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あきお君へ

あきお君は、4歳まで、日本語は、ぜんぜん話せなかったのに、一生懸命努力して、話せるようになってくれました。
パパは、あきお君が偉い人になんかならなくていいから、日本語だけは、話せるようになって欲しいと思っていました。
あきお君は、それをやり遂げました。
外国で暮らしたことのない人には、分からないかもしれないけど、これって、すごいことです。

あきお君は、小六までプーケットで暮らし、野球なんかやったことなかったのに、中学で野球部に入って、パパとキャッチボールをしてくれました。
日本人であるパパにとって、自分の息子とやるキャッチボールって、特別の意味があるんですよ。
あきお君は、それを実現してくれました。
2年生になって試合にも出場し、初出場で二塁打も打ちました。本当にすごいことです。
この目で見れなかったのは、ちょっと残念でしたが、あきお君が「努力して、成し遂げた」、それだけでパパは満足でした。

去年の夏、サムイ島に行ったときのことを覚えていますか?
品川さんと再開し、3人で飲みに行って、あの夜は、本当に楽しかったです。
品川さんが帰った後、バンガローのベランダで、一緒にシーバスを飲みましたね。
「どうだ、この酒、美味いだろ。おじいちゃんも、これが一番好きなんだ」
「昔、空港で高級ブランデー買って、ポータウ(あきおの祖父)にお土産持っていったんだけど、近所の仲間と5分くらいで、飲んじゃってなあ・・・。あれ以来、ポータウには、質より、量だって、思ったな」
「こうやって、おいしい酒が飲めるのも、一生懸命働いてるから、そう感じるんだよ。ルング・トゥアン(トゥアンおじさん)見てれば、分るだろ。きっと、酒も美味しくないぞ。ああいう生活をしていると・・・」
お酒を飲みながら、ほとんどお酒の話しかしませんでしたが、あの夜のことは、パパは、今でも忘れません。
パパは、あきお君と、ああいう話がしたかったからこそ、あきお君に日本語を教えていたのです。

バンコクの高校を中退し、プーケットに戻ってきてからは、定時制高校に通いながら、お店を手伝ってくれました。一時は荒れた生活で、
「いったい、どうなることやら・・・・」
とパパも心配でしたが、奮起して、ついに立ち直ってくれました。ここ3ヶ月間の働きっぷりは、誰の目から見ても、見事なものでしたよ。
50キロもある米俵を2つ、二階まで1人で運んでくれました。
誰よりも早くピサを作り、料理をセッティングし、仕込みも見事な手捌きでこなしていました。パパは、全部見ていましたよ。
「最近、なんか凄いねえ・・・」
パパも、ママも、お世話になった人たちや、うちによく来る常連さんも、みんな、びっくりしていました。
そんな、あきお君の姿を、厨房の小窓から見かけるたびに、お店の裏で、あきお君とすれ違う度に、パパは大いに励まされていました。
「あきお君と一緒に闘ってる・・・」
そんな気分になれたからです。
自分の子と一緒に働くって、お父さんにとっては、大きな「夢」の一つなんですよ。

パパの「望み」や、
パパの「願い」や、
パパの「夢」を、
あきお君は全部叶えてくれました。
本当にありがとう。
パパは、いつでも、誰にでも、胸を張って言えます。
「これが、あきお君です。私の息子です」

パパは、これからも、ずっと、あきお君と一緒にいます。
ずっと、ずっと、一緒です。

最後に、もう一度、
あきお君、本当にありがとう。


(喪中につき、しばらく休載します)

# by phuketbreakpoint | 2010-10-24 10:00 | Trackback | Comments(3)

きよちゃんに 男ができた? さあ、大変!

8月に、なおこと、きよみがプーケットに戻ってきたときの話です。
記念写真を撮ろうと、なおこのデジカメをいじっていたら、再生ボタンを押してしまったようで、菱和高校(仮名)で撮られた写真が出てきました。
「クラブ活動の写真だな。なかなか、可愛く撮れているなあ・・・」
そんなことを思いながら、一枚、一枚捲っていくと、
「あれ?誰だ、これ?」
野球のユニフォームを来た男の子が写っています。
「間違えて、撮っちゃったのかな?」
最初はそう思いましたが、さらに捲っていくと、この子の写真が次から次へと出てくるではないですか!
しかも、全部、遠まわしに望遠で撮られたもので、本人に内緒で「盗撮」しているのは間違いありません(ストーカか?)
「なおこのヤツ、色気づきやがって・・・。真面目に勉強してるかと思ったら、好きな男ができたんだな」
すぐに、なおこを呼んで、
「なんだこれは?」
と問いただすと、
「ああ、これ?なおこじゃないよ。きよみが撮ったの。なんか、好きになっちゃったみたい」
「きよみ・・・?好きになった・・・?」
ガーん!
もうじき18歳になる、なおこが3年間、「清く、正しい高校生活」を送ってきたというのに、なんと、中学に入ったばかりのきよみが、半年も経たずして、
「男」!?

「きよみ、ちょっと来い」
「どうしたの、パパ?」
「なんだ、これは?ボーイ・フレンドか?」
私は、単刀直入に、きよみに質しましたが、あの子は、
「違うよ」
と否定します。
「どこが違うんだ。ほとんど、この子の写真ばっかりじゃないか」
「だって、カッコいいから・・・」
ガガガガーん!!!
(やっぱり、そうだったのか・・・)
「名前は、なんていうんだ?」
「秘密」
「そんなこと言わないで、ちょっとだけ、教えてよ」
私は、詳しい話を聞きだそうと、急に猫なで声を出して、そう尋ねると、
「うーん・・・・・、じゃあ、苗字だけでいい?」
「いいよ。で、なんて、名だ?」
「あのねえ・・・・」
「ふむふむ」
「それでねえ・・・・」
「ほうほう」
「だからねえ・・・・」
「はいはい」
「やっぱり、やめた」
ガクッ。
なかなか、口を割ろうとしません(尋問慣れしてますね、この子)
「早く言えよ」
「だって、恥ずかしいんだもん」
「大丈夫。誰にも言わないから、パパにだけ、こっそり、教えてちょうだい」
私がしつっこく食い下がっていると(芸能リポーターか)、あの子もようやくその気になったのか、
「絶対に、ママに言っちゃあダメだよ」
「わかった。約束する」
「えーとねえ・・・・・・・・・吉川くん(仮名)っていうの」
(ヨシカワかあ・・・。人の娘、たぶらかしやがって・・・)
「でも、なんで、好きになっちゃったんだ?」
「内緒」
「そんな、ケチくさいとこ言ってないで、ちょっとだけ教えてよ」
躊躇っていたきよみですが、私が何度も突っ込みを入れているうちに、とうとう白状し始めました。
「実はねえ・・・・・、食堂で、きよみがご飯食べてたら、吉川くんが前に座ったの。それまで、ぜんぜん、意識してなかったんだけど、そのとき、吉川くん、ピチピチのアンダーシャツ着てたの。近くで見たら、筋肉がいっぱいで・・・・。それから、好きになっちゃったの」
だそうです。女の子の初恋って、こんなもんなんでしょうか。
男の場合、
「仲間と大勢で盛り上がっていたら、単なる友だちだと思っていた子と肘と肘がぶつかって、ドキッとした」
とか(格言その1、男は、さり気ない「接触」に弱い!)
「隣の席同士、机をくっつけて同じ資料を見ていたら、なんだか、いい匂いがして、急にドキドキした」
とか(格言その2、男は、意表を突く「匂い」に弱い!)
「ずっと、ブスだと思っていたのに、後ろから何気なく見ていたら、髪がサラサラだったので感動した」
とか(格言その3、男は、落差のある「視覚」の変化に弱い!野球ならフォーク・ボールか?)、
「『西岡くんって、けっこう、優しいとこあるんだ・・・』、思いもかけず褒められて、なぜか意識するようになってしまった・・・・」
とか(格言その4、西岡家の男は、「単純なおだて」に弱い!父譲り)、いろいろありますが、初対面で容姿だけ見て、燃え上がってしまうことは、あまりないんじゃないでしょうか(どうでしょうかねえ?)。なんとなく、
「プラスαの意外性」
が大切なように思います。
女の子の場合は、もっと「文学的」なのかと思っていましたが、さすがは、我が子。どうも「肉体派」が好きなようですね(ホントに私と同じだあ・・・!)。
そういえば、やはり、夏休みで帰ってきたかつての教え子の1人が、
「久しぶりに見た美奈ちゃん(仮名、1年上の補習校OB)は、髪がふわふわっとして、なんだか素敵だった・・・。好きに、なっちゃった・・・」
なんて、言っていましたし、もう何年もしたら(もしかして、既に?)、補習校の卒業生同志で恋に落ちて、結婚して・・・・・そんな時代が来るのかもしれませんねえ。

「先月も、試合があるから、見に行ったの。でも、吉川くん、補欠だから、出られなかったの。ガッカリした・・・」
うーん、青春ですねえ・・・・。
それからというもの、この吉川くんの話で盛り上がる、盛り上がる!

