わっていました。

「今日から、あのお店は、自分のものなんだ・・・」
このまま、ぐっすりと眠り込んでしまいたかったのですが、タイの気候の中、エンジンを切り、エアコンを止めた車内では、いくら窓を開けていても、とても、長く眠り続けることはできません。30分も経たないうちに、汗まみれになって、目が覚めてしまいました。

裁判所には、ちょっと広い庭があり、私は、暇に任せて、ここをくまなく散策しました。庭の隅の塀の脇に、カメが1匹歩いていたのを今でも覚えています。だんだん、暗くなってきたので車に戻り、車内で、さらに待ちました。しばらくすると、ようやくラントムとスーマリーさん、リキット弁護士の3人が、中から出てきました。時計の針は、もう6時を回っています。

「終わった?」
私がラントムに、そう聞くと、
「今日は時間切れだから、また、明日だって・・・・。でも、なんか難しいみたい」
私は当初、この事件は、単純な民事事件だと思っていました。ビルさんが、借りっぱなしになっていたお金を、ヘッソさんに返せば、すべてが丸く収まる、そう考えていました。警察は、民事不介入です。これは、日本や、欧米先進諸国では常識ですが、タイでは、違うのでしょうか。疑問に思った私は、リキット弁護士に聞いてみました。

「タイでは、警察がシビルケース(民事事件)に、介入できるんですか?」
「いえ、タイでも警察は、シビルケースには介入できません。しかし、今回の事件は、シビルケースともとれますし、横領や詐欺とも言えます。そうなると、これはクリミナルケース(刑事事件)なんです。逮捕されてすぐに手を打てばよかったのですが、それが遅れたために、警察は、もう、この事件を詐欺、横領で立件する手続きに入ってしまいました。こうなってしまうと、そんなに簡単にはいかないんですよ」
簡単にはいかない?それではビルさんは、やはり、ムショから出られないのでしょうか。結局、この日は、こんな話をしながら、お開きになったと思います。

ところで、リキット弁護士の話でも出てきましたが、なぜ逮捕されてから、1ヶ月近くも、スーマリーさんが何もせず、手をこまねいていたのかを、説明する必要があるでしょう。
突然、亭主を警察に持っていかれたスーマリーさんは、気が動転し、このままでは、自分も逮捕されるんじゃないかと恐れた結果、身を隠してしまいます。一ヶ月間、追われてもいないのに、逃げ回っていたスーマリーさんは、自分の身の安全をようやく確信したのか、姿を現し、遅まきながら、夫の保釈手続きを始めました。
しかし、先立つ物が何もないスーマリーさんは、手を打つことができず、その間にも、銀行の職員が滞っているローンの支払いを催促するために、連日ブレイクポイントを訪れ、埒があかないと見たのか、差し押さえの準備を始めていました。
追い詰められたスーマリーさんは、ニッチも、サッチも、行かなくなり、ラントムのところにやってきて、ブレイクポイントを売却する決心をしました。

翌日、私とラントム、スーマリーさんの3人で、ビルさんの面会に行きました。
10日ぶりのビルさんは、前回と違って、かなりナーバスになっており、しきりとスーマリーさんに何かクレームをつけています。私やラントムとは、目を合わそうとしません。私が最後に、
「この後、裁判所に行って、仮釈放の手続きをします」
と言ったのですが、それに対して、彼は反応することなく、目は、背けたままでした。

面会を終え、地方裁判所の入り口で、リキット弁護士と待ち合わせ、再び保釈手続きに入ります。この日も、私は1人で、ずっと待ちぼうけでした。
夕方、暗くなってきて、3人が中から出てきました。
「どうでした?」
「ダメですね。こうなったら、裁判で戦って、減刑してもらうしかないでしょう」
「それで、勝ち目はあるんですか?」
「有罪は間違いありませんが、今回は、原告もフォラン(白人)ですから、勝負にはなります(注、相手がタイ人だと勝負にならない)。1年程度の刑で、済むかもしれません」
「1年ですか・・・・」
「ええ、最低でも、それくらいは仕方ないでしょう」

