タイ・プーケット島在住。タイならではの出来事や日々の体験、個人的な思い出などを書きとめています。


by phuketbreakpoint
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南の島で熱中時代

「おはよー、おーっし、今週も授業やるぞー。あれ?チャイム鳴らないねえ」
「先生、さっき、もう鳴りました」
やっぱり、今週も遅刻だったか・・・。
これで3週連続すべりこみアウト。 まるで生徒の手本になっていません。

パトンビーチから車を飛ばして30分、プーケットタウンのメルリンホテルの一角にあるビルの2階と3階で 毎週土曜日の午前中に行われているプーケット日本人補習授業校、わたしは、ここでボランティアの先生をやっています。

「それでは、今週は教科書126ページを開けて下さい」
「先生、そこは先週終わりました」
「あれ?そうだっけ?」
毎週一時間目は、まだ半分寝ぼけているのか、まるっきり調子が出ません。「熱中時代」というよりは、同じ水谷豊でも「傷だらけの天使」の乾 あきら、といった状態です。

補習校は生徒数約30人で、わたしは最上級のクラス1を担任しています。
生徒はプーケットで暮らす在留邦人の子女で、日本人とタイ人のハーフの子ども達が大多数です。そして、子どもによって、日本語能力に、かなり差があります。
ちなみにクラス1を例にしてみると、小3・小5・中1・中1・中3というメンバー構成なのですが、うち小3と小5の子は、日本の小学校に通った経験があり、日本語もかなりナチュラルです。日本に住む同年代の子ども達と比べても、ほとんど国語力に遜色はありません。残る3人は日本での学習経験がほとんどなく、まだ日本語は不自然な感じです。

1時間目が終わる頃、ようやく寝ぼけも直ってきましたが、まだ、ちょっと前日の酒が残っているようです。相変わらず調子が出ません。
例えていえば、船越英二さん演じる校長先生、あるいは秋野大作さん演じるグズロクの教師版といったところでしょうか。
5分間の休憩の後、2時間目が始まります。
わたしの授業は脱線することが多いのですが、それは意識的です。
週一回、二時間半の授業では、いくら気張ったところで限界があります。
わたしは、日本の国や、そこで暮らす人々がどういう生活をし、どういった考えを持ち、日本の子ども達が どんな勉強をしているかを中心に子ども達が少しでも日本や日本語に興味を持ってくれればと話を脱線させていきます。
ときに子ども達はつまらなさそうに、あるときは目を輝かせて、わたしの話を聞いてくれます。
ベースにあるのは、「日本はすごいぞ、素晴らしいぞ。プーケットはもっと素晴らしいぞ」と、とにかく日本とプーケット(タイと言い替えてもいいでしょう)をバラ色に染めてファンタジーのお城を子ども達のために築いてあげようと、わたしは考えながらやっているつもりです。
みんな大きくなったら否応無しに世知辛い世の中を見ることになるわけですからねえ・・・。

子ども達は本当に元気いっぱい、いい子ばかりです。
まあ、たまーに、いや、時々、いや、ひんぱんに、いや、毎時間、むかっ腹たつことも正直あります。とくに下の方のクラスは大変です。
「秋のお空に、大きな、丸い、きれいなものが輝いていますねー。何か分かりますかー」
「にんじん」
ズルっ・・・。突拍子もない答えが返ってきて笑わされたりします。
「そこ、カード落ちてるよ」と注意しても、まったく反応なし。これは、シカトするのかなあ、と思っていたら 3分くらいして、その子はムクっと立ち上がり、カードを突然拾ったりします。忘れてなかったんですね。「先生に言われたからカードは拾うけど、それは、こっちの仕事(書き取り)が終わってから・・・」というわけです。
小さいながらも、自分たちのポリシーを感じさせてくれて、「なかなか頼もしい子だ」と 評価が一転することもしばしばです。

