タイ・プーケット島在住。タイならではの出来事や日々の体験、個人的な思い出などを書きとめています。


by phuketbreakpoint
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なおこと2人きりの夜

菱和高校(仮名)ゴルフ部に入部した末娘のきよみは、順調に実力を伸ばし、学生トーナメントでも好成績をあげ、とんとん拍子で勝ち進んでいきました。そして念願のプロテスト合格、初年度から大活躍です。
「ゴルフ界の超新星、西岡きよみ、ツアー5連勝」
「来年は、世界制覇だ」
出るトーナメント、出るトーナメント、次から次へと勝ちまくり、ガッポ、ガッポと舞い込んでくる賞金の山!私にも、インタビューの依頼が殺到し、
「きよみパパ」
として、マスコミ各社に引っ張りだことなり、参院選出馬へ。見事当選し、国会議員になるも、一度も国会に顔を出さず、きよみに買ってもらった温泉宿で、悠々自適の老後を過ごす・・・・・。

そんな夢を抱いていたのですが、やはり、世の中、甘くはありません。
結局、ゴルフ部は、
「先輩・後輩の上下関係が非常に厳しいみたいだから(これはタイ人留学生が最も敬遠したがる理由のようです)、入るのやめた」
そうで、きよみは姉の、なおこが席を置く、和太鼓部に入りました。
「和太鼓?それじゃあ、パパの夢は、どうなっちゃうんだ?」
「心配しないで。和太鼓で優勝して、ちゃんと温泉は買ってあげるから、期待しててよ(和太鼓に賞金なんかあるんでしょうか?)」

そもそも、きよみが中学1年から、私の手もとを離れてしまったのも、あきおや、なおこが日本に行くことになったのも、元を質せば、私がプーケットで暮らしはじめたのが原因ですが、タイでタイ人の女性と結婚し、家族を持つというのは、辛いことばかりでもありません。
日本のお父さんたちが経験できないような、素敵な思い出を作ることだってできるのです。

昨年の10月、私は、再び高知県・菱和高校を訪れようとしていました。前年に、あきおが、「あんなこと」になってしまったので、今回は、なおこと2人っきりで、年頃の娘と一緒に数日間過ごさねばなりませんから、私には、ちょっとしたプレッシャーに感じられました。
「果たして、なおこは喜んでくれるだろうか?」
「話が合わず、場がもたなかったら、どうしよう・・・」
あの子が、私と一緒に遊んでくれたのは、ずいぶん昔のことです。それも、双子の弟である、あきおといつも一緒でしたから、2人っきりではありませんでした。きよみ(なおことは、5つちがい)が生まれて以来、私も、ラントムも、小さな、きよみの世話に追われ、なおこや、あきおは、「おいてけぼり」にされることも多かったですから、本当の意味で、あの子と、1対1で向き合うというのは、今回が初めてになるでしょう。2人で楽しい時間が過ごせるかどうか、とても心配だった私は、初デートに挑む、中学生のような心境で予定を組んでいきました。

「初日は、お土産渡して、喜ばして・・・・。そうそう、なおこの好物のタイのお菓子も、忘れないようにしないと・・・。その後、ホテルでチェックイン。前に、あきおと一緒に泊まった所が、清潔でいいな。それから、ご飯食べて・・・」
いつも、高知では、金曜日の午後から、月曜日の朝まで、3泊4日、ゆっくり時間をとって、子どもたちとの再会を楽しんでいましたが、このときは、
「土曜と、日曜だけで充分だろう」
と、2泊にしておきました。

そして、3週間後、
「なおこー!パパ、来たぞー!」
お土産を、いっぱい抱え、私が顔を出すと、なおこは、
「パパ、サワッディー」
と嬉しそうな笑顔で、タイ式の挨拶をしてくれました。
2人で一緒に寮に行って、持ってきたお土産類を置き(本当は男子禁制ですが、寮長さんが親切な方で、中まで案内してくれました)、市内のホテルに向かいます。チェックインの後、ショッピングモールに出かけ、
「何が食べたい?」
と聞くと、
「じゃあ・・・、お好み焼き」
ということで、二人で鉄板を囲みました。