「ちょっと、ちょっと、ちょっと、きよみ、きよみ、きよみ」
用事もないのに、きよみを呼んで、
「なにパパ?」
ときよみが聞くと、ひと言、
「吉川くん!クシシシシシシ・・・・・」(いやな性格ですねえ・・・)

「きよみ、きよみ、きよみ、見て、見て、見て」
と言いながら、ピッチャーのセットポジションの格好をして、ひと言、
「吉川くん!クシシシシシシ・・・・・」

「きよみ、きよみ、きよみ、これ、これ、これ」
と言いながら、シャツをめくって、二頭筋を強調し、ひと言、
「吉川くん!クシシシシシシ・・・・・」
親子2人でお腹をかかえて、大笑いです(このネタ、当分使えそうだなあ)。

「きよみ、そんなに食べると、また太って、吉川くんに嫌われるぞ」
私が注意しても、
「いいもん。高知に戻ったら、やせるから」
まだまだ、色気より、食い気のようで、いったい、どこまで真剣なのかわかりませんが、この子も、初めて(?)男の子を好きになって、大人への第一歩を踏み出したようですね。

それにしても、「ヨシカワ」です。
今度、高知に行ったら、「尋問」してやりましょう。

ヨシカワ、勝負だー!
きよみは、まだまだ、誰にも渡さーん!

# by phuketbreakpoint | 2010-09-27 10:14 | Trackback | Comments(0)

犬が死んだら、「父」も死ね

「子どもができたら、犬を飼え」
という諺があります。
子犬は子供より早く成長し、本能で幼児を守ろうとし、子供のよき遊び相手となってくれる。
そして子供が多感な時期に、年老いて犬は死んでゆく。
犬は生涯を通して子供に様々なことを教え、最後に、人生において大切なことを教えてくれる。
それは親しい者との悲しい別れを。

私の父がプーケットを訪れたのは、まだ、きよみが赤ちゃんだった1998年のことです。その後、私はブレイクポイントをオープンし(2001年)、津波があり(2004年)、帰国する度に、
「もう一度、プーケットに遊びに来てください」
そう誘っていましたが、結局、いつも、延び延びになっているうちに、12年の歳月が流れてしまいました。
「行きたいけど、誘ってくれるだけじゃあ・・・・」
昨年、ラントムと里帰りしたときも、やっぱり、この話になり、父はポツリと、そう漏らしたようですが、このひと言を、ラントムは聞き逃しませんでした。
「あれは、誰かに連れて行ってほしいという意味よ」
日本人の私が気付かないのに、タイ人の彼女にどうしてわかったのか不思議でしたが、考えてみると思い当たる節はいくつもあります。
学会がある度に、日本全国を飛び回っていた父にとって、旅は生活の一部のようなもので、10年ほど前にも、
「何かあっても、旅行会社に責任はありません」
と誓約書を書いて、ヒマラヤ登山ツアーに1人で参加しているくらいですから、
「来たければ、勝手に来るだろう」
そう思っていましたが、父も今年83歳。ここ2、3年は、さすがに元気がなくなり、特に昨年春、勤めていた病院を退職してからは、大きく老け込んだ様子で、自分の死期が近づきつつあることを悟っているかのようでした。

最初の計画は6月でした。
私とラントムが里帰りする際に、父も一緒にプーケットに来て、帰りは一人で帰ってもらうというものです。
ところが、4月、5月とバンコクで騒乱が起こり、それを連日テレビで見せられた父は、行く気が失せてしまったのか、
「体調が悪くてねえ。悪いけど、中止してくれ」
そう電話してきました。
年寄りの体調が悪いのは、いってみれば、当たり前ですから、
「これは、(1人での)帰路を心配しているんだろう」
と私は感じました。
「仕方ない。行きも、帰りも、同行者を付けよう」
初めは行き帰りとも自分で行こうかと思いましたが、それでは、いかにも大変です。そこで、時期を夏休みにずらし、まず、あきおを日本にやり、往路を任せ、夏休みの最後に日本に戻っていく、なおこときよみに復路を任せることにしました。

しかし、なおこと、きよみはともかく、あきおは一時期、父とは険悪でしたし、「あの素行」ですから、父に見つかりでもしたら、血圧が上がって、大変かもしれません。親孝行するつもりが、逆に「親殺し」になってしまったら、シャレになりませんから、あきおを呼んで、直接、質してみることにしました。
「あきお、パパの代わりに行ってくれないか?」
「うん、いいよ」
「おじいちゃんの前では絶対にタバコはダメだぞ。大丈夫か?」
「安心して。約束するよ(うそつけ!)」
閉店後、お店の裏でビールを飲みながら話していたら、しばらくして、あきおは、ポツリと、
「おじいちゃんには、ずいぶん、ひどいことを、しちゃったからなあ・・・・・」
と呟きました。東京で同居していた頃は、憎まれ口ばかりきいていた、あきおの口から、そんなセリフを聞いて、
「この子も、成長したんだなあ・・・。これなら、大丈夫かもしれない」
そう思いました。
菱和をクビになって以来、約2年ぶりの日本ですから、あの子も嬉しかったのでしょう。
「大丈夫。心配しないで」
足取りも軽く、あきおは、日本に旅立っていきました。

8月26日。
父は、あきおと共にプーケットにやってきました。
定刻より早く着いてしまったようで、私が到着ロビーに入ると、父とあきおは、椅子に座って私を待っています。遠目に父の姿を見て、
「ずいぶん痩せたなあ・・・」
と改めて感じました。
「遅くなって、すいません」
「ありがとう。お願いします」
それほど疲れた様子は見えず、安心しましたが、あきおがとても献身的に父の世話を焼いている姿を見て驚きました。

翌日は、島内観光です。
私の運転する車でパトンビーチを出発し、カロンを回って、ビューポイントへ。それから、ナイハンビーチ、プロンテップ岬と回りました。
12年前と、ほとんど同じコースでしたが、父は、
「ちょっと、目眩がする」
つい最近まで、ひと言も弱音を吐いたことのない父でしたが、やはり、もう体力があまり残っていないのか、体調の不安を口に出します。
ロータスで入ったMKでも、父は食事が進まないようで、本当に、わずかしか食べません。
大食漢だった父の現在の食べる量を見れば、
「老いとはどういうものなのか」
容易に想像できました。

夜は、いよいよ、今回のメイン、新装なったブレイクポイントで、私の働きっぷりを見てもらいます。夏休みも終わりで、4、5日前から客足が弱くなってきましたから、
「ガラガラだったら、どうしよう」
と心配しましたが、3日間とも、よく持ちこたえ、面目を保ちました。

「お店も繁盛しているし、あきおも、ずいぶん、立派になった。なおこも、きよみも、本当によくしてくれた(私には、してくれないのに・・・)。
これで、思い残すことはない。いつでも逝ける」
8月30日未明。
父は、なおこときよみに連れられて、日本に帰っていきました。
「また、来てくださいね」
私も、ラントムも、あきおも、そう言って見送りましたが、今回が最後の海外旅行になるかもしれません。

昔は、多くの家庭で犬を飼い、年老いたおじいちゃん、おばあちゃんと一緒に暮らす子どもが大勢いましたが、それも時の流れと共に少なくなって、今では「別居」が当たり前になってしまいました。
子が親を殴り殺したり、親が過剰防衛で息子を刺し殺してしまったり・・・、そんなことが起こらないように、犬や老人が、タイムリーに死んで、子どもたちに大切なもの、つまり、
「命の尊さ」や、
「それを失うことの重大さ」
を教えていたのでしょう。
もしかしたら、今の老人は、
「元気すぎる」
のかもしれません(特にプーケット!)。
「ゴルフ」や「女」に現を抜かす暇があるのなら、孫と一緒に暮らして、
「とっとと、死んで、悲しませてあげる」
のが、じいちゃんの「最後の愛情」っつうもんですよ(犬と一緒に死んでください!)。

姉と一緒に、小さな私が父の後を歩いています。
麦わら帽子を被り、手には魚獲りの網を持って、大きな背中についていきます。
一緒に暮らせるだけで、家族一緒にいられるだけで、幸せいっぱいの毎日。そんな輝きの日々から、あっという間に時は流れ、今、私は49歳、姉は他界し、父は人生の黄昏時を迎えています。
あんなに強く、恐く、ずっと、私を守り、叱り、支えてくれた父も、命の炎が消えようとしている今、私やあきおを頼っているのです。そんな父の姿を見て、私は初めて、自分が大人になったことを実感できたような気がしました。

子どもが幼いころは、「優しさ」を。 
ちょっと、成長したら、「強さ」を。 
思春期には、その両方を。 
そして、大人になったら、「老い」と「死」を見せるのが父親の役目・・・。
老いて、よぼよぼになって、老醜を晒し、そんな私の姿を見たとき、子供たちは、きっと、逞しく、優しい大人になってくれるでしょう。

父の魂が私に、私の魂が子どもたちに・・・。
たとえ死が訪れ、時は過ぎ行くとも、その魂が絶えることはありません。

生んでくれてありがとうございました。
育ててくれて、ありがとうございました。

今、私は父に、心から、そう言いたいと思います。

# by phuketbreakpoint | 2010-09-12 12:46 | Trackback | Comments(0)

親子で遠足、エイエイオー!