こんな子ども達を相手に格闘しながら2時間目の授業が終了し、15分の掃除をはさんで3時間目の授業に入ります。この頃になると前日の酔いもすっかり消えてエンジン全開、もう完全に「北野広大」になりきっています。得体の知れないイントネーションになり(本人は北海道弁のつもり)喋りまくるわたし。
「日本の国ってねえ・・・」
キリンの首と足を短くしたような日本地図を書きながら、
「大きな四つの島だけじゃあ、ないんだぞー。無数の小さな島が群島になっててねー。見てください、この配列の美しさ、これはもう奇跡的なんだよねえ・・・。ここと、ここも、本当は日本のもんだったのに戦争に負けちゃったから取られちゃってさー ( グスン、涙)」等と言っているうちに、次第に気分は北野広大を超えて日テレ・日曜夜8時に、もう絶好調です。着ている服をサッカーユニホームに着替えて(もちろん心の中で)「レッツ ビギン!」なんて言ってしまってます。(おい 誰か止めろー!)
村野武範になったつもりで喋っていたら、誰かが 「青春ってなんですか?」 と 突っ込みを入れてきますが、そういう難しい質問は無視することにしています。
<カラン、コロン、カラン、コローン>
こいつをこのまま喋らせておいたら、しまいには「スクールウォーズ」のようになってしまう。泣きながら生徒を片っ端からぶん殴り始めたら大変だー、と誰かが心配したのか、ここで3時間目終了のチャイムが鳴ります。
「なんだ、もう終わりか。ちょっと喋り足りないけど、今週はここまで」

いつも元気いっぱいの子ども達。
笑顔がいっぱいの子ども達。
そんな子ども達から、たっぷりエネルギーを吸収するように元気と笑顔をもらって、わたしは家路に就きます。
「おーっし 来週も仕事ガンバルぞー」
わたしは、帰りの車の中で、ご機嫌の熱唱です。
「♪ じぐざぐー、きどおったー、とかいのー・・・」
あれ? これって、刑事編だっけ?
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by phuketbreakpoint | 2005-08-29 12:25

神技 GO-GO-バー

<目を見ると危険なので体だけ見る>
これは彼女の思うツボだったようです。
彼女は「女」としての才能に溢れていました。
自分の、どの部分に魅力があり、何が男を惹きつけるのかをよく知っている、そんな感じでした。顔は大した事ないのに、やたらとモテる人がいますが、きっと、そういう理由なんでしょう。これは誰かに教えられるものではなく、生まれながらに身についている能力なのかもしれません。彼女には、普通の生活をしている女性とは明らかに違う、ワイルドで、ちょっと危険な香りを感じました。

わたしは飲みかけのボトルを一気に飲み干し、シンハゴールドをもう一本オーダーします。夕食のときから数えると10本以上飲んでいますが、まったく酔いは感じませんでした。
ゴーゴーバーのダンスの基本型は、ポールを両手でつかんで下半身と上半身を交互交互にくねらせながら、ポールを舐めるように動かしていく単純なものです。
これを上手な人がやると新体操のリボンのような動きになり、下手な人がやると大きな芋虫がポールにへばり付いているように見えてしまいます。
彼女の動きは「海ヘビ」でした。
きれいな海ヘビがポールに平行に泳いでいる・・・そんな感じです。
「女性の体って、こんなになめらかに動かせるもんなんだなあ・・・」
などと感心しながら、わたしは彼女の不思議なダンスに見惚れていました。いや、あれはダンス等という甘いものではなく、トンボを採るとき、指をトンボの目の前でくるくる回す、あのやり方に近かったと思います。
見ているうちに、だんだん、わたしは彼女のボディとその動きに目が眩んできてしまい、隣りに座っている友人との話どころではなくなってしまいました。
わたしは「 トンボ」に なってしまうんでしょうか。もう完全に彼女のペースです。
そして吸い込まれるように、わたしの視線は彼女の目に・・・。
やはり、と言うべきか、彼女の目はわたしを狙っていました

<万事休す>
目と目が完全に合ってしまい、今度はわたしも彼女の目から視線を離すことはできませんでした。体内のアドレナリンの濃度が急激に上がってビールの酔いが一気に廻ってきます
そして、どういうわけか突然、聴覚を失ってしまいました。まるでプールで潜水しているときのように「ツプー」という水圧のような音がわたしの耳から脳内に充満していきます。血が逆流して、ドクっドクっという激しい音が血管から聞こえてくるようでした。まったく身動きがとれません。
これでは肉食獣に狙われた草食動物、いや、海ヘビに睨まれたカエルといった方が正確か。

曲が変わり、また女の子達はポジションを一つずつ移動させます。彼女は、わたしの目の前の位置から、ようやく離れていきました。
「ほっ・・」
何とか彼女の至近距離からの視線だけは逃れることはできましたが、獲物を狙う海ヘビの照準機にわたしの心は完全にロックオンされてしまったようです。
勝負は終わりました。
彼女にとって、後は消化試合のようなものです。わたしは曲ごとに、だんだん自分から離れていく彼女の姿を追いかけ、ぼんやりと眺めていました。

