タイ・プーケット島在住。タイならではの出来事や日々の体験、個人的な思い出などを書きとめています。


by phuketbreakpoint
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パパと呼ばないで

テレビ朝日「ポカポカ地球家族」のオンエア以来、たいへん多くの方からメール等をいただき恐縮していますが、あの番組の中には、実はウソが一つ入っています。
わたしや、わたしの家族をよく知っている人達は気がついたと思いますが、番組の中で従姉妹と紹介された女の子マヨムは、実はわたしの妻ラントムの連れ子です。

わたしがラントムとの結婚を決意して母に報告に行ったとき、わたしは、ラントムのいいところ、タイのいいところ、プーケットの素晴らしいところ等を思いつくまま喋りまくったわけですが、とうとう最後まで、彼女には離婚歴があり、子どもがいることは話せませんでした。
いや、最初からそんな話をするつもりなんて全然なかったと思います。
とりあえず認めてもらって、ほとぼりが冷めたころに、さり気なく、というズルイ作戦でした。
フラフラしっぱなしのわたしに、お手上げだった母は、
「これで、この子がちょっとでも落ち着いてくれたら・・・」
きっと、そんな気持ちだったと思います。しぶしぶ承諾してくれました。その時、マヨムのことは、死んだラントムの兄の子、ということにしておいたのです。

ところが何年か経って、母と話をしているうちに、この時の嘘をすっかり忘れてしまったわたしは、話の節々で矛盾したことを言ってしまいます。
しどろもどろになりながらも、急遽設定変更。
「ラントムのお兄さんは、実は、まだ生きていて現在服役中(これ実話だ)。いつ出てくるかはわかりません」
こうごまかしました。真実を少し混ぜると、本当ぽく聞こえます。最近は母も、なんとなく気がついているようですが、わたしの口からは、未だに言い出す気にはなれません。
ここで書いているのも、誰かの口からさりげなく母の耳に入っていかないかなあ・・・なんて、むしのいいことを考えているからです。

わたしがラントムに連れられて彼女の実家に行き、マヨムに初めて会ったのは、あの子が4歳のときでした。
その時、マヨムはここに預けられていてラントムの両親と一緒に暮らしていたのです。なかなか懐いてくれないあの子の気を引こうと、わたしは、あれやこれやといろんな作戦を考えたものでした。
その後、あきおとなおこが生まれ、5人で暮らすようになったとき、ラントムと相談して、わたしが本当の父親だとマヨムに教えることにしました。
いくらまだ小さかったとはいえ、いきなり現れた父親が外国人というのは、いかにも不自然な話ですが、そもそもあの頃、マヨムには母親からして2人いたのです。
ラントムのお母さんのことを 「かあさん」と、ラントムのことは 「トムかあさん」とあの子は呼んでいました。
タイでは女性が亭主と別れた後、子供を両親に預け、実家に仕送りしながら暮らしている人が大勢います。結婚に失敗した女性たちが一発勝負を賭けて集まってくる新天地・・・、プーケットには、そういった一面も隠されているのです。
ラントムも、そんな一人でした。

こんな中で、マヨム自身も父親を欲しかったのでしょう。この話は最初は順調だったと思います。
ところが、ラントムの両親や親戚の人達が遊びに来る度に嬉しそうに、いらんことを言って、本人にバラしてしまいます。
幼稚園のとき、わたしが砂場で一生懸命作ったお城を横から出てきてぶち壊してしまう吉田くんという子がいたのですが、わたしは思わず彼の顔を思い出しました。
わたしは嘘がバレそうになる度に苦しい言い訳を強いられることになります。 
「ウソも真剣につけ」
どこかの本で読んだセリフですが、わたしは誠心誠意、嘘をつき、それがバレそうになったら、精魂込めて、言い訳を続けました。
そのうちにあの子も感付いてきてしまいましたが、わたしは呆けて、実の父親と言い続けていたのです。

「いつかは、あの子にも、はっきりと分かっちゃうんだろうなあ・・・」
そんな覚悟は出来ていましたが、その日は突然やってきました。
あの子が中1のとき、バンコクに住むラントムの元夫がアポなしでいきなり現われ、マヨムに会わせて欲しいと言ってきたのです。
遠い所から、わざわざ我が子に会いに来た実の父親を、他人のわたしが追い返すわけにもいかず、面会を許しました。
実のお父さんは、11年ぶりにマヨムと話しながら涙を流して、「ありがとう」と言っていましたが、わたしはそのとき正体がバレてしまったタイガーマスクといった心境で、何とも返事のしようがありませんでした。

