タイ・プーケット島在住。タイならではの出来事や日々の体験、個人的な思い出などを書きとめています。


by phuketbreakpoint
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そろそろ年貢の納めどき

「欲しいものは、すべて手に入れたから、特に何もないね。ボクのワイフは、資産・・・・億バーツ、娘は・・・・億バーツ、息子は・・・」
彼は具体的な数字を1つ1つあげながら、自分とその家族が、いかに大金持ちかを記者たちに説明していました。
これは、タイによくいる自慢話が大好きなおじさんの話ではありません。昨年タクシン首相が誕生日に、「何か欲しいものは?」と質問されたときの受け答えです。
聞くところによると、彼は、タイ王国を先進国並にしたいそうです。それが可能かどうかは、私には分かりませんが、1つだけハッキリしているのは、彼の目指す先進国の指導者は、TVカメラの回るインタビューでは、決して、こんな発言をしないことだけは間違いありません。言ったら最後、その時点で、この人はアウト。現在の地位を近い将来追われることになるでしょう。


私は、プーケットで暮らし初めて13年になりますが、最初の5-6年は、個人としては税金を払っていませんでした(会社は払っていました)。「こんな素晴らしい国はないなあ・・・」なんて感心していたら、やっぱり、そんなことが長く続くわけもなく、ワーキング・パーミット(労働許可証)の申請には、納税済証をもってこい、という至極当然な条件が付くようになり、税金を払うようになりました。
そして政権交代です。タクシン政権誕生と共に、VISA申請用の納税額は、一気に10倍以上に跳ね上がり、同時にVISAも、なかなか下りなくなってしまいました。南の島で、のんびり暮らそうと思ってプーケットに来た私ですが、VISAが発給されなければ不法滞在になってしまいます。そして、VISA取りというのは、ここで暮らす外国人にとって、1年に1度やってくる、本当に気の重い、やっかいな仕事だと言えるでしょう。

取り仕切っているのはイミグレーションオフィスですが、私の知る限り、ここはプーケットで公然とワイロを要求される唯一の場所だと思います(2006年当時)。プーケットの公務員は、他のタイの地方都市と比べて綱紀の粛正は進んでおり、あからさまにワイロを要求されることは、ほとんどありません。たとえ、そういったことがあったとしても、タンブン(善行)やら、餞別やら、それらしい名目がつけられていたり、コソコソと人目を避けて、そのやりとりが行われるのが普通です。ところが、イミグレーションオフィス(以下イミグレ)では、正々堂々と、真っ向からワイロを要求されてしまうのです。実に男らしい人たちですが、やはり対象になるのは、すべて外国人ですから、「遠慮はいらねえ」ということなのでしょうか。

イミグレでは、私は毎回、比較的人当たりのいいチラポン(仮名)を通してVISAを申請していますが、その時は必ず女房のラントムに一緒に行ってもらうことにしています。喋るのは彼女だけで、私は聞かれたことに答える以外は、決して口を出しません。ときどき愛想笑いを作る程度で、最後にブツを置いてお役目終了となります。
毎年こうやってVISA申請していましたが、3年程前、イミグレに行く前日にラントムとケンカしてしまい、無謀にも1人で行ってしまったことがありました。
「しまったあー、明日はVISA申請だったー」と後悔しましたが、今さら、こちらから頭を下げるわけにもいきません。

プーケットタウンの外れ、サパーンヒンにあるイミグレーションオフィス。
その日、チラポンは不在でした。仕方がないので他の人にやってもらおうと思い、様子を見ていましたが、どのお方も忙しいようで、この日は諦めて帰ってきました。
アポなし、コネなしで、ここに来ようだなんて、お前いい度胸してるじゃねえか
そういったムードが溢れていたのです。翌日気合を入れなおして再び訪れるとチラポンがいました。彼は、いつもどおり受け付けてくれたのですが、手続きの最後になって、どういうわけか、隣の事務官を呼びます。私が怪訝そうにチラポンの顔を見ると、
「昨日、アンタが彼を話に絡ませちゃったから、彼が欲しがってるんだよなあ・・・」なんて人のせいにしながら、例のものを要求してきました。前日、私は、誰とも喋ってはいませんでしたから、これは単なる口実ですが、
「VISAが欲しかったら、彼と話を付けるんだな」
と言いたいわけです。

