タイ・プーケット島在住。タイならではの出来事や日々の体験、個人的な思い出などを書きとめています。


by phuketbreakpoint
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UFO、遂に発見!

「エイリアン・・・、オハイオに・・・?」
「ええ、宇宙人の死骸が、UFOと一緒に保管されているんです」
「どこに・・・?」
「どこにって、エア・フォース(空軍)のベースキャンプですよ。あなた、オハイオに住んでいて、こんな有名な話も知らないんですか!」
1983年3月、アメリカ大陸をバスで横断中だった私は、オハイオ州クリーブランドを訪れていました。

バスターミナルでグレイハウンドの職員を捉まえて、目的地までの道のりを尋ねていたのですが、
「あんた、バカなテレビ番組でも見て、騙されてるんじゃないのかい」
「冗談じゃないですよ。ちょっと、これ見てください(と言いながら、「UFO本」を見せる私)」
“アメリカ・オハイオ州、ライトパターソン空軍基地の地下格納庫には、UFOの残骸と、エイリアンの死体が保管されている”
「ライト・パターソンねえ・・・・。確か、デイトンだったなあ・・・。300キロは、離れてるんじゃないか」

これまで、ヒューストンのNASA、ワシントンDCの合衆国・国防省と、UFOの関連記事に、よく登場してくるポイントには、足を運んできましたが、
「ここが、ペンタンゴン内部の売店ですよ」的な、しょうもない写真が撮れるという以外のメリットは、何もありませんでした。
UFOの正体を確認する、という作業は、実態があるのか、ないのか、わからない不確実なものが対象ですから、最初から無理があったのかもしれません。思えば、私の半生は、そんなモヤモヤとした何かを、捜し求めていたのかもしれません。


あきおが帰ってきてから1ヵ月後に、なおこが夏休みを利用して、日本から戻ってきました。
「パパ、ママ、ただいま」
菱和の制服を身に纏い、到着ロビーに現れた、なおこは、爽やかさに溢れています。つい、2年前のお正月、受験を終えて、颯爽と凱旋帰国したときの、あきおにも、同じような雰囲気を感じましたが、あのときの輝きが、今の、あきおに、あるんでしょうか?

なおこは、何事にも、そつが無く、ほとんど手はかかりません。菱和に入学した当初は、ホームシックで泣きながら、電話をかけてきたこともありましたが、
「可哀想だなあ・・・」
と思いこそすれ、あきおのときのように、怒りの感情が沸いてきたことなど、一度もありませんでした。我が子ながら、感心してしまうほど、あの子は、問題なく成長していきます。いや、マヨムのときも、同じでしたし、恐らく、きよみも、大丈夫でしょう。4人の子を育ててきた経験から、見つけ出した、究極の結論としては、
「苦労したくなければ、男の子は作るな!」
ということなのでしょうか。

結局のところ、かつての私がそうだったように、今の、あきおも、
“自分が何を、やりたいのか”
“どういう人間に、なりたいのか”
はっきりと定まっていないところに、問題があるわけです。好きな道さえ決まっていれば、菱和(仮名)でも、あんなことにはならなかったでしょう。
では、あきおにとって、それは、いったい何かといえば、答えを導き出すことは、容易ではないと言わざるを得ません。
私自信、悩み、苦しみ、空回りしながら、数限りない失敗を繰り返した後に、この南の島で、ようやく、答えが得られたような気もしますが、それが少年時代に憧れていた物と同じ姿かといえば、似ても似つかない物だったりするわけです。
目指すべき理想の世界とは、試行錯誤を繰り返し、壮大な回り道を辿っていった、その果てに、ようやく、おぼろげに見えてくるものかもしれません。

夏休みも、いよいよ終わりに近づいた、8月下旬、私達家族は、サムイ島に遊びにいきました。
昨年まで、プーケットでツアー会社を経営していた品川さんが、ここで働いていましたから、久しぶりに会って、一緒に食事をしました。
「サムイ島は、おもろない!若いもん、ばっかりや・・・。一緒に飲みに行ってくれるヤツが、おらへん」
内容は愚痴ばっかりなんですが、この人が喋ると、全部明るく聞こえてくるから不思議です。つい、30分ほど前には、ブータレてばかりいる、あきおに切れて、
「どこに行きたいのか、何も言わない。だったら・・・と、こっちで決めたら、ぶつくさ文句を言う。お前みたいなのが、一番困るんだよ」
不機嫌極まりなかった私でしたが、品川さんの話を聞いているうちに、いつの間にやら、気分が晴れ晴れとしてきます。
「ささ、品川さん、まずは、ぐーっと、一杯・・・。あきお、お前も飲め!」
途端に、ニコニコ顔となって、つい先程の怒りは、
「いったい、どこに、行っちゃったんだ?」
あきおも、呆れ顔で見ていました。