4-5曲踊り終えた後、彼女はステージから降りてきて、すぐ、わたしのところにやってきました。
これは彼女にとっては最後の仕上げです。作りかけのアイスクリームサンデーのてっぺんに、真っ赤なチェリーをのせるだけ、 という状態でしょうか。
彼女の「いただきまーす」という声が聞こえてくるようです。
彼女とは、いろいろ話したような気もするし、あまり話さなかったような気もするし・・・。
彼女の息がやけにヤニ臭かったことだけは覚えています。


それから約2年、彼女はヨーロピアンの男性とめでたくゴールインし、彼氏と一緒にパトンビーチを去っていきました。ダラダラと10年以上もバングラーでその日暮らしを続けている女の子が珍しくないパトンビーチで、なかなか見事な引き際だったと思います。
ダンスだけでなく、夜の女としての勝負所も、彼女には、よく分かっていたのでしょう。
誰に教えられる訳でもないのに それが身についている。
「いい女」であるためには才能が必要なんだと感心させられた一夜でした。
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by phuketbreakpoint | 2005-08-25 02:56
1991年7月、一年ぶりのプーケット。
「よーし、今夜は飲むぞー」
勢い込んで、わたしは友人と一緒に夜のパトンビーチに繰り出しました。
「ここなら安そうだ・・・」と思って入るレストランがちっとも安くないのは昔も今も変わりませんが、シーフードのお店で食事を済ませた後は、島で一番の繁華街バングラーロードへ向かいました。
ここにはオープン形式のカウンターバーが密集するソイが何本か枝のように走っています。ソイの数は今の半分くらいだったでしょうか。

今夜はソイ・クロコダイルに入ってみましょう。
入り口には綺麗なオカマのお姉さんたちが「このソイに入りたかったら、まず私達に挨拶してからにしなさいよ」とでも言いたげに立ちはだかっています。
<戦闘準備完了>
さあ、いよいよソイの中に突っ込みます。
<みなさん、貴重品だけは、くれぐれも注意して下さい!>
いきなり群がってくるオカマ、オカマ、オカマ、オカマ、オカマ、オカマ・・・。
他のお店の女の子たちも、彼女らを怖がって近づけません。
手を引っ張る、足を引っ張る、あっ・・・・ダメっ、そんなとこまで引っ張っちゃ!
ついさっきまで、「シャチョー、シャチョー」と言ってたくせに、どうして、「チーサイ、チーサイ」に変わっちゃってるの、そこのあなた。
もうわけが解りません。

それでも、どうにかオカマさん達の集団を突破してソイへの進入に成功しました。すると今度はソイの中にあるお店から、女の子達が客引きに集まってきて、われわれを迎撃します。
心地よい緊張を感じる瞬間です。
中央のガラーンとした通路がまるでモーゼの十戒を逆回しにしたように次々と群がる女の子達によって とうせんぼうされていきます。
今度は、どえらい数の女、女、女、女、女、女、女、女、女、女、女、女、女、女だー。
そして女の子たちを振りほどいて、さらに奥へ・・・。
こんな経験は日本では絶対にできません。おじさん達が次々とプーケットに落とされてしまうのは、きっと、こういう理由なんでしょう。気分はもう70年代の東映映画の主人公です。なぜか友人と広島弁で喋っている自分に呆れます。
しかし、毎回そうなんですが、盛り上がるのは、だいたいこの辺までで、あとは女の子とゲームやったりしながらビールを飲んで・・・というお決まりのパターンです。

そんなときでした。友人が「ここに入ってみよう」と誘ってきたのがバングラーからさらに奥に抜けたサンサバイにある「スターダスト A GO-GO」というお店でした。
ゴーゴーバーは、カウンターバーと違って外から中の様子がほとんどわかりません。入り口の隙間からチラチラ見える店内の様子は如何わしいムードで充満しています。こういう雰囲気は別に嫌いなわけではありませんが、ボラれるのを恐れて、わたしは今までゴーゴーバーへの入店は意識的に回避していました。