その事務官は、単刀直入に、こう聞いてきました。
「いくらくれるんだ」
外国人相手に英語で回りくどい話をしてもラチがあかないと、彼は長年の経験から、そう判断したのでしょう。実にストレートな表現でした。私は、かなり動揺していましたが、一応、ポーカーフェースを作って答えます。
「ヌンパン・バーツ(1000バーツ)」
これは私が毎年チラポンに払っている額でした。しかし、私の返答に対し、彼はあからさまに、こう返してきました。
「ケッ・・」
そんな端金で、この話が通るとでも思っているのかよ・・・、そういった意味を100%含んだ反応です。
「お前じゃ話にならんから 女房に電話しろ」
これじゃあ誘拐犯と同じですが、彼は自分の携帯電話を私に手渡し、強要してきました。彼のあからさまな対応にムッとし、そして相変わらず動揺していた私ですが、確かにラントムなら、話を、うまくまとめてくれるかもしれません。

「あっ、ママ? 今、イミグレなんだけど、ここの人が、何だかグチグチ金の話をしてるんだ。ちょっと代わるから、話してくれない」
私は、事務官に携帯を手渡しました。ラントムと話す彼の顔を見ていたら、案の定、とても強気だった表情に、「だんだん雲行きが、怪しくなってきちゃったなあ・・・」といった雰囲気が漂ってきます。何回かの押し問答の後、ようやく話が付いたようで、苦虫を噛み締めるように、私に再び携帯を手渡す事務官。合意した額が、彼にとって大いに不満なものであったことは明らかです。
「パパ、何かうるさいこと言ってるから仕方ないわ。今年は2000バーツ払っといて。ホント頭にくるわ」
ラントムはラントムで、この額は、やはり不満だったのでしょう。私は無言のまま、一言も喋らず、不機嫌な表情の事務官に2000バーツ札を渡し、この場を後にしました。

こういうバトルを繰り返して、私は毎年VISAを申請しています。言われたとおりの年貢は納め、ワイロも払い、しかも、ラントムにまでグチグチと文句を言われながら・・・。
タクシンさんは、事業の巨額売却益に対して、ほとんど税金を払わなかったと批判を受けているようですが、やっぱり、国家リーダーなら自ら率先して年貢は納めてもらわないと・・・。。

尚、最新ニュースによると、タクシン首相は、膠着した政治情勢を打開するため、新たに、物凄く、よく当たる占い師を雇ったようです。
やれやれ・・・・。
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by phuketbreakpoint | 2006-03-23 01:00
外はまだ真っ暗だというのに、車内に突然オレンジ色のライトが灯され、「朝っぱらから、これだけは勘弁してくれ」と言いたくなるような、カラバオ(タイの国民的歌手の一人)の曲が耳から脳内に流れ込んできます。
サービス係の女性が冷やしたペーパータオルを配り始めると、バスは対向車線の向こう側に見えるサイタイマイ(新南バスターミナル)をそのまま素通りし、プラピンクラオロードを直進して、交差点手前にあるUターンゾーンで大きく方向を変え、再びサイタイマイに向かって走り始めました。
時刻は、午前5時30分。またバンコクにやって来ました。

公営と私営2社(プーケットトラベルサービスとセントラルツアー)が競合するバンコクープーケット線。
いったい、今まで何度、夜行バスを使って、ここを往復したことでしょう。最近は格安の航空会社も就航し、飛行機を利用することも多くなりましたが、私は今でも、1人でバンコクに行くときは、夜行バスを使うようにしています。
1時間20分で、パッと飛んでしまう快適な空の旅よりも、12時時間、ガタゴト揺られて、陸路を行く夜行バスの方が、私には、しっくりくるものがあります。車内では、携帯の電源も切っていますから、この間は、誰にも邪魔されることのない、至福の時間と言えるでしょう。
「あきおは、元気でやっているのかなあ・・・・」
「なおこの学校は、どうなるんだろう・・・・」
「マヨムの寮は、決まったんだろうか・・・・」
リクライニングシートにもたれ掛かり、瞼を閉じて考え事をしていると、遠い日の旅の場面が、私の頭に浮かんでくるときがあります。
私の旅の原点は、長距離夜行バスでした。