食事が終わって、ホテルに戻り、バンガローの縁台に腰掛けて、あきおと1対1で、久しぶりの親子酒になりました。
「どうだ、あきお。この酒(シーバス・リーガル)、美味いだろ。(東京の)おじいちゃんも、これが一番好きなんだ」
「昔、あきおが生まれたときに、空港で高級ブランデーを買って、ポータウ(ラントムのお父さん)に、お土産持っていったんだけど、近所の仲間と、5分くらいで飲んじゃってなあ・・・。大きな器に、並々と注いで、回し飲みするんだけど、口当たりがいいから、みんな、ぐびぐび、いっちゃって、一回りしたら、もう無くなっちゃった。あれ以来、ポータウには、質より、量だって、思ったな」
「田舎の連中は、朝から飲むからなあ・・。でも、ラオカウなんて、あんまり、飲まない方がいいぞ。ありゃあ、なんか混ざってるぞ、絶対に・・・」
「こうやって、おいしい酒が飲めるのも、一生懸命働いてるから、そう感じるんだ。さっき、あきおは、『退屈だ』って、言ってたけど、パパなんか、プーケットから離れて、今日は、お店を見なくてもいいって思うだけで、気分が軽くなって、何やっても楽しくなる。
いつも、ブラブラしていたら、こうはいかないぞ。ルング・トゥアン(トゥアンおじさん)見てれば、分るだろ。きっと、酒も美味しくないぞ。ああいう生活をしていると・・・」

酒を飲みながら、ほとんど酒の話しかしていませんでしたが、実に、美味しいお酒でした。
ここ数ヶ月、あるときは、怒り、あるときは、悲しみ、また、あるときは、呆れ返った、私の、あきおに対する感情でしたが、この夜は、本当に、心地よい時間を過ごすことができました。
あきおと一緒に酒を飲んで、
“こういう話を、日本語でしたかったからこそ”
私は、長い間、苦しんできたのです。その夢に付き合って、実現してくれた、あきおには、この先、何があろうとも、耐えて、見守ってやることが、せめてもの罪滅ぼしだと思いました。私が日本人でなかったら、あの子も、苦労することはなかったでしょうから・・・。

中1で、あきおを日本に送り出して以来、勉強のことも、それ以外のことも、あまり教えてやる時間はありませんでしたが、考えようによっては、そのいい機会ができたのかもしれません。
“自分の子の教育は、自分でやる”
“結果は、すべて受け入れる”
今こそ、原点に、立ち返るべきなのでしょう。
小学生だった、あきおに、1つ1つ漢字を教えていったときのように、今一度、あの子には、時間をかけて、私が、これまでの人生で培ってきたものを教えてやらねばなりません。あきおが頑張ってくれたおかげで、コミュニケーションの手段は、もう十分に確立されているのですから。

8月29日、
なおこが、日本に戻る日がやってきました。
「パパ、ママ、サワッディー・カー。日本に着いたら、電話入れるから」
「なおこ、気をつけなさいよ。忘れ物は、ないわね」
久しぶりに戻ってきた娘が、再び旅立っていく・・・。母親にとって、それは、やはり寂しいことだったようで、ラントムの目には、涙が光っていました。

今夜、なおこは日本へ。マヨムも、もうすぐ、イギリスに。きよみも、「来年、日本に行きたい」なんて言っていますし、あきおは、バンコクなのか、自宅学習のままなのかは、わかりませんが、まあ、なんとかやっていくでしょう。

5人で揺られた道のりを、4人で戻る、帰り道、
「明日、お寿司食べたい。あきお兄ちゃんも、行くでしょ?」
「きよみ、食べることばっかり、考えるなよ。また、太るぞ」
あきおと、きよみが喋っている、その傍で、
「子ども達が全員、プーケットにいればいいのに・・・」
ラントムが寂しそうに、呟いていました。

突然の大雨で、視界は、ほとんど見えないけれど、
なおこの声が、聞こえるような、
子どもたちの声が、聞こえるような、
みんなの声が、聞こえるような、
そんな、不思議な、帰り道。

来年、また、会えるといいな、
子どもたち、みんなと、会いたいな、
ラントムと一緒に、会えるといいな、
プーケットで、みんなと、会いたいな・・・、

車は、カトゥーの山を超え、夜のパトンビーチが見えてきました。
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by phuketbreakpoint | 2010-05-29 13:11