タイ・プーケット島在住。タイならではの出来事や日々の体験、個人的な思い出などを書きとめています。


by phuketbreakpoint
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ここが正念場 3  母語と母国語の狭間で

みなさんは、母語という言葉を御存知でしょうか。
学術的には、いろいろな解釈があるようですが、私は、
“自分の気持ちを、もっとも、自然に表現できる言語”
という意味でとらえています。

日本に住んでいる日本人なら、母語も、母国語も、日本語ということになりますが、外国暮らしを長く続けていると、必ずしも、一致するとは限りません。子どもが通う学校や、身の回りの環境によっては、母語が、イコール母国語とはならないケースが出てきます。
例えば、タイ王国のどこかで、子どもをインターナショナルスクール(以下インター校)に通わせる場合、そこで行なわれる授業は、ほとんど英語が基本となります。休み時間に、友だちと話すときも英語、帰宅して友人と遊ぶときも英語、その結果、日本語を話すのは、家庭内で両親と会話するときだけ、ということになってしまいます。親子のコミュニケーションが、しっかり取れていればよいのですが、そうでない場合は、自分の気持ちを正確に伝えられる言語は、英語しかなくなるわけです。

バンコクでは、両親とも、タイ人の家庭で育っているのに、母語がタイ語ではない、という子が大勢いるそうです。
バンコクのボーベーマーケットで、私が、パレオを仕入れているお店の母子が、このケースで、
「マミー、アイ・ゴー・ホーム・ナウ」
なんて、タイ人同士でやっていますが、聞いていて、かなり、違和感があります。
生まれたときからタイで暮している子が、せっかく、タイ人やタイ語というアイデンティティーがしっかりしているのに、どうして、わざわざ両親の母国語でもないファラン(白人)の言語や文化に、無理矢理、馴染まなければならないのか、ちょっと疑問に感じてしまいました。

両親とも、日本人の家庭に生まれた子も、また然りです。あるバンコク駐在員の子どもが、インター校に入れられたのですが、結局、二年後に挫折して日本人学校に入り直し、大きなハンデを背負うことになってしまったであるとか、インター校からカナダに留学し、母語が英語になってしまったであるとか・・・。
また、小学校(バンコク日本人学校)で不登校になってしまい、タイの学校にも行こうとせず、日本語は喋れる、タイ語も喋れる、しかし、どちらも、ほとんど書けない、読めない、そして、難しい表現は、会話でも使えない、最終学歴は幼卒(注、小学校中退)、そんな子も、バンコクにはいるそうです。

各家庭によって、言語に対する考え方が違うのは当然ですが、子どもたちの母語が、自分の、あるいは配偶者のものと異なる場合、親子間の、真の意思疎通は、永久に失われる可能性もあることは、認識しておくべきでしょう。
高校受験を目前に控えた長男あきおの場合にも、母語を、いったいどうするのかは、常に考えておかねばならない問題です。もしも、日本での勉学が中途半端なものに終わり、タイの学校にも馴染めないなら、あきおの母語は、いったい、どうなってしまうのでしょうか?

神明中学での個人面談を終え、私は、暗い気持ちで家路に就きました。
「おばあちゃん、そう言ったじゃん。自分で、そう言ったじゃん」
あきおが、また母に絡んでいます。
誰しも、ちょっとした、いい間違いはあると思いますが、いつの頃からか、この子は、それをいちいちあげつらって、憎まれ口を叩くようになっていました。
「あきお、お前いいかげんしろ。そんな小さなことで、どうして、いちいち、引っかかるんだ」
私が怒ってそう言うと、あの子は、プイっと、二階の自室に上がってしまいます。
それでも、私の母に対しては、まだ会話があるからいいようなものの、父とは会話どころか、日々の挨拶すら交わされていないようで、家庭内の雰囲気は最悪でした。