中に入ってみると薄暗い店内の中央にステージがあり、その上にステンレス製のポールが数本並んで立っていて、ポールに絡み付くように水着の女の子が踊っていました。
ボーイさんが オーダーとりに来ます。
高かったらどうしよう、と思いながらビールの値段を聞くと80バーツです。ちょっと安心して友人とシンハゴールド(既に販売中止のライト・ビール)を1本ずつたのみました。
ソファに腰を下ろし、ビール瓶に口を付けながらステージに目をやります。踊っている女の子は4-5人で、どの子も実にパッとしません。このスターダスト・A・GO-GOは、かなり、うらぶれた感じのお店で、わたしのテンションは、まるで上がらず、ダンスなんか、ほとんど見る気もしませんから、友人と話してばかりいました。

曲が変わり、女の子が一つづつポジションを移動します。一番右端の女の子が舞台を下りるのと同時に新しい女の子がステージに上がってきました。今まで踊っていた女達とは、ちょっと違う感じで、わたしの左斜め前のポールをつかんで踊りはじめます。特に美人というわけではありませんがスタイルが良く、個性的でした。
しかし、この時点では、まだ彼女に特別な興味を示すこともなく、私は平常心だったと思います。チラチラと彼女に目をやりながら、友人と話す、話しながら、また彼女に目をやる・・・・、そんなことを繰り返すうちに曲が変わってポジションが一つずつずれて、彼女は、わたしの正面に進出してきました。

彼女は、このポジションに自分が移動する瞬間を きっと待っていたのでしょう。落とせそうな日本の男の目の前に立てるこのポジションを・・・。
わたしのチラチラは前と同じなのですが、その距離が違います。
目の前には彼女の脚。わたしは視線の角度をその脚から舐めるように上げていきました。
そして顔に目をやると彼女がこちらを見ていました。
「狙っていた」という表現の方が正しいかもしれません。その目には何か不思議なエネルギーのようなものを感じます。
わたしは慌てて目を反らし、ごまかすように、また友人と話し始めますが、一度目を見てしまったわたしは、まるで心を奪われてしまったかのように、どうしても彼女が気になってしまいます。かといって 顔を見てしまうと、また目と目が会ってしまうし・・・。
「だけど見たい」
そういうときは誰でも考えることは同じです。
「体だけ見よう」
わたしは、ここなら安全、とばかり、彼女の太腿からヒップ、腰から胸のあたりに視線をちょっとずつずらせながら彼女のダンスを見続けました。それが彼女の必勝パターンとも知らずに・・・。

GO-GOというのは、ステージの下で男たちが物欲しそうに品定めしながらジトジトと女の子の水着姿を眺めていますが、ステージ上の女の子達も、落として金になりそうな男を上から物色しているわけです。彼女達にとっては真剣勝負の世界だったんですね。
そんなことも知らないで、のんびりスケベ顔でビールを飲んでいたら・・・。

以下次号 この項続く
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by phuketbreakpoint | 2005-08-18 03:14
「どうか、早く毛が生えてきますように・・・」
クリニックに行った翌日、私は、そんな願いと共にアサガオの種を子ども達と一緒に蒔きました。これは末娘のきよみが日本の幼稚園に体験入学したとき、友達からもらってきたものです。プーケットは一年中夏なので、きっと綺麗な花が咲くことでしょう。アサガオの花が咲く頃、私の頭も満開になってくれればいいのですが。

クリニックでもらった薬は錠剤が3種類。これを毎日1錠づつ飲みます。
そしてステロイド系の塗り薬が1種。これは朝と寝る前に1回づつ患部に塗りこみます。
これで2-3ヶ月後には元に戻ると、あの先生は言っていたのですが・・。

4日後、アサガオは早くも芽を出しました。喜ぶ子供たち。
しかし、私の頭皮は、まだ何の変化もありません。
相変わらず抜け毛が多いのが気になります。ハゲ戦線はどんどん広がっていきました。
早く芽を出せハゲ頭!