大学2年の冬のある日、フラっと立ち寄った本屋で、たまたま目についた「地球の歩き方・アメリカ編」を、何気なく手にとってしまったことが、その後の人生を、大きく左右した瞬間だったように思えます。今でこそ、何百冊出ているかわからない程の、大ヒットシリーズとなったガイドブックですが、当時は、第一巻のヨーロッパ編と、第二巻アメリカ編の2冊しかありませんでした。あの広いアメリカ大陸の全てを、たった1冊の中に詰め込み、可能な限り節約し、出来るだけ多くの都市を回って、アメリカ大陸を横断してちょうだい・・・、ビンボー・イズ・ビューティフルという、無謀とも思えるコンセプトを堂々と売りにしていたんですから大したものです。

当時は全編、読者の投稿で成り立っていたような本で、名所解説では、実際に行って見てきたオレがそう思ったんだから、ここは、そういうもんなんだ的な主観に溢れ、レストラン紹介では、おいしいか、どうかは、あまり問題にされず、ボリュームたっぷりで、安い、ということだけが強調されていました。要するに、食事に使うお金なんて、ほとんどないんだから、アンタ、ここで思いっきり、カロリーを稼いでおきなさい、という投稿者からのメッセージが込められていたのです。

ホテル紹介でも、いったい、誰がこんなところを見つけてきたんだ、と思うような、
・街で一番安いホテル
・一番ではないが、ロケーションを考えると、とてもお得なホテル
・あまり「売り」がないにもかかわらず、どういうわけか日本人に人気があるホテル
だけを紹介していました。ヒルトンなんかが、堂々とリストアップされている最新刊は、まったく、別の本だといえるでしょう。タイトルの上には、「アメリカ大陸を1ヶ月以上、1日5000円以内で旅する人のための本」という副題が書かれていて、旅行中に出会った日本人の若いビンボー旅行者は100%(凄い!)、この分厚くて、黄色くて、重い本を、手に持って旅をしていました。

本の中では、移動手段として航空機やアムトラック(鉄道)、レンタカーなども紹介されてはいましたが、メインはグレイハウンドを使った大型バスの旅だったと思います。
私は、日本国内で、アメリパスという周遊券を45日間、5百数十ドルで購入しました。当時は1ドル240円もしましたから、日本円で13万円以上したと思います。これに、今となっては、どこが格安だったか分からない、当時出始めたばかりの格安航空券(東京-ロスアンゼルス往復1年オープンで、20万円近くしました)と合わせて30万円以上、タイのお金に換算すると、10万バーツ以上のお金をポーンと使ったうえに、滞在費が、更にかかるわけです。80年代の学生は、本当にお金持ちだったんですねえ。
ニュートラだの、ハマトラだのが流行り、女子大生が大きな顔をしていたのも、この時代です。そして、そんな女の子たちを、追い駆け回すことだけにエネルギーを費やしていたのが、あの頃の男子学生だったと言えるでしょう。少子化時代の元凶を作ってしまった、日本を傾かせてしまった張本人世代が、私たち80年代の大学生なのかもしれません。今、自分の上司がこの世代の人は、注意してください。危ないですよ、会社も、あなたも!

旅が始まると、目的地の街から街は、最低でも700-800キロは離れていますから、移動には、必ず夜行バスを使いました。そうすれば、ホテル代が一泊分浮きますから、そのお金を他の事につぎ込むことができるわけです。
朝、街に着いたら、荷物をバスターミナルのコインロッカーにぶち込んで身軽になり、その日一日、可能な限り、街にある名所をザッと見て周ります。そして、夕方またバスターミナルに戻ってきて、再び夜行バスに乗りこみ、次の街に抜けていくのです。もちろん、大まかなルートは事前に決めていましたが、その時々の状況次第で、何処に行くかは、成り行きまかせ、まるで私の人生そのもののような旅を続けていました。ロスアンゼルスから南部を通ってニューヨークまで・・・、帰りは北部を通ってまたLAに・・・。最後はホノルルに寄って、55日目の夕方、成田新東京国際空港に戻ってきました。

帰国すると、落ち着く暇もなく、私は、大学受験用に買ったまま、使うことなく本棚に埋もれていた、「必勝・基本英語例文700選」という本をひっぱり出してきて、これをモーレツな情熱で暗記し始めます。理由ですか?
全部暗記してしまえば、その応用で文を組み立てることができる。
文さえ組み立てられれば、喋ることができる。
喋れさえすれば、金髪のおねえさんと・・・・、エへへへ、後は決まってるじゃないですか!