8月25日。
夏休みを利用して、プーケットに帰ってきた、なおこときよみを連れて、私たち家族はピピ島一泊旅行に出かけました。
前回、ここを訪れたのが1995年の2月です。あれから15年、どう変わっているか、非常に興味がありましたが、トン・サイ湾の港から眺める景色は、それほどの変化はないように思えました。
しかし、船が多い!
元々小さな湾ですが、大小様々な船舶で埋め尽くされており、
「ちょっと、ここで海水浴」
とても、そんな気分にはなりません。
島の反対側にあるロ・ダラム湾は、船も少なく、ビーチパラソルが並んで、一応、リゾートという雰囲気はありましたが、特に、目を見張るほどの美しさでもなく、プーケットのビーチと大差ないように感じます。ボートタクシーで足を延ばせば、
「さすが、ピピ島!」
というポイントもあるようですが、わざわざプーケットから船で来たというのに、また、船に乗らねばならないというのも、
「入場料を二度取られるような気分」
になって、どうにも納得がいきませんでした。

翌日、ホテルのチェックアウトは11時です。
帰りの船が出る2時半まで、たっぷり時間がありましたから、徒歩でビューポイントまで行ってみることにしました。
ところがラントムは、出発前から、
「私、この辺(ホテル周辺)で、ブラブラしてるわ」
とまず脱落(タイ人は太陽の下で歩くことを極端に嫌いますね)。きよみも少し歩き始めて、
「私も、ママと一緒にいる」
とリタイアです。前日に散歩したときも、
「夕方は、涼しくて気持ちがいいねえ」
とみんなが喋っているその横で、きよみ1人だけ汗だらけになって、
「暑くて死にそうだー」
なんて言っていましたし、せっかく菱和の寮生活で落としてきた体重も、プーケットに戻って僅か2週間の間にリバウンドしてしまい、山登りするには、体が重くなり過ぎていたようです。近所の飼い猫が寄ってくる度に、
「この猫、きよみのことが好きみたい」
と可愛がっていましたが、きっと、猫は、こう言いたかったのでしょう。
「しめしめ・・・・。この子のそばにいれば、いつでも食べ物にありつけるぞ・・・」

結局、なおこと2人で上ることになりました。
アスファルトで舗装された坂道を歩いていくと、しばらくして、
「ビューポイント、こちら」
の目印が出ています。残り時間は、まだ、たっぷりありましたから、その先の「TUNAMI VILLAGE」を先に見に行くことにしました。
南海の離島で山登りというのも変な話ですが、前日の冴えない湾よりは、こちらの方が遥かに魅力的です。しかし、道路は、よく整備されているものの、道幅が広く、木陰もほとんどありませんから、日光が全身を直撃し、しかも、雨季とは思えないほどの青空の下、私となおこは、坂道を上っていきました。

大勢いる我が子の中で、父の無謀な提案や思いつきに、いつも最後まで付き合ってくれるのがなおこです。
私は自分の長所を辛抱強さだと自己評価していますが、これを最も受け継いでいるのが、なおこなのかもしれません。
「長い坂だなー。ぜいぜい・・・・・。でも、頑張るぞー」
「オー!」
「上りきるぞー」
「オー!」
なおこと勝どきを挙げながら(2人だけのアワ・ブームです)、ようやく坂の上に着いたと思ったら、そこには、さらに厳しい急勾配が続いていました。
「うわあああ、また坂だー!」
「ひゃー、パパ、死んじゃうー!」

1時間も歩いたでしょうか。突然、山の中に人工湖が現れました。
「こんな小さな島に、こんなにいっぱい人がいて、よく水が足りるもんだ」
と不思議でしたが、こういう仕掛けだったんですね。
山の斜面にゴムシートを張って作られた湖には、水はあまり残っていませんでしたが、この地点から山向こうに海が見えました。
「あと少しだー!頑張るぞー!」
「オー!」
本当にあと少しかどうか、根拠はありませんが、とりあえず、そういうことにして、私たちは、先を急ぎました。

ところが・・・・、
「痛ーっ!なんか踏んだー」
なおこが突然叫んだので靴を脱がせて調べてみると、ガラスの破片が靴底にめり込むように突き刺さっています。足の裏から血も出ていましたから、葉っぱに唾をつけて止血しましたが、これ以上無理をして歩いても、目標に辿り着ける当てもありません。
「仕方ない。ここで引き返そう」
ツナミ村は断念することにしました。

人間とは不思議なもので、当てもなく歩いているときは、実際の距離より遠く感じ、不安になるものですが、ひとたび帰路に就くと、とたんに元気がいっぱいで、ピクニックのような気分になってきます。
「なおちゃんのー、一番好きな人は誰ですかー!」
「それは、パパで~す!」
「クシシシシっ・・・・・、お菓子買ってあげよっと」
足取りも軽く、下り坂を歩いているうちに、だんだんと勢いがついてしまい、駆け足の状態に。
「なおこー!止まらない、止まらない、止めてくれええええ・・・・」
「パパー!助けてえー、止まらなーい!」
小学生の遠足みたいなことをやりながら、私たちは山を下って行きました。

すると、いきなりサルが現れ、我々の前方を、ひょこひょこと歩いていきます。
「あっ、サルだー!」
ビックリしましたが、
「パパ、あれは、きっとガイドさんだよ」
なおこがそう言うので、ついて行くことにしました。ところが、その先に分かれ道があり、なんとなく右に進む方が正しいように思えましたが、サルは「左に行け」と言っています(ホントなんですよー)。
「パパ、左だって・・・。大丈夫かなあ」
「なおこ、騙されるなよ。こいつは嘘つきだ」
サルの案内とは逆に進むと、しばらくして、今度はファランのお兄ちゃんがこちらに向かって歩いてきます。
「エクスキューズ・ミー。ビュウ・ポイントは、こっちで、いいんですか?」
私が英語で尋ねると、
「こっちで、いいの・・・かな?どうなんだろう・・・?どう思う?」
この人も迷っていたようで、まるで話になりません。すぐに、お兄ちゃんを見捨て、私となおこはさらに前進しました。
「なおこ、見ろー!あそこだー!」
5分も歩かないうちに、ビュー・ポイントの入り口は簡単に見つかりましたが、だったら、さっきのお兄ちゃんは、いったい何だったんでしょう(サル以下?)。

大きな岩肌に腰かけ、しばし、休憩。眼前には、アンダマン海とピピ島の山々が広がっています。近くで見ると大したことのないビーチでも、苦しい思いをして辿りついたビューポイントからの眺めは、格別のものでした。
「ああ、いい気分だねー!」
頑張って、目標に到達するって、本当に素晴らしいことですね。
「やったな、なおこー。エイエイ・オー!」
私たち父娘は、もう一度、勝ちどきを挙げました。


8月30日、なおこときよみは日本に戻っていきました。
久しぶりに賑やかだった我が家も、火が消えたように静かになり、私とラントムに、また普段の生活が戻ってきました。
子どもの頃、学校が休みになるたびに、神戸に住む祖父母の家に、親戚たちが大勢集まったものですが、みんなが帰った後、祖母は、いつも気が抜けたようにボンヤリしていたそうです。
月日が流れ、私にも同じ思いをする番が回ってきたようですね(じいさんに、なりたくなーい!)。

ぼやーん・・・・・・。
なんとなく、虚ろな表情の私に気付いたのか、
「今夜は、なおこと、きよみを連れてきてあげたわよー。これ、パパにあげるから、一緒に寝たら」
ラントムがクマさん人形とキティーちゃん人形を寝室に持ってきてくれました。
「こっち(クマさん)が、なおこ・・・・で、こっち(キティーちゃん)が、きよみ・・・・?うん、確かに、よく見ると、似てるような気もする・・・・。
よしよし、よく帰ってきたなあ・・・。今夜は一緒に寝よう」
私とラントムは、静けさの中、「2人」に囲まれて、眠りに就くのでした・・・・。