罰金と賄賂だけで済まそうと思っていた私も、スーマリーさんも、リキット弁護士の話には、少々がっかりしました。やはり、世の中は、どこの国でも、それほど甘くはないようです。問題を起こした者は、それなりの報いを受けねばならないという現実を、このときは、しっかりと認識させられました。それにしても、タイには執行猶予というものはないのでしょうか。

この日は、確かに3人とも、落胆しましたが、私とラントムは、裁判に打って出る腹づもりを固めていました。リキットさんの弁護士としての実力は分かりませんが、少なくとも、被告を食い物にするよな人物には見えなかったので、彼の言葉は信用できると思えたのです。
ところが、3日ほどたったある日のこと、スーマリーさんがうちに来て、こんなことを言い出しました。

「トム(ラントムのこと)、ピー(自分のこと)は、新しい弁護士を見つけたから、リキットさんには、もう来なくていいって、伝えといて」
何でも、前日の夜、スーマリーさんの家にやってきた弁護士が、
「私に任せてくれるなら、旦那さんは、すぐに釈放できますよ」
と持ちかけてきたそうです。ちょっと聞いただけでも、
「これは、かなり如何わしい話だな・・」
と感じた私とラントムでしたが、スーマリーさんが、
「ピーは、もう決めたから」
と、何度も言い張るので、説得は諦めました。これは、私たちの問題ではなく、彼女の問題なんですから、最後は、彼女の判断に従うしかありません。

それでも、ラントムは、彼女が帰った後、
「スーマリーさんが心配だから、ちょっと見てあげてちょうだい」
当時、サウスロード(わたしが経営するギフトショップ)で働いていた妹ティップの亭主シェスに、そう命じていました。
しかし、この他愛のない一言が、その後のティップとシェスの人生を、大きく変えてしまうことになろうとは、この時には、思いもよらなかったのです。

<この話は、続きます>
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by phuketbreakpoint | 2006-10-30 23:32

あっちは世界最大だー!

バンコク日本人学校は、上海校と並んで、世界最大規模を誇っていますが、同時に、世界で一番お金持ちの日本人学校と言えるかもしれません。バンコクにある日系企業の支社ビルの大きさや、支社長の待遇は、明らかに本社のそれを上回っており(召使いがいますからね)、そんな大金持ちの御子息をお預かりして教育していくのが、この学校の役割なのです。
世界で最もビンボーな、わがプーケット日本人補習授業校の生徒が5人、今週はここへ、体験入学に出かけています。
いつも、何かとお世話になっている日本人学校の校務部長・春増先生に、ダメもとで、お願いしたところ、すんなりと話がまとまったようで、すぐに実現してしまいました。

「ママ、なんか、イヤな予感がしてきたよ。一応、念のために、ジャケットとネクタイは、持って行くよ」
子供たちの引率に同行する予定の私は、そう言って、女房のラントムに、出発直前になって、慌てて出してもらった一張羅の背広を引っ掛けて、タクシーに飛び乗りました。

3時間後、やってきました、できたて、ホヤホヤの、バンコク新空港スワンナプーム。
「おーい、みんな、いいかー。挨拶だけは、ちゃんと、やってちょうだい。わかったー?」
「わかーんなーい!」
子供たちが、いつものお約束パターンで返します。わざわざ、出迎えに来てくれる予定の春増先生を想定し、
「じゃあ、とりあえず、ここで練習しよう。春増せんせい、よろしく、お願いしまーす」
こうやって3回繰り返し、私は、子供たちと出口に向かいました。

春増先生は、昨年8月、巡回指導でプーケットに来て頂きましたから、私も顔が分かっていました。
「あー、いたいた。どーもー、お待たせしましたー。補習校の西岡でございますー」
笑顔で春増先生に挨拶すると、横から、パリッとした身なりの男性が、私に近づいてきます。
「どうも、はじめまして・・・」
誰だろうと思っていたら、この男性は、
「校長の国島です」
と、バッサリ一言。
「えっ!?こ、こ、こ、こ、こう・・・」
ニワトリのようになってしまった私に、追い討ちをかけるように、やはり、パリッとした男性が、
「中等部教頭の高橋と申します」
「きょ、きょ、きょ・・・・、へ、へ、へ、へ、へ・・・・」
この連続パンチで、完全にグロッキーだった私ですが、お二人とも、奥様まで連れてこられたようで、偉い人が、いったい何人いるかわかりません。