私は毎日、毎日、挫けそうになる度に、旅行中出会い、そして、ほとんど喋ることもできず、痛恨の思いをした美しい白人女性たちの顔を思い浮かべては、猛勉強に励みました。自分でも呆れるくらい、単純明快で素晴らしい動機です。男は、こうじゃなければいけませんね。人間は、ちゃんと目標さえあれば、できないことなんてないんです。
しかし、あれだけのエネルギーを、もし受験勉強につぎ込んでいたら、という気も同時にしますが・・・。
この時、考えていたことが、もう1つありました。
「アメリカに行ったんだから、次はヨーロッパだろうなあ・・・」
私は、エンドレスの旅の世界に入り込んでいました。そして、長い、長い旅の行き着いた先に、この南の島があったわけです。


サイタイマイでバスを降り、まとわり付いてくるタクシーの運ちゃんたちを、うまくさばきながら、路線バス乗り場を目指します。この時、ずっしりと重く、しんどい何かを感じる年齢に、私もなってしまいました。
その日の仕入れルートを、もう一度、頭の中で再確認し、セブンイレブンでM150(タイのビタミンドリンク)を買って、一気に飲み干します。そして、大きく深呼吸。
するとあの頃、世界の街を、あの本と共に、さ迷い歩いたときの、あの感覚が蘇ってくるような気がします。
「さあて、今日は、どんな商品に出会えることか・・・」
今後、数ヶ月間の売り上げは、大げさに言えば、この日の仕入れに懸かっているのです。大陸横断の旅で感じたものとは、まったく違った緊張感が私を包みます。そして、あの頃は安全のため、決して持ち歩くことのなかったゲンナマを抱えて、私は足早に、10件以上ある仕入先を、駆け抜けていきます。

午後6時、予定した仕入れをすべて終え、ホッと一息つく隙もなく、タクシーに乗り込み、後部座席に疲れた体をどっしりと投げ出して、揺られながら窓の外をボンヤリと眺める私。鮮やかなイルミネーションと共に、ライトアップされた美しいバンコクの街並みが、視線の先を流れていきます。

このまま北バスターミナルに向かって、チェンマイ行きの夜行バスに乗るか・・・ 
ドンムアンから、LA経由で南米に飛ぶか・・・
もう一度、成り行き任せの、気ままな旅を再開するか・・・

そんな大それた夢を見ることもなく、私はサイタイマイに向かいます。
そして、プーケット行きの夜行バスに乗り込みます。
わたしの帰りを、子供たちが待っています。
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by phuketbreakpoint | 2006-03-11 01:46

目つきの悪い男

「西岡さんって、ナンバー2なんですよ」
昨年、在島のある日本人女性から、そう言われたとき、
それって顔のことですか、と自惚れていた私に、この女性は遠慮もなく言い放ちました。
「プーケットで、目つきの悪い男、ナンバー2」
えっ!? ウソでしょう・・・。ベビーフェイスで、スイートなわたしをつかまえて、なんてことを言うんでしょうか、この人は。
「普段は、普通の顔してるんだけど、ときどき物凄く危ない目つきしてる」そうです。

そう言われてみると、思い当る節がないとは言えません。怒っているわけでもないのに、スタッフの女の子が寄り付かなかったり、最近はバングラーに飲みに行っても、飲み屋の女の子達が誰も、わたしに近づいて来なくなりました。あの人達は、男からお金を搾り取るのが商売のはずなのに、どういうことなんでしょうか。
「おーい。ここに、カモの日本人が座ってるんだぞー。みんな、どんどん群がってきなさーい」、わたしの心の叫びは、完全に無視され、いつも一人ぼっちです。

津波以降、日本人好みするカワイ系の女の子達は、プーケットでは商売になりませんから、バンコクに出稼ぎに出てしまったようで、どこのお店を見渡してもロクな娘はいません。フォラン(白人)専門に稼いでいる浅黒くて、野生系(?)の女の子達ばかりです。当然、わたしはハッピーな気分にはなれませんが、不機嫌というわけでもありません。
ところが、店内のミラーに映し出されたわたしの顔を見て、自分でもビックリしました。完全に怒り顔なのです。こんなところで、ヘラヘラしている姿を、誰かに見られてはいけない、という思いもあって、本人は極めて平常心で、普通の顔をしているつもりだったのですが、大きな間違いでした。