「どうだ、学校は?」
「あんまり、面白くない」
昨年、大勢いたタイ人の友だちが、厳しい寮生活や、田舎暮らしに耐えられなかったのか、みな辞めてしまったそうで、なおこは、一人ぼっちになってしまったようです。
所属クラブ(当時は、銃剣道部)の練習も、非常に中途半端(平日の放課後に1時間程度)で、勉強以外は、あまりやることがなかったのでしょう。
お勘定を払うとき、お店の若いご主人が、
「菱和の生徒さんですか?実は、私も卒業生でして・・・」
と挨拶してくれました。翌日の、すき焼き屋でも、ホールリーダーらしき女の子が、
「私、横峰さくらさんと、同級生で・・・」
と自己紹介を受けましたし、ここら一帯は、菱和コネクションで溢れているようです。

食事の後は、映画を見ました。
「カイジ・人生逆転ゲーム・・・何だい、これは?」
と思いましたが、意外と面白く(コミックスが原作の映画は、けっこうイケますね)、最後まで、手に汗握って、大いに楽しみました。
映画が終わり、ジャスコで、お菓子や、ビールをたっぷりと買い込んで、ホテルに戻り、私は、ビールとハイボール、なおこも、チューハイで乾杯です。
「お酒飲んで、大丈夫なのか?」
「いいの、いいの。学校じゃ飲まないから、安心して」
カクテル系の甘ったるい酒を3本、一気に飲んだ、なおこに、
「パパ、もっと買ってきて」
と言われ、ホテルの一階にあるコンビニに下りて、買ってきてやりましたが、これもケロッと飲んでしまい、まだまだ、飲み足りない様子でした(酒豪になりますね、この子は)。

「そろそろ寝るか・・・」
小さめのダブルベットが一つだけの部屋でしたが、なおこは嫌な顔もせず、同じベットで寝入っています。
なおこが小さかった頃、私とラントムは、子ども3人(なおこ、あきおとマヨム)を挟むようにして、寝ていました。
あの頃は、サウスロードも、ブレイクポイントも、始める前で、お金こそありませんでしたが、子どもたちと過ごす時間だけは、たくさんあったと思います。すやすやと気持ちよさそうに眠る、なおこの顔を見ながら、私は、あの頃のことを思い出していました。

現在ジャングセイロンが建っている場所は、昔は、大きな原っぱで、私たち家族は、よく、ラントムの運転練習を兼ねて、ここに遊びに行きましたが、違法投棄された産業廃棄物の中から、古いポットを見つけ出した、なおこは、それを片手に、
「パパー、ママー、みてー!」
と大喜びしていました。大人から見れば、単なるゴミも、当時1~2歳だった、あの子には、
「こんな、すごいもん、みつけたぞー!」
という思いがあったのでしょう。
「これ以上ない」という満面の笑みは、私や、ラントムの脳裏に強く焼きついているようで、今でも、ときどき、このときの、なおこの笑顔が話題に出ます。
その、なおこが、こんなに大きくなって、もう高校生です。あのとき以上に大きな笑顔を、これからも、ずっと見せてくれればいいのですが。

2日半を、水入らずで一緒に過ごし、3日目の午後に、菱和の寮に戻るときの、なおこは、本当に名残り惜しそうでした。
「あー、寮に帰りたくないー。もっと、一緒にいたい」
別に、私が恋しいわけでもなく、学校の外に連れ出してくれるなら、誰でもよかったのかもしれませんが、父親なら、安心して自分を曝け出すことができますから、あの子にとっては、貴重な時間だったのでしょう。

「じゃあ、パパは、行くからな。最後に、お別れのキスをしてちょうだい」
恥ずかしがって、嫌な顔されるかと思いましたが、すんなりと、あの子はしてくれました。
日本では、「キモい」とか言われ、虐待されているお父さんもいるようですが、17歳にもなって、なおこは、私と手をつないで歩いてくれます。娘と2人っきりで、足掛け3日、こんなに素敵な時間を過ごせたのも、タイで暮らしていたお陰かもしれません。

「あと、1年半、いや、来年の今頃は、もう推薦も決まってるだろうから、正味、あと1年の辛抱だよ」
最後に私は、そう言って、なおこと別れました。
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by phuketbreakpoint | 2010-07-14 08:55