「それでは、車の方に・・・」
春増先生の誘導で、車に案内された私は、子供たちが全員いるかどうか確認もしないで、逃げ込むようにミニバスに飛び込みました。
「どうしたんですか、西岡さん」
同行していた引率の羽村さんが、聞いてきます。
「いやあ、われわれが知らんうちに、エライことに、なっちゃってますよ。校長先生まで、来ちゃってるじゃないですか!どうしましょう」
しかし、羽村さんは、人事のように、
「別に、いいじゃないですか。西岡さんだって、校長でしょう」
「そりゃ、まあ、そうなんですけど、あっちは、ホンモノですよ、本物!」
こんな会話をしながら、宿泊場所のサービスアパートメントに向かいました。

その翌日、「持ってきてよかった」と、つくづく思ったネクタイを、10年ぶり(いや、もと前か?)で着用した私は、迎えに来てくれた専属のミニバスに乗り込み、学校に向かいました。
「昨日がいきなり、あれだったからなあ・・・・。今日は、いったい、どうなることやら・・・・」
と、ぼんやり外の景色を眺めていたら、外にスクールバスが1台。
「あれは、この学校のバスなのかなあ・・・・」
そんなことを考えていたら、その前方に、もう1台。
「おや、あれもそうか・・・・」
さらに、その前方に、もう1台。
「ほう、あれもか・・・」
さらに、さらに、その前方に、もう1台。
「あれも?」
さらに、さらに、さらに、その前方に、もう1台。
「・・・・・・・」
さらに、さらに、さらに、さらに、その前方に、もう1台。
さらに、さらに、さらに、さらに、さらに、さらに、さらに、さらに、・・・・・・・・・・・・・。
「いっ、いったい、何台続くんだー!?」
車内にいた春増先生に、私は思わず、
「ちょっと、春増先生、ここのスクールバス、いったい、何台あるんですか?」
「110台です」

なんという、豪快な通学風景なんでしょうか。これじゃあ、機械化師団の移動風景、いや、捕虜収容所の集団引越しか?圧倒的な雰囲気の中、私は学校の中に案内されました。
ここで、春増先生が私を呼びます。
「西岡先生、じゃあ、ちょっとこちらへ」
春増先生は、「いい人が服を着て歩いている」といった感じの人物で、それが私に、更なるプレッシャーをかけてしまいます。
実際、教育界というのは、春増先生に限らず、「いい人」が、非常に多くて困ります。タイ王国というのは、見るからに悪そうに見えて、本当に悪い人がゴロゴロいます。しかし、そういう世界は、中に入ってしまうと、なんだか、自分が善人になったような気になって、とても安心できるんですね。

私が昔住んでいた浅草の街もそうでした。見るからにヤ系のオッサンが、踊り子のヒモをやっていて、
「キミたちは、いいねえ、毎日やることがあって・・・・。オレなんか、朝、目が覚めると、今日一日、いったい何をやろうか考えると、不安になってくるんだよ」
そんなことを、シミジミと語っていました。私は、その隣で、労働することの有難味を、実感として味わうことができたのです。
しかし、教育界というのは、これとまったく違う世界のようで、春増先生のような素晴らしい人物に会えば会うほど、それに反して、自分の今までの人生が、なんだか、とっても悪いことをしてきたように感じてしまうから、困ってしまうのです。

「それでは、職員室で挨拶を、お願いします」
「しょくいんしつ!?」
完全に怖じ気づいている私に、春増先生は、まったく気づかず、つかつかと中に入っていってしまいました。
それにしても、なんという馬鹿デカイ職員室なんでしょう。生徒数2300人も、世界最大なら、この職員室の広さも、世界最大なのでしょうか。
私にとって、職員室というのは、挨拶をするべき場所ではなく、40代の今となっても、
「先生に呼び出され、注意される場所」
というイメージが頭にしっかりと残っているようです。30センチの定規で、ペタペタと頭を叩かれながら、
「ニシオカー、お前ホントーに、何度言ったら、わかるんじゃー」
とかネチネチ言われて、こちらは、ひたすた、じっと黙って我慢する場所、そういうイメージですね。