# by phuketbreakpoint | 2010-09-05 10:42 | Trackback | Comments(0)

それでも、やっぱり、ストーンズ

ポピュラー音楽雑誌業界、あるいは、音楽ライターの間では、昔から、
「困ったときは、ビートルズ」
という格言が恐らくあるんだと思います。
編集や記事に行き詰まったり、売り上げが伸び悩んだときには、このネタに戻ってきさえすれば、まずは、ひと安心。とりあえず、好評を博して、売り上げも安定し、ピンチを切り抜けることができるんでしょう。
とは言うものの、僅か8年ほどしか活動しなかったグループの秘話、新しいエピソード等を探し出してくるのは容易なことではありません。
緊急連載して華々しくスタートを切ったビートルズ特集も3回目を迎える頃になるとネタが尽きて、なんとかページ数を稼ごうと、こんな、
“こじつけ企画”
を強引に押し込むことになります。
「ビートルズvsストーンズ。あなたは、どちら派?」

そう聞かれれば、一応、私はストーンズ派と答えますが(まあ、少数意見でしょう)、それでも、ビートルズとストーンズを同列に並べて比較すること自体、ジョン・レノンやポール・マッカートニーに対して、
「いくら何でも、そりゃあ、失礼って、もんですよ」
と思ってしまうのです。

「優等生のビートルズと対比させるために、敢えて、ストーンズを不良として売り出しました」
初期のマネージャーの回想を読んだことがありますが、わざわざ、そんな努力をしなくても、誰が見たって、彼らは不良、もっと言えば、
「知能的に欠陥がある問題児」
のように見えてしまいますし(初期の頃)、
「スーツやお揃いのミリタリールックに身を包むビートルズに対抗し、あえて、服を揃えなかった」
という話も読んだことがありますが、私は何度か、
“恐ろしく似合っていない”
彼らのユニフォーム姿や背広姿を見た記憶があります。
恐らく、マネージャーも一目見て、
「こりゃダメだ。別の手を考えないと、使いもんにならんぞ」
そう判断したんでしょう。

一時期までは、やることなすこと、
“ビートルズの塗りなおし(そう見えちゃってましたね)”
で、ジョン・レノンから、
「彼らは、半年遅れで、同じようなことをやっているなあ・・・」
とバカにされてしまう有様でしたが、ちょうど、ビートルズが公演活動を休止した頃から、
「鬼の居ぬ間に・・・・」
ということもあったんでしょうか、ライブでも、曲作りでも、
“一皮剥けて”
自分たちのスタイルが徐々にできてきた様に思います。
曲作りで思い出しましたが、「ジャガー・リチャーズ」のクレジットを見るたびに、私には、
「本当に、彼らが作ったんだろうか?」
という疑問がいつも浮かんできてしまうのです。
自分たちで作った曲を自分たちで演奏して・・・というスタイルも、クレジット名も、明らかに、「レノン・マッカートニー」の真似ですし、そう発表しておいたほうが、
“商売上好ましい”
結果を生むという判断があったんじゃないでしょうか。
外見のイメージだけで、人を判断してはいけないとは思うのですが、彼らは、たぶん、
「楽譜が読めない(もちろん、書けない)」
ように思いますし(メジャーなシンガーソングライターでも、読めない人は多いようです)、
私の想像で書かせてもらえば、
「たまには、落ち着いた感じで、じっくり、聞かすような・・・・。ああ、そうそう、だいぶ前に、ボブ・ディランが歌った・・・ほら、何だったっけ?」
大麻樹脂を塗したタバコを口にくわえ、ミック・ジャガーがそう言うと、その隣でヘロイン注射中のキース・リチャーズが、
「うん、そうそう、えーっと、ほら、『風に吹かれて』だったっけ(ミックのイメージしてる曲とぜんぜん違う)?あんなアレンジがいいんだけどなあ・・・・」
それを聞いて、ゴーストライターが書き上げた曲の中から、2人がセレクトする・・・・と見せかけて、実はプロデューサーが、
「どうせ、連中は(大麻とヘロインで)覚えてないだろうから・・・」
勝手に選んでしまうんでしょう。
それで、曲の構成が全部決まっちゃった後に、2人に見せて、
「ミックちゃん、今度の曲、最高。やっぱり、キミは天才だ!」
とか、おだてられて、その気になっている・・・(大失礼)。
そんな姿を想像してしまうのです。

こんなストーンズですが、個人的には彼らのDVDを見る機会が、他のミュージシャンのものと比べ、圧倒的に多い(最近は、ほぼ毎晩ですから)のは、どうしてなんでしょうか。
例えば、営業で、ホールも厨房もうまく回り、売り上げも良好、帰り行くお客様から、
「美味しかったよ。また、来るから」
そう声をかけられた夜というのは、気分も高揚していますから、誰のライブを見ても大丈夫なんですが、私自身のミスでお客様にもスタッフにも迷惑をかけ、
「大恥かいてしまった夜」
なんかは、落ち込みも激しく、なるべく、早く忘れてしまいたいと、
“聴き慣れていて、ノリが良く、観衆も大いに盛り上がっている、パーっと賑やかなDVD”
を見たくなるものです。
ビートルズの初期のライブ映像は、この条件を十分に満たしているのですが、こんな夜には、彼らのように、
“才能あふれ、光り輝く人たち”
の音楽なんて、聴きたくもありません。
ここでは、やっぱり、ストーンズなんです。
“超個性的”
という以外、褒めようがないミックのボーカルや、
“上手いのか、下手なのか、よくわからない”
キースのギター。
“いるのか、いないのか、はっきりしない”
ビル・ワイマン。
“初期のPVでは、あまり動きのない”
チャーリー・ワッツのドラムス。
“中途採用で、こんな人たちの仲間になって、よくも、30年以上耐えられたものだ”
と感心するロン・ウッド。
誰一人として、才能を感じさせる人がいないストーンズの音楽こそ、
“こんな夜にはふさわしい”
と私は感じます。

「解散しないで、50年近く、グループ活動を続けているから凄い」
という人もいますが、ソロ活動や他の分野で食っていけるならともかく、そんな能力は、
“カケラもない”
ストーンズですから、グループにしがみ付く以外、道はなかったのでしょう。
それは、中年サラリーマンが会社にしがみ付いたり、私がお店やラントムを頼りにしている姿と、あまり変わらないように思えます。

先進性、意外性はゼロ。作詞作曲能力、歌唱力、演奏力、企画力、(ショーやアルバムの)構成力、そのどれをとっても、ビートルズがストーンズに劣っているものはないと断言できますし、
「ライブなら、ストーンズ」
という意見もありますが、ビートルズが公演活動をしていた頃というのは、女性ファンの絶叫・悲鳴が凄まじく、メンバーが自分の出している音すら聴き取れないほどでしたから、もしも、同じ条件だったら(当時のストーンズ全米公演は、どこもガラガラだったそうです)、勝負にならないでしょう。

それでも、私は、ストーンズなんです。
“あんな人たち”
でも、こんなに頑張れる。
ずっと辛抱して努力していれば、いつか、トップに立てるかもしれない。

嬉しいときも、悲しいときも、苦しいときも、切ない夜も、私は、いつも、
“三文オペラ(失礼)”
のような彼らのライブを見てからでないと、寝付きが悪くなってしまいます。

ストーンズのみなさん、いつまでも長生きして、私たち「ダメ人間」に勇気と希望を与えてください!

# by phuketbreakpoint | 2010-08-15 10:48 | Trackback | Comments(0)

野良仕事なら、どんと来い!

ラントムのお父さんは、数年前に脳溢血を患い、左半身が不自由になってしまいましたが、元気だった頃は、いろんな方面から声がかかり、結構忙しくしていました。
お父さんは、田舎生まれの田舎育ち、田んぼとゴム林以外は、ほとんど何も知らない人間ですが、だからこそ、プーケットでは非常に重宝されていたのです。
「パン(お父さんの略称)、ちょっと林に行って、ドリアン採って来てくれないか。半分あんたにやるから」
「うちの裏庭、草ぼうぼうで大変だ。ちょっと、刈ってくれ」
「葬式で豚を殺すから(出席者にふるまうため)、やってくれないか」
人殺し以外は何でもやる便利屋みたいな仕事が多かったのですが、お父さんのように、田舎仕事ができる人は、今のプーケットにはなかなかいません。
人殺しで思い出しましたが、お父さんは、自称マッサージ師を名乗っていますが、若い頃、頼まれて揉んだ相手の男性が突然死してしまったそうです。村の人たちは、
「パンが変なツボを押したから死んじゃった」
と噂していたそうですが、そんな話は、まったく眼中にないお父さんは、その男性の未亡人をしっかりとモノにしてしまったようで、みんなは、
「やっぱり・・・。これが目的だったか」
とますます疑惑が深まってしまったそです(お母さん談)。