それまで、わたしは実の父親と言い張るだけで、あの子にとって決していい父親ではなかったかもしれません。あの子は父親の愛情に餓えていて、わたしにベタベタしたかったようで、実際に絡みついてくるときが何度かありましたが、そんな時、わたしは、なんとも表現できないバツの悪さを感じたものです。大人の女にベタベタされるのは大好きなのに、どうしてなんでしょうか。
建前としては、実子のなおこ、あきおと別け隔てすることなく、平等に扱っていたつもりですが、ところどころで本音が覗いていたのかもしれません。
そして実の父親が現れた後、「もっといい父親を演じてやればよかった・・・」なんて、遅まきながら後悔したものでした。

それでも、マヨムは、わたしに気を使っていたのか、あの日の夜、こう言ってくれました。
「パパが 一番好き」
こんなわたしでも、まだパパと呼んでくれるようです。
真実は、とっくの昔に、あの子にも分かっていたとは思いますが、マヨムに何て言おうかと困っていたわたしは、この一言でずいぶん気が楽になりました。
そうです。この家では誰が何と言おうと、わたしがパパなんですね。

そしてマヨムは11月で18歳になります。
いつの間に、こんなに大きくなってしまったんでしょうか。
最近、顔も、体も、性格も、ますます母親に似てきてしまって、もうわたしの手には負えません。まるで女房が二人いるような気分です。
来年は大学でチェンマイに行くのか、シンガポールになるのか、わかりませんが、この家にいないことは確かです。
あきお(長男)は東京。
なおこ(次女)も来年たぶん東京。
残るのは、きよみ(末娘)だけです。きよみも最近わたしとちっとも、いちゃいちゃしてくれません。
そして最後はラントムと二人だけ。

「マヨム、なおこ、あきお、きよみー。みんな一生懸命勉強して、働いて、それで疲れたらプーケットに戻って来いよ。また、みんなでラワイに行ってカニ獲りやろうー」
パパは、ずーっと待ってるぞー!
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by phuketbreakpoint | 2005-07-27 13:30

サーフィンやるぞ

「サーフィンやりに来たんですけど・・・」
お店にいたら、日本人の女の子が話しかけてきました。
「ダイビングの間違いじゃないんですか?」
そう答えそうになりましたが、以前カタビーチで白人のおじさんが上手にやっているのを、確かに見たことがあります。パソコンで調べてみたら、けっこう情報はたくさん出ていました。
わたしは、知ったかぶりをして、一応のポイント、そこへのアクセスの仕方等を教えて、女の子を送り出しました。
「あんな可愛い子がサーフィンか・・・。それにしてもサーフィンとは・・・」

実は、わたしも一度だけ、サーフィンをやったことがあります。思い出したくもない暗い過去です。
今から17年前、当時サラリーマンをやっていたわたしは、何を勘違いしたのか、突然渋谷で サーフボードとウエットスーツを買ってしまいました。この歳(当時27歳)でサーフィン始めるのも、どんなものか、とも思いましたが、昔、<高四小で四番打ってた>わたしです。サーフィンなんか、カンタンにできる、そう思っていました。
次の週末、いきなり千葉の一宮海岸へ出かけ、初トライ。
徹夜ドライブの後、2-3時間仮眠をとって、さあ、チャレンジです。
ウェットスーツに着替えた後、トイレに行ってなかったことに気が付くのは素人の典型と言えますが、この時点では、まだ、このことの重大さには気がつきませんでした。
前日、「地球の歩き方 ハワイ編」に載っていた僅か2-3ページのサーフィン入門を読んだだけで、他に何の知識もありません。でも わたしは<高四小で四番打ってた>わけですから、そんなこと気にしない、気にしない。

いよいよ水に入っていきます。いきなり、オシッコしたくなってきましたが、こんなところでやっていたら、ビーチに座っている人たち(女の子もいっぱいだ)に、すぐバレてしまいます。
「沖に出てから、やればいいか・・・」
そう思って、わたしはパドリングしてボードを沖に向かわせました。そのわたしに波が、かるーく、近づいてきます。
シロウトは、沖に出るのも、なかなか難しい - そういう話も聞いていましたが <高四小で四番打ってた>わたしです。前日の予習で、しっかり頭にはいっているプッシング・スルーという技術を使って、この波をやり過ごし・・・・ん?
どうも うまくいきません。波をかわすテクは他にもあるようですが、前日いいかげんに読んでいたので、どれもうまくいきません。まあ、それでも <高四小で四番打ってた> わたしですから、体力にモノを言わせて強引に沖へ・・・、やっぱり、出られません。

