タイ・プーケット島在住。タイならではの出来事や日々の体験、個人的な思い出などを書きとめています。


by phuketbreakpoint
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30

話が違う

タイ王国で、よくある不愉快な出来事に、
“最初に言っていた話と、全然違う”
が挙げられると思います。

「6時までに、できますから」
と言われたのに、間に合わなかった・・・・といった程度は序の口で、
「寸法は、縦48cm、横64cm」
とオーダーしたのに、できあがってみると、縦64cm、横48cmになっていて、クレームをつけたら、
「こちらの方が見栄えがいいですから、変えておきました」
と意味不明の説明を受けたとか・・・。

こういったことは、日常的によくある話ですから、滞在歴の長い人なら、今更、腹を立てることもありませんが、これが子どもの学校問題となると、そういうわけにもいきません。
「なんか、プーケットの学校も、(あきおを)入れてくれるみたいよ」
ラントムの話を信じて、日本から戻ってきた、私と、あきおですが、案の定、学校探しは、困難を極めることになってしまいました。

タイ王国の教育制度は、6・6制(小学校6年、中学校6年)です。
授業時間数は世界最長だそうで、小学校に入学早々(公立は入学式がありません)、1年生も初日から、午後の3時半頃まで、びっしりと授業があり、各学期ごとに(前後期制)期末試験があって、単位数や出席日数が足りない子は進級できません。
「この子、大きいなあ・・・」
学校で、よく見かける子が、実は、2年ほど留年していた、なんていう話もあり、学齢どおりの学年で勉強できるとは限らないのが、タイの学校(現地校)の特徴といえるでしょう。
日本から、プーケットに移り住んだ場合にも、特例はなく、何年生であろうと、まずは、小学校1年生のクラスに入れられてしまいます。入学後の学力によっては、飛び級もできるようですが、学齢に追いつける子は、あまりいないようで、だいたい、1~2年下の学年で勉強することになります(ただし、インター校は例外で、学齢どおりの学年に入れてくれますが、「授業料が高い」「授業が英語」といった問題もあります)。

ですから、あきおを日本に送り出すときに、女房のラントムは、こう言って、猛反対しました。
「(小学校卒で日本に行ってしまうと)タイに戻ってきたとき、中1から、始めないといけないでしょ!」
1年(あるいは2年)の留年を覚悟して、日本に送り出す親もいるようですが、一度国外に出たら、そのまま、外国で進級、進学を重ねていくというのが、タイでは一般的なようです。

あきおの場合も、中学の3年間、日本で勉強した時点で、
「大学まで、タイには戻れないだろう」
と、私は考えていましたが、菱和で、あんなことになり、プーケットに戻ることになってしまいました。
3年半の日本暮らしで、あきおのタイ語は、ちょっと怪しくなってきており、将来的には、タイで、そして、プーケットで暮らす可能性は高いと思いますから、ここで、もう一度、タイ語を、しっかり固めておくのも悪くありません。

プーケット・サットリー校は、何年か前まで女子高でしたから、今でも女子生徒が圧倒的に多い学校ですが、なおこが中学3年生のときに担任だった先生の紹介で、ここの副スクール・マネジャー(タイでは教育部門のトップが校長、経営のトップがマネージャーと、分業制になっている)と会えることになりました。 
「どうでしょう。うちの、あきおですが、入れてもらえないでしょうか?」
ラントムが尋ねると、副マネージャーは、
「大丈夫なんじゃないかな。特に問題はないと思うけど・・・、今すぐに?・・・それは、ちょっと難しいなあ・・・、5月から新学期だから、来年の3月に、また来てよ」
アッサリと、こう言ってくれました。
こちらの思惑では、すぐに編入して、高1の途中から続けたかったのですが、来年度、確実に入れてくれるのであれば、それで、「よし」とすべきなのでしょう。私は、副マネジャーの話を聞いて大いに安心しました。

しかし、ここは、タイです。
そんなに、すんなりと話がまとまるのも、妙な気がしましたから、念のために、私立校である、プーケット・ダオルン中学にも、相談に行くことにしました。
公立で人気も高いサットリーと違って、私学のダオルンなら、お金さえ払えば、何とかしてくれると考えていたのですが、甘かったようです。

ダオルンには、コネがありませんでしたから、まずは、受付で聞いてみました。
「あの・・・・、高校編入のことで、ご相談が・・・」
すると、受付にいた女性は、
「編入は、もう終わりました」
と愛想なく言います。どうも、この女性は、一般的な編入の話だと思っているようでしたから、
「じゃあ、やっぱり、3月頃までは、無理なんでしょうか?うちの子は、日本帰りなんですが、入れてもらえるんでしょうか?とても心配なんですけど・・・」
ラントムが、こう言っても、この人は、クールな対応で、突っ込んだ話にはなりません。
「3月に来てくれ」
の一点張りです。

プーケットに移り住んで16年、この間、タイ人がする甘い話には、ずいぶん、痛い目に会ってきましたから、耳障りのいい話を聞いても、あまり信用する気にはなれなかった私ですが、
「あれ以上、聞きようがないでしょ。みんな、こいった話は面倒くさいから、イヤなのよ」
ラントムから、「タイ人心理」を聞かされてしまうと、言葉を返せなくなってしまいます。確実な話を聞きだしたいのが、こちらの立場なら、
「私、ただの受付ですから、面倒な話はしないでください。そんなに給料もらってませんよ・・・」
という彼女のスタンスも、十分に理解できるわけです。

プーケットに来た当初なら、ラントムと喧嘩してでも、食い下がって、それなりのポジションにいる人に、「会わせろ!」とゴネて、周りのタイ人から、
「この人、何を、カッカと息巻いているんだろう?」
と顰蹙を買いながらも、しっかり、裏取りしたであろう私も、長い年月の間に、タイ化が進んでいたようで、このときは不安に感じながらも、アッサリと引き下がってしまいました。

「あきお、仕方ない。3月まで、待とう。1年留年だ」
そう、あきおに言うと、私達は車に乗り込み、パトンビーチに戻っていきました。

この話続きます。
[PR]
by phuketbreakpoint | 2009-11-06 10:05