10日くらい経った頃、アサガオの芽もずいぶん大きくなってきました。
慌てて竿を何本か立ててやります。さらに喜ぶ子ども達。
私の頭皮は、やっぱり、まだ何の変化もありません。まだ抜け毛は止まらず、もう前頭部だけでなく、頭が全体的に薄くなってきました。

15日経ちました。
プーケットの太陽をいっぱいに浴びて アサガオのつるは竿のまわりを巻きながら上へ上へと伸びていきます。さらに、さらに喜ぶ子ども達。
私の頭皮は依然として変化なしです。ここでも抜け毛は止まる気配がありません。
だんだん海坊主みたいになってきました。

三週目にはいります。
アサガオは順調に成長し、遂につぼみらしきものまで出てきました。プーケットは暑いせいか日本より成長が早いように思えます。
大喜びする子ども達。
わたしの頭は悲惨な状態ですが、もう毛があまり残っていないせいか、シャンプーしても抜け毛は多くありません。
ところどころ草や木が生えているスペインの荒野に似ているような気もします。

種をまいて28日目。
とうとう花が咲きました。青むらさきの実に綺麗な花です。万歳する子ども達。
それでもわたしの頭皮は変化なし。ハゲ戦線は遥か後方に、しかも多方面に伸び切ってしまい、もう手の施しようがありません。
無条件降伏目前ですが、どうやら抜け毛は止まったようです。

種をまいて一ヶ月と一週間。
まさに満開です。素晴らしい!
プーケットに咲き誇るアサガオの花。ラノーンから来た隣の夫婦も見とれています。自慢しまくる子ども達。
それに反して、私の頭はもうボロボロです。
タイでは皮膚病にやられ、毛並みがボロボロの犬は、マー・キールアンと呼ばれていますが、子ども達は私のことを馬鹿にしてキールアンと呼ぶようになってしまいました。頭にきましたが、「確かに、言えてるな」と妙に納得したりもします。

そして、更に一週間後。
鏡を見ながら、フーっとため息をついて、ハゲ頭をボンヤリと眺めているときでした。
前頭部の一番最初にハゲ始めたあたりに何やら黒い影が見えます。
私は息を止めて、そのポイントに指を軽く置いてみました。
あっ・・
ふわっと何かが・・・。それは非常にうっすらと、とても繊細ではありますが、ハッキリと毛とわかる感触を私の指に伝えてきました。
赤ちゃんの毛のように、とても柔らかくツヤツヤした、思わず口付けしたくなるほどの滑らかさです。
私は、このときの感動を一生忘れないでしょう。

この日から、私の髪の逆襲が始まりました。
伸びる!伸びる!伸びる!
生える!生える!生える!
いったん生え始めた毛は、どんどん成長していきます。
そのスピードの早いこと、早いこと。
プーケットはアサガオと同じように毛の成長も早いのでしょうか。
わたしは生えてくるフワフワの毛を毎日手で触りながら鏡を見て、毛がある事の幸せをつくづく感じたものでした。
「もっと伸びろー!どんどん伸びろー!どんどん伸びて天まで届けーっ!」
生えてきた髪の毛の7-8割が白髪だったのは、ちょっと気になりましたが、それでも不毛の砂漠よりは遥かにマシです。
しばらくすると白い部分と黒い部分が重なり合って、サッカーボールみたいな頭になってしまいましたが こんなものは後から色を付ければ何とでもなるでしょう。
そして生え始めてから約二ヶ月半後には、私の頭は、ほぼ元通り毛が生え揃っていました。
<ハゲ頭 大逆転勝利!>
諦めずにいて本当によかった。

年が明け、一月に入り、プーケットは観光客でいっぱいです。
長かった雨季も、ようやく終わり、パトンビーチは毎日太陽がいっぱいです。
わたしの頭も まさに満開、髪の毛がいっぱいでした。
このとき、アサガオの花は、もうすべて散り終えてしまい、枯れたつるには乾燥した種を残すだけとなっていました。
しかし、種が残っていれば、また花は咲きます。
「どうか、いつまでも、いつまでも、この毛が残っていますように・・・」
そんなことを思いながら、私は、またアサガオの種を子ども達と一緒に蒔きました。
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by phuketbreakpoint | 2005-08-10 13:00

ハゲとの闘い 死闘編

 私の痛々しいハゲ頭を眺めて、さんざん悪態をついてた女房のラントムですが、気を取り直したのか、
「こうなったら、私がアナタのハゲを治します」
極妻の岩下志摩さんのようにキリっとした表情で言い切りました。