ずいぶん揉まれていたようです。 揉まれながらも、わたしは、だんだんオシッコが我慢できなくなってきました。
「仕方ない、このへんで、ちょっとやっとくか・・・
わたしは動きを止め、膀胱のセンを緩めました。
生暖かい、というより、熱い感じのオシッコがウエットスーツの中にジワーっと広がっていきます。
「きっと、間抜けな顔してるんだろうなあ・・・」
そんなことを考えていたときでした。

「どうも、まわりの様子が、おかしい・・・」
ふと気が付くと、ビーチに座っている人たち、周りでプカプカ浮いている人たち、みんな、こちらを見ているような気がします。
そういえば、さっきから、監視塔の上の男の人が拡声器で何やら怒鳴っています。
「そこのグリーンのボードの人、すぐに上がりなさい」
勢いだけでボードを買ってしまったわたしは、自分のボードがグリーンだということすら、気が付がついていませんでした。周りを見ても、それっぽい人は、わたし以外には見当たりません。
「これって、もしや、オレのこと?」
波に揉まれるわたしの姿があまりにも見苦しく、危なそうに見えたのでしょう。でも、上がれと言われても、みんなのジトーっとした視線が待つ砂浜に上がっていく勇気は、<高四小で4番打ってた>わたしにもありません。

「なんとか、ごまかす方法はないか・・・」
そう思いましたが、このまま前に進んでも、沖に出られるとも思えず、その間にも波は容赦なく、わたしに襲い掛かってきます。万策尽きて、わたしは、みんなが座っている浜へウエットスーツからオシッコを滴らせながら戻っていきました。
みんなの目、目、目・・・・。
顔から火がでる、という表現がありますが、そのときは頭部全体がボーボーと燃えているようでした。高四小の四番打者もかたなしです。
わたしはオシッコまみれのウエットスーツを着替えることもなしに車に乗り込み、西川口のアパートまで逃げて帰ってきました。

こう書いていても、あのときの恥ずかしさが込み上げてきて、思わず涙が流れてきます。
昨年の津波は、車やバイク、家具や商品、たいせつなハイシーズン等をわたしから奪い去っていきましたが、17年前の一宮の波は、過去の小さな栄光に頼りきった私のなけなしのプライドをズタズタにして 押し流していってしまいました。
「あの時、ちゃんと沖に出られていたら、プーケットに来てなかったかも・・・」
そんな気さえしてきます。あの日以来、わたしは二度とサーフィンには近づきませんでした。

そんなわたしの前に、17年の空白を超えて現れたのが前述のサーフィン少女です。
「サーフィンだけやりに来ました」
その言葉どおり、この子は四日間、バナナディスコで飲んだくれることもなしにサーフィンだけやって去っていきました。
「すげー」「デッカイなみー」「ヤベー」
この子の言葉使いは男の子のようでしたが何故か好感が持てたのは、わたしがおじさんになったせい?
いいえ、ちがいます。サーフィンを語るこの子の目が少女マンガのヒロインのようにキラキラ輝いていたから・・・。
きっと、<高四小で四番打ってた>頃のわたしも、同じ目をしていたはずです・・・。

「よーっし、オレも、もう一回燃えてやるぞー」
あれから17年が過ぎ、中年オヤジになってしまったわたしですが、今度はちゃんと入門書買って、よく読んで、2-3ヶ月カタビーチで練習すれば大丈夫。一宮の海を見返すことができるはずです。
みんな、わたしの中年ばなれした華麗なテクニックにうっとりすることでしょう。
だって、わたし、高四小で四番打ってましたから!
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by phuketbreakpoint | 2005-07-20 16:19

南の島のスーパースター

「プーケットにどうして来たんですか」
この島に住んでいる外国人なら誰もが聞かれる質問です。
「恋人と暮らすため」
「ビジネスでひと山当てたい」
「ダイビングが大好きだ」
「どこか日本以外の所に住んでみたい」
みんな、それぞれ理由があると思います。
わたしも、それらしい理由を書くこともできます。
いろんな事情が重なり合って、ここに来ているわけですが、
わたしがプ-ケットに関心を持つキッカケを作ったという事なら、紛れもなく、この人であるとハッキリ言うことができます。
ー富士銀行不正融資事件・師岡容疑者ー

それは確か1990年頃、バブル経済崩壊直後の話でした。
今となっては 事件の細かい内容なんか忘れてしまいましたし、そんなことはどうでもいいことです。
数億円(いや数十億円?)と共にプーケットに逃亡し、もの凄い豪邸に住みながら金に物を言わせて遊びまくっていた人がいる、そんな事実があったからこそ、この人の名前は今でも、わたしの頭から消える事がないのだと思います。