牛飼いにブタの世話、牛殺しにブタ殺し、野菜や果物の収穫、鳥打ち、カエル取り、ギボン狩り。
「椰子の実採り」なんて、猿にしかできないと思っていましたが、人間だって、ちゃんとできるんです。
椰子の木にするすると登って、ココナツの実を下に落とす、見ていると簡単そうに見えますが、これができる日本人は、まず、いないでしょう。
椰子の木は、実の生っている部分から下は、枝がまったくありませんから、手で掴んだり、足に引っ掛けて、踏ん張ったりすることができません。まるで、
“ぶっとい上り棒”
のように、腕と足の平、腿の内側の3点で挟み込み、ぐっと腰を入れるように、よじ登っていきますが、かなり強靭な肉体を持った人でないと、なかなか上には行けません。私もチャレンジしたことがありましたが、1メートルも登れませんでした。ムエタイの選手が首相撲(相手の首の後ろに両手を回し、上体を引き込んで、ひざ蹴りを狙う動き)に、めっぽう強いのは、こういった日常の運動で鍛錬されているからでしょう(当然、セックスも強いはず)。もし、
“熱帯版「サスケ」”
なんて番組があれば、制覇できる日本人は皆無だと思います。

ルクタンの実(砂糖やお酒にしたり、生で食べる果物。寒天のような食感)も、カロンビーチに住んでいた頃(1995年)は、よく採りに行っていました。様々な木種がありますが、カロンに生えているものはココナツの木のように細長く、しかも、実が生っている部分は、かなり高度にありますから、落ちたら、一巻の終わりです。近所に住む仲間とペアを組んで、一本一本交代で登っていました。
採ってきた実をビニールパックに6個ずつ入れて売っていましたが、公共の土地だろうが、個人所有の土地だろうが、勝手に採っていても、誰からも文句がつきませんでした。危険と収益のバランスが著しく悪い作業でしたから、
「あんな危険な仕事で、1袋20バーツ?冗談じゃない」
ライバルは誰もいませんでしたが、お父さんの相棒コ・ミャオさんがバイクで事故死し、廃業となりました。

「椰子の実割り」も田舎では必須作業です(タイ料理にはココナッツが欠かせません)。
昔、ジャイアント馬場さんが必殺技として使っていましたが、実際の「椰子の実割り」は、あれとは、似ても似つかないものなのです。ナタで、「グサリ」と切り込みを入れ、突き刺さった刃で、テコの作用を利用しながら、分厚い外皮と内皮の間に隙間を作っていきます。それから両手を使って、
“人間の頭の毛を引き千切るように”
外皮を剥がし、取り出した中心部分を真っ二つに割って、内部の白い実を特性の道具を使って細かく削り取っていきますが、都会で暮らす人は、こんな面倒な作業は、まずやりません。袋入りのものを市場で買うか、加工し市販されたココナツミルクをスーパーで購入して使います。
新婚当時、ラントムが簡単そうにやっていましたから、これもチャレンジしてみましたが、まったく、歯が立ちませんでした。かなりの握力(しかも素の)が必要ですから、タイ人の田舎者相手に喧嘩するのは、絶対に禁物でしょう(頭を引き千切られますよ)。

ブタを殺すのも、簡単ではありません。
“大きなハンマーで頭部を強打して・・・・”
カウボーイが牛を殺すようなスタイルを私は想像していましたが、タイ人は、そんなやり方はしません。4人がかりで押さえつけて動けなくし、代表者がナイフで頚動脈を突き刺します。鮮血が流れ落ち(もちもん、それをバケツで受けて、凝固させた後で食べます)、次第にブタは動かなくなって、ご臨終となります。
しかし、こう書いていてもお分かりでしょうが、かなり凄惨な作業ですから、
「じゃあ、オレがやろう」
という物好きな人は、プーケットでは、なかなか見つかりません(最近は、田舎の方でも少なくなってきたようです)。特にタイ人は、
“タンブン(徳を積む)”
に非常に熱心ですから、その逆である殺生は、極力避けたいのでしょう。
結局、いつも、お父さんのところに話が回ってくることになります。

ナマズ獲り。
「こんなの、ただのドブでしょう」
日本人から見れば、明らかにそう思える湿地帯でも、タイでは貴重な食料の宝庫です。岸辺にはパクブン(空芯采)が群生し、魚類もたくさん住んでいますから、まったく、お金がない人でも、食べ物にありつくことができます。
浅瀬に壺を埋め込んでおくと、翌朝には、ナマズやプラチョーン(雷魚)が迷い込んでいるという、実に単純な漁法ですが、プーケットでは、
「あんな汚い川に入ってまで、獲りたかねえや」
と、これもお父さんの独占状態でした。

こうして、
「野良仕事最強王」
の名を欲しいままにしていたお父さんですが、倒れる数年前あたりから、強力なライバルたちに、その座を脅かされるようになっていました。
年々増加の一途を辿るミヤンマー人労働者が、建設現場の周辺に臨時の集落を作り、お父さんですらやらなかった「犬さらい」(注、犬鍋用。因みに「ネコ殺し」は、今でもお父さんの得意分野です)や雑草摘み(食べられるものが何種かあるようです)をやるようになると、   
「奴らには、敵わん」
と次第に第一線を離れていきました。さすがのお父さんも、近代化の波には逆らえず、とうとう、時代の渦に飲み込まれてしまったようです。
ここ何年かは、もっと効率の良い、廃品回収(早い話がゴミあさり)に精を出し、
「ポー(お父さん)、みっともないから、ソイ中のゴミ箱をあさるの、止めてちょうだい」
ラントムから、そう怒られながらも、小遣い稼ぎに余念がありません。

数年前、社会科の教科書を使って、なおこに日本語を教えていた頃、
「リサイクルって、ポータウ(おじいちゃん)がやってるようなこと?」
そう聞かれたことがありました。
「そうだよ。ポータウは、残り少ない地球の資源を大切にして、タイの環境を守っているんだよ」
私は、そう教えてやりましたが、どういうわけか、なおこは、その話をまったく、信じていないようでした。

# by phuketbreakpoint | 2010-08-03 00:58 | Trackback | Comments(0)

いろんなことがありますよ・・・本当に

7月9日。
長女マヨムがイギリスに旅立ちました。
「こんなに大きなバッグ買っちゃって大丈夫なのか?重量制限に引っかかったら大変だぞ」
「心配しないで。留学生は30キロまで許されるの」
ところが、プーケット国際空港でチェックインすると、重量計のデジタル表示は、なんと49・5キロを示しています。
「20キロも、オーバーしてるじゃないか!国内線は15キロまでだから、35キロオーバーだって!?」
結局、超過金を1600バーツも取られてしまいました。しかも、
「国内線でこれだと国際線は、どうなっちゃうんだ?」
不安になった私はタイ航空のチケットオフィスで尋ねてみましたが、なんと、キロ当たり1650バーツもチャージされるといいます。トータルだと3万バーツを超えてしまいますから、ラントムも私も、血の気が失せて、
「減らせ、減らせ」
と空港ロビーでバッグを開けて、大騒ぎになってしまいました。
「本とか重いものは、なるべく機内持ち込みのバッグに入れるんだ。服とか軽いものは大きい方に入れて・・・」
土壇場でジタバタする見苦しさは、減量に失敗したボクサーみたいでしたが、なんとか33キロまで落とし、ずっしりと重くなった機内持ち込み用のスーツケースと手さげ袋を2つ抱え、あの子は手荷物検査のブースに消えていきました。
「出発前から、こんな調子で大丈夫なのかねえ・・・」
ラントムと2人、心配になってきた私たち夫婦ですが、今回の留学話、ここまでこぎ着けるだけでも、けっこうな労力を必要としました。

いよいよ、グリニッジ大学から入学許可も下り、学費を送金することになった6月上旬のある日のことです。
ローシーズンで、お金が足りませんでしたから、車を売って手にした現金を持って銀行に行き、キャッシャーチェック(小切手)を作りましたが、為替レートの計算やら、相手口座の確認やらで、思った以上に時間がかかります。代理店は、
「(小切手は)郵送すればいいですよ」
と言っていましたが、失くしたら大変ですから、ビザ申請を兼ねて、マヨムがバンコクまで持参することになりました。
「これでひと安心。あとは送金確認を待って、ビザを申請するだけ」
そう思っていた一週間後です。バンコクにいるマヨムから、電話がかかってきました。
「困ったことになったの。小切手なくなっちゃったって・・・・」
聞けば、事務員の管理がズサンで(他人の金だと思って、その辺に、ほっぽり出していたんでしょう)、どこを探しても、見つからないということです。すぐにバンコクの代理店に電話を入れて、状況を確認しましたが、
「安心してください。受取人限定ですから、お金は、まだ引き出されていません。もう一度小切手を作って、送ってください」
大金を失くしておきながら、
「すいません」
の一言もなく、余りにも、
「あっけらかーん」
とした説明に、ラントムも私も、頭にくるやら、呆れるやら。
「あんたじゃ埒があかないから、上司の携帯番号を教えてくれ」
責任者に電話を入れ直しましたが、すでに、
“先回り”
されていたようで、
「あのー、こちらはプーケット・・・・」
とここまで言ったこところで、この上司は、いきなり、
“ブチっ”
と電話を切ってしまい、その後は何回かけても電話に出ませんでした。