次の日、車に乗せられて(運転したのは わたしですが)プーケットタウンに向かうと、そこには、どこで調べてきたのか、名もない小さなクリニックが佇んでいました。店頭には写真付きの看板が出ており、タイ語で読めませんでしたが「ハゲ治療ならおまかせください」とでも書かれているのでしょう。
彼女はズカズカと中に入っていくと、「ちょっと、この人を診てちょうだい」と無愛想に用件だけを告げました。その顔には、ハゲの女房になってたまるか、という強い決意が感じられます。部屋の壁には、エロ週刊誌に載っているようなハゲ治療のポスターがベタベタと貼ってありました。
中に通されると、行き付けの家具屋のオヤジにそっくりな先生が出てきて自信満々にこう言います。
「2-3ヶ月で元どおりになります」
本当に大丈夫なんでしょうか。
その後、頭部全体に注射を打ちましたが、あまり痛かったので数えていたら、全部で27個所に突き刺していました。頭中血ダルマです。治療が終わって、薬を渡され、家に帰っても、まだ頭がクラクラしていました。

人は何故 ハゲを嫌うのでしょうか?
どうしてハゲになりたくないのでしょうか?
ハゲた人は、それを他人に気付かれまいと、どんなに気を使っているのか、この一ヶ月間でよくわかりました。解った事を簡単にまとめてみましょう。

外出前に、入念過ぎるくらい入念に髪型を確認し、守備体制を整えます。
生えている部分から毛を無理やり引っ張ってきて、ハゲた部分にフタをするように被せ、 帰宅するまでは何が何でも この状態を保っておかねばなりません。
しかし、外には様々な敵が待ち構えています。

教訓1
“ハゲ頭は風に弱い”
やはり、最大の敵は風だと思います。風向きを常に計算し、風の吹いてくる方向に髪の分け目をもっていくこと。分け目で風を受け、髪の流れと共に風を後方に受け流しましょう。これは柔道の極意にも共通するかもしれません。
とにかく、絶対に髪の先端で風を受けないこと。風との正面衝突は不幸な結果を招くことでしょう。
ハゲ対策とはズバリ、“風との闘い”です。 まるでツールドフランスのようですね。

教訓2
“ハゲ頭は振動、傾斜に弱い”
急いでいるときでも、決して走ったりしてはいけません。そんなことをしたら せっかく整えたセットが崩れてしまいます。セットが崩れたら、当然 出てきてしまいますね、アレが・・。
お辞儀なんかも、絶対にダメです。日本人は特に気をつけましょう。

教訓3
“ハゲ頭は光に弱い”
たとえセットが崩れ、地肌が覗きそうになっても、そこが薄暗い場所であれば、ごまかしは利くものです。
あまり明るい場所に自分を立たせないこと。特にスポット系のライトは光が強く直線的で、ハゲの地肌を直にえぐり出してしまうので注意が必要です。

教訓4
“ハゲ頭は水分に弱い”
汗をかいてしまったら、髪と髪がくっつき合い、守備範囲を狭めてしまいます。
これは大戦末期のドイツ軍の悩みにも共通するのですが、少ない兵力(毛)で大きな戦線(ハゲ)を守っているわけですから それを敵に感付かれてはいけません。

上記の鉄則を外出中は常に頭の中に置いておかねばなりません。
“ハゲを隠す”
この、つまらない目的に対して、毎日うんざりするほどのエネルギーを注がねばならないのです。そして、
「こんなことを一生続けるより、思い切ってスキンヘッドにしたほうが余程スッキリする」
松山千春さんをはじめとして、多くの人は、これを実行に移してしまうわけです。

さて、私も今度の作戦が失敗すれば、責任をとって坊主にならねばならないのでしょうか。
作戦の指揮はラントムが執っているんですが・・。

この項続く 次回 感動の最終回へ
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by phuketbreakpoint | 2005-08-07 19:27

ハゲストーリーは突然に

不幸は、突然やってくるものです。
2年前の、あの日も、何の前触れもなくやってきました。

近所のレストランで食事をしていたら、女房のラントムが不吉なことを言い出します。
「あれ!? パパの頭、ハゲがあるよ」
これが始まりでした。
「前髪の分け目が、たまたま、そう見えるんじゃないの?」
私は軽く考えていましたが、うちに帰って鏡で見てみると、やっぱり、一部分だけ毛が無くなっています。大きさは1バーツコイン程度ですが、前頭部右側の目立つ位置にありました。
しかし、この時点では、私も、まだ余裕があったと思います。この程度のハゲなら簡単に復活できる、と事態を甘く見ていました。いま振り返っても、本当に甘かったと思います。