それに最近体重が落ちているのも、よくないようですね。毎年ハイシーズンになると2キロ程痩せますが、今年は観光客が多いのに人手が足りず、連日走りまわらねばなりません。閉店の頃にはグッタリして、ふらつくことがあります。こんな状態でバングラーまで歩いていって、エアコンの効いた店内で、グイっとビールを喉に流し込むと、体内にエネルギーが蘇ってきて、同時に目が充血してきます。やせ細って、こけた頬に、血走った目。これでは、覚せい剤常習者にしか見えません。疲れているので、アルコールが入るとすぐに眠くなり、歯を食いしばって酒を飲んでしまうのも、誤解される原因のようです。

おまけに、家に帰っても、女房のラントムは不機嫌で口もきいてくれません。バングラー=女遊び、という先入観があるようですね。この際ですから、彼女には言っておかねばなりません。一生のうちで男性が作り出せる精子の量は、どのくらいなのかは知りませんが、今のわたしには、もうバングラーなんかで無駄撃ちする弾も体力も残ってないんですよ。ガダルカナルの日本軍といった状態でしょうか。
限りある資源を大切に・・・、いざというときのために(?)、弾は温存しておかねばなりません。

こんなわたしにむかって、目つきが悪いだなんて・・・。
わたしだって、好きでこんな目つきになってしまったわけじゃないんです。毎日の平和な暮らしの中で遭遇する、様々な非平和的事態、それによって、わたしの目は少しづつ、少しづつ、変化していってしまったのでしょう。
例えば、部屋で物がなくなったと言ってくる宿泊客がいます。聞けば、障害者用の特殊なストッキングで、買うと、とても高いそうです。
「前のホテルから、ここに移ったときにはあったの。きっと、ベッドメイクの女がドロボーしたんだわ」
この女性は、口にこそ出さなかったものの、その表情からは、「ホテルが弁償してちょうだい」という意味を読み取ることができます。そんなものを盗ったって、換金できるわけでもなし、盗むなら、もっとマシなもん盗るはずじゃあ・・・などと思いながらも困っていたら、それをカウンターで聞いていた常連客のイギリス人イアンさんが、わたしを隅っこ方に呼んで、こう忠告してくれました。
「フミオ、こういうときは、ハードフェイス(ちょっと怖い顔)で、ハッキリと言わなきゃダメなんだよ。向こうもダメ元で、ハッタリかましてるんだから」
夜でしたが、わたしはベッドメイクのスタッフを呼び出し、この宿泊客の見ている前で問い質します。当然、彼女は否定。
「彼女は、こう言ってますが、どうしましょうか。もし不服でしたら、わたしが警察を呼んできますから、被害届けを出してください」
イアンさんに言われたとおり、ちょっと硬い表情をつくって、わたしはその女性にそう言いました。すると彼女も確信がないようで、「そこまでしなくてもいいわ」と矛を収めてくれました。

また、ある時には、お金を払わないでゴネているお客がいます。こういったことは、どこの盛り場、酒場にもあることだと思いますが、そんな時、普通はマネージャーがポンポンと肩を叩いたりすると、それを合図に奥からデカイ図体をした、イカツイ顔のお兄さんが出てきて、
「困りますねえ、お客さん」とドスの利いた声で注意して一件落着、というパターンだと思います。ところが、ブレイクポイントには、そんなお兄ちゃんを雇う余裕なんてありませんから、こんな役まで、わたしがやらねばなりません。
オーナー、ウエイター、バーテンダー、掃除屋、皿洗い、調理補助、そして恐いお兄ちゃん。その場の状況に応じて、演じ分けねばならないのです。実際、こういったハードフェースのやり取りは、本当に疲れます。わたしに限らず、日本人の最も不得意な分野ではないでしょうか。

ところで、わたしはナンバー2ということでしたが、新年早々、ろくでもないニュースが飛び込んできました。なんと、わたしを抑えて堂々のダントツ・ナンバー1だったジャンダマン・トラベラーズ(仮社名)の大橋さん(仮名)が会社を辞めてバンコクに行ってしまったそうです。彼がこの島にいないということは・・・・。

アントニオ猪木さんのお祖父さんの言葉を、最後にここで紹介しておきましょう。
「乞食でもなんでもいい。世界一の乞食になってみろ」。
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by phuketbreakpoint | 2006-03-03 04:05