怒りは収まりませんでしたが、手続きしないことには話は進みません。
私とラントムは、ぶつくさ文句を言いながらも銀行に行って相談すると、紛失証明が必要だといいます。その足でパトン警察に向かって、証明書を出してもらい、それから、また銀行に戻って小切手を作り直しました。
「タイでは、いろんなことがありますよ」
最近は、少々のことでは驚かなくなった私ですが、あまりと言えば、あまりの、
「いい加減さ」
に、今回ばかりはラントムと2人、ポカーンと空いた口が塞がりませんでした。

再びバンコクに戻ったマヨムは、小切手を事務所で手渡し、受領書も受け取って、
「今度こそ、ビザが下りるのを待つばかり」
そう思っていた6月中旬のある日、またバンコクから電話がかかってきます。
「パパ大変、ビザが出ないんだって。この前提出した申請書類、1枚足りなかったみたい。もう一度申請し直してだって」
しかも、
「1万バーツ(約3万円)!?学生が勉強に行くのに、何で、そんなに高いんだ?」
と手続き前に、私がブーブーと文句を言っていたビザ代は、
「お返しできません」
だそうで、なんと、もう一度払わなければ申請できないなんて言っています。
「書類が1枚足りないなら、それを追加提出すれば済みだろう。申請を受理できないなら、お金を返すのが当たり前だろ」
ところが英国大使館に電話を入れても繋がらず、受付窓口になっている出先機関(東京ならブリティッシュ・カウンシルのようなところ)も午後まで担当者は来ないと言い、ようやく出てきた担当者は、
「日本大使館なら、お金を返してくれる・・・?ここは英国大使館(の出張所)だから返せないですよ。みんな(他の大使館も)、そうですよ」
強気の対応で、まったく話になりません。英国大使館、特に大使ら本国から来ている人たちは、こういった事態が起こっていることを把握していないかもしれませんから(恐らく、現地採用の英国人やタイ人スタッフがつるんで金儲けに走っている可能性大)、近々英文で正式に抗議文を郵送しようと思っていますが、酷い話の連続で、マヨムも私たち夫婦も、もうキャンセルして別の国に留学しようかと話し合っているときでした。紛失事件の引け目もある代理店から電話が入り、
「我々も全面的に協力しますから、もう一度だけ、申請してください」
ということで、また1万バーツ持って、マヨムはバンコクに向かいました(いったい、何回行かされてんだか・・・)。

ビザ申請が終わり、プーケットに戻ってきたマヨムですが、今度は突然、
「もしも、イギリス行きがダメになったら、私、結婚するわ」
と「トンデモ」発言です。
留学が実現するかどうかの瀬戸際だというのに、どこから、そういう話が出てくるのか不思議でしたが、今度の相手は26歳のドイツ人、バンコクで知り合った自称薬剤師だそうですが、たぶん騙されてるんでしょう。本人は否定していますが、どうせまたネットで見つけてきたに違いありません。
「あのなあ、マヨム。何でいきなり結婚になっちゃうんだ?」
「彼は、とってもいい人なの」
「なんで、そんなことがわかるんだ?」
「何回も会ったから、わかるの」
「何回もって、何回だ?」
「2回。でも、いつもメール交換してるから・・・」
こっちの話も、空いた口が塞がりませんでした。

そんな中で行われたのがワールドカップ決勝トーナメント、イングランド対ドイツの1戦です。お客が早く引けた店内で、マヨムと2人、買ったばかりの大型テレビで観戦しました。
「行け、行け、ルーニー!女たらしのジャラマン(ドイツ)なんか、やっちまえー!」
「なに、このハゲ(なんという暴言を・・・)。やっぱり、ドイツの方がカッコいい」
「今のシュート完全に入ってるぞー!インチキ判定だー!」
「おー、この8番、ロー(いい男)。がんばれドイツ!」
「人の娘に、ちょっかい出しやがって、ドイツだけは、絶対に勝たさん!」
「あらま、監督さんも、けっこうハンサム。イギリスやめて、ドイツに行こうかな」
「おい、マヨム。ちゃんと、サッカー見ろよ」
「パパも、ドイツの悪口ばっかり、言わないで」
結局、試合はドイツの圧勝に終わり、ビザもなんとか下りましたが、こんな調子でイギリスに行って、本当に大丈夫なんでしょうか。

つい一昨日も、電話が入ってきました。
「あ、パパ?ステイ先(黒人家族)は、ケチくさいことばっかり言って、イヤ。やっぱり、タイがいいなあ」
「そんなこと言うなよ。パパがいた頃(1985年)も、ホームステイは自由がなかったよ。イギリス人は、1週間に2、3回しかシャワーを浴びない人もいるから、毎日入れるだけでも幸運なんだよ」
マヨムの話を聞くまでもなく、タイほど自由な国はありません。
「やりたいことが何でもできる」
そして、
「やりたくないことをやらずにすむ」
そんな国は他にないでしょう。
それがわかるだけでも、留学した意義があるんじゃないでしょうか。

マヨムさん、大きな世界を見てきてください。
いろんな人に出会って、いろんな経験をつんで、そこで見たり、感じたりしたことが、きっと将来、あなたを助けてくれるでしょう。
検討を祈ります。
Good luck!

# by phuketbreakpoint | 2010-07-24 08:20 | Trackback | Comments(0)

なおこと2人きりの夜

菱和高校(仮名)ゴルフ部に入部した末娘のきよみは、順調に実力を伸ばし、学生トーナメントでも好成績をあげ、とんとん拍子で勝ち進んでいきました。そして念願のプロテスト合格、初年度から大活躍です。
「ゴルフ界の超新星、西岡きよみ、ツアー5連勝」
「来年は世界制覇だ」
出るトーナメント、出るトーナメント、次から次へと勝ちまくり、ガッポガッポと舞い込んでくる賞金の山!私にもインタビューの依頼が殺到し、
「きよみパパ」
として、マスコミ各社に引っ張りだことなり、参院選出馬へ。見事当選し国会議員になるも、一度も国会に顔を出さず、きよみに買ってもらった温泉宿で悠々自適の老後を過ごす・・・・・。

そんな夢を抱いていたのですが、やはり、世の中、甘くはありません。
結局、ゴルフ部は、
「練習がきつそうな上に、先輩後輩の上下関係が非常に厳しいみたいだから(これはタイ人留学生が最も敬遠したがる理由のようです)、入るのやめた」
そうで、きよみは姉のなおこが席を置く、和太鼓部に入りました。
「和太鼓?それじゃあ、パパの夢は、どうなっちゃうんだ?」
「心配しないで。和太鼓で優勝して、ちゃんと温泉は買ってあげるから期待しててよ(和太鼓に賞金なんかあるんでしょうか?)」

そもそも、きよみが中学1年から、私の手もとを離れてしまったのも、あきおやなおこが日本に行くことになったのも、元を質せば、私がプーケットで暮らしはじめたのが原因ですが、タイでタイ人の女性と結婚し、家族を持つというのは、辛いことばかりでもありません。
日本のお父さんたちが経験できないような素敵な思い出を作ることだってできるのです。

昨年の10月、私は再び高知県菱和高校を訪れようとしていました。前年に、あきおが「あんなこと」になってしまいましたから、今回は、なおこと2人っきり、年頃の娘と一緒に数日間過ごさねばならないわけで、これは私にとって、ちょっとしたプレッシャーに感じられました。
「果たして、なおこは喜んでくれるだろうか?」
「話が合わず、場がもたなかったら、どうしよう・・・」
あの子が私と一緒に遊んでくれたのは、ずいぶん昔のことです。それも、双子の弟であるあきおといつも一緒でしたから、2人っきりではありませんでした。きよみ(なおことは5つちがい)が生まれて以来、私もラントムも、小さなきよみの世話に追われ、なおこやあきおは、
「おいてけぼり」
にされることも多かったですから、本当の意味で、あの子と1対1で向き合うというのは今回が初めてになるでしょう。2人で楽しい時間が過ごせるかどうか、とても心配だった私は、
"初デートに挑む、中学生のような心境”
で予定を組んでいきました。
「初日は、お土産渡して喜ばして・・・・。そうそう、なおこの好物のタイのお菓子も忘れないようにしないと・・・。その後、ホテルでチェックイン。前に、あきおと一緒に泊まった所が清潔でいいな。それから、ご飯食べて・・・」
それまでは、金曜日の午後から月曜日の朝まで3泊4日、ゆっくり時間をとって、子どもたちとの再会を楽しんでいましたが、このときは、
「土曜と日曜だけで充分だろう」
2泊だけにしておきました。

そして3週間後。
「なおこー!パパ、来たぞー!」
お土産をいっぱい抱え、私が顔を出すと、なおこは、
「パパ、サワッディー」
と嬉しそうな笑顔でタイ式の挨拶をしてくれました。
2人で一緒に寮に行って、持ってきたお土産類を置き(本当は男子禁制ですが、寮長さんが親切な方で、中まで案内してくれました)、市内のホテルに向かいます。チェックインの後、ショッピングモールに出かけ、
「何が食べたい?」
と聞くと、
「じゃあ・・・、お好み焼き」
ということで、二人で鉄板を囲みました。