翌日プーケットタウンの薬局に行き、抜け毛によく効くビタミンBコンプレックスと薬用シャンプー、コットレバーオイル等を買って帰ってきました。
コットレバーオイルというのは、育毛を促進するといわれるビタミンAを大量に含んだサプリメントだそうで、たまたま家にあったビタミンの本には効果が大きいと書かれていました。
そして、うちで働いているコックさんが、
「ハゲ治すなら、これ!」と推薦してきたのがココナッツミルクにマクローツの実を焼いて混ぜた怪しげな液体です。
「こんなものつけて、大丈夫かなあ・・・」
とも思いましたが せっかく作ってくれたんだし、これも使ってみることにしました。

一週間後、逆に抜け毛が目立ち始めたのが気になります。ビタミン等を使う前には、ほとんど見られなかったのですが・・。
中途半端な状態のまま、私はプーケットを離れ、一時帰国することになりました。
「日本には もっといい薬や治療法があるはずだ」
東京に着くや、私は、さっそくハゲ関係の本を調べて(本屋の棚には数百冊ありました。みなさん悩んでいるんですね)、養毛剤を買いに走ります。
薬局で選んだ養毛剤は、あまり聞いたことのない会社でしたが、その名前が気に入りました。
「速毛密林」
なんと頼もしい名前でしょう。値段も定価4200円のものを吉祥寺の安売りドラッグストアーで3650円ですから、お手頃です。しかも売り場のポスターには、 
「日本全国から感謝の嵐!奇跡の育毛効果」
なんて書いてあるじゃあないですか。わたしは迷うことなく これを購入しました。
この時点で、もう治ったような気になっていたのですが その他にもハゲに効きそうなビタミン剤、栄養剤等を新たに買い足し、プーケットで買ったものと合わせて飲むことにしました。
今から思うと、あんまりいっぱい飲むのは良くなかったようですね。このあたりから抜け毛の量はどんどん増え始め、ハゲ前線は5バーツコイン、10バーツコインと、その大きさを拡大していきます。

次に登場してくるのはハゲ制圧作戦のエースとも言うべきアートネーチャーでした。かつては、男性カツラ専門でしたが、いまは育毛、増毛を主力にしているようです。
しかし、ここでわかったことは、かなりの時間と費用がかかるという事でした。
日本で生活している人にとっては それほど大きな額ではないのかもしれませんが、バーツ経済の中にどっぷりと浸かっているわたしにとっては、とても払える額ではありません。

そんなある日、わたしはふと、帰国してから、まだ旧友たちと再会していないことを思い出しました。毎日悶々としているより、気分転換したほうがいいにきまっています。抜け毛には良くないと思い酒も控えてきましたが、この日だけは特別でした。飲み会では、育毛効果があるといわれるポリフェノールをたっぷりと含んだ赤ワインを楽しみました。
久々の再開、久々の酒、久々の気分転換ですっかりご機嫌になったわたしは、赤ワインのグラスを一杯、また一杯と傾けていきした。
ところが・・・。

「・・・・・・・だれか・・、誰か助けて・・!!」
その翌日、シャンプーしたら、まさに地獄絵図です。
前日、酔っ払って、何処かで被爆し、放射能を大量に浴びてしまったのでは・・・、そう思えるくらい大量の毛がパラパラと、というより、バサバサという感じで抜けていきます。排水口を見たら、そこには黒々とした抜け毛の山が築かれていました。
「もうだめだ・・・。ラントムになんて言おう。大変なことになってしまった。いつまでも東京にいる場合ではない」
わたしは打ちひしがれて、プーケットへの帰路に就きました。
この頃になると、わたしのハゲはもうヘアスタイルだけでは隠しようがない程大きくなっていました。
願わくば、空港で誰も知ってる人に会いませんように・・・、そう思っていたら、出口の所で、日本人会で事務局長(当時)をやっていた山口さんとバッタリと鉢合わせです。
泣きながらタクシーに乗って家に帰ってきたら、女房のラントムは「お帰り」の一言も言わずに、いきなりわたしの頭をマジマジと覗き込んで、
「アンタがハゲるとは思わなかった。ハゲとだけは結婚したくなかった」
等と言っています。なんてヒドイ人なんでしょう。
ハゲは人間に非ず、とでも言いたいのでしょうか。
                         
 この項続く        以下次号へ
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by phuketbreakpoint | 2005-08-03 14:57