タイ・プーケット島在住。タイならではの出来事や日々の体験、個人的な思い出などを書きとめています。


by phuketbreakpoint
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好機到来

「本日は、タイ国際航空をご利用いただき、誠にありがとうございました。当機は、まもなく・・・・」
機内に到着を知らせるアナウンスが流れ、飛行機が着陸態勢に入ります。今まで数十回と往復した東京ープーケット間のフライトですが、このときほど緊張したことはありませんでした。

2000年7月、
いつもは、エア・インディアやエジプト・エアー等、可能な限り低価格のマイナーフラッグを利用してきた私ですが、この日は、初めて、タイ航空の東京ープーケット直行便に乗っていました。今回、ちょっと値が張るタイ航空を、わざわざ利用したのには、ちゃんと訳があったのです。

1週間前、私は、プーケットタウンの刑務所に、ブレイクポイントの当時のオーナーだったニュージーランド人のビルさん(服役中)を面会に訪れ、土地建物売買の仮契約を結んでいました。
一般世間の人たちが歩むレールから、意識的に逃避すような生活を続けてきた私も、プーケットを新天地に選ぶ、という大バクチを打った後は、常に、手堅い安全策を選んできたつもりです。結婚し、最初の子供が双子で、いきなり2児の父親になってしまったことも、影響していたと思います。私も、いつの間にか、守りに入る年齢に達していました。

そんな私に、人生最大のチャンス(だったと自分でも思います)が、突然、ふらりと目の前に転がってきました。隣のホテル・レストランのオーナー夫人スーマリーさんが家に来て、
「ブレイクポイントを買わないか」
と持ちかけてきたのです。
いつもは、優柔不断な私ですが、こと不動産の購入に関しては、自分の目を信用し、他人のいかなる言葉も、決して信用することはありません。決断に時間をかけることはなく、このときも、私は、即決したと思います。
私の目が確かなら、この話は間違いなく、買いに出るべき物件です。
勝負するなら今だ!
と、自分でも、ハッキリわかりました。時に、私は39歳、もうワン・ランク、ステップ・アップしたいのであれば、今をおいて他にありません。

東京で、血眼になって金策し、ようやく、目標額に届いたような、届かないような額(外国為替ですから、レートの変動によって、タイバーツで、いくらになるか計算できなかった)を手にした私は、現ナマを抱えて、プーケットへの帰路に就きました。
日本でサラリーマンをやっていた頃も、大金が動く取引は、経験したことはありましたが、そのすべてが銀行振込、銀行送金です。このときは、より有利なレートで両替したかったために、現ナマを持ち歩くことになってしまいました。そのため、少しでも移動時間を短縮できるタイ航空を、利用する必要があったわけです。

1万円札の束を袋に入れて持ち歩く経験は、このときが初めてで、おそらく今後も、もうないでしょう。私は、実家の玄関のドアを開けてから、中央線に乗り、山手線に乗り、京成線に乗り換え、成田新東京国際空港でチェックインしてパスポートコントロールを抜け、免税店でお土産を買うこともなく、すぐに飛行機に乗り込み、プーケットの空港からはタクシーでパトンビーチの実家に戻り、翌日、銀行の職員さんに手渡すまでの30時間近くを、文字通り、肌身放さず、札束と共に過しました。
機内でトイレに入るときも、ずっと札束を抱きかかえたままでした。アメフトの選手のように、臭いも染み込んだ札束入りのバッグを、小脇にしっかりと抱え込んでいる挙動不審の私に、スチュワーデスが声をかけてきます。
「お客様、手荷物は、上の棚にお入れください」
冗談じゃあ、ありませんよ。このお金は絶対に、この手から放すわけにはいかないんです。

その翌日、私には、やるべきことが3つありました。
まず、銀行で、持ち込んだ現金をタイバーツに両替します。為替レートの上下が、これほど気になったこともありませんでした。
何しろ、0.001の戦いです。みみっちいこと、この上ないのですが、出発前のレートより上がっていたので、計算していた額以上のタイバーツを手にすることができました。時も、私に味方していたのかもしれません。
そして、手にしたタイバーツで、スーマリーさんの借金を清算しました。
同行したリキット弁護士に確認してもらいながら、様々な書類に次々とサインして、手続きが終了すると、職員さんが、
「はい、これですよ」
と、担保として押さえられていた土地の登記済証を返してくれました。これを、スーマリーさんには渡さず、自分の手で、しっかりとキープして、第一段階は終了です。

ここからが、私にとっては、今日のメインです。
リキット弁護士と女房のラントム、そして、私の3人がかりでスーマリーさんを、囲むように車に乗り込み、タウンの外れ、ビルさんが服役している刑務所の斜向かいにある土地登記局に移動しました。バラバラで行って、トンズラされたら、大変だったからです。
登記局に着くと、リキット弁護士とラントムが、スーマリーさんと共に中に入っていきました。ここでは、外国人の私は、決して中には入りません。タイの登記所は、私が中に入ることによって、事態が複雑になってしまうからです。
待つこと1時間ちょっと、3人が出てきました。
「これで、本日の土地所有権移転登記は、すべて完了です」
リキット弁護士がそう言いながら、私に登記済証の内容を説明してくれました。これをラントムに、もう一度読んでもらって再確認します。念には念を、入れなくてはなりません。
「よし、これで、もう大丈夫だ」
リキット弁護士に、本日の謝礼金を手渡し、私にとっての大仕事は終わりました。

そして、3つ目の用件は、ビルさんの保釈手続きです。
これは、私には直接関係のない話で、本来なら同行する必要はなかったのですが、法律のことを何も知らないスーマリーさんを、弁護士と2人で行かせるわけにもいきません。4人で、また車に乗り込み、少し離れたプーケット地方裁判所に向かいました。
「リキットさん。じゃあ、仮釈放の手続きをお願いします。すぐに、出してあげてください」
私は、深く考えることもなしに、そう言うと、今度はラントムに向かって、こう続けました。
「ママ、今夜は、ビルさんの出所祝いを兼ねて、ささやかなパーティーでも、やろうか」
この日のうちに、すべてが解決すると、私は、単純に考えていました。
しかし、容易に片が付くと思われた保釈手続きは困難を極め、もう、この事件は、私やラントムは勿論、リキット弁護士の手にも負えないほど、複雑なものになっていたのです。

(この話続きます)
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by phuketbreakpoint | 2006-08-24 21:19