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タイ・プーケット島在住。タイならではの出来事や日々の体験、個人的な思い出などを書きとめています。


by phuketbreakpoint
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犬が死んだら、父も死ね

「子どもができたら、犬を飼え」
という諺があります。

子供が生まれたら、犬を飼いなさい。
子供が赤ん坊の時、子供の良き守り手となるでしょう。
子供が幼年期の時、子供の良き遊び相手となるでしょう。
子供が少年期の時、子供の良き理解者となるでしょう。
そして、子供が青年になった時、
自らの死をもって、子供に命の尊さを教えるでしょう。


私の父が、プーケットを訪れたのは、まだ、きよみが赤ちゃんだった、1998年のことです。その後、私は、ブレイクポイントをオープンし(2001年)、津波があり(2004年)、帰国する度に、
「もう一度、プーケットに遊びに来てください」
そう誘っていましたが、結局、いつも延び延びになっているうちに、12年の歳月が流れてしまいました。
「行きたいけど、誘ってくれるだけじゃあ・・・・」
昨年、ラントムと一緒に里帰りしたときも、やっぱり、この話になり、父は、ポツリと、そう漏らしたようですが、このひと言を、ラントムは聞き逃しませんでした。
「あれは、誰かに、連れて行ってほしいという意味よ」
日本人の私が気付かないのに、タイ人の彼女に、どうしてわかったのか不思議でしたが、考えてみると、思い当たる節はいくつもあります。

学会がある度に、日本全国を飛び回っていた父にとって、旅は生活の一部のようなもので、10年ほど前にも、
「何かあっても、旅行会社に責任はありません」
と誓約書を書いて、ヒマラヤ登山ツアーに、1人で参加しているくらいですから、
「来たければ、勝手に来るだろう」
そう思っていましたが、父も、今年83歳で、ここ2、3年は、さすがに元気がなくなりました。
特に、昨年春、名誉職を勤めていた病院を退職してからは、大きく老け込んだ様子で、自分の死期が近づきつつあることを悟っているかのようでした。

最初の計画は、6月でした。
私とラントムが里帰りする際に、父も一緒にプーケットに来て、帰りは、一人で帰ってもらうというものです。
ところが、4月、5月とバンコクで騒乱が起こり、それを連日テレビで見せられた父は、行く気が失せてしまったのか、
「体調が悪くてねえ。悪いけど、中止してくれ」
そう電話してきました。
年寄りの体調が悪いのは、いってみれば、当たり前ですから、
「これは、(1人での)帰路を心配しているんだろう」
と、私は感じました。
「仕方ない。行きも、帰りも、同行者を付けよう」
初めは、行き帰りとも、自分で行こうかと思いましたが、それでは、いかにも大変です。そこで、時期を夏休みにずらして、まず、あきおを日本に送り、往路を任せ、夏休みの最後に日本に戻る、なおこと、きよみに復路を任せることにしました。

しかし、なおこと、きよみはともかく、あきおは、一時期、父とは険悪でしたし、あの素行ですから、父に、タバコを吸っているところでも見つかったら、血圧が上がって、大変かもしれません。親孝行するつもりが、逆に、親殺しになってしまったら、シャレになりませんから、あきおを呼んで、質してみることにしました。
「あきお、パパの代わりに、行ってくれないか?」
「うん、いいよ」
「おじいちゃんの前では、絶対に、タバコは、ダメだぞ。大丈夫か?」
「安心して。約束するよ(うそつけ!)」

閉店後、お店の裏で、ビールを飲みながら話していたら、しばらくして、あきおは、ポツリと、
「おじいちゃんには、ずいぶん酷いことを、しちゃったからなあ・・・・・」
と呟きました。東京で同居していた頃は、憎まれ口ばかりきいていた、あきおの口から、そんなセリフを聞いて、
「この子も、成長したんだなあ・・・。これなら、大丈夫かもしれない」
そう思いました。
菱和をクビになって以来、約2年ぶりの日本ですから、あの子も嬉しかったのでしょう。
「大丈夫。心配しないで」
足取りも軽く、あきおは、日本に旅立っていきました。

