タイ・プーケット島在住。タイならではの出来事や日々の体験、個人的な思い出などを書きとめています。


by phuketbreakpoint
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パトンビーチのナイトクラブ、「ザ・グルーブ」が閉店して、ちょうど1年になります。
トシ・バー、茂丸と長期滞在の日本人が気楽に集まって飲める場所が、再開発の煽りをくって立ち退きに合い、次々と閉鎖に追い込まれていく中で、最後の砦とも言われたグルーブも、昨年8月末をもって閉店しました。

「今日っちゅう、今日は、本当にアタマにきた。家出してやる。いや、少なくとも、今夜は飲み明かして、家には帰らん!」
些細なことから、ラントムと衝突し、勢いよく、家を出たところまではよかったのですが、飛び出して、すぐに気がつきました。
「・・・ところでオレ、どこ行って飲むの?」

当てもないまま、私はビーチロードを歩いていきました。
2分も経たないうちに、バングラーにぶつかります。とりあえず、ここで右折。私は、まとわりついてくるであろう女の子の群れに備えました。
ところが、拍子抜けするくらい、誰も近づいてきません。うっとおしいはずのお姉さんたちですが、相手にされていないとなると、こちらも心配になってきます。
バングラーで、夜の女の子たちから無視されてしまうのは、ちゃんと、理由があるようですね。大きく分けると、
1.タイ人に間違われている。
2.余程、ビンボーそうに見える。あるいは、ケチに見える。
3.なんか、危なそう。
この3点だと思います。

1.に関して言えば、メンタルな部分で、かなり、タイ人化が進んでいる私ですから、外見も、それに合わせて、気づかないうちに、タイ人っぽく、見えているのかもしれません。特に服装のセンスは、無茶苦茶で、着こなしもなにもありませんから、「あの人、いったい何人?」といった目で、見られているのでしょうか。

2.は思い当たるフシが、ずいぶんあります。
特に、ゴムのサンダル履きは、多方面で顰蹙をかっているようで、とうとう、ラントムに、新しい皮サンダルを買われてしまいました。私が愛用していた、ロータス・39バーツ・サンダルは、見かけは良くありませんが、安い、軽い、丈夫で長持ち、と3拍子揃ったスグレ物でした。どこから見ても、安物にしか見えない、という欠点はありますが、倹約したい人には、もってこいです。
津波の後、最初に買ったのはバイクでしたが(車も、バイクも、すべて流され足がなかった)、そのバイクに乗って、何を最初にやったか、といえば、ロータスで、流されてしまった先代の後継として、このサンダルを買ったのが初仕事でした。そんな大切な思い出のある1品を、ラントムは、いともアッサリと、捨てしてしまうのですから恐ろしい人です。

3.の、「危なそう」というのは、この目つきですから仕方ありませんが、それにしても、失礼な連中です。
「なんて奴らだ。商売する気があるのか・・・」
私は、更に荒れた気分になって歩いていくと、アッという間に、バングラーの出口に近づいてきてしまいました。以前なら、左によれて、さらに奥に入るとトシ・バーが、右によれて、奥に入ると茂丸がデーンと構えていましたから、たいがい、ここで引っかかって、飲んでいくことになりました。しかし、それも昔の話で、今では、バングラーから外れてしまうと、ひたすら暗闇に吸い込まれていくような、外宇宙が広がっているのです。

「いかん、これ以上歩いても、何もないゾ!」
焦りましたが、バングラーをバックして戻る気にもなれず、決断のつかないまま、私は、交差点で、無意識のうちに右折して、暗闇の中へ、入っていってしまいました。そして、足は自然と、あの方角に向かい、無駄とは知りながらも、ソングローイピー・ロードを南下していました。
マッサージ屋のクリスティンに差しかかると、目的地である、あの場所が見えてきます。明りもなく、真っ暗なスペースが、そこにありました。隣のダイブショップ、「マリンプロジェクト(やはり、日本人経営)」の店頭も、お付き合いしているように静まりかえっています。真夜中ですから、当たり前ですが、ほんの数ヶ月前まで、ここは、在住者や常連日本人観光客のたまり場だったのです。
お店の前で足を止めると、<FOR RENT>の看板が、寂しそうにシャッターにかかっていました。

「そこに、あるべきものがない」
性転換の手術後に、ボンヤリ座っているテンちゃん(うちで働く、ゲイの従業員)の姿を見たときも痛感した、この言葉が、私の胸を、ジンワリと締めつけてきます。心に、すきま風が吹き抜ける音が聞こえてくるようでした。
思えば、毎年12月、日本人会の忘年会が盛大に行われるたびに、司会を務めていたのがグルーブのオーナー佐野さん(仮名)でした。私は、彼と面識ができる前から、
「あの人、食事もとらないで、大変だよねえ」
と、自分たちは、寿司をガバガバ食べながら、ラントムと話していたものです。そんな佐野さんが、津波直前の、2004年の忘年会では、どういうわけか、シートに、どっかりと腰を下ろし、楽しそうに、みんなと酒を飲んでくつろいでいました。何かが違い、何かが変な、師走の夜を感じました。そして、その2週間後が、12.26だったのです。

グルーブ跡を離れ、私は最後の抵抗を試みるかのように、反対車線側のオー・トップの敷地内に入り、そこのバー・コーナーで、自分の居場所を探してみましたが、無駄でした。ほとんどのお店が既に閉店し、唯一営業中のお店にも、フォラン(白人)が3人座っているだけです。仕事で英語を使った後に、プライベートで、さらに英語を話すのが、最近は、とても、しんどく感じるようになってきました。

「帰ろう・・・」
私は、再び道路を横切って、トボトボとビーチ方向に歩いていきました。
ビーチロードにぶつかり、右折して、しばらく行くと、うちのお店のあるソイです。虚しい、パトンビーチ半周ツアーが終わろうとしていました。
シラフで家に戻りたくなかった私は、ビッグ・ワン(コンビ二)に寄って、ハイネケンを一缶買いました。ビールを飲みながら家に入っていくと、2階に、まだ明りがついます。ラントムは、私を見ると、小さく笑顔を作って、こう言ってくれました。
「パパ、どこ行ってたの?さっきはゴメンナサイ」
1時間前とは、打って変わり、優しい表情で、私を迎えてくれます。
「まだ起きてたんだ・・・。飲みに行こうと思ったんだけど、行く場所がないんだ・・・・。今夜は、もう寝るよ」
飲みかけのビールを、グッと飲み干して、私はシャワールームに入りました。


1ヶ月後、グルーブ・ミニがマリプロ前でオープンしました。
「わタしねえ、さノさん、まっテる(注、カタカナ部分高音)。ねえちゃん、おトこは、さノさんだけ」
相変わらず変なイントネーションで、佐野さんのガールフレンドのネエちゃん(注、名前がネエで、姉ちゃんの意ではありません)が喋っています。
「ネエちゃん、あんた、演歌歌手になれるぞ」
再び行き場所ができた私は、ごきげんな表情で、ウォッカ片手に、そうツッコミを入れました。殿様キングスの「涙の操」が、何故か私の脳内を流れていきます。

パトンビーチの飲んだくれ共の幸せは、今や、たった1人のタイ人の女の子の肩にかかっているのです。
みなさん、酒が飲みたくなったら、グルーブ・ミニに行ってください。そして可能な限り、たくさん飲んで、お金をいっぱい使ってあげてください。ここがなくなると大変ですよ。
だから、私は今夜も、ちょっと1杯・・・・・バコッ(後ろからラントムに、グーパンチで殴られる音)。
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by phuketbreakpoint | 2006-09-07 00:25