事件当時、不動産関連の仕事をしていた私は、10坪ほどの小さな家が5000万円で取り引きされるのを当たり前のように見ていました。そんなとき、師岡さんが900万バーツ(当時1バーツ=5円で約4500万円)で購入したバッキンガム宮殿を真っ白にしたような豪邸は、わたしの心に プーケットに対する最初の憧れを 芽生えさせます。
「あんな凄い家が、この程度の値段で買えるんだね」
会社の上司がお昼休みのテレビを見ながら、そんな感想を漏らしていたのをよく覚えています。
「世の中には 大した人がいるもんだなあ・・・」
犯罪者であるにもかかわらず、師岡さんへの興味は、どんどん大きくなっていきました。だいたいフィリピンとかではなく、当時まだまだマイナーだったプーケットを逃亡先に選んだこと自体、この人の並々ならぬ素敵なセンスを感じさせます。
「プーケットって、どんな所なんだろうなあ」
実に素朴に、わたしはそう思ってしまいました。

師岡さんが、プーケットに潜伏しているのでは、という情報は、日本の警察も早い段階で押さえていたようです。外務省を通してタイ警察に捜査協力を依頼していました。プーケットは小さな島ですから普通なら外国人の容疑者を捕まえることなんか簡単なはずです。
ところが何ヶ月たっても、いっこうにラチがあきませんでした。
それもそのはず師岡さんは、豪邸に美人コンパニオンを揃え、地元の実力者や警察の幹部を集めて、食べ放題、のみ放題、遊び放題の ドリームパーティーを毎週末に開いていたようなのです。
まさに夢の四字熟語・酒池肉林の状態です。
これじゃあ、捕まるわけないですね。
わたしもタイに来て13年、いろんな四字熟語を実体験しました。 でもそれは「絶対絶命」とか、「四面楚歌」とか、「九死一生」とか、どれもこれも、できることなら経験したくなかったものばかり・・・。

幼少の頃、母に読んでもらった童話のラストでの
「その後 ・・・・は、南の島で遊んで暮らしましたとさ・・」
であるとか、10代の頃見たギャング映画の
「でかいヤマふんで、南の島に逃げて遊びまくるってのもいいぜ・・」
といった類の話は、フィクションの世界だけだ、と思っていたわたしの前に突然現れた現代のおとぎ話、それが師岡さんだったのです。

結局しびれを切らせた日本の警察がプーケットまで出張し、乗り込んできたら、短時間で事件は解決しましたが、ワイドショーの追跡取材で、使用人たちの 「あの人は立派だった」 という証言は、わたしの彼に対するファンタジーを更に膨らませてくれました。そうとう気前よかったようですね。
持って来た数億円は愛人がネコババしたのか、それとも警察が懐に入れてしまったのかわかりませんが、こういうミステリーを残していってくれるのも、この人の偉いところです。

こんな師岡さんを見て、わたしも南の島の王様になってやろう等と途方もないことを考えてしまったようです。今さらながら実に非現実的な話ですが、
「この南の島でなら、もしかしたら、それが可能かも・・・」
そう思わせる何かを、この師岡さんの事件に感じたのかもしれません。
しかし、少年が大人になる段階で誰もが経験するのと同じように、その後、一つ一つ現実にぶつかって、わたしの夢は、どんどん小さく萎んでいってしまいました。

それでも、この事実だけは変えようもありません。
「ラントムと結婚した」のも、
「うじゃうじゃいる子供たちを怒鳴り散らしながら暮らしている」のも、
「金の心配ばかりしながらサウスロードとブレイクポイントをやっている」のも、
みんな、みんな、ことの始まりは師岡さんだったのです。

師岡さんがその後、裁判でどんな判決を受けたのか、今どんな暮らしをしているのか、わたしは知りません。知りたいとも思いません。
もしも、寂しい生活を送っているのなら、それは絶対に目にしたくないものです。師岡さんは わたしのファンタジーそのもの、あの人の伝説をわたしは守りたい。
それでも、もし可能なら、いつの日にか一目お会いして感謝の気持ちを伝えたいと思っています。
「師岡さん、あのときプーケットに逃亡していただき、本当にありがとうございました。
わたしはこれからも、プーケットで生きていきます」



おとぎ話に導かれ 
この島を訪れた

憧れたこの島で 
小さな出会いが見つかった

子供たちに揉みくちゃにされても
満員電車で揉まれることはなく

金の心配ばかりしながらも
飢え死にすることもなし

朝から 晩まで 大騒ぎ
あれが壊れた これがない
おまけに あいつは辞めちゃった

海は見るだけ 泳がない
毎日 暑くて ふうらふら
だけども ちっとも 辛くない

いつも 心は 半袖で
心は いつも 夏休み

大きな 夢は 夢と消え
小さな 夢が あふれてる

小さな 夢の その先に
どんな 未来が 待っている
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by phuketbreakpoint | 2005-07-14 15:28