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タイ・プーケット島在住。タイならではの出来事や日々の体験、個人的な思い出などを書きとめています。


by phuketbreakpoint
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みんなで行こう、日本国

1998年秋、私は帰国の準備を進めていました。
ラントムと結婚して早や6年、あきおと、なおこの二人を、初めて日本に連れて帰ったのが前年のことでした。
父には、結婚の報告すらしていませんでしたが、時の流れとというのは、本当に有難いものです。一発喰らうかも?、という心配をよそに、なんと、父からも笑顔で迎えられ、私は、あきおと、なおこ、そして、母も交えて、団欒のひと時を過ごすことができました。私が父と一緒に遊びに出かけるのは、中三の春休み以来のことで、実に22年ぶりの出来事でした。
<孫は、かすがい>
そんな言葉が、私の頭に自然と浮かんできました。どうやら、第一段階は、成功だったようです。

さて、今年は、第二段階に進むべきでしょうか。
思えば、この6年間、ラントムにも、ずいぶん肩身の狭い思いをさせてきました。母が一人で、プーケットに遊びにきたときにも、彼女は、親戚たちに、
「義父は、今、忙しくて・・・」
と、ウソをつかねばなりませんでした。家族全員で里帰りし、父の前で堂々と、自分の妻だと紹介できるまでは、彼女に対しても、大きな顔はできません。

既成事実は作ったし、もう充分過ぎるほど、ほとどりも冷ましましたから、さすがの父も、私たちの結婚を認めてくれるような気はします。
よは言うものの、海軍兵学校出身の父は、古い日本を、思いっきり背負ったタイプの男です。
「いや、世の中、やっぱり甘くはないぞ。あの人が、そんなアッサリとした性格なら、オレも苦労しなかったはずだ・・・」
前年は、あきおと、なおこの、二人だけでしたが、今回は、ラントムどころか、マヨム(ラントムの連れ子)まで一緒に行くわけですから、これを、どうやって説明すれないいんでしょうか。
考えが定まらないまま、私は、エア・インディアのチケットを、5人分購入しました。
こうなったら、もう突き進むだけです。

日本に行くには、まず、ラントムのビザを取らねばなりません。私は、早速、日本大使館に問い合わせ、必要書類を揃えていきました。
パスポート、住民票、戸籍謄本、会社謄本、貯金通帳、私のパスポート・・・・。
「ずいぶん、いっぱいあるなあ」
結婚前、彼女を初めて日本に連れて行ったときは、申請書以外には、見せ金である1000米ドル相当のトラベラーズチェックだけ持って行けばよかったはずですが、揃えるべき書類が、ずいぶん増えていることに、私は驚かされました。

耳に入ってくるニュースも、芳しくないものばかりです。
「日本のビザは、もの凄く、取りにくくなっているよ」
「取れない人も、いっぱいいるそうだ」
しかし、日本国を、普通の国だと勘違いしていた私は、特に、気にすることもありませんでした。

私は、日本から取り寄せた戸籍謄本の到着を待って、バンコクの日本大使館に向かいました。
南バスターミナルから路線バスに乗って、アソックの入り口で下車、領事部のあるセーミットタワーに向かって歩きながら、6年前のことを思い出していました。
当時、領事部は、別のビルに入っていましたが、館内に収まりきらない申請者がビルの外に溢れ、一階のエレベーター前から延々と延びた行列は、200m以上。しかも、列に並ぶタイ人のほとんどが若い女性です。中には、誰が、どこからどう見ても、100パーセント、パーフェクトにヤクザといった風貌の男が、タイ人パスポートを十数冊わし掴みにして、列に加わっていました。
日本国ではない、タイ王国でもない、一種異様な光景が広がっていたのです。

ところが、この日は、セーミットタワーの前まで来ても、並ぶべき行列は見当たりません。ぐるぐると、ビルの周りを回って探してみましたが、結局、列はありませんでした。不安な気持ちでエレベーターの前まで来ると、小さな案内が出ています。
「日本大使館領事部に御用の方は、九階まで・・・」
6年前には、エレベーターに乗り込むだけで、1時間近くかかっていたのに、本当に、このまま乗ってしまっていいんでしょうか。

九階に行くと、目の前に、いきなり検問所があります。薄暗く、狭い空間で、警備員三人がかりのチェックを受け、私は、中に入りました。
「えーと、申請手続きの行列、行列・・・・ん?」
ガラーン。誰もいません。
「そんな、バカな」
6年前には、フロア内ギッシリと人が溢れ、下界では200mだったのです。
「間違えちゃったのかなあ・・・」
そう思った私は、ガードマンさんのところに戻って聞いてみました。
「あのー、ビザ取りにきたんですけど」
「ここですよ」
「でも、誰もいませんよ」
「ここで、間違いありません。どうぞ窓口に並んでください」
並べと言われても、ほんの2,3人しか待っていません。本当に、いいんでしょうか。
とても不安な私でしたが、申請手続きそのものは、あっさりとしたもので、簡単なチェックのあと、すぐに受領用紙を渡してくれました。すんなりと手続きが終わり、私は、安心してホテルに戻りました。

さて、その翌々日、受け取りの日です。
さっさと受け取って、プーケットへの帰路に就きたかった私は、受付開始時間の15分前から待っていました。同じような考えの人が多かったようで、申請のときは、ガラガラだった館内にも一応、行列ができています。
しばらく並ぶと、すぐに順番が回ってきました。
ところが、ラントムのパスポートを探しに、奥に引っ込んだタイ人の女性スタッフは、なかなか、窓口に戻ってきません。何か不都合でも、あったのでしょうか。

2分近く経って、ようやく戻ってきた係官は、たどたどしい言葉使いで、こう言いました。
「ウエイティングです。連絡が入るまで、待機してください」
「ウエイティング? 私は、プーケットから来てるんですよ。どこで待つんですか?」
予想外のセリフに、私は、ムッとしていたと思いますが、この係官は、シャアシャアとした感じで、顔色も変えず、
「じゃあ、プーケットに帰って、待っていてください」
と、サラリと言ってのけます。相手を激怒させかねない、こんな恐ろしい指示を、事も無げに、ケロッと言ってしまえるんですから、ここに、タイ人スタッフを配属した、日本大使館の高等戦術は、さすがだと思いました。

私は、手ぶらのまま、南バスターミナルまで戻り、夜行バスに乗って、プーケットに帰ってきました。
プーケットに戻って、4~5日経った頃、大使館から連絡が入りました。また、タイ人の係官です。
「パスポート、取りに来てください」
そう言われれば、普通は、「ビザが下りたから、取りに来てください」と判断してもいいはずです。普通の国では、そうでしょう。
「ママ、ビザができたみたいだから、取りに行ってくるよ」
私は、再び夜行バスに乗って、また、バンコクに出かけていきました。
しかし、日本国は、そんじょそこらにある国とは、わけが違うのを、私は、バンコクで思いしらされることになるのです。


この話、続きます。
by phuketbreakpoint | 2007-05-13 09:52