「どうだ、学校は?」
「あんまり、面白くない」
昨年大勢いたタイ人の友だちが、厳しい寮生活や田舎暮らしに耐えられなかったのか、みな辞めてしまったそうで、なおこは一人ぼっちになってしまったようです。
所属クラブ(当時は銃剣道部)の練習も非常に中途半端(平日の放課後に1時間程度。ちなみに、最初に入ったバレー部は、夕食後も練習してたそうです)で、勉強以外は、あまりやることがなかったのでしょう。
お勘定を払うとき、お店の若いご主人が、
「菱和の生徒さんですか?実は私も卒業生でして・・・」
と挨拶してくれました。翌日に入ったすき焼き屋でも、ホールリーダーらしき女の子が、
「私、横峰さくらさんと同級生で・・・」
と自己紹介を受けましたし、ここら一帯は、
「菱和コネクション」
で溢れているようです。

食事の後は映画を見ました。
「カイジ/人生逆転ゲーム・・・何だいこれは?」
と思いましたが、意外と面白く(コミックスが原作の映画は、けっこうイケますね)、最後まで手に汗握って大いに楽しみました。
映画が終わり、ジャスコでお菓子やビールをたっぷりと買い込んでホテルに戻り、私はビールとハイボール、なおこもチューハイで乾杯です。
「お酒飲んで、大丈夫なのか?」
「いいの、いいの。学校じゃあ飲まないから安心して」
カクテル系の甘ったるい酒を3本、一気に飲んだなおこは、
「パパ、もっと買ってきて」
なんて言っていますから、ホテルの一階にあるコンビニに下りて、買ってきてやりましたが、これもケロッと飲んでしまい、まだまだ飲み足りない様子でした(酒豪になりますね、この子は)。

「そろそろ寝るか・・・」
小さめのダブルベットが一つだけの部屋でしたが、なおこは嫌な顔もせず、同じベットで寝入っています。
なおこが小さかった頃、私とラントムは、子ども3人(なおこ、あきおとマヨム)を挟むように寝ていました。
あの頃は、サウスロードも、ブレイクポイントも始める前で、お金こそありませんでしたが、子どもたちと過ごす時間だけは、たくさんあったと思います。すやすやと気持ちよさそうに眠るなおこの顔を見ながら、私は、あの頃のことを思い出していました。
現在ジャングセイロンが建っている場所は昔は大きな原っぱで、私たち家族は、よくラントムの運転練習を兼ねて、ここに遊びに来ましたが、違法投棄された産業廃棄物の中から古いポットを見つけ出したなおこは、それを片手に、
「パパー、ママー、みてー!」
大喜びしていました。大人から見れば単なるゴミも、当時2歳だったあの子には、
「こんな、すごいもん、みつけたぞー!」
という思いがあったのでしょう。「これ以上ない」という満面の笑みは、私やラントムの脳裏に強く焼きついているようで、今でも、ときどき、このときのなおこの笑顔が話題に出ます。
そのなおこが、こんなに大きくなって、もう高校生。
あのとき以上に大きな笑顔を、これからも、ずっと見せてくれればいいのですが。

2日半を水いらずで一緒に過ごし、3日目の午後に菱和の寮に戻るときのなおこは、本当に名残り惜しそうでした。
「あー、帰りたくないー。いやだー。もっと、一緒にいたい」
別に私が恋しいわけでもなく、学校の外に連れ出してくれるなら、誰でもよかったのかもしれませんが、それでも、父親なら、安心して自分を曝け出すことができますから、あの子にとっては、貴重な時間だったのでしょう。

「じゃあ、パパ行くからな。最後に『お別れのキス』してちょうだい」
恥ずかしがって、嫌な顔されるかと思いましたが、すんなりと、あの子はしてくれました。
日本では、「キモい」とか言われ、「虐待」されているお父さんもいるようですが、17にもなって、なおこは、私と手をつないで歩いてくれます。娘と二人っきり、足掛け3日、こんなに素敵な時間を過ごせたのも、タイで暮らしていたお陰かもしれません。
「あと、1年半、いや、来年の今頃は、もう推薦も決まってるだろうから、正味あと1年の辛抱だよ」
最後に私は、そう言って、なおこと別れました。

# by phuketbreakpoint | 2010-07-14 08:55 | Trackback | Comments(0)

みんなで育てる居酒屋

何年か前のことです。
「知ってます?パトンに居酒屋ができたみたいですよ」
「でも、けっこう、高いそうですね。品数も少ないっていう話しだし・・・・」
こんな話をグルーブ(当時あったナイトクラブ)でしていたところ、オーナーの矢野さんが、
「そんなこと言ってちゃダメ。ああいう店は、みんなで育てていかないと・・・」
と話に入ってきました。当時は、グルーブをはじめ、日本人長期滞在者が集まってお酒を飲める場所も、いくつかありましたが、今やそれも、
「全滅状態」
このときの話が身にしみて分かるようになってしまいました。

ブレイクポイントを気に入っていただいたお客様の中には、こちらからは何もお願いしていないのに、ホテルやビーチで知り合った観光客に、
「わたし、いい店知ってますよ」
と勝手にどんどん宣伝してくれるだけでなく、
「じゃあ、今夜一緒に行きましょう」
とわざわざ連れてきてくれる人もいたりします。
「自分だけが知っているマル秘スポット」
を自慢したいという思いもあるようですが、開業以来、ここまで営業してきて、そういった「隠れ応援団」のような人たちに、
「大いに育てられた」
という実感が私には確かにあります。
また、ときには、
「今日のタイ料理、あまり熱くなかったよ」
「パンがちょっとカビ臭い。チェックした方がいい」
誰にも聞かれないように、小声でやんわりと注意してくれることもあります。
慣れないうちは、クレームというのは、
「身に堪える、やっかいな小言」
にしか思えませんでしたが、長年営業を続けていくうちに、それが、
「ステップアップのための、有難い金言」
にもなることが、実感として分かってきました。ちょっとしたコンプレインが大きなヒントになったことが何度もあります。
そして、そういう耳の痛い話を、他の人に聞かれないように、
「こっそりしてくれる人」
こそ、本当に有難いお客さんだと思えるようになってきました(わざと人に聞かすように言うヤツは、ぶん殴りもんですが・・)。

また、タイ王国で商売している、ほとんどの経営者が、
「うちのスタッフ、なんとかならないか」
という不満を持っていると思いますが、では、
「もっと、使える人を探そう」
と思っても、「次の人」が、前の人より有能とは限りません。そうでない場合の方がはるかに多いような気がします。
「まるっきりの役立たず」
もプーケットには、少なからずいますから(そういう人を少なくとも過去に5人は見たような気が・・・)、一概には言えないかもしれませんが、自分の目で見て、
「この人の、この部分は、大丈夫だな」
そう思える点がいくつかあるのなら、敢えて、
「短所に目をつぶって、今ある長所を伸ばしていく」
ことの方が、作戦的には、
「はるかに手堅い」
というのが、開業し、足掛け10年経って、ようやく得た結論でした(ただし、犯罪行為をする人は論外ですが)。
65点取れる人がいるのなら、
「次は80点、90点、100点・・・」
と、どんどん、上ばっかり見てないで、
「1年計画で、68点」
くらい取ってくれれば充分だと思います。入ってきたときには、65点取れていた人が、2ヵ月後に45点にダウンしてしまうという例も、プーケットでは珍しくありません。しかも、やる気のなくなった人たちが集団を形成し、
「あー、だるい。あっちのお店なら給料が・・・」とか、
「大きなホテルだったら、(ズルで)休んでも・・・」とか、
働かないで、待遇面の不満ばっかり話しながら時間をつぶし、職場全体のムードを悪くしてしまうことも多いですから、過度の期待は禁物でしょう。
チームがトータルで、ちゃんと機能していれば、総合点は、もっと高くなるはずですし、1年を通じて、平均値を保つことがプーケットの飲食業では非常に難しく、それを重要視することの方が大切だと思います。

「美人で働き者、優しくって愛嬌があり、いつでも男をたててくれる(変な意味じゃありません)・・・。私は何の欲もない平凡な男ですが、結婚するなら、こんな人がいいですね」
平気な顔して、こういうことを言っている人もいますが、そんな女性、死ぬまで探しても、見つかりっこないですよ。大新聞や大テレビ局の偉いメディアさんたちも、
「指導力があって金にきれい、決断力もあり、実績もある。将来のビジョンも明確に持つ誠実なリーダーは、どこかにいないものか?」
なんて、書いていたりしますが、いませんね、そんなものは・・・。

「彼には、リーダーシップがない」
と、性格の良さそうな首相のクビを飛ばし、
「この人はリーダーシップがあって、仕事はできるけど、独裁的だ」
と、バッシングし、
「今度の人は、確かに人の話をよく聞いてくれるけど、決断力がない」
で、足を引っ張り、
「あの人は、決断力はあるけど、能力がない」
と、またクビを挿げ替え、結局、この10年で、うまく逃げ切った人は、公約を破っておきながら、
「人生いろいろ、公約もいろいろ」
でごまかしてしまった小泉さん、ただ一人だけです。
「オタク」の麻生さんなんか、「いい線」突いてたと思うんですが、みんなで引きずり下ろしてしまいました(今や日本が世界に誇れるものはオタク文化だけ?)。「オタク一本」で勝負すべきだったとも感じますが、やはり、吉田茂の孫というベースが邪魔をして、もっと「カッコいいこと」をやりたくなってしまったんでしょう。非常に残念!

