タイ・プーケット島在住。タイならではの出来事や日々の体験、個人的な思い出などを書きとめています。


by phuketbreakpoint
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世界最弱?タイ国防軍

1983年8月、
動物園駅から地下鉄に乗り、フリードリッヒストリート駅で下車、薄暗い駅の構内には検問所とパスポートコントロール、そして両替所が併設されています。ここで西ドイツマルクから、使い残せば、ただの紙切れになってしまう東ドイツマルクに、1対1という、経済の実情を無視した公定レートで、強制両替させられます。
地上に上がり、道路に沿って歩いていくと、有名な、ウンター・デン・リンデンにぶつかりました。
そして、ここで右折。その進行方向には、ブランデンブルグ門が、目抜き通りを遮断する巨大なバリケードのように、そびえ立っています。
さらに、このバリケードを取り囲むように、あの有名な壁が、この街を東西に分断すために延びていました。

ドイツの首都・ベルリン。
ここは、今から61年前の1945年4月、遂にナチスドイツの首都に突入したソ連軍と、それを迎え撃つドイツ軍との間で、大殺戮戦が展開された場所なのです。
ウンター・デン・リンデンには、このとき犠牲になった人々の霊を鎮魂するために、第2次世界大戦犠牲者記念堂が建てられていますが、その入り口では、東ドイツ軍の兵隊が1人で警備にあたっていました。
私はこの兵士のことが、今でも忘れられません。司令部から送られてくる冷酷無比な命令を、拒むべき、温かい血の一滴も流れていない、冷血の戦闘ロボット。
黙って立っているだけなのに、この兵士は、そんな雰囲気を醸し出していたのです。

“観光客が彼を取り囲む”
“写真を撮る”
“子供が冷やかす”
“灼熱の太陽が彼を照りつける”
“フランクフルトソーセージの食欲をそそる臭いが漂ってくる・・・・・”
しかし、彼は微動だにしません。
命令以外のいかなるものにも反応しないように、彼の頭脳はプログラミングされているのでしょうか。
“近づいて、じっと彼を凝視する。じっと、じっと観察する”
すると、彼の瞼が、ほんの少し動きました。普通の人間なら、これを瞬きと呼ぶのですが・・・・。
強い軍隊かどうかは、衛兵を見れば分かる、と言われていますが、もし、それが本当なら、あの頃の東ドイツ軍は、ガチガチの強さだったと推測されます。
流血の歴史を、たった1人で完璧に具現化している、この兵士に、私は恐怖を憶えました。


ところ変わって、2003年5月カンチャナブリー。
この街最大の名所は、もちろん、映画「戦場に架ける橋」で有名な、クウェー河鉄橋ですが、この日、私が向かっていたのは、市内から約65キロ北西にあるエラワン滝でした。私は、今まで合計3度、ここを訪れていますが、3年前、私を大いに驚かせたのは、滝の美しさではありませんでした。

家族と共に、1本道を快調に車で流していると、進行方向左手に、「この先3キロ ミリタリーベース」と標識が出ています。ここは、かつて、ビルマ軍がタイに侵攻するとき、必ず通った対ビルマの軍事上、交通上の要所ですから当然かもしれません。観光地にある軍事基地が、一体、どんな姿をしているのか、気になった私は、興味津々に車を進めていきました。

しばらくすると、右手前方に、それらしき敷地が見えてきます。
「あっ、あれだ!みんな、タハーンタイ(タイ国防軍)の基地があるよ」
子供たちは、基地って何?という顔をして、右側の窓に視線を向けましたが、次の瞬間、想像もできない光景が、わたしたちの目に飛び込んできました。

基地の入り口にはゲートがあり、衛兵が仁王立ちして、通行証を持っている者だけを入場させる・・・・、これは世界共通かと思われましたが、カンチャナブリーの基地は、かなり様子が違っていました。
基地の入り口にゲートがあり、衛兵が立っているのは同じでしたが、兵が立っている場所は、ゲートを塞ぐ遮断機の前ではなく、その内側で、彼は、これに上半身を折り曲げ、うつぶせるように、もたれかかっていたのです。

「これは、もしや・・・・、寝ているのか?」
いや、まさか・・・、いくらなんでも、軍隊で、それはあり得ません。
「パパ、あの人、寝てたよ・・・」
長男のあきおがそう言うと、次女のなおこは、
「何か書いてたんじゃないかなあ・・・」と車内でも意見が分かれます。
「よし、それでは・・・」と、私は、わざわざUターンして、状況を確認してみました。
行って、帰って、また行って、合計3度見た彼は、ついに、ピクリとも動かず、その姿勢を変えることはありませんでした。やっぱり、この衛兵は、本当に寝ているようです。

危険人物の入場を厳しく監視し、警備にあたっているはずの彼が、寝てしまっていたら、何のために、ここにいるのかわかりません。
「ここで、ずっと立っていろ」
その理由を考えることなく、衛兵は、命令だけを守り続けるつもりなのでしょうか。確かに、前かがみの体勢になりながらも一応、「命令どおり、立っていました」と、言えないこもありません。
恐らく、世界の軍隊の中でも、基地の前で衛兵が寝てしまっている、そして、軍法会議にかけられることもなく(たぶん)、大目に見られてしまう、そんな国は、あまりないのではないでしょうか。

午後4時頃、帰り道で、再び同じポイントに差し掛かった私は、ちょっと不安な気持ちになってきました。そんなことは、あり得ないと思いつつ、もし朝の彼が、あれから、ずーと熟睡したままだったらどうしようと、心配していたのです。
不安と共に、車は基地前を通過します。
「さあ、どうだ!?」
ホッとしました。彼はいません。いませんが、代わりの人も、誰もそこにいませんでした。
衛兵ゼロ?これで基地は大丈夫なのでしょうか。もし今、ミヤンマー軍や、テロリストの奇襲を受けたら、全滅するしかないでしょう。
「もし、そうなったら、そのとき考えればいいさ」
監獄を除けば、人間社会で最も自由を束縛され、時として人間性の否定さえ強制される軍隊の中にあっても、タイ人の、のんびりとした自由な精神は、存在が許されているようです。

「どこの国の、どんな軍団にも負けない、強い戦力を持ちたい」
遥か太古の昔から、すべての国家に共通した、この思想が、タイでは、まるっきり当てはまらないようです。それでいながら、この国は、広いアジアの中にあって、日本以外で、欧米列強の植民地にならなかった唯一の国だと言われています。
あれだけ強そうな衛兵を擁するドイツ軍が・・・、明治維新以来、富国強兵政策のもと、数限りない血の代償を払ってきた日本軍が・・・、それでも、他国軍の侵攻を阻止できなかった一方で、衛兵が寝ているタイ王国は、欧米列強に占領されることもなく、独立を守り通してしまいました。

戦争のみならず、この王国では、流行り病や飢饉で、人が大量に死んだ歴史がほとんどないそうです。
「タイっていう国は、何か不思議な力で守られているんだろうなあ」
近所で日本料理を営むご主人が、そんなことを言っていましたが、
「結局、何とかなっちゃうんだよねー」
タイの人たちは、経験上、そう信じているのでしょう。
タイ人の大らかな性格のルーツは、こんな歴史にも、由来しているのかもしれません。
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by phuketbreakpoint | 2006-07-16 00:26