「あきお、挨拶くらいしろって、この前も、教えただろう。どうして、やらないんだ」
「だって、こっちがしても、向こうは、無視してるから」
「それは聞こえてないんだよ。あきおは、いつも、ボソボソ喋るから・・・。おじいちゃんは海軍にいた頃、上官にぶん殴られて、左耳がおかしいんだ。もっと、はっきり言わないと、分からないんだよ」
こうやって諭すと、あの子は、いつも、
「分かった。じゃあ挨拶するよ」
と口では言うのですが、何ヶ月か経って、次にまた日本に行くと、前回より、さらに関係が険悪になっているという繰り返しでした。こんな状態でしたから、私の両親からは、とうとう、
「頼むから、あの子を、来年から寮のある学校に入れてちょうだい」
きっちりと、こう言い渡されてしまいました。

さて、寮のある学校といっても、私には、思い当たる所は、二つしかありません。
一つは、静岡県にあるオイスカ高校。
ここには、私の教え子でもある、プーケット補習校OBの竜太郎くん(仮名17歳)が通っていて、アジア支局の代表が、プーケットで説明会をやってくれたこともありました。

そして、もう一つが、四国にある菱和高校(仮名)。
ここは、昨年、私が山村留学を視察した際に訪れた学校で、その校風もさることながら、四国という風土が、なんだか、とても気に入ってしまい、「うちの子を行かせるのなら、ここだろう」と、密かに考えていたところでした。
東京での三年間で、ぎすぎすし始めた、あきおの性格も、暖かいこの地の気候と人情が、解きほぐしてくれるのではないでしょうか。

さっそく、視察の時に、お世話になった先生に連絡を入れたところ、
「まず、学校を見学させてください。写真やイメージと、実際の姿が違うこともありますから」
そう言われて、私はあきお、そして、やはり来年度日本で勉強させようと考えていた、なおこの二人を連れて、夜行バスに乗り、四国を訪れました。

「あきお、もし、ここがダメなら、相当厳しいことになっちゃうからね。ほら、ちゃんとシャツは、ズボンに入れて、手は、ポケットに突っ込まない」
私は、あの子が置かれている状況を、もう一度説明し、この日が単なる学校見学とは意味合いが違うことを認識させました。
担当の先生や、校長先生に好印象を持ってもらい、できることなら、「内定」を貰って、進路を確定しておきたい・・・、親としては、その辺のことろまで、先回りして考えるのは当然なんですが、以前の私なら、ギリギリに追い込まれるまでは、行動に移すことはなかったでしょう。
「最悪の事態を考えながら、物事の準備を怠らない」
若い頃には、まるで、できませんでしたが、プーケットで何年も揉まれた結果なのか、知らず知らずのうちに、こんな私にも、それが身についていたようです。

太平洋に面した近代的な校舎、真新しい図書館と教室、裏にある美しい庭園、そして、世界中から集まった留学生、タイから来ている子も何人か見られました。
あの子たちも、すっかり、気に入ったようです。
「パパ、あきおは、この学校に行くよ」
「なおこも、そうする」
その気になってくれたのはいいんですが、こちらで一方的に決めるわけにもいきません。
担当の先生が、
「うちは偏差値教育じゃありませんから、面接重視です」
そう言ってはくれましたが、いくらなんでも、30台じゃあ、低すぎると思いますが・・・。
今からでも、やれることは何があるでしょうか?

学校生活の局面、局面で、あきおに的確で明瞭な指導をしてやることができませんでしたから、あの子にも、ずいぶん苦労させてしまいましたが、まだ、手遅れというわけではありません。
「あきお、よく聞いてくれ。パパは明日、プーケットに帰るけど、これから言うことは、必ず実行するように。
まず、試験勉強とか、そういうのと関係なく、数学と英語だけは、中学の三年間で習ったことは、三学期終了までに全部復習しておくこと。特に、英語は、教科書に出てきた単語は、すべて覚えておかなきゃダメだ。
それと、パパが7月に作っておいた例文集を、毎日一回でいいから、全部読むこと。本当は、暗記した方がいいんだけど、そこまでは言わないから、すらすら読めるようにしておけ。
そして、その他の教科は、宿題や課題を、すべて提出して、絶対に、1だけは貰わないようにすること。
以上だ、分かったな」
こういうときの指示は、簡潔かつ、具体的な方がいいでしょう。


十二月の入試まで、残すところ、後一カ月半。
あきおの未来に、明るい明日が見えてくるのでしょうか?
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by phuketbreakpoint | 2007-11-01 14:58