どんな人でも、粗探しすれば、何かしらの欠点は出てくもので、それを殊更誇張して、
「ほらほら、あったー!これが、欠点だー!」
とやっていては、いつまで経ってもキリがありません。
いい加減、長所を見ましょうよ。
多少欠点があっても、みんなで育てていけばいいじゃねえですか!

浅草にいた頃、劇場の支配人さんは、踊り子さんたちを相手に、よく、こんな説教をしてました。
「何人男を代えても、結局、自分が変わらないことには、いつまでたっても、幸せにはなれないよ」
女房のラントムやお店のスタッフに何か不満があるときも、私は、この言葉を思い出すようにしています。

# by phuketbreakpoint | 2010-07-07 10:51 | Trackback | Comments(1)

宇宙ゴミなんか捨てちまえ!

30年ほど前、東京12チャンネル(今のテレビ東京)で「世界の料理ショー」という番組が放映されていました。
グラハム・カーという料理研究家(ということになっていましたが、お笑いタレントに見えました)が世界の珍しい料理を紹介する番組でしたが、レシピを詳しく説明するわけでもなく、料理も、
「ぜひ、食べてみたい」
と思うほど、美味しそうでもなく、繰り出すジョークも、北米在住者向けのようで、あまり意味がわからないものが多く(吹き替えは良かったですね)、要するに、
「大したことのない番組」
だったような記憶がありますが、番組の最後で、作った料理を試食するときに彼が見せる表情だけは、他のいかなる料理番組にもない、素晴らしいものがあったと思います。
「人間は、きっと、本当に美味しいものを食べたとき、こんな顔になるんだろうなあ・・・」
そんなことを感じさせるものでした。
どうして突然、こんなことを思い出してしまったかといえば、昨年の暮れ、お土産にもらったオールドパーを飲んでみたところ、予想を遥かに上回る美味しさでビックリし、グラハム・カーの表情と同じになってしまったからです。
爽やかに広がる「口あたり」、
鼻腔から後頭部にスーッと抜けていく「香り」、
舌の上で、じんわりと溶けていく「まろやかさ」、
喉越しの強烈な「破壊力」、
そして、胃袋に入った後も、ジンワリと余韻に浸れる「幸福感」。
胸の奥がキューンと締めつけられるような、体の芯が暖かくなるような、全身が、
“ムニュムニュ”
してくるような・・・。
例えるなら、激しい恋をしたときの状態と、この幸福感は似ているのかもしれませんが、こんな説明を、たらたら書いていること自体、オールド・パーに対して失礼なんでしょう。

20歳の頃から、ふらふらと海外に出かけるようになった私は、世界の各地で文化遺産と呼ばれるものをいろいろと見てきましたが、ルーブル美術館だろうが、大英博物館だろうが、コロッセオだろうが、エトワール凱旋門だろうが、
「スゲーな、これは!」
と感動したことなんて、ただの一度もありません。
「これは、19世紀初頭、ナポレオン・ボナパルトによって・・・」
なんて言われても、
「ああ、そうですか」
とそれだけです。
たぶん、こういったものを理解するには、私に教養が著しく欠けているのが原因だと思われますが、そもそも、自分には、
「どうせ、人間の作ったもんなんだから、大したことないだろう」
という感覚があるのでしょう。
歴史に残る偉大な巨匠の作品も、工作上手な小学生の作品も、
「あんまり、違いはないんじゃねえの?」
と思ってしまうわけです。

私は、大自然が創り出す美しさが好きです。
アルプス、フィヨルド、グランドキャニオン、ナイアガラフォールズ・・・・。
見てきた人に、
「どうだった?」
と尋ねれば、
「うん、凄かった」
としか、答えようがありません。無駄な説明をする必要は、まったく、ないと言えるでしょう。
うちの奥さんなんかも、同じようなことを言っています。40歳になった今でも、いつも自信満々に、こう豪語していますね。
「私はねえ、パンニャン(実家のあった村)で一番きれいだったんだから・・・。
どれくらい、きれいだったかですって?
とにかく、きれいだったのよ」
(大した自信です)。
まあ、そういった意味でいえば、人間が造ったもので、私を感動させたものが一つだけありました。
ニューヨークの摩天楼。
2度目にニューヨークを訪れた際、空港から地下鉄に乗って50番ストリート駅で降り、階段を上って地上に出て、パッと頭上を見上げると、そこには眩いばかりの電飾の世界が暗闇の中で空一面に広がっていました。あのときは理屈ぬきで、
「スゲーなー!」
と思ったものです。

で、オールド・パーなんですが、つまらない説明なんてしてないで、たった一言、
「・・・・・・これは、うまい!」
と言えば、充分じゃないでしょうか。
説明のいらないおいしさ、すばらしさこそ本物の証だと思われますが、人間年をとってくると、そういった素直な感覚がどんどん失われていってしまうわけです。
プーケットを初めて訪れて、ラントムに出会ったときも、
「彼女こそ、運命の人ですね。純潔美少女に間違いないですよ」
なんて、勝手に盛り上がっていた私ですが、結婚を決意した後になって、
「あれ、離婚暦があるの?」
「あれ、娘もいるの?」
どんどん、「真実」が解き明かされていき、ずいぶん経った後になって、
「あらま、息子もいたんだ・・・」
という事態に直面したりすると、
「あーあ、世の中ってのは、裏があるもんなんだなあ・・・・」
そんなことを学んだりして、素直な感覚どころではなくなってしまうわけですね。

そこで、「女」の代用品として、酒が登場してくわけです。
酒の場合、
「さんざん、お金を注ぎ込んで、ようやく、念願かなったのに、意外とガッカリ」
インチキ・キャバクラみたいなことは、まず、あり得ません。
使ったお金に見合うだけの内容は、しっかり、付いてくるでしょう(そうじゃない場合は、偽物じゃないでしょうか)。
一口に酒といっても、
「こってり飲んで、ドロンと酔ってしまう」
ワインや日本酒などの醸造酒は、
“体内に不純物がいっぱい溜まっていく”
ようで、私は、ほとんど飲まず、
「サラッと飲んで、すっきり酔う」
ウイスキーやジンなどの蒸留酒が好きです。
特に、いいウイスキーを飲むときは(めったに飲めませんが)、とりあえず、ストレート。そして、できることなら、
“一人酒”
がいいですね。
しみじみ味わって、思いっきり、
“だらしない表情”
になっていても、誰にも見られずに済みますから、安心できます。
つまみも肴も、ぜんぜん、必要ありません。
コークやジュースと混ぜてしまうのも、ずいぶん無礼な話だと思います。
きっと、胃の中で、お酒が泣いているでしょう。
「私を、こんな女たち(?)と同格扱いにするのね・・・」
と。

もうじき50歳になろうとしている今、改めて感じますが、「酒」や「女」を真っ正直に(?)最優先して追求する人生を歩んでいる人には、決して、大きな失望や苦悩はないような気がします。
「なかなか自分が評価してもらえない」とか、
「他の人たちが自分より幸せに見えてしまう」とか、
「みんなから、なんて言われているか、気が気ではない」とか・・・・。
そんな、つまらん面子や意地、見栄、プライド、世間体なんか、「酒」や「女」の前では、クソみたいなもんです(断言)。
うまい酒が飲めて、いい女が抱けるなら、そんなもん、どうだっていいじゃねえですか。
「学業」も「職業」も、「地位」や「名誉」や「富」も、「酒と女」という巨大惑星の周りを浮遊する、
「宇宙ゴミ」
みたいなものでしょう。
パーっと、全部ドブに捨てちまって、この南の島に、どんどん遊びにきてください。
50歳になっても、60歳を過ぎても、70超えて、
「もう、オレの人生は終わった」
なんて、しょぼくれたことを言っている人にでも、ここには、
「胸を焦がす」
ような酒と恋が、きっと、あなたを待っているはずです。
さあ、宇宙ゴミなんて、捨てちまいましょう。
思い切って、パーっと、全部・・・・。
さあ!

# by phuketbreakpoint | 2010-06-23 10:21 | Trackback | Comments(0)

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