恐る恐る、顔を上げて中を見渡してみると、パッと視界に入ってきただけでも、先生方が50人以上も目に飛び込んできました。子供の頃、たった1人でも恐ろしかった先生が、なんと、50人以上のかたまりで、しかも、じっと、こちらを真剣な眼差しで凝視しているのです。なんという、恐ろしい光景なのでしょうか。
しかし、ここで私が失敗し、恥をかけば、プーケットの子供たちが笑われます。今回、一緒に来た子供たちにも、合わせる顔がありません。オシッコちびりそうになりながらも、
「えー、プーケット日本人補習授業校の西岡でございます。えー、皆様の御好意に・・・・」
私は、一字一句、噛み締めるように、挨拶の言葉を喉の奥から絞り出しました。

ようやくのことで挨拶を終わらせた私は、肩から、フワっと力が抜けるように、全身の緊張を解きました。しかし、こんな状態の私に、遠慮もなく、春増先生は、ショッキングな次の一言を放ちます。
「じゃあ、西岡先生、今度は中等部の方でも、お願いします」
なんちゅうことを、言うんでしょうか、この人は・・・・。私は、たった今、緊張を解いてしまったばかりなんですよー!

連れて行かれた場所は、別館2階にある中等部の職員室でした。
先ほどの小学部は、先生の数こそ多かったものの、なんとなく明るく、以前、巡回指導でプーケットに来て頂いた先生方の顔も、何人か見えました。
しかし、中等部では、知った顔は、前日迎えに来ていただいた教頭の高橋先生のみ。しかも、職員会議の雰囲気は、
「生徒たちが受験に失敗したら、キミたちの責任だぞ」
的な重厚な空間が広がっていたのです。笑顔を見せる者は、一人としていません。

サラリーマン時代、会社の成績が全国的に振るわず、どやされると思っていた私たちに向かって、一番偉いはずの営業本部長が、
「なんだよ、北は北海道から、南は九州まで、マッカッか(注、赤字だらけの意)じゃねえか、ガハハハ・・・・」
とやるや、みんなで一緒に大笑いしていた、あの雰囲気とは、180度正反対の光景でした。

思えば私の人生は、そういう不真面目な人たちの溢れる場所に、ずっと、我が身を置いてきたように思えます。不真面目な生き方に憧れ、真面目な場面で、不謹慎なことを言う人に尊敬すら感じていました。
「なんて、不謹慎な・・・・、よし、じゃあ、オレも負けずに・・・」
と、さらに大きなウケを狙うような半生でした。こんな私が今、南の島の教え子たちを引き連れて、世界最大の学校にやってきて、極めて真面目な挨拶をしなければならないのです。
「プーケット補習校の西岡でございます。南の島の子供たちは常識が分からず、皆様に御迷惑をおかけすることもあるかと思いますが、どうか御容赦のほど、よろしくお願いいたします」
こう挨拶を済ませて、私はこの場を離れました。ウケを狙う余裕など、微塵もありませんでした。

健一くん、祐樹くん、勇樹くん、なおこ、きよみ。
ここでの授業は、キミたちには、さっぱり分からないかもしれない。
でも大丈夫、気にすることはないさ。
バンコクを知り、日本を知り、プーケットを知る。
その中から、キミたちの未来は、キミたち自身で選べばいいさ。先生は、みんながいろんな選択肢が持てるように、これからも一生懸命がんばるよ。
だから、みんなも、こういった場面で、ギャグの一発でもかませるような、でっかい人間になってちょうだい!
それが、プーケットの魂っていうもんです。

追伸、春増先生、羽村様
子供たちを、よろしくお願いします。
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by phuketbreakpoint | 2006-10-11 00:21