8月26日、
父は、あきおと共に、プーケットにやってきました。
定刻より早く着いてしまったようで、私が到着ロビーに入ると、父と、あきおは、椅子に座って、私が来るのを待っていました。遠目に、父の姿を見ると、
「ずいぶん、痩せたなあ・・・」
と、改めて感じます。
「遅くなって、すいません」
「ありがとう。お願いします」
それほど疲れた様子はなく、安心しましたが、あきおが、とても献身的に、父の世話を焼いている姿を見て驚きました。

翌日は、島内観光です。
私の運転する車で、パトン・ビーチを出発し、カロンを回って、ビュー・ポイントへ。それから、ナイハン・ビーチ、プロンテップ岬と回りました。
12年前と、ほとんど同じコースでしたが、つい最近まで、ひと言も弱音を吐いたことのない父が、体力があまり残っていないのか、
「ちょっと、目眩がする」
と、体調の不安を口に出します。
ロータスで入った、MKでも、父は、食事が進まないようで、本当に、わずかしか食べません。大食漢だった父の、現在の食べる量を見れば、
「老いとは、どういうものなのか」
容易に想像できました。

夜は、いよいよ、今回のメインです。新装なった、ブレイクポイントで、私の働きっぷりを見てもらいます。夏休みも終わりで、4、5日前から、客足が弱くなってきましたから、
「ガラガラだったら、どうしよう」
と心配しましたが、3日間とも、よく持ちこたえ、面目を保ちました。
「お店も繁盛しているし、あきおも、ずいぶん立派になった。なおこも、きよみも、本当によくしてくれた。これで、思い残すことはない」

8月30日未明、
父は、なおこと、きよみに連れられて、日本に帰っていきました。
「また、来てくださいね」
私も、ラントムも、あきおも、そう言って見送りましたが、今回が最後の海外旅行になるかもしれません。

昔は、多くの家庭で犬を飼い、年老いた、おじいちゃん、おばあちゃんと一緒に暮らす子どもが大勢いましたが、それも時の流れと共に少なくなって、今では、別居が当たり前になってしまいました。
子が親を殴り殺したり、親が過剰防衛で、息子を刺し殺してしまったり・・・、そんなことが起こらないように、犬や、老人がタイムリーに死んで、子どもたちに、大切なもの、つまり、
「命の尊さ」や、「それを、失うことの重大さ」
を教えていたのでしょう。
もしかしたら、今の老人は、元気すぎるのかもしれません(特にプーケット!)。
「ゴルフ」や、「女」に、現を抜かす暇があるのなら、孫と一緒に暮らして、とっとと、死んで、悲しませてあげるのが、じいちゃんの最後の愛情ってもんですよ(犬と一緒に、死んでください!)。

姉と一緒に、小さな私が、父の後を歩いています。
麦わら帽子を被り、手には魚獲りの網を持って、大きな背中についていきます。
一緒に暮らせるだけで、家族一緒にいられるだけで、幸せいっぱいの毎日。そんな日々から、あっという間に、時は流れ、今、私は49歳、姉は他界し、父は、人生の黄昏時を迎えています。
あんなに強く、恐く、ずっと私を守り、叱り、支えてくれた父も、命の炎が消えようとしている今、私や、あきおを頼っているのです。そんな父の姿を見て、私は、初めて自分が大人になったことを実感できたような気がしました。

子どもが幼いころは、「優しさ」を、
ちょっと、成長したら、「強さ」を、
思春期には、その両方を、 
そして、大人になったら、「老い」と、「死」を見せるのが、父親の役目・・・。
老いて、よぼよぼになって、老醜を晒し、そんな私の姿を見たとき、子供たちは、きっと、逞しく、優しい大人になってくれるでしょう。

父の魂が私に、私の魂が子どもたちに・・・。
たとえ死が訪れ、時は過ぎ行くとも、その魂が絶えることはありません。

生んでくれて、ありがとうございました。
育ててくれて、ありがとうございました。

今、私は父に、心から、そう言いたいと思います。
by phuketbreakpoint | 2